エピローグ

エンパイア自然史博物館

 ドラゴンと対をなす海の幻想生物、クジラ。その一種であり『クジラの王』と見做されているブルーホエールは、現在地球上に生きている中で最も巨大な生物である。


「ブルーホエールって名前だけど、こいつ、いうほど青いか?」

「んー……どっちかっていうと黒っぽいような……?」


 巨大な骨格標本の前に設置された展示パネルを見ながら、ビアンカとココが揃って首をかしげている。

 海原を泳ぐクジラの王の写真は、なるほど、確かに青さよりも黒さを強く感じさせる体色をしている。


「まぁこれは海中で撮影された写真だからね、もう少し光度があればまた違った色合いに見えてくるんだよ。僕は以前にそういう写真を見たことがある、ナショネオで」


 納得いかなげな様子の女子二人に、ウィリアムはそう解説した。


「ちなみにブルーホエールのジパング名は『シロナガスクジラ』というんだけど、これは海上から観測した際にその影が白く見えることから名付けられたんだ」

「はあああああ? 今度は白かよ! なんなんだよこいつは、七色クジラかよ!」


 黒だか青だか白だか、ハッキリしろってんだよ! とビアンカ。

 その声が博物館の広いホールに響いて、ウィリアムはギクッとして周囲の様子をうかがう。

 図書館ほど徹底した沈黙の態度を求められる場ではなかったが、それでもミュージアムで騒ぐのは紳士として抵抗がある。


 二月の第一週だった。この日、プラードの一年生たちはまたも校外学習に来ていた。

 行き先は十一月の遠足が中止になった際に来るはずだった『エンパイア自然史博物館』。

 ニューヤンク州が、ひいては合衆国が誇る、世界有数の自然科学博物館である。


「あのね、博物館こっちに来たいって言ったのはそもそも君たちなんだから、もう少しきちんと学習したまえよ。……僕はお隣のメトロポリス美術館の方に行きたかったのにさ。あっちにはいまジパングから『一休さんの屏風ビョーブ・オブ・イッキュー』が来てるというのに……」

「いやだって、そんなわけわかんねえ書き割りみても面白くもなんともねえし」

「うん。ココちゃんも恐竜とかプラネタリウムのほうがいいんですけど?」


 どこか未練がましいウィリアムの言葉をどこ吹く風と受け流すビアンカとココ。

 ゴブリンの少年は肩をすくめて小さくため息をついた。



   ※


 

 あの一連の騒動から、あと数日で一ヶ月が過ぎようとしていた。


 ビアンカが無事帰ってきたあの夜から、一夜明けた土曜日のこと。

 二人が揃って今後のことを話していると、教頭の使者を名乗る人物がゴブリン寮の戸を叩いた。

 ビアンカには見覚えのある女性教師だった。


 渡された書状の内容を要約すると、『すべて元通りにする。だからすべてなかったことにしてほしい』と、このようなものだった。

 二人がイエスの意思を伝えると、その日の午後には引っ越し業者がやってきた。エルフ寮に置きっぱなしになっていたビアンカの荷物を運んできたのだ。

 このように、あちら側の対応は実に素早かった。


 素早い対応と言えば、週明けの月曜日には早速ティーチ先生も教室に復帰した。

 どうして三日も休んだの? というみんなからの問いかけに、先生は一言『正月ボケジャニュアリー・ブルー』とだけ答えた。

 事情を知っている数名を別にすれば、普段の昼行灯な担任を知っているみんなは誰もこの言葉を疑わなかった。


 教頭とティーチ先生の間でどのようなやりとりがあったのか、結局ウィリアムは知ろうとしなかった。

 ティーチ先生がそれについて彼と話そうとしなかったので、それでいいと思ったのだった。

 ウィリアムは先生が自分たちの為に怒ってくれたことを相棒から聞いて知っていたし、おそらく先生の方も生徒たちの行動によって危うい立場から救われたことを知っているはずだったが、しかし、それでもだ。


 教頭の言った通り、すべてが元通りになった。ディミトリはあれから数日の間はよそよそしい態度だったのだけど、いつの間にか以前の調子を取り戻していた。

 ……なぜだかココに対してだけはひどくビクつくようになってしまったが。


 元に戻らなかったのは、ビアンカのミールカードの倍になったチャージ残高。これは迷惑料として受け取っておこうということになった。

 それから、友人たちの親愛表現に、妙なバリエーションが加わってしまったこと。


「ハートフィールド氏、いや、この際ウィリアム氏と呼ばせていただこう!」


 オタクトリオの緑一点である眼鏡エルフが、ご自慢の眼鏡をくいっとさせて。


「ウィリアム氏! エルフの分際で恐縮だが、応援しているぞ!」

「俺らもホビットの分際で!」「応援してっからな!」


 三人の男友達にそう言われたウィリアムは、あろうことか教室で『蛍の光オールド・ラング・サイン』を歌い出してしまった。紳士は恋愛的羞恥心に対抗するすべをこれ以外に持ち得なかったのだ。

