ep12.箱推し

 ディミトリが大食堂に入ると、すでにグリーンバーグ教頭が先に来ていた。


調子はどうだいハウ・アー・ユー?」


 芝居がかった口調でそう聞いてきた教頭に、「好調ですアイム・ファイン」とディミトリは返す。

 上機嫌を隠そうともせずに、すこぶる好調ですアイム・グレート・ファイン、と。


「けっこう、いや実にけっこう。ようやく王者たるに相応しい表情に戻ったな、レノックス君。やはり君はそうでなければだ」

「ありがとうございます。これもすべて教頭のおかげですよ」


 おなじみの理解者顔で言った教頭に、ディミトリは素直に感謝を述べた。


「教頭の『逆転の発想』には、我が身の未熟を痛感させられました。これでも同じ年代の連中と比べれば世の道理を心得ていたつもりだったのですが」

「なんのなんの、これでも君より数十年も長く生きているからね」

「『勝てないならば自分の側に取り込んでしまえばいい』、最初はピンと来ませんでしたが、意味を捉えるほどに肯くことしきり、目から鱗が落ちるとはこのことです」

「ドヴェルグ・オーツの戦いにおいて類い希なる戦術眼を発揮したのは副隊長のジャックス少尉だったが、彼の存在がアーメイ大尉の評価を下げるわけではない」

「まさに、です」


 大人の搦め手、勉強させて頂きました。

 そう言った次の瞬間、少年の浮かべていた笑顔に狂気的な色合いが添加される。


「ふふ、ふふふ、これでまた私がナンバーワンだ。たとえバルボアがいくつかの部分で私に優っていたとしても、いまや私はあの女の主人マスター、いや、所有者オーナーなのだから」

「そ、そうだな」


 グリーンバーグ教頭が表情を強ばらせる。この御曹司が時折見せる幼児的な癇癪や偏執狂じみた態度は、どうにも扱いきれない。


「ところで、そのバルボア嬢だが、まだ来ないのかね?」


 教頭がさっと話題を変えた。ディミトリは黙って首を横に振る。


「着替えに手間取っているのかもしれませんが、そこまで付き合う義理もないので勝手に先に来てしまいました。まぁ、じきに来るでしょう」

「そうかそうか。いつも通り料理はこちらで手配させてもらった。用命あればアルコールも提供するよう伝えてある。二人でゆっくり親睦を深めてくれ。ただし……」


 教頭の紳士的な上っ面を、下世話を通り越した下品な印象が上書きした。


「あまり親睦を深めすぎるなよ? 飲酒喫煙、暴力沙汰、そしてそう、不純異性交遊……くくっ、そういうのはバレないように、な?」


 教頭のセクハラ発言にディミトリが割と本気で眉をひそめた、ちょうどその時。

 大食堂の重い扉が音を立てて押し開けられ、冬の外気と共に少女が入ってきた。


「……ちわっす」


 無愛想に挨拶したビアンカに、教頭が「おお」と歓声をあげる。


「思った以上にお似合いではありませんか。うむ、お美しい」

「……真冬にこんなカッコ、寒いだけなんすけど」


 白いドレスに身を包んだビアンカが、露出した肩をさすりながら文句を言った。


「それは申し訳ありません。しかし今後、バルボアさんにはこういう華やかな格好をしてもらうことが増えると思うので、慣れておいて欲しかったんですよ」

「そっすか。ところで、二つくらい質問いいっすか?」


 教頭の言葉を右から左に聞き流したビアンカは、返事も待たずに勝手に質問する。


「あたしがおたくらに従ったら、そっちはもうあいつの――ウィルの『名誉紳士』を邪魔しない、そういうことでいいんだよな? あたしがこのレノックスに飼われてやってるうちは、あいつは夢を見続けられる。それで間違いないな?」


 あとから条件足したりしねえだろうな、とビアンカ。


「バルボアさんは、本当にハートフィールド君が大切なんですね」

「そういうのはいらねえから、イエスかノーで答えて欲しいんすけど?」

「もちろん、約束は守ります。バルボアさんがレノックス君のシンデレラでいてくれる限り、ハートフィールド君が『名誉紳士』の選考から外されることはない。それについてこちらはなんの横やりも入れない。条件の付け足しもしません」


