ep7.エルフへの侮辱は、この僕への侮辱だと思いたまえ。

「ちきしょう! あの差別主義者レイシストめ!」


 結局、ビアンカの怒りは帰寮した後も収まりはしなかった。


「なにが学級委員だ! 犬も行っちまうようなケツの穴が!」


 怒りや不満はその場で発散して根に持たないタイプの彼女がここまで引きずるなんて、まったくはじめてのことだった。


 ソファーの上でクッションを馬乗り殴打して、獰猛なボキャブラリを総動員してディミトリを罵り続けるビアンカ。

 そんな彼女を、ウィリアムはたしなめなかった。


 たしなめられなかった。

 少女にかけるべき言葉が、少年には見つからない。


「くそ! くそ! くそ! だからエルフは嫌いなんだ!」


 やがてビアンカの怒りの対象は、ディミトリという個人からエルフという種族全体へと拡大されはじめた。

 彼女の怒り、あるいは憎悪は。


 ウィリアムは、自分がビアンカを誤解していたことに気づいた。

 腹を立てることはあっても傷つくことはない、そんなタフなイメージを彼は相棒に抱いていたのだ。

 しかしそれは間違っていた。

 だって今、彼女は確かに傷ついている。


「エルフなんてどいつもこいつも、揃いも揃ってケツの穴だ! エルフなんてみんな、生まれついての最低野郎マザファッカだ! 偽善と高慢の悪徳が遺伝子にまで染みついてやがる!」

 

 エルフなんて、エルフなんて。

 そう繰り返しながら、ビアンカはいまにも泣き出しそうな顔をしていた。


 きっと、ビアンカが憎悪するエルフの中には、ビアンカ自身もまた含まれているのだろう。

 だから、いましもディミトリを差別主義者レイシストと罵ったその口でエルフという種族に対する差別を繰り返している。

 そこにはなんの矛盾もない。なぜなら彼女もまた差別主義者のエルフなのだから。


 こんなのはまるで自傷行為だ、とウィリアムは思った。

 たとえ本人にそのつもりがなくても。


 僕は、こんなビアンカは見ていられないし、見ていたくない。

 そしてこれを黙って見ているのは、それはもう紳士じゃない。


「エルフなんて、明日にもみんなくたばっちまえば――」

「やめたまえ!」


 事ここに至って、ウィリアムはようやく制止を叫んだ。


 ビアンカが罵詈雑言とクッションへの暴行を停止させて彼に視線を寄せる。

 すでに見慣れた碧眼ブルーアイズが、かつてないほどに揺れ動いていた。

 その瞳が、状況がどのような行動を自分に求めているのかをウィリアムに理解させた。


「……ビアンカ、聞いて欲しい話があるんだ。あのね……」

 

 言おうとして、少しだけ躊躇ためらう。

 しかし逡巡しゅんじゅんはただ逡巡でしかなかった。


 ビアンカの目をまっすぐに見つめて、ウィリアムはゆっくりと切り出す。

 この二週間で自分と彼女の間に築かれたなにかを信じて。


「いいかいビアンカ。エルフへの侮辱は、僕への侮辱だと思いたまえ」


 それから彼が語りはじめたのは、地下鉄のテロで両親を亡くしたゴブリンの赤子と、その子を引き取って育てたエルフの夫婦の物語だった。

 血の繋がらない、種族さえ違う赤子に注がれた100パーセントの愛情についてが語られ、その愛情がもたらした善良な作用の数々が語られた。

 赤子がどのように育ち、どのような夢を抱くに至ったかが語られた。

 心はハイエルフたれの座右の銘が、語られた。


 そして最後に、それらの話が一つとして創作フィクションではないことが明かされた。


「……だから、エルフに対する侮辱は、この僕への侮辱だと思いたまえ」


 はじめたときと同じ言葉で締めくくり、ウィリアムはビアンカの反応を伺った。


 少女の瞳は、もう揺れていなかった。

 動揺は去って、代わりに、そこには唖然とした驚きが張り付いていた。

   


 それがその夜のやりとりのすべてだった。

 その後、ビアンカは「……もう寝る」とだけ告げて、パーティションで仕切られた自分のスペースへと引っ込んでしまった。


「……失敗したな」


 その夜、ウィリアムはガラにもない自己嫌悪に一睡もできなかった。



 しかし翌朝、待っていたのは思いもよらない展開だった。



   ※



 翌朝、一年A組教室。

 ショートホームルームのあとで、ビアンカが手を上げて発言の機会を求めた。

 ティーチ先生が認めると、彼女はまっすぐに教壇の前まで歩いて行く。


 そしてそこからクラスメイトたちに向かって、いきなり深々と頭を下げたのだ。


「すまねえ! 悪かった! この通りだ!」


 トラブルメーカーの新参者がなにをはじめたのかと、そう身構えるみんなに対してビアンカが述べたのは、まったく真摯な謝罪の言葉だった。


 あたしは自分に対して寛容かんよう過ぎたと彼女は謝った。

 勝手にアウェイだと思って勝手に壁を作ってたのはこっちの方だったと謝った。

 みんなの仲間になる努力を全然してなかったと謝った。


 それから、自分はとんでもない差別主義者だったと、謝った。

 ディミトリを含む、エルフの同級生全員に対して。


「みんな、ごめんしてくれ! それから、頼む! いまさら虫が良すぎるのはわかってるけど、あらためてあたしをみんなの仲間に入れてくれ!」


 ビアンカ・バルボアです! よろしくお願いします!

 そう言って、彼女はもう一度みんなに向かって頭を下げた。 


 誰も何も言わなかった。

 けれど、野次やブーイングを飛ばす者も皆無だった。


「おいこら、ウィリアム」


 ビアンカの独壇場と化した教室で、ティーチ先生がウィリアムに呼びかけた。

 楽しそうに、あるいは嬉しそうに頬を緩めながら。


「君のシンデレラが頑張っとるのに、エスコート係がなにをぼんやり座っとるんだ?」


 慌てて立ち上がると、ウィリアムは室内禁走の原則も忘れて相棒の元に走った。


 

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