ep17/了 way home

 悪の巣窟たるVIPルームを脱出した後、三人は各棟へと続くアプローチ広場まで一気に歩いて、そこでようやく一息ついた。


 お姫様抱っこが解除されたのもそこでだった。

 ウィリアムは抱いたままでも全然大丈夫だったのだけれど、ビアンカのほうが強行に下ろせと主張したのだった。


 夜間照明が照らし出すドレス姿のビアンカにしばし見蕩れていたその後で、ウィリアムは慌てて自分のブレザーを彼女の肩にかけた。

 露出した肩にかけられた相棒のジャケットを、ビアンカは掻き抱くようにしっかりと羽織りなおした。


「……うぉほん! 二人とも、お疲れ様でした!」


 もじもじしている二人に変わってココが仕切った。

 ゴブリン寮の二人はひどくあたふたしながら、おつかれさまでした、としどろもどろに言った。


「……し、しかしなんだ。今夜はびっくりの連続だったぜ」


 強引に話題を変えるように、ビアンカ。


「……あんたたちが来てくれたことも、ウィルがあいつをぶん殴ったことも、その後の信じられないような大逆転も……正直、まだ夢でも見てる気分だ」

「全部ココのおかげだよ」

「そうだ、その呼び方もサプライズの一つだ。おいウィル、あんたいつの間にココをファーストネームで呼ぶようになったんだよ?」


 あたしのいねえ間にいったいなにがあったんだよ、とビアンカが聞く。

 ウィリアムとココはお互いに顔を見合わせて、それから、同じタイミングで笑った。


「ちょっとね、話せば長くなる物語があったのさ」

「そ。一晩じゃ語り尽くせないほどのね」


 ゴブリンと吸血鬼が息ぴったりに言って、ひとり蚊帳の外のエルフはやれやれと肩をすくめた。


「だけど、本当にびっくりだよ。まさかずっとストリーミングしてたなんて……」

「こんなことになるんじゃないかと思って、配信状態にしてサンチャゴにスマホを渡しておいたの。ほら、なんといっても相手はあの委員長と教頭だったわけだし」

「はぁ、大したもんだな。しかも、四百人だろ? ネット配信のことはからきしわかんねえけど、その数字にはかなりの凄味を感じるぜ」


 まるっきり感服する調子で言ったビアンカに、ココは、ぺろっと舌を出して。


「えへへ、実はちょっとだけ嘘ついちゃった。ほんとはね、四百人も来てないんだ」

「そうなのか? んじゃほんとは何人だ?」

「ほんとは十人……に、ちょっと足りないくらい」


 そう種明かしをしたココに、ビアンカが驚愕もあらわに「マジかよ」と言う。


「一世一代のハッタリじゃねえかよ。吸血鬼の癖に、大胆な勝負しやがったなぁ」

「で、でも、あの画面一杯の批判コメントは? あの勢いは、とてもじゃないけどたった十人足らずのものとは思えなかったよ?」


 驚愕しつつも冷静なウィリアムに、ココがさらなる種明かしをする。


「その十人未満の目撃者の中にね、パソコンとかインターネット文化に詳しい連中が、三人くらいいたのよ。

 具体的には、ホビットが二人とエルフが一人。あと多分よくわかってなかったと思うけど、ドラゴニュートも一人来てくれてたかな」


 それで、みんなで空気を読んで全力で連コメしてくれてたの、とココ。


「……そうか。君だけじゃなくて、みんなが僕たちを助けてくれたんだな」

「そういうこと。知らないみたいだから教えてあげるけど、あなたたちゴブリン寮を応援してるのは、このココちゃんだけじゃないのよ?」


 しっかりしてよね、エスコート係。

 吸血鬼は楽しそうにゴブリンの肩を叩いた。


「でも、これでよかったんじゃないかな。だって相手を殺しちゃったら交渉もできないもん。まだ先生も助けなきゃなんだし、生殺与奪を握ってる今の状態ってベストだわ」

「先生? ティーチ先生もなにか関係してるの?」


 絶賛失踪中の担任の名前に表情を強ばらせるウィリアムに、あ、そういえばあなたはそれも知らないんだ、とココ。

 ほんと、話せば長くなる物語があちこちにあるんだなぁ。


「でも大丈夫、きっと全部うまくいくから。そう信じてさ、今夜はただ……」


 そこで言葉を止めて、ココはビアンカに目をやった。

 抱きしめられるようにしてゴブリンの上着の中で身を丸めているエルフを見て、吸血鬼はそれ以上言うのをやめた。


