ep4.八重歯とブルーアイズ

 プラード・アカデミーは全寮制学校である。

 すべての生徒は学園敷地内に点在する寄宿寮で生活を送り、家族の待つ家への帰宅が許されるのは週末と祝祭日ホリデイ、長期休暇のみである。


 寄宿寮は種族別に分けられており、最も生徒数の多いエルフ寮は数十棟も存在する。

 対してゴブリン寮はといえば、もちろん一棟だけ。しかもこれは敷地内に放置されていた平屋を急遽それ用に改築した代物で、寮というよりはログハウスのような趣の建物だった。

 広々とした屋内は共有のワンルームのみで個室は存在しない。


 とはいえ、ゴブリン寮の入居者は我らがウィリアム一人だけなので、個室の有無については問題視されるどころか意識に上ることすらなかった。

 必要と思われる設備は一通り揃っていたし、おまけに家具一式付き。

 自分一人の為にこんな立派な寮を整備してくれた、学園のその懐の深さに恐縮しつつも感謝しきりのウィリアムであった。


 さて、その自分一人のゴブリン寮にウィリアムが帰り着いたのが、夕方の六時過ぎ。

 帰寮するなり、ウィリアムは着替えすら省略してベッドに身を投げ出した。


「……紳士百箇条より、第十六条……『タフでなければ紳士を貫き通すことはできない』……」


 仰向けに倒れ伏した姿勢で、呪文のように唱えてみる。

 しかし、彼に元気と勇気をを与えてくれるはずの魔法の百箇条も、今日ばかりは泥のような疲れの中に重く沈んだ。


 エスコート係の最初の一日。

 一言で言って、疲労困憊の一日であった。

 なるほどこの激務は、確かに学級委員長と両立なんて不可能だ。


「バリー……ボニー……ブレイディ……ビアンカ・バルボア……」


 Bで始まる巨大ハリケーンの名前をそらんじて、そこに相棒の名前を並べてみた。

 すると、ああ、なんという違和感のなさパーフェクトフィット

 いかにも、彼のエスコートするシンデレラは東海岸のハリケーンも真っ青の風雲児なのだ。Bが二つで風力も二倍である。


 ビアンカ・バルボアという少女は、知れば知るほど謎の増える存在だった。

 自分の相棒について、ウィリアムは少しでも彼女を理解しようと今日一日がんばってみたつもりだ。

 しかしこうして第一日目の終わりに収支を確認してみれば、手元に増えたのは理解よりも新たな謎の方がずっと多いのだった。


 とにかく、彼女はエルフの持つステレオタイプからあまりにも逸脱している。

 喧嘩っ早いくせに怒りを引きずらない爽快な鉄火肌。

 文化の違いさえ感じさせる獰猛なボキャブラリー。

 ストレートでオープンな感情表現。


「エルフのくせにヤンキーで、エルフのくせにエルフ嫌い……なんだそりゃ……」


 ウィリアムの脳裏に、さらにいくつかのイメージが浮かび上がる。


 個性爆発のヤンキーファッション。

 メタリックなドッグタグ。

I♡NYアイ・ラブ・ニューヤンク』のTシャツ。


 それから、彼女の中の相反するなにかを象徴するような、あの碧眼ブルーアイズと八重歯。


 エルフの社会において、歯並びの良さは一種のステータスである。

 親たちは揃いも揃って我が子に歯列矯正を受けさせたがるが、そこには『歯並びの悪い子は親が貧乏だと思われるから』という虚栄心が働いている場合が多い。

 ウィリアムの両親のように虫歯や歯周病予防の観点から子供を歯医者に連れて行く親は、むしろ少数派だ。


 歯並びのこと一つとっても、やっぱりビアンカはエルフらしくない。


「……どうしてビアンカは自分をゴブリンだって言い張るんだろう」


 やはり、まず最初に解き明かすべき謎はそれである。

 というか、すべての謎はそこに根ざしている気がする。


 が、しかし。

 これは、軽々には切り出せないデリケートな問題だ。

 以前ヘミングウェイが言ったようにただのキャラ作りロールプレイであるならまだいい。

 だが、たとえば身体的な種族と自己意識が噛み合わない心的障害の場合だって考えられる。

 そうでなくとも、他にも人に話しにくい種類の複雑な事情は、すでに何通りか思い浮かんでいる。


 ともかく、この領域に無遠慮に踏み入るのは、紳士のすることではない。ウィリアムはそのように考えていた。

 たとえ自分がビアンカのエスコート係でも。


「やれやれ、明日もまた疲れる一日になりそうだ」


 そう呟いて枕に顔を埋めると、一秒後には眠気が襲ってきた。

 せめてルームウェアに着替えてからと、そう念じても抗えきれないほどの眠気が。


「そういえば……シンデレラって、なんでシンデレラ?」


 いけない、最後にまた謎を増やしてどうする。

 泡のように湧き上がった疑問から全力で目をそらしつつ、ウィリアムは眠りの中に落ちて、落ちて、落ちて……。


 落ちて行こうとした、その時である。


「おーい! ウィル、ウィリアム! いるか! いるよな!」


 乱暴に連打されるノックと元気な声が、ウィリアムをまどろみの深淵から現実へと一本釣りした。

 ……今日一日で嫌というほど耳に染みついた声が。

 ウィリアムが飛び起きると、彼の許しを待たずに寮の扉が開けられた。


「うっす! 今日からゴブリン寮に入るバルボアっす! よろしくな、寮長ボス!」


 戸口に立っていたのは、これでもかとニコニコ笑顔のエルフ娘。

 一時間ほど前に別れたばかりのビアンカが、大荷物を携えてそこにいた。

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