ep11.よっぽどのことなんて世の中にはゴロゴロしてる

 最初の自動車が歴史に登場してから三百年近くが経過した現在、自動四輪車の運転システムの世界基準グローバルスタンダードは完全に手動操作ハンド・オペレーションに移り変わっている。

 足下のペダルでアクセルとブレーキを制御する足動操作フット・オペレーションシステムは種族ごとの体型差をカバーするには不都合が多かったが、ハンドル操作と同様に加減速の操作も手元のコントロールグリップで行う手動操作はこの点、融通が効く(ステアリングがなにより重視されるモータースポーツの世界では依然として足動操作が標準である)。


 ロデオお姉さんご自慢の『お姉さんモービル』も手動操作タイプだった。車種的にはミニバンタイプのRV車だが、大柄なセントールの体型に合わせて運転席が後部座席を圧する形で広く取られている。

 座席シートの存在しない運転席では床面にクッションが直置きされており、その上でお姉さんは馬体部の後肢を折りたたんでお尻をつき、前肢を軽く立てている。

 そうすると上半身がちょうど運転に適した位置ポジションに来るのだ。


 セントールの自動車ユーザーは少ないと聞くけれど、お姉さんの運転は常に余裕を感じさせて危なげなく、かつ、お姉さんは運転すること自体をとても楽しんでいた。


 さて、そんなグッドドライバーなロデオお姉さんが操るお姉さんモービルで、C班の四人はいましも最初の目的地に向かって移動している。

 当然のようにリーダーを名乗って当然のように助手席に陣取って当然のように班行動を仕切っているディミトリが、独断と偏見で決めてしまった目的地に向かって。


「くそ……! なんであいつがなんでもかんでも決めちまうんだよ……! あたしらの意見は無視される以前に聞こうともしやがらねえし……!」


 三列シートの二列目から助手席の後頭部を睨みつけて毒づくビアンカ。

 そんな相棒を隣に座るウィリアムがまぁまぁと窘める。わかってはいたけど今日はまぁまぁが飛ぶように出ている。普段の一週間分はすでに言っているはずだ。


「まぁまぁ。僕や君には『これがしたい!』っていう希望があったわけでもないんだしさ。だったらディミトリの要望を通してもよかったんじゃない?」

「あったよ、希望なら。……ジップライン、やりたかった」


 一応説明しておくと、ジップライン・アドベンチャーは高所に渡したワイヤーロープに滑車つきハーネスでぶら下がって滑走するアスレチック系アクティビティである。

 特にサンダンス公園のそれは滑走距離と高度において世界的にも有名だ。


「そ、そうか。なんというかそれは、実に君のイメージを裏切らない希望リクエストだね……」

「……やりたかった」

「う、うん。だけどほら、君とディミトリは余り仲が良くないだろう?」


 ウィリアムはごくごく控えめな表現を持ち出した。

 実際には余り仲が良くないどころか不倶戴天ふぐたいてんの敵同士である。


「そんな彼と一緒じゃ、せっかくのジップラインも楽しめなかったんじゃない?」

「……でも」

「それに、我々ゴブリン寮には、忘れてはいけない重大な使命がある」


 そこでウィリアムは声をひそめて、仕草と視線で最後部座席を示す。

 車内三列目シートには、石のように縮こまって眠っている吸血鬼の同級生がいた。


「……ああ、わかってる。なにより肝心なのはそこんところだ」


 恨み言の口調から一転、真剣な眼差しでビアンカはウィリアムに肯き返した。

 ヘミングウェイを自分たちの班に引っ張ってしまったことについて、ビアンカはだいぶ責任を感じているようだった。


 ――あたしと一緒じゃココのやつ、余計にキツいかもしんねえな。


 嫌われていると自覚しながら自分を嫌っている相手をまっすぐに案じるビアンカを、ウィリアムはシンプルに『すごい』と思った。

 しかしだからと言って、歩み寄りの為にゴブリンパンチ事件をビアンカの方から謝るのは、それは違う、らしい。


 ――そいつは相手に対しても失礼ってもんだぜウィル。


 矢印みたいにまっすぐな彼の相棒はそう言った。


 とにかく、ヘミングウェイの心の平穏とジップライン・アドベンチャーを天秤に掛けたとき、ビアンカの中で跳ね上がったのは後者を乗せた皿だったのだ。


「あーあ、ジップライン、やりたかったなー!」


 最後にもう一度だけビアンカは言った。未練を吹っ切るような明るい口調で。


「そうだね。でもそんなに遠い場所でもないしさ、今度また一緒に来ようよ」


 ジップラインはその時の楽しみにとっておこう、紳士は相棒にそう笑いかけた。


「……一緒にって、あんたと一緒にか?」

「……う、うん」

「……それって……ふ、ふた、二人っきりでか?」


 言った途端、もはや耐えきれぬとばかりにナップザックに顔を埋めるビアンカ。

 言われたウィリアムもまた緑の頬を赤く染めて顔をそらす。


 そんな二人の様子を、後ろの座席から盗み見ている少女が一人。

 狸寝入りフォックス・スリープを決め込みながらずっと二人の会話を聞いていたココは、前列シートで繰り広げられる青春模様の余波を食らって、前二人と同じように真っ赤になっていた。


 なんなのよあんたらは! ともう少しで叫びそうだった。

 前から思ってたけどこいつら二人、完全に両想いじゃん! なのにお互い相手の気持ちに全然気づいてない両片想いで……いいえそれどころか、二人とも自分の気持ちにすら気づいてない!


