第二話 エルフになれないゴブリンとゴブリンになれないエルフwith吸血鬼をやめたい吸血鬼

ep1.六本指の黒猫

 そして呪文の詠唱がはじまった。

 午後のグラウンドの一画で、エルフの学級委員長ディミトリ・レノックスがみんなの前で魔法を実演しているのだ。

 ディミトリの口から流れ出す韻律いんりつは、現在エンパイア合衆国で使われているどの言語とも異なる古代エルフ語のもの。

 しかもほとんど完璧に近い発音と抑揚であった。


 やがて炎の瞬間が訪れた。

 呪文詠唱を続けるディミトリの視線の先で、灯油を染みこませたボロ布に火が点き、そのまま一気に燃え上がったのだ。


「はいみんな、レノックス君に拍手! ほら拍手! パチパチパチー!」


 教科担当のマギー先生の音頭で義務的な拍手が起こる。

 ディミトリは得意げな顔でみんなに一礼したあとで、「本調子の時ならもっと短い時間で発火させられたんだけどなぁ! この私もまだまだだなぁ!」と自虐風の自慢を口走った。


「……あいつ、マッッッッジでクソ野郎だな」


 それまで素直に感心していたビアンカが、拍手を打ち切ってウィリアムに耳打ちした。

 紳士はまぁまぁと相棒を宥めながら、どっちも相変わらずだなぁと苦笑する。


 季節はすっかり秋だった。八月の入学から二ヶ月以上が過ぎて、ウィリアムたち一年生のカリキュラムにもついに種族別の専門授業が本格登場していた。

 それぞれの種族の子女にとって有用なノウハウを教える専門授業。

 以前にも説明したとおり、エルフコースにおけるそれは専ら魔法に関することである。


「……ったく。なんでゴブリンのあたしがエルフのコースに入れられんだよ」

「仕方ないじゃないか、ゴブリンのコースなんてプラードにはないんだから。なにしろこの学校にゴブリンの生徒は僕しか――いや、僕と君の二人しか……」


 いないんだから、と。

 そう言いかけた言葉を、ウィリアムは言いかけたまま途切れさせた。


 少し離れたフェンスの足下に、またあの黒猫の姿を見つけてしまったのだ。


 最近、やたらと見かけるようになった猫だ。

 いや、見かけるというよりも、見られているという方が正しいのかもしれない。

 あるときは休憩時間の中庭で、またあるときには放課後の寮への帰り道で、一度などは校舎の中で。

 とにかく、その猫はいつも気づいた時にはそこにいてウィリアムを、そして彼の相棒をジッと見つめているのだ。


 まるで監視されているようだ、と。

 最初はなんとも思っていなかったウィリアムがそんな印象を抱くようになるまで、さほど時間はかからなかった。


「……ねぇビアンカ、あそこにいるあの猫……」

「はいはい、アテンション・プリーズ! みんな、注目アテンションして~!」


 隣の相棒に猫のことを話そうとした時、お姉さん教師が手を叩いてみんなに注目を求めた。ウィリアムを含めたクラス全員の視線が先生とディミトリに集中する。

 数秒後にもう一度視線を戻した時、黒猫はもうそこにはいなかった。


「えー、見事な実演を見せてくれたレノックス君ですが、彼の呪文詠唱はすでにかなりの精度です。こんなに見込みのある生徒さんはプラードでも珍しいんですよ? みんなも、わからないことがあったらA組のレノックス君に質問してね」


