ep2.モンザエモンとカツオブシ

 二者面談を終えて視聴覚準備室を出ると、窓の向こうは夕暮れのオレンジに染まっていた。

 すっかり人気ひとけの消えた校内から中庭とグラウンドを経由して、ウィリアムは学校敷地内に広がる森へと抜けた。

 この森の先に彼とビアンカの暮らすゴブリン寮はある。


 林道を歩いていると、頭上の梢を揺らして大きな鳥が飛び立った。それに反応したものか道の脇でガサガサとなにかが動き、森の奥では枝が何本も折れる音がした。

 この森をはじめ、プラード校は広い敷地内にそこそこの自然環境を保有している。

 コンクリートジャングルたるニューヤンクシティでプラード以上に緑があるのはそれこそ中央都市公園ニューヤンクパークくらいのもので、動物たちにとってもここは一種のオアシスなのだろう。

 ティーチ先生が言ったように、結構な数の野生動物が住み着いているらしい。


 あの猫もその一匹なのだろうか、とウィリアムは考える。


 結局、例の黒猫についてティーチ先生からはなにも聞き出せなかった。

 あの後もう一度だけ質問してみたのだけど、やっぱり結局とぼけられてしまったのだ。


 ――だから知らんってば。君らと仲良くなりたくて見てるんじゃないのか?


 答えは得られなかったけれど、先生がなにかを知っているのは、まず間違いない。

 先生が関心を向け、かつ、秘密にするだけの理由がある存在。


「……やれやれ。謎は謎のままだけど、やっぱりビアンカにも話すだけ話しておこう」


 とにかくそう心に決めて、ウィリアムはゴブリン寮への帰り路を急いだ。


「おう、おかえり」

「にゃあん」

「なんっだそりゃ!」


 帰寮したウィリアムの目に飛び込んできたのは、一足先に戻っていた相棒が玄関先ポーチで猫を、まさにあの問題の猫をあやしている姿だった。


「ん? ああ、この猫か? こいつさ、なんかここんとこしょっちゅう見かけてたんだよな、いろんなとこで。んでどうにか手懐てなづけらんねえかと思って……って、どした?」

「……なんでもない。ただ自分の空回りっぷりが馬鹿らしくて……」


 あまりの展開に暮れなずむ天を仰いでしまうウィリアムであった。


「……というか、手懐けるってそれ、どうやって手懐けたの?」


 そう問いかける間にも、黒い子猫はビアンカの手をペロペロと舐め続けていた。

 なにをどうやったのか、とにかく完全に懐柔済みだ。


「ん、こいつを使ったんだよ。秘密兵器」


 ビアンカは封の開いたビニールの小袋をウィリアムに見せた。

 中にはおがくずのようなものが入っているが、漂ってくる匂いはなんだか香ばしい。


「カツオブシってんだ。ジパングではおなじみの保存食。こいつが猫をメロメロにするって聞いてさ、こないだ地元に戻った時にいくつかもらってきたんだ」


 そう説明してビアンカがもうひとつまみカツオブシを取り出すと、瞬間、黒い子猫は鬼気迫る勢いで彼女の手に飛びついた。というか、食らいついた。


「な? すげえ効き目だろ?」

「……う、うん」



 カツオブシがなくなってしまったあとも、子猫は粉の付着した指を舐め続けている。

 まさに一心不乱といったその様は、なぜだか一ヶ月前に見たゾンパ使用者をウィリアムに思い起こさせた。

 ううむ、ストップ依存症、薬物乱用ダメゼッタイ。


「なぁウィル、こいつ、ウチで飼っていいか?」

「ウチって、ゴブリン寮で?」

「うん、名前ももう決めてるんだ、モンザエモンっての」

「なんだかそこはかとなくジパニーズ・ライクなテイスト……名前はともかく、学生寮でペットを飼育するには確か許可が必要だったような。首輪はついてないから野良猫みたいだけど……とにかく、まずは校則を調べて――って、あっ!?」


 寮生二人がそんなことを相談していたときである。

 黒い子猫はなにかに呼ばれたかのように身を起こして、いきなり、突然、走り出した。

 そしてそのまま一度として立ち止まらずに、夕闇の中に姿を消してしまった。


「行っちゃった……」

「まぁまぁ、きっとまた会えるって」


 しょんぼりと肩を落とす相棒を、ウィリアムは紳士的に慰めた。

 慰めの為の方便だけでなく、本当にまたすぐ現れるような気がしていた。


「そういえば、本当に六本指なんだなぁ」


 黒い子猫の走り去った方向を眺めるともなく眺めながら、ウィリアムは呟いた。

 ティーチ先生の言ったとおり、猫には指が六本あったのだった。




   ※




 ゴブリン寮から徒歩で一分と離れていない物陰に、不審な黒い影が潜んでいた。


「はやく来て、はやく来て、はやく来て……来た!」


 全力疾走で接近してきた子猫が、不審人物の腕の中に駆け込む。


「もう! なにやってるのよあんたは! 心配させないでよね!」


 不審な、さらにいえば小柄なその人物は、抱きあげた猫に頬ずりをする。


「あのまま飼われちゃったらどうしようって思ったじゃん! あんたはわたしの使い魔なんですけど! スパイのくせに餌に釣られるとかあり得ないんですけど!」


 不審で小柄な少女が、安心して泣きそうになりながら猫に文句を垂れる。


「モンザエモンって、なによあの超クソダサネームは! この子にはちゃんとサンチャゴって名前があるのに! ううう、学校の売店ストアに首輪って売ってるかなぁ……」


 猫を抱いた少女は、物陰からそっと顔を出す。

 そうして、夕闇の暗がりなんてものともしない眼でゴブリン寮を睨みつけて。


「いまに見てなさいよ、紳士バカのゴブリンにロープレ女! そのうち、そう遠くないうちに、このココちゃんがあんたたちに目にもの見せてやるんだから!」


 不審で小柄で猫を抱いた吸血鬼のココ・ヘミングウェイは、宣言するように言ったのだった。


「でもあの粉……いいなぁ、うらやましいなぁ、わたしもあげてみたいなぁ。……カツオブシとか言ってたっけ? デパートに行けば見つかるかなぁ……」

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