 甘酸っぱい、甘酸っぱすぎる!

 こんなの、どんな少女漫画より目が離せないわよ!


 ずっとこの二人を近くで見ていたい――そう思った瞬間、また泣きそうになる。

 この期に及んで、どうしてわたしは素直になれないのだろう。

 しかもこんな千載一遇のチャンスに。


 たった一言、「迷惑になんて感じていない」と伝えられたなら。

「一緒の班になれてほんとは嬉しい」と、そう告白できたなら。


 そしたらきっと、この二人なら笑顔でわたしを受け入れてくれるだろう。

 そしたらきっとあとはもう、ありがとうもごめんねも、簡単に言えるはずなのに。


 ありがとうもごめんねも、それから、『お友達になって欲しい』の言葉も。



 それが限界だった。

 さらに身を縮めてマントにくるまって、フードをさらに目深まぶかに被って、ココは声を出さずに少しだけ泣いた。



 影の中の使い魔が騒いでいるのに気づいたのは、涙の波が引いたあとだった。

 またか、とココは思った。

 今日のサンチャゴは妙に落ち着きがない。はじめての大自然に興奮しているのかとも思ったけれど、そうじゃない。

 彼女の子猫が取り乱しているのは朝の出発前からだ。


 具体的には、確か最初に班員の顔合わせをしたときから。


(ねぇサンチャゴ、もしかしてあなた、わたしになにか伝えたいの?)


 声を出さずに、心の中でサンチャゴに話しかける。

 吸血鬼の影の中で、六本指の子猫が威嚇いかくめいたうなり声をあげた。


 同じ車内に同乗している、エルフの少年に向かって。


「それにしても、みんなたちのチョイスって、ちょっと渋すぎるんじゃない?」


 運転席のロデオお姉さんが、C班の全員に向かって言った。


「レッドマン・チャクリー族のトーテムポール群、かぁ。こんなパンフレットにすら載ってない穴場中の穴場、どうして知ってたの?」

「……いや、あたしらはチョイスに参加してねえし――」

「いやはや、お褒めにあずかり光栄です! レディ・レンジャー!」


 ビアンカのぼやきを遮って、助手席のディミトリが答えた。


「以前ナショナル・ネオグラフィック誌の特集を読みましてね! それ以来です、この私が先住民族ネイティブ・エンパイアンたるレッドマンの文化や世界観に憧憬を抱くようになったのは! そして、いつか彼らの精霊マニトゥと対面して祈りを捧げたいと願うようになったのは!」


 ディミトリのこの説明に、ロデオお姉さんが口笛を吹いて感心を示す。

 ウィリアムはディミトリもナショネオの読者であったと知って彼に親近感を抱いた。


 ビアンカだけが釈然としない顔をしていた。


「なんだかお姉さん感激しちゃう! よし、だったら思う存分見学して、好きなだけ祈って来ちゃって! 断言しちゃうけど、絶対、みんなたちの貸し切りだから!」


 こんな場所レンジャー仲間だって知らないかも! そう嬉しそうに言ってアクセルグリップを少しだけ手前に倒すお姉さん。速度計の針が見る間に六キロ分跳ね上がった。



「……なぁウィル、なんか嫌な予感がするんだ」


 ビアンカがウィリアムを肘でつついて言った。


先住民族レッドマンの文化に憧れてたって、あの差別主義者がそんな性質タマか? それにレンジャーですら知らない穴場って、そんなとこでなにか事件でも起きた日には……」


 いつになく真剣な表情で不安を訴えるビアンカ。

 そのシリアスさが逆におかしくて、ウィリアムは思わず吹き出しそうになる。


「ディミトリは確かにエルフ至上主義的なところがあるけど、それと他種族の文化への不理解はイコールでは繋がらないよ。

 それに、事件って。それ、文脈的にディミトリが起こすんじゃないかってことだよね?

 ないない、あり得ないよ。そこまで手の込んだことするのはよっぽどの人物だけだし、それによっぽどの動機が必要だ」


 そう笑って言うウィリアム。

 そんな彼に、ビアンカはため息混じりに「このお人好しスイートピーめ」とぼやいて。


「あのなぁウィル。よっぽどのことなんて、世の中にはゴロゴロしてるんだぜ?」

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