「それじゃあ、わたしはもう帰るわね」


 自分には必要のない懐中電灯をゴブリンに押しつけて、吸血鬼はさっときびすを返した。


「ねぇウィル! あなたの一番を、もう手放しちゃダメだからね!」


 最後にそれだけ言って、最高の二番手は軽やかな足取りで夜の中へと消えていった。



「……僕たちも帰ろうか」

「……うん」



 ビアンカはベンチから立ち上がろうとして、そこでまた、少しだけフラついた。

 ウィリアムはしゃがみ込んで、黙って相棒に背中を差し出した。


「お姫様抱っこが嫌なら、おんぶで手を打たないかい?」


 あたかも金の馬車を見る目で相棒の背中を見ながら、ビアンカは言った。


「……い、いいよ。だってあたし、結構体重めかたあるし……」

「全然そんなことなかった。ここまで抱いてきたからわかってるんだ。それに、こう見えて僕は普段からけっこう鍛えているからね」


 紳士百箇条より第三条、『紳士は身体が資本』。


「だから、さぁ、早く」


 ウィリアムに重ねて促されて、ビアンカはようやく彼の背中に身を寄せた。


「……あたしさ、この身長タッパの高さが、実はずっと嫌だったんだ」

「確かにゴブリンにしては君は長身だ。けど、エルフとしてはそうでもない」

「……そっかな」

「そうとも。そして何を隠そう、僕もまた身長の低さがコンプレックスだったんだ。ちょっとだけね」

「……ゴブリンとしてなら、そうでもねえだろ」


 二人は真っ直ぐにゴブリン寮への帰り路を進んだ。

 ウィリアムがビアンカを背負って、おぶさっているビアンカが懐中電灯で前方を照らして。


 こうしていると彼女が女性だということがわかる、とゴブリンの模範少年は思った。

 こうしているとこいつが男だってのがよくわかる、とエルフの不良少女は思った。


 お互いに相手が自分と同じようになっているとは気付かぬまま、二人は揃って赤面する。


「なぁウィル」

「ん?」

「あたし、これでまたもう一度、あんたの相棒に戻れたんだよな?」


 どこか不安げな背中の声に、ウィリアムは真っ直ぐ前を向いたまま。


「君ってば、意味のわからないことを言うんだな」

「……え?」

「八月からこっち、僕の相棒は一度も、一秒たりとも変わってないぞ」


 ビアンカはウィリアムの背中に額をつけて、「……うん」と言った。


「……うん。そういや、そうだった」


 この瞬間、二人はエルフでもゴブリンでもなく、ただの少年と少女だった。



   ※


 

 そこから先も、二人は様々なことを話しながら歩いた。

 ココのことや、他の友達たちのことや、それにティーチ先生のこと。一月の最後にある校外学習のことも話した。


 ディミトリや教頭のこと、今夜の事件にまつわることは何も話さなかった。

 当然だ。他に話したいことがいっぱいあるのに、そんな余計なことを話したり考えたりする暇がどこにあるだろうか。


 ただし唯一、ビアンカは今夜ウィリアムが口走ったある台詞にだけは言及した。


『エルフの分際でゴブリンの恋路に首を突っ込むな!』


 それを持ち出された時、ウィリアム・ハートフィールドが誤魔化すために用いた手段は、あろうことか大声で歌い出すことだった。

 というか、ほとんど反射的な精神作用だったのかもしれない。

 なにしろ言及したビアンカの方もまた、歌い出さずにはいられない精神状態になっていたのだから。


 森の動物たちの迷惑もかえりみずに、二人は大声で『蛍の光オールド・ラング・サイン』を合唱しながら歩いた。

 ゴブリンの巣穴ゴブリン・ケイブへと続く、最後の百メートルを。



   ※



 やがて寮へとたどり着く。

 ウィリアムがビアンカに鍵を渡す。受け取った鍵で、ビアンカが鍵を開ける。


 室内に入って、照明をつけたあとで、ウィリアムが言った。

 万感を込めて言った。


「……おかえり、親愛なる友よオールド・スポート


 ビアンカは答える。

 こちらもまた万感の想いを込めて。



「……うん、いま帰ったぜ、相棒」



(第三話・了)

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