第一話 歯並びのいいゴブリンと八重歯のエルフ

ep1.ゴブリンの少年とエルフの少女


 ニューヤンク州ニューヤンクシティの名門高校プラード・アカデミーには、エルフの生徒だけが在籍しているわけではない。

 高貴種であるドラゴニュートやヴァンパイア、自動車産業を牛耳るドワーフや成金ホビットの子女もこの学校で学んでいる。


 だがゴブリンの生徒は、長い校史を通してこれまで一人も存在しなかった。


 我々の主人公は、そんな歴史を変えた最初の一人である。

 緑の肌に低めの身長、ヘアコンディショナーをものともしない剛毛の逆毛と、額に生えた小さな角。

 ウィリアム・ハートフィールドは、紛れもなくゴブリンである。


 ウィリアムはゴブリンで、しかし。


「えー、みんなの投票の結果、一年A組の学級委員長はディミトリに決まりました」


 担任教師がそう言った瞬間、呼ばれるまでもなく一人のエルフ男子が立ち上がった。


「皆さん、清き一票をありがとう! 民主主義的な多数決の結果この私が、高身長・高魔力に確かな家柄と三拍子揃った、このディミトリ・レノックスが君たちを導いていくことになった。これから一年、みんなで最高のクラスにしていこうじゃないか!」


 新学級委員長の就任初回演説に学友たちがおざなりな拍手をする。

 そんな中、最も心のこもった拍手を送っていたのは他ならぬウィリアムであった。

 自身も立候補し、しかしあえなく落選していた、その彼である。



 ウィリアムはゴブリンで、しかし、ウィリアムは紛れもなく紳士だった。



 さて、生徒たちが部活動や寄宿寮に散り始めた放課後。


「ウィリアム、ちょっといいかね?」


 クラス担任のティーチ先生が、帰寮しようとしていたウィリアムを呼び止めた。


「学級委員長選挙、残念だったな。いや、惜しかった」

「いえ、選ばれるのはディミトリだろうと、僕もそう思ってましたから」

「そうかそうか。ちなみに君の得票数は三票だったよ。レノックスは三十票だから、ちょうど十倍差だな」


 いったいそれのどこが『惜しかった』なんだ、とウィリアムは思った。


 とはいえ、結果自体はやはり妥当なものと感じられた。

 自分から売り出すほどの高身長・高魔力に甘いマスク、ダメ押しにあのレノックス製薬の御曹司と来ている。

 第一印象では完敗だし、きっとそのイメージを裏切らない紳士たれとディミトリもまた努力しているはずだ。

 この僕と同じように。


「私は、レノックスよりも君のほうが適任だと思っとったのだがのう」

「えっと……ありがとうございます! 先生にそう言って頂けただけで――」

「しかし君が選ばれなかったのは都合が良かった。うむ、落ちてくれて助かったよ」

「あの、先生……一度持ち上げてから落とすような論法の多用は、ちょっと……」

「ああ、いや、すまんな。別に君の落選を喜んどるわけではないのだ」


 そこんとこ誤解しないでくれとそう断りを入れて、ティーチ先生は話を進めた。


「実はな、君に折り入って頼みたい仕事があってな。この役目は学級委員長と掛け持ちにはできんだろうし、レノックスには不向きな内容だ。なんせ自分が主役になるのでなく、人の手助けをする仕事だからな。彼には持ちかけたところで断られるだろう」

「人助け、ですか」


 確認するように声にしたウィリアムに、先生は「いかにも」と応じた。


「君たちの入学から二週間ばかり経つが、新入生の中に一人だけ、まだ編入クラスすら決まっとらん生徒がおる。なんというか、特別な事情のある子なんだ」


 特別な事情と聞いて、真っ先にイメージされたのはいじめによる不登校だった。もしくは極度の人見知りか。

 いずれにせよ、浮かぶのは気弱で内向きな人物像である。


「いろいろ混み合った事情でな、一言では説明できん。が、とにかくだ。もし君が彼女の学園生活をサポートしてくれるなら、うちのクラスで受け入れようと思っとる」


 片手に抱えていたバインダーをもう片方の手に持ち替えて、先生は続けた。


「まだ付き合いは短いが、君は他人を自分と同じかそれ以上に大切にできる子だと私は見ておる。さっきのが好例だ、君は自分を負かしたレノックスに一番の拍手を送っていただろう? あれを見て確信したよ、君になら安心してお願いできるとね」


