ep16.ゴブリンのくせに
そして数秒が過ぎる。まるっきり時間が止まったように感じられる数秒間が。
「……ふ、ふは! ふははははははは!」
沈黙を破ったのは笑い声だった。
いましもウィリアムに頬を殴られたディミトリの、その哄笑する声。
「やってくれたなウィリアム君! まさか紳士な君が暴力沙汰なんてなぁ!」
赤く腫れた頬を撫でながら、ディミトリは勝ち誇ったように笑っている。
「ま、とにかく。これで君の紳士道もジ・エンドだ。ゴブリン少年によるエルフの御曹司への暴行の瞬間、その衝撃映像はあそこのカメラがバッチリ撮影してくれた」
「ざ、ざっけんな! ウィルはあたしを助けようとしただけじゃねえか! それに暴力沙汰ってなら、お前のほうが先に散々やってただろうがよ!」
ビアンカが猛然として反論する。しかし彼女の必死の剣幕は、かえってディミトリの優越感を強めるばかりだった。
「仰るとおりだよバルボア君。しかし、誰がそれを証明するんだい? カメラの映像かな? ではその映像を自由にできるのは誰だ?
たとえば映像を都合良く編集して、ウィリアム君の暴行シーンだけを切り取って公開とかできちゃうのは、誰かな?」
「ひ、卑怯者……!」
ビアンカが恨みの眼でディミトリを睨み据える。
御曹司の笑いが大きく高くなる。
そうしたやりとりを、当のウィリアムはなんだか他人事のように聞いていた。
僕は暴力を行ってしまった、と彼は思う。『たとえ自分が傷つけられようとも、紳士は他者を傷つけない』、紳士百箇条の不動の第一条であるそれを、今日、僕は破ってしまった。
せっかく夢じゃなくなりかけていた子供の頃からの夢を、夢見ることすらできなくなった。
教頭の意向によっては、あるいは退学だってあり得るかも知れない。
大切な女の子を守るために、今日までの努力のすべてを台無しにしてしまった。
そんな僕のことを、尊敬する両親はどう思うだろう?
「……そんなの、決まってる」
自問して、ウィリアムは自答する。
「……きっと父さんも母さんも、心の底から僕という息子を誇りに思ってくれるはずだ」
そう結論して、ウィリアム・ハートフィールドは笑った。
紳士ではなく、一人の恋する男の子として、屈託なく相好を崩した。
そんなウィリアムに、全身全霊の拍手が送られる。
「ウィル、ナイスパンチ! ビッキーのにも負けない、
拍手の手を止めないまま、ココはウィリアムとビアンカを交互に見た。
吸血鬼の少女は目尻に浮かんだ涙を拭ってから続けた。
「わたし、わたしたち、ちゃんと見てたから! 誰がなんと言おうと、あなたはナンバーワンの紳士よ! だからあなたの夢は、あたしたちが終わらせない!」
「ふん、馬鹿馬鹿しい」
ディミトリが
「たった一人の目撃者で、いったいなにを覆せるんだ? いや、バルボア君も入れれば二人か? いいじゃないか、君たち三人で勝手に紳士クラブでも作るがいい」
折り紙のメダルでも授与してあげればウィリアム君も慰めになるだろうさ。
勝利者の立場から
「二人じゃない! 目撃者なら、もっといるわよ!」
「ふん、ウィリアム君を入れて三人か?」
「違う! もっと、もっといっぱいいる!」
「おいおいおい、まさか私を頭数に入れているのか?」
「違う違う、ちーがーうっ! その百倍! ズバリ、四百人よ!」
ココがそう言い放ったと同時に、どこからともなくサンチャゴが走り寄ってきた。
ココのスマホをくわえたサンチャゴが。
「こんなこともあろうかと、こっそり生配信してたのよ」
「……生配信?」
「そ。こう見えてココちゃん、
使い魔のよだれを素早く拭き取って、ココがスマホの画面をディミトリに見せる。
配信中を示す赤いランプが点り、大量の批判コメントに埋め尽くされた画面を。
「ここに来てからの全部、ライブでみんなに中継させてもらってたのよ! よーするにこれ見てるみんなが目撃者ってこと!」
「……は?」
「ていうかいまもまだナウ配信中! おかげさまで同時視聴者数も過去一更新中! 炎上系は数字持ってるってほんとだったのね~!」
「な……なん……おい、やめろ!」
「見なさいよ! この画面内流れてる文字全部、あんたへの批判コメだから! 一部読み上げてあげるわ! 『これマジ? 犯罪じゃん』『逮捕クル?』『BBちゃん顔色悪くない?』『教頭も同罪じゃね?』『レノックス製薬終了のお知らせ』『その前にプラード校沈没のお知らせ』『
「やめろおおおお! やめてくれえええええええ!」
「あんたは絶賛炎上中♪ 教頭先生にも延焼中♪ 実家が燃え出すのも時間の問題♪ ……全部全部、あんたのせいでね!」
鋭く言い切ったと同時に、ココは絶望顔のディミトリをビシッと指さして。
「ざぁこ♪ ざぁこ♪ ざこエルフ♪ ほんとにジ・エンドなのは、どっちかなぁ?」
その瞬間、ディミトリ・レノックスは、それはそれは綺麗に膝から崩れ落ちた。
「さぁウィル、ビッキー! 今のうちに逃げるわよ!」
「え? あ、ああ!」
ココの声に打たれて、呆気にとられて状況を見守っていたウィリアムが我に返る。
「ビアンカ! 行こう!」
ウィリアムがビアンカに手を差し伸べる。ビアンカは応じるようにして立ち上がり。
立ち上がろうとして、立ちくらみを起こして、こける。
「……もしかして君、体調悪い?」
「おっせえ!」「いまぁ!?」
ビアンカの不調にいまさら気付いたウィリアムに、二人の女子が声を揃えて呆れを示す。
「ああもう、おかげさまでバリバリ
離れていた数日分を取り戻そうとするかのように垂れ流されはじめたビアンカの喚き散らしの声が、再びピタッと凍り付く。
ウィリアムが、いきなり彼女を抱きかかえたのだ。
「あ……や……そんにゃ……これは、ちょっと……」
突然のお姫様抱っこに真っ赤になる、ドレス姿のシンデレラ。
そんな彼女に、紳士は白い歯で笑いかけて、言った。
「ゴブリンのくせに、この程度のスキンシップで取り乱すんじゃあない」
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