 そうして彼が真っ赤になりながら歌っていると、今度は廊下から同じ歌が聞こえてきた。

 あとで吸血鬼から聞いたところによると、どこかの誰かが彼の相棒に『ドラゴニュートの分際で』と言ったのが原因らしかった。


 このように、冬休み明けの事件はゴブリン寮に『蛍の光症候群オールド・ラングサイン・シンドローム』という後遺症を残してしまったわけだけれど、しかしとにかく、傷跡は本当にそれくらいだ。


 八万六千四百秒の日常は、無事取り戻されたのだ。



   ※



 生物標本のフロアは、やがて現生生物のコーナーを抜けて古生生物のコーナーへと移った。ティラノサウルスTレックス、トリケラトプス、ヘヴィサウルス……大迫力の恐竜の化石や骨格標本に混じって、八岐大蛇ヤマタイヒュドラやリエキ・ロヒカルメなどの古生ドラゴンの化石や再原図が展示されている。


「なぁ、ドラゴンと恐竜って違うのか?」

「よくぞ聞いてくれた」


 ビアンカの漏らした疑問に、ウィリアムが待ってましたとばかりに反応する。


「ドラゴンと恐竜は、姿こそ似ているけど全然別の生き物なんだ。たとえるならサメとシャチみたいなもんだよ。あれらも姿は似ているけど、かたや魚類でかたや哺乳類。これと同じように、恐竜はドラゴンともハ虫類とも違う生き物なんだ。では現代でも生き続けている恐竜の末裔がなにか、わかるかい? そう、答えは鳥類だ! 世界の空を飛び交う鳥たちは、実はみんな恐竜の子孫なんだよ! で、ここで面白いのがコカトリスの存在だ。コカトリスはドラゴンの一種とされているが鶏の卵から発生する。つまり、コカトリスにはドラゴンと恐竜を結びつけるミッシングリンクが隠されて――」


「……ねぇビッキー。前から思ってたけど、あなたの相棒ってちょっとオタクギーク入ってるよね」

「……ナショナルネオグラフィック、ありゃ有害図書かもしんねえ……」


 うんざりする二人をよそ事に、立て板に水と垂れ流されるウィリアムの講釈。

 そのウィリアムの声が、ある一角にさしかかった時に、急に止まった。


「……なにこれ、すごいんですけど……」


 三人の目の前に現れたのは化石だった。

 古代の鳥の、片翼だけの化石。


 しかし、大きさが尋常ではなかった。

 片方の翼だけなのに、その化石はさっきのブルーホエールの体長を凌駕している。

 いかに現代とは環境の違う原始の時代とはいえ、このような巨大な生物が存在できたわけがない。ましてや、飛べたわけが。


 片翼しか発見されていない謎の化石には、仮の名前がつけられている。

 レッドマンの諸部族が共有する神話において、最初の男と女はその鳥の卵から生まれてきたと伝えられている、空を覆うほどに大きな雷の鳥。コノウエナイ存在。

 その名にちなんで――。


「ねぇ、ビアンカ」

「ん?」

「僕、実はティーチ先生から、一つ課題を出されちゃったんだ」

「へぇ、どんな課題だ?」

「ええとね……若者なんだから、少しは自惚れなさいって。

 ……だから、練習だと思って、今から少し自惚れたことを言ってみようと思うんだ」


 少年は言って、遠慮がちに少女の手に自分の手を重ねた。


「いいかいビアンカ。君のエスコート係は、僕以外には絶対に務まらない。君というビーストを飼い慣らせるのは、世界中でこの僕一人だけだ」

「……ばーか」


 そう言って、少女は少年の手を握り返した。


「……ただの事実確認を、自惚れとは言わねえんだよ」



 どこかで誰かが、声に出して展示プレートの名前を読んだ。


 ――サンダーバード。





(エルフ育ちのゴブリン紳士とゴブリン育ちのじゃじゃ馬エルフ/完)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

エルフ育ちのゴブリン紳士とゴブリン一家のじゃじゃ馬エルフ 東雲佑 @tasuku_shinonome

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画