 なんともストレートな褒め言葉に、ゴブリンの少年が緑の顔を赤らめる。


「それから、君にこの役割を引き受けて欲しい理由が、実はもう一つある」


 先生はさっと周囲を見渡して、わざとらしく大げさなひそひそ声で言った。


「ここだけの話、この役目を見事果たしてくれた暁には、『称号』の選考にかなり大きく響くはずだ」


『称号』という単語が出た瞬間、少年は緩みかけた頬を引き締めて視線を上げた。



  ※



 品位と高潔の人格教育を理念に掲げるプラード校において、伝統的に授与されてきた名誉があった。

 三年間の学校生活のすべてを総合的に評価し、『最も気高い精神の持ち主』と認められたたった一名の卒業生にのみ与えられるその称号の名は、授章者が男子の場合は『名誉紳士』、授章者が女子ならば『名誉淑女』。

 優等生オナー人気者ジョックも超越した、学園プラードの絶対的王者の栄光である。


 ところで、本来は各世代から一名しか選ばれぬはずのこの『名誉紳士』と『名誉淑女』を二名同時に授章した、伝説的なカップルがかつてあった。

 ウィリアムの両親である。

 彼がこの世で最も愛し、かつ尊敬している二親ふたおや


 さらに重ねて付言すれば、この父と母はゴブリンではなく、エルフだった。


 血の繋がらぬ養子の、しかもゴブリンである自分に実子同然の愛情を注いでくれたエルフの父母は、ウィリアムにとって理想であり目標だった。

 そしてその素晴らしい両親の偉大さを象徴する品こそが、リビングに二つ並べて飾られた青春の勲章であった。


 幼児だった彼が「いつか自分も」とそう憧れたのは、二つの勲章の隣に自分の三つ目を並べることを夢見たのは、ある意味で当然すぎる成り行きだったのだ。


 憧れて、夢見て、揺らしても揺らがぬほどに断固たる目標と定めて。

 そうして少年は血の滲むような努力の果てに、ついにゴブリン初のプラード生になることができた。


 いや、それだけではない。

『心はハイエルフたれ』の座右の銘も、胸に抱く百カ条の行動規範も。

 自ら紳士を標榜しそうあろうとするウィリアムの生き様と信念は、元を正せばその憧れこそがスタートラインだったのだ。


 だから。




「いま呼び出してもらっとる。すぐに来るだろうから、ちと待っていてくれ」


 トレイを手に戻ってきたティーチ先生が、湯気の立つカップを二つテーブルに置く。

 学園大食堂レストランホールの奥まった場所にある個室で、今、ウィリアムは人を待っている。

 これから自分が『手助け』していくことになる、問題の生徒を。


「君が引き受けてくれて安心した。……が、正直少しばかり後ろめたくもある。君があの称号に特別な思いを抱いていると知って、それを利用するような真似をしてしまった」


 ティーチ先生は忸怩じくじたる表情でカップのコーヒーをすすって、だが、と続けた。


「だが、わかってくれ。私が君にこの役目を頼んだのは、本当に『君ならば』と思ったからなのだ。なぁウィリアム、これだけはくれぐれも信じてくれよ?」

「もちろん承知してます、ミスター・ティーチ、先生サー。むしろ光栄に感じてます」


 ウィリアムがそう言うと、ティーチ先生は少しだけ安心したように表情を緩めた。


「ところで、聞いたよ。君が自分をバカにしたヘミングウェイをかばったという話を」


 ティーチ先生が持ち出したのは、例の校外学習の事件についてだ。

 ちなみにヘミングウェイとはあの悪口ヴァンパイア娘の名前である。ココ・ヘミングウェイ。


「君は自分の手柄を話したがらなかったからね。現場に居合わせた生徒たちから聞き取りをして、ようやく事情が把握できた」

「いえ、別にそんなのは手柄でもなんでもありませんよ。僕はただ――」

