ep6.グレート・ビアンカ

 そして二週間が過ぎた。

 ウィリアムがエスコート係に就任してから。ゴブリン寮の寮生が、一人から二人に増えてから、二週間が。


 二週間後のその昼休み、二人の姿はいつもの学園大食堂レストランホールにあった。


「勉強が苦手なのはわかってたけど……君、なんでこの成績でプラードに入れたの?」


 コーヒー片手、もう片方の手には惨憺さんたんたる結果の小テストを持って、ウィリアムがこれでもかと眉をしかめている。

 彼の隣ではビアンカが、今日も今日とてエルフらしからぬ肉食系ジャンクフードを幸せそうにパクついている。


 口の中のタコスをしっかり飲み込んだあとで、ビアンカはようやく言葉を発する。


「……うっせえなぁ。こんなガッコ、あたしだって入りたくて入ったわけじゃねえよ」


 この返しに、ウィリアムの驚愕はさらに深まる。

 プラード校は『入りたくても入れない』学校なのである。本人の学力と成績、親の経済状況や社会的地位、すべてを厳しく審査される狭き門。

 ウィリアム自身、受験勉強ではリアルに血反吐を吐いた。

 それを『入りたくもないのに入った』と主張し、事実としてここでこうしてタコスを食べているこの娘は、一体何者なんだ?


 とにかく、こうしてまた謎と……それから、ウィリアムの仕事は増えたのだった。

 シンデレラのスクールライフをエスコートする係。

 仰せつかってしまったその役割がどこまで続くのかは不明なれど、この成績ではとてもじゃないけど卒業まで連れて行くことはできない。

 というか、おそらくすでに進級も危うい。


「ということで、これからは寮に帰った後も毎日勉強会だ」

「えー」


 表情筋のすべてを駆使して不満を表すビアンカに、「『えー』はこっちの台詞だ!」とウィリアムは思う。

 まったく、僕だって自分の勉強があるのに。


「まぁまぁ。まずは一日一時間とかさ、無理のない範囲から頑張ってみようよ?」


 そう諭すような口調のウィリアムに、ビアンカはしぶしぶながら首を縦に振る。


「わかったよ。そんかし、勉強終わったらテレビは夜中まで占領すっかんな?」


 そんな子供じみた交換条件に、ウィリアムは苦笑まじりにオーケーと返す。


 ビアンカ・バルボア。謎多き彼のシンデレラ。

 知れば知るほどその謎は増える。


 しかし、一つだけわかったことはある。


 猛獣じみて凶暴で、一秒先の行動すら読めなくて、総じて一筋縄ではいかなくて。

 だけど、それでも。


「まぁ、あたしがバカ過ぎるせいであんたに迷惑かかんのは、それは、なんかちょっとやだしな」


 ビアンカはけっして悪い子ではないのだと、彼女と過ごした二週間がウィリアムにそう教えてくれていた。

 たぶん、おそらく、きっと。



   ※



 少しずつではあるけれど、ビアンカは確かにプラードに順応しはじめていた。

 たとえば制服をちゃんと着るようになって、あのヤンキースタイルの着崩しは少なくとも校内においては封印された(ゴブリン寮ではそれよりももっとラフな格好で過ごしているわけだけれど)。

