ep11.クオリティシーズンの吸血鬼

 どうにかしなくちゃ、と彼女は思っている。

 わたしがどうにかしなくちゃと、この二日間ずっと、ココ・ヘミングウェイはそればかりをおもい続けている。


 あれから二日が過ぎて、しかし状況は未だにガッデムでデッドアスな混迷の中にあった。

 ビッキーがウィルの元からいなくなるなんてそれだけでもあり得ないのに、よりによってあの委員長が新しいエスコート係だなんて。

 こんなの、熱を出した時に見る悪夢よりも支離滅裂で現実感がないんですけど。


 こんなのおかしい。

 こんなの、絶対になにか裏がある。


「うーん、バルボアさんが自分で言ってた通りってことはないのかな? 特典目当ての取引ってさ。実際、あの条件はかなりおいし……あ、いや……」


 言いかけたホビットの片割れが、ココとリンドバーグの非難の視線に気付いて口ごもる。もう一人のホビットと眼鏡エルフも呆れたような目を向ける。

 お前それは思ってても口に出したらダメだろ、と。


 神妙な顔を寄せ合う友人たちの輪の中に、ウィリアムの姿はなかった。

 ここ二日間のウィリアムの状態は、いかにも見るに堪えなかった。

 仲間の全員が暗黙の内に『彼の前で彼女の話題は禁句』と了解し合うほどに。


 わかりやすく落ち込んでいるならまだ慰めようもあるのだが、ウィリアムは自分が傷ついていることを隠そうとしていたし、また本人はそれができていると信じているようだった(たとえ周囲にはバレバレだったとしても)。

 下手に慰めようとしても傷を抉る結果にしかならないのは目に見えていた。


 しかしそれでも一度だけ、ココはウィリアムに聞いた。聞かずにいられなかった。

 ウィル、大丈夫? と。


「ありがとう、親愛なる友よオールド・スポート


 ココの気遣いにそう感謝を述べたウィリアムは、しばし言葉に迷った様子を見せたあとで、握りこぶしを彼女に見せて言った。


「紳士百箇条より第十六条、『タフでなければ紳士を貫き通すことはできない』」


 そんな質問をしてしまったことを、ココはひどく後悔した。

 精一杯強がって答えたウィリアムは、タフガイどころか、繊細で傷つきやすい十五才の少年にしか見えなかったのだ。


 せめてティーチ先生がいてくれたらな、とココは思う。

 あの先生ならなにか知っているかもしれない。たとえ事情を知らなくても、ゴブリン寮の二人に眼を掛けてくれている彼ならきっと、この状況を解決するために動いてくれたはず。


 しかし生憎、彼は現在学校にいない。

 ビアンカがウィリアムの元を去った朝、先生は上司であるグリーンバーグ教頭に詰め寄って胸ぐらを掴み上げたのだという。

 それで今は『追って沙汰あるまで謹慎していなさい』という状態らしい。


『……あの方があんな風に感情を露わにするところは、私もはじめてみたよ』


 こっそり事情を教えてくれた吸血寮の先生はひどく意外そうな顔をしていた。 


 とにかく、頼れる相手はもういない。

 だから、わたしがどうにかしなくちゃ。



   ※



 一日の最後の授業ラスト・クラスが終わった時、空にはすでに月が浮かんでいた。

 夜は吸血鬼の時間であり、長く深い夜をもたらす冬という季節は吸血鬼のクオリティシーズンである。だから吸血鬼のコミュニティにおいては、『冬至の祝祭ミッドウィンター・デイ』はクリスマスと同格かそれ以上に大きな意味を持つイベントとされている。