「『紳士として当然のことをしたまで』なんだろう? その台詞も聞いとるよ」


 ティーチ先生は笑いながらまた一口コーヒーを啜り、そのあとで「よくやったな」と褒めてくれた。


「なぁ、ウィリアム。委員長選挙での君の得票数は三票だ。しかし、君はその三票を『たったそれだけ』と思うような男じゃないな? 少なくともクラスの三人は君を評価している。君がどんな奴なのか、見てる者はちゃんと見てるってことだ」

「……はい」


 ミスター・ティーチが自分たちの担任になってからまだ二週間しか経っていないけれど、ウィリアムはすでにこの先生に親しみを感じていた。

 基本的に無神経でしばしば一言多くて、なのに必要な言葉は不足させがちというコミュ障な先生だけど、それでも小学校の頃に一番好きだった先生と同じくらい好きになっていた。


 インターホンが待ち人の到着を告げたのは、その時だった。


 先生が受話器の向こうの誰かと交わす短いやりとりを聞きながら、ウィリアムは、いまさらになって緊張しはじめた。

 これから僕が学園生活を共にするいわば相棒は、いったいどんな人なのだろう。

 特別なサポートが必要な、特別な事情を抱える生徒。

 気弱で内向的な同級生の……。


「……ん? ちょっと待った」


 不意に、ウィリアムの内耳の奥底で、数十分前の先生の台詞が蘇る。


『君が彼女の学園生活をサポートしてくれるなら――』


 なんか僕ってば、聞き捨てならないことを聞き流しちゃってないか?

 彼女ってことは、つまり、女子生徒?


「さぁウィリアム。いよいよご対面の時来たり、だぞ」


 内線通話を終わらせたティーチ先生が席に着きながら言った。


「しかし、本当にいろいろと都合が良かったよ。君が学級委員長に落選してくれたこと、君がゴブリンだということ、さらに君が彼女とすでに顔合わせ済みだということ、そしてなにより……いやとにかく、これぞまさに天の配剤というやつだな」

「待って先生! なにやら聞き捨てならないが渋滞してます!」


 なんで? 僕がゴブリンなのが、この件となんの関係があるの?

 というか、すでに顔合わせ済みって、なにそれどゆこと?


 この土壇場で、ウィリアム・ハートフィールドはようやくにして自分の愚を悟った。

 ああ、どうして僕は自分から詳細を詰めようとしなかったのだろう。

 この先生は、しばしば致命的に言葉が足りないのだと、そうわかっていたはずなのに。


「――失礼しゃっす、ビアンカ・バルボア、入んます」


 その時、大雑把な挨拶と共に個室のドアが開かれた。ノックもされずに。

 はたして、現れたのはエルフの女生徒であった。

 それも、誰もが一目で『なるほどこれは問題あり』と納得するような個性派の。


 まず第一に制服の着こなしが……いや、着崩し方が個性爆発だった。

 ブレザーは袖を通さず腰巻きにして、腕まくりのワイシャツは裾をスカートにインさせてない。どころかボタンを止めずに前を全開にしている。

 そのワイシャツの下、覗くTシャツの胸で自己主張するのは『I♡NYアイ・ラブ・ニューヤンク』の世界的に有名なロゴ。

 首元を飾るのはポップでキュートなネックレス……などではなく、硬質ソリッドな輝きを放つ謎の認識票ドッグタグ


 ティーチ先生に小さく頭を下げたあとで、エルフの女生徒はウィリアムを見た。

 さらさらの金髪の下の、空のような碧眼ブルーアイズと出会った。

 その二秒後、忘れもしない勝ち気なラブリーフェイスが、八重歯を剥いてにぃっと笑った。


「おっす、また会ったな同族ブラザー

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