 言葉遣いもいくらか矯正されたし、口喧嘩はしてもゴブリンパンチをはじめとする肉体言語バイオレンスが持ち出されることは、未遂も含めてなくなった。

 口にものを入れたまま喋らなくなったし、あんまり廊下を走らなくなったし、授業中の居眠りも減っている。帰寮後の一日一時間の勉強会だってちゃんと頑張っている。


 ――あたしのやりたい放題ライブ・ザ・ライフがあんたを困らせちまうってなら、まぁほどほどにしとくよ。ほどほどにな。


 あたしって結構ビーストだぜ、と。そう言った彼女は、それでも飼育員が困らないよう気を遣ってくれているようだった。

 そこにあるのはゴブリンを自称する少女の『同族のよしみ』であったかもしれないし、それ以外のなにかであったかもしれない。


 とはいえ、そんな二人の関係があっても解決されない問題もまた存在した。

 エルフという種族に対する、ビアンカの反感と苦手意識だ。


「やっぱり、エルフだけはどうしても虫が好かねえんだ」

「だけど君、ティーチ先生には心を許せてるんじゃないのかい?」


 そう言ったウィリアムに対して、あの旦那は言われなきゃエルフだっての忘れちまうからな、とビアンカ。

 相棒のこの意見にウィリアムも心の中で同意する。


「そっかぁ。……ねえそれじゃあ、僕はどうだい?」

「は? いや、あんたはゴブリンだろ?」


 何言ってんだこいつという顔のビアンカに、ウィリアムはそれ以上は何も言わなかった。

 このときはまだ。


 事件が起きたのは木曜日のことだった。




   ※




 その日の午後、プラードの一年生たちは来たる『種族別専門授業』の説明を受ける為に、それぞれの種族に別れてグラウンドや多目的教室に集合していた。


 種族別専門授業とは読んで字の如く、各生徒が自分の種族の特徴や能力を把握し、弱点は克服し、長所は進歩発展させることを目的としたカリキュラムである。

 たとえばドラゴニュートは翼を使った飛行訓練を行い、吸血鬼は使い魔の使役術などを学ぶ。


 エルフの場合のそれは、専ら魔法に関することであった。

 エルフのみが所有しエルフのみが行使できる、魔力という力を操る技術。


 説明会のこの日は採血検査によってエルフ生たちの血中魔力が測られたのだが。

 その検査で一番の値を叩き出したのは、他ならぬビアンカ・バルボアだった。


「……こんな数値は見たことも聞いたこともないですぅ」とは、担当教諭の言である。


 この結果を、当のビアンカはいとも平然と受け止めた。


「どうでもいい、エルフの才能なんかあたしにゃ関係ない」


 そう言い切って我関せずの態度であった。



 平然としていられなかった男が一人いた。

 クラス委員長のディミトリ・レノックスである。



「……いやぁ、まさか同級生にこの私を上回る魔力の持ち主がいたとは。ブラボーだバルボア君! いや、血中魔力は日々変動するものだから、たまたまかもしれないが」


 いつも通りの口数の多さの中に、いつもは存在しない種類の感情が存在した。


「だがまぁ、いくら魔力が高くてもそれを運用するための技術がなければ、な。技術とはつまり呪文の詠唱に必要な古エルフ語への理解なのだがね。それがなければ高い魔力など豚に真珠、ドワーフに弓矢、宝の持ち腐れもいいところだ」

「そうかい、ご高説サンキューな委員長。そんじゃその有り難いお言葉に対するあたしの返答リプライはこうだ。『うっせえ黙れ消えろカス』」


 しかしディミトリは黙らなかった。彼はさらにまくし立てる。

 余裕の表情を装ってマウントを取ろうとするディミトリの言葉の裏にあるのは、これまで絶対的であった優越感が揺るがされたことに対する動揺と、それを揺るがした相手に対する敵意であった。

 そしてそれはビアンカにも伝わっていた。


「ディ、ディミトリ、親愛なる友よオールドスポート。貴重なご意見ありがとう」


 一触即発の気配を察して、ウィリアムが慌てて割って入る。


「だが、そろそろ放課後だ。その話はまた今度あらためて――」

「ウィリアム君、悪いがこれはエルフの問題だ。ゴブリンは黙っていてくれたまえ。……つか君、なんでゴブリンの分際でエルフコースの説明会に紛れ込んでんの?」


 侮蔑的なニュアンスを隠しもせずにディミトリは言った。


 そこから、彼の主張は魔力や魔法のことから、エルフという種族の名誉や在り方などにシフトしはじめる。

 飛び出すのはエルフ至上主義エルフィン・スプレマシー的な思想を隠そうともしない発言の数々であった。


 そしてその延長線上で、ディミトリはついにビアンカという猛獣の尾を踏み抜いた。


「というかだね、バルボア君。私は常々なげかわしく思っていたのだよ」

「……あん?」

「詳しい事情は知らないが、見たところ君はウィリアム君にコントロールされているようだね? 上級種族のエルフである君が、下等なゴブリンである彼に、ねぇ……」


 このとき、なにか音がした。

 バチバチと、漏電した電気が火花を散らすような音が。


 よくない予感に導かれて、ウィリアムは恐る恐るビアンカに目をやる。

 そして、彼は見た。

 恐ろしい敵意の目でディミトリを睨みつけている相棒を。

 もう片方の手で懸命に押さえ込まれているビアンカの拳には、溢れだした怒りが目に見える紫電となって走っていた。


「エルフがゴブリンに従う。それは、なんというか……不自然、そう、不自然だよね。アンナチュラル通り越してパラノーマル。というか、なんかアブノーマル?」

「ディミトリ、やめたまえ! ストップ、ストップだ!」

「そういえばこの話とは全然関係ないんだけどさ、『豚の家来に甘んじるオークの笑い話』って、聞いたことある? いやほんと! 全然関係ないんだけどね!」


 ウィリアムは立ち上がり、ビアンカの手を引いて彼女をその場から連れ出した。

 轟音と破砕音が響き渡ったのは、二人が教室を飛び出した数秒後のことだった。


「……よくぞ我慢した。実に立派グレートだ、ビアンカ」


 歯を食いしばって肩で息をしているビアンカに――ディミトリにぶつけるはずの怒りを廊下のロッカーに叩きつけたシンデレラに、紳士は心からの賞賛を投げた。





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