 なんとも直裁に持ち上げられて、ディミトリが再び得意満面になる。ジパング的慣用表現を持ち出すなら『天狗の鼻が高くなる』という状態だ。


 その高く高くなった鼻を、高くした張本人である先生がへし折った。


「まぁ呪文詠唱の精確さについてなら、一番はハートフィールド君なんですけどね」


 ディミトリの表情が、笑顔のまま凍り付く。

 そんなA組委員長には構わず、「ハートフィールド君は見ての通りの魔法不能者ではありますが、呪文詠唱の発音については彼に相談するのもありですね」とマギー先生。


「魔力のないゴブリンの身でこんなに古エルフ語への理解が深いなんて……無駄といえばこれほど無駄な努力も世の中にそうはありませんが、本当に努力したのねえ」


 ナチュラルに無神経な表現を持ち出しつつも、しみじみと褒める口調で言って。

 それから、エルフのお姉さん教師はウィリアムの隣のビアンカに視線を移した。


「そうかと思えば、学校始まって以来の魔力の持ち主は、反対に呪文が全然ダメ……」


 マギー先生はウィリアムとビアンカを交互に見て、ため息交じりに言った。


「あなたたちコンビが一人のエルフであったならとそう考えると、先生残念過ぎて夜も眠れなくなっちゃいます……授業これ終わったらお昼寝しよっと」




   ※




「ふむ。猫につきまとわれている、と?」


 放課後の視聴覚準備室。

 予定されていた二者面談の席で、ウィリアムが最初に持ち出したのはあの猫の話だった。


「はい。確証がないのでまだビアンカには話してないのですが……」


 ティーチ先生はもう一度「ふむ」と言って首を揺らした。


「その猫というのは、黒猫かね?」

「はい、いかにもブラックキャットです」

「なるほど、不吉だのう。なんだか極まりなく不吉だのう」

「ええ、僕も不気味に……」

「全身真っ黒なのに足だけ白かったりすると、他の部分は余計に黒く見えるのう」

「……あ、そういえば、右前肢だけが靴下を履いたみたいに白かったような……」

「黒いなぁ、そりゃ実に黒い。それで生後三ヶ月未満の子猫だったりすると、これはもうまさにこの世に産み落とされたばかりの暗黒の化身のような……」


「あの、先生」

「なんだね?」

「なにか知っておられるんですか?」


 たまらず問いただしたウィリアムに、ティーチ先生は平然と「知らんよ、わたしゃなんも知らん」とすっとぼけて。


「片足靴下で六本指の黒猫のことなぞ、見たことも聞いたこともない」

「六本指!? 六本指なんですか!?」


 語るに落ちたティーチ先生があからさまに「やべっ!」という顔をした。


「とにかく、知らんものは知らん。プラードの敷地内には野生動物もかなりの数入り込んでおるし、野良猫だって探せばいくらでも出てくる。いちいち気にするな」

「し、しかし……」

「なんだウィリアム? 紳士は先生を疑うのか?」


 痛いところをつかれてウィリアムがうぐっと言葉に詰まる。


「ああ、そうそう、紳士といえばだ」


 ウィリアムがひるんでいる隙に、ティーチ先生はさっさと話題を変えてしまった。


「君がビアンカのエスコート係に就任してから、もうじき三ヶ月になるが……いやはや、まったく期待以上の成果をあげてくれとる、まだまだ落第点を脱してはおらんが彼女の成績は確実にあがっておるし、当初見られた素行の悪さもだいぶ鳴りをひそめた」


 まぁ粗暴さのすべてが消え去ったわけではないが、それはあの子のアイデンティティというものだ。

 ティーチ先生はそう鷹揚おうように言って、それから。


「そしてなにより、ビアンカはクラスに馴染みはじめておる。彼女はゆっくりとクラスメイトたちに歩み寄り、そしてまた他の子たちもあの子を受け入れはじめた」


 ティーチ先生は数え上げるようにしていくつかの具体的なエピソードを挙げた。それらの大半はいつもビアンカと一緒にいるウィリアムにとってはいまさらのものだったけれど、いくつかは彼の知らないものも含まれていた。

 やっぱりこの先生は生徒ぼくたちのことをよく見てくれているのだと、ウィリアムはあらためてティーチ先生を見直した。


 なんだかんだ言って、やっぱりティーチ先生は、とても……。


「……くっく、あいつめ、ざまぁ見さらせだ。このまま行けば賭けは私の勝ちだ」


 ……とても良い先生、のはずだ。たぶん、おそらく。


「まぁ、とにかくだ」


 黒い含み笑いのそのあとで、ティーチ先生はウィリアムを見て言った。


「とにかく私が言いたいのは、ウィリアム、君がよくやっているということだ。エスコート係のことだけではないぞ? ビアンカの面倒を見ながら、君は自分の勉学もまったくおろそかにしとらん。どの教科の先生に聞いても、ウィリアム・ハートフィールドの授業態度を褒めない者は一人もおらんかったぞ。『ゴブリンが怠惰な種族だなんて誰が言ったんだ!』と、そう舌を巻いとった先生もいたな」

「え、えっと……ありがとうございます」


 真っ赤になりながらお礼を言ったゴブリンの少年に、エルフの担任教師は満足げにうむうむと肯く。

 そのあとで。


「さてウィリアム、取引のことは覚えておるな?」


 唐突に、あるいは満を持して、ティーチ先生はそう切り出したのだった。


「君が打算尽くで動いているわけでないことはわかっとる。というかこの担任の目には、君とあの子の関係にはすでに損得勘定の入り込む余地などないようにも見えるが。まぁだとしても、それでも取引は生きておる。うむ、断固としてそれは有効だ」


 先生が何を言っているのか、もちろんウィリアムは理解している。

 名誉紳士の称号。名門プラード・アカデミーにおける最高の栄誉であり、ウィリアム・ハートフィールドにとっては幼少期から現在に至るまで続いている憧れのすべて。

 じゃじゃ馬シンデレラの学校生活を導き支援する見返りに、称号授章者を選考する評価査定に加点する。

 それがウィリアムに持ちかけられた取引だった。


「もちろん先のことはわからん。なにしろ君たち世代の授章者が決まるまであと二年以上ある。しかし現時点では……ふふ、とにかく君はよくやっておる」


 先生はなんだか自分のことのように嬉しそうに言うと、その喜色満面のままで。


「なぁウィリアム。気が早いのは承知しておるが、今の一年生の中で一番に名誉紳士の称号に近いのは、お前さん、誰だと思う?」


 もちろんお前さん自身を含めてだぞ。先生は念押しするようにそう付け加えた。

 先生のこの問いかけに、ウィリアムは少しだけ考えたあとで、次のように答えた。


「現状、僕たちの学年で最も名誉紳士の称号に近いのは」

「うむ。近いのは?」

「やはり我がクラスのディミトリ・レノックスではないでしょうか?」


 ウィリアムのこの回答に、ティーチ先生が拍子抜けした顔となる。


「称号の獲得は僕にとって悲願中の悲願ですが、しかしまだまだ、僕は多くの部分でディミトリに劣っています。というか、勝っている部分は一つもないかもしれない」


 だから、もっともっと頑張らなければ! 頑張ります!

 そう前向きに意気込むウィリアムに、ややあってから、ティーチ先生は呆れたようにコメントした。


「……お前さんの数少ない欠点は、妙に自己評価が渋いところだのう」

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