「……吸血鬼なんて、やっぱり最悪デッドアスよ」


 澄み切った冬の夜空を見上げながら、もうすっかり口癖になってしまった台詞をココは呟く。

 呟いて、でも、と続ける。


「……でも今だけは、わたしは吸血鬼の自分に、イエスって言ってあげちゃうわ」


 放課後、ウィリアムと別れたあとで、ココはたった一人で行動を開始していた。


 親愛なる夜闇に紛れて、今、彼女は今回の問題の当事者を尾行している。

 ウィリアムではない。ビアンカでもない。


「……ビッキーから直接事情を聞かせてもらえたら、こんなことする必要ないのに」


 しかしココのことを親友と呼んでくれたエルフの少女は、親友の彼女に対してすらその秘密を明かしてはくれなかった。

 最後に話した時にビアンカがココに残した言葉はたった一言だけ、『ココ、ごめんな』という謝罪の言葉だけだった。

 その言葉を、すべてを諦めたような笑顔を浮かべながら彼女は口にしたのだ。


 それ以上なにかを問い質すことなんて、できるわけがなかった。

 なぜなら彼女は、ココ・ヘミングウェイは、ビアンカ・バルボアの親友なのだから。


「……だから、わたしがどうにかしなくちゃ。……わたしが、どうにかするんだ」


 決意を呟きに込めて、そして目差しには敵意を込めて、ココは前を歩く尾行対象を睨みつけた。

 ビアンカでもウィリアムでもない、問題当事者の三人目を。


 諸悪の根源である、ディミトリ・レノックスを。


 元からどうしても好感を持てない男だった。

 自然公園への遠足の後では、ただいけ好かないというだけだった印象に得体の知れない不気味さが加算された。


 そしていま、ココ・ヘミングウェイにとってのディミトリ・レノックスは、疑いの余地もなく敵だった。


 この二日間、ココはディミトリとビアンカの様子をずっと観察していた。

 ほとんど監視にも等しい徹底的な観察により判明したのは、あの二人の間には親密な空気など一欠片ワンビットたりとも存在しないということと、事態は思っていたよりもさらに複雑そうだということだった。


 冬休み前までのウィリアムとビアンカがそうであったように、ディミトリとビアンカは常に行動を共にしている。

 教室内では隣り合って座るし、ランチタイムも一緒、寮への帰り路(そう、ビッキーはいまエルフ寮にいるのだ)も一緒だ。


 だが、それだけだった。

 本当に、ただ一緒に居るだけなのだ。


 ビアンカの方は時折、ディミトリへの隠しきれない敵愾心や嫌悪感を滲ませることがある(その一瞬の反応を発見した時、ココは絶望の嵐の向こうにわずかな灯りを見つけた船乗りのような気分になった)。

 だが、ディミトリの側にはなにもなかった。

 ビアンカ・バルボアという個人に対して、彼はなんらの関心も持ち合わせていないようだった。

 連れ回して自慢する癖に、彼女になにも求めていない。そこに居さえすればあとはどうでもいい感じだった。


 トロフィー・ワイフ。ふと浮かんだそんな言葉に、ぞぞっと背筋が震えた。

 横恋慕とか邪恋とか、そんなのが可愛く思えるほど不気味ななにかが隠れている気がした。


「……しっかし委員長の奴、どこに行くのかしら?」


 クラシックな角灯ランタンを手に(見た目は立派だけどどうせLEDでしょ、とココは疑っている)先を歩くディミトリがどこに向かっているのか、ココには予想がつかない。

 この先には大食堂レストランホールがあるけど、でも、営業時間はとっくに終わっているはず。


 しかし、やがて進行方向に現れたのはまさにその大食堂だった。


 ディミトリは迷いのない足取りで建物に近づき、そうするのが当然とばかりに扉を押し開けた。

 外から見ると真っ暗なのに、建物の中には灯りが点っていた。


「サンチャゴ!」


 小声で呼びかけた瞬間、ローブの中から片足だけが白い黒猫が現れる。

 同時に、ココはポケットからあるものを取り出している。

 採血用穿刺器具ブラッド・サンプラー。ボタンを押すと針が飛び出して少量の出血を促す、血液検査の際に用いられる医療器具だ。


 チクッとした痛みが走った数秒後、指先にぷくっと丸い血の膨らみができる。

 その血をサンチャゴに舐めさせた瞬間、使い魔と感覚がリンクした。


 お願いね。

 そう声を掛けるまでもなく、主の意を解した子猫は走り出している。

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