 なんならあとで一筆書きましょう、と教頭は約束した。


「それで、もう一つの質問はなんでしょうか?」

「……あたしらの担任が一昨日から休んでるんだけど、なんでか知らないすか?」


 ああ、そのことですか! とグリーンバーグ教頭は言って。


「いやはや、あなたたち一年A組は、生徒想いの良い先生に恵まれましたね」

「回りくどい仄めかしはいらねえつってんだろ、具体的に言えよおっさん」


 ビアンカの眼が鋭さを増した。その視線を涼しい顔で受け止めて教頭は答えた。


「実に感動的なお話です。私がバルボアさんとハートフィールド君を引き裂いたことを知って、ティーチ先生は怒り狂ったんです。激昂して『それでも教育者か!』とかなんとか叫びながら、彼は上司であるこの私に掴みかかった。他に教員のたくさんいる朝のミーティングルームで。あれで結構熱血なんですよ、君たちの先生は」


 ビアンカの瞳が怒りに見開かれた。

 しかし、教頭を貫く火の視線はみるみるうちに勢いをなくし、その隙間に氷のような自責の念が入り込んだ。

 ティーチ先生の行動とその結果を、彼女は自分のせいだと感じているようだった。


「さて!」


 消沈するビアンカを尻目に、教頭が手を叩いて言った。


「いつまでも立ち話をしていてもはじまらない。邪魔な大人は退散するので、ここからは若い二人、水入らずで食事を楽しんでいらっしゃい」


 言いながら、教頭は壁際の暖炉の前まで移動する。徹底した本物志向が行き届いている大食堂の中で、なぜかその巨大な暖炉だけが実機能を持たない装飾暖炉マントルピースだった。


 暖炉の横にあった壁掛けランプを、教頭はおもむろに四十五度捻った。

 すると、炉体の中で燃えていた一枚絵の炎が、軋んだ音を立てて内側に向かって開いた。


「……なるほど、学食の秘密のVIPルームってのは実在したわけだ」

「ふふ、お偉方にはウケのいい演出なんですよ、これ。いかがです? 『隠れ家的レストラン』の極致だと思いませんか?」


 教頭に感想を求められて、ビアンカは一言『超ダセえファグリー』と答えた。

 ダウンエッグのブラザー言葉を理解できなかったのかそれとも彼女の感想などどうでも良かったのか、教頭は満足そうに肯いて二人を暖炉の隠し扉へと誘導した。


「バルボアさん、ハートフィールド君はつくづく幸せ者ですね」


 ディミトリの後ろをついて秘密の通路に入るとき、教頭がビアンカに言った。


「こんなにも強く想われて、こんなにも捨て身で守られて……あなたたち二人の絆には、教育者として感動を禁じ得ませんよ」

「それをぶった切って『元相棒』にしやがったのはどこのどいつ……!」

「バルボアさんを奪われて、彼はさぞかしショックを受けていることでしょうね」


 かつての私と同じように。グリーンバーグ教頭は――ロレンス・グリーンバーグは、誰にも聞こえないような小声で最後にそう付け加えた。



   ※



 そのようにして三人のエルフは退場した。

 ディミトリとビアンカが隠し扉の先に消えたのを見届けたあとで、グリーンバーグ教頭もその場を去って行った。


 誰も居なくなった学生大食堂レストランホールで、吸血鬼の少女は子猫を抱き上げた。


「……やっぱり、とんでもない裏があったんじゃない」


 呟いて、サンチャゴをぎゅっと抱きしめる。

 子猫の毛皮が涙に濡れた。


 使い魔の目と耳を通してすべてを知ったココの中には、二つの感情が渦巻いていた。

 一つは強烈な怒り。その対象は、もちろんディミトリとグリーンバーグ教頭だ。

 そしてもう一つは、あらゆる善良な情緒が渾然一体となった、もはや『感動エモーション』としか名付けることのできない感情だった。


 わたしの親友は、やっぱり最高サンダーバードだ。


「……ねぇビッキー、知ってた? わたしはね、ゴブリン寮を箱で推してるの。だからシンデレラあなたには、絶対に紳士かれのところに帰ってきてもらう」


 だけど、私がどうにかできるのは、残念だけどここまで。


「……ここから先は、ウィル、あなたがどうにかするのよ……!」


 この場にいない少年に向かってそう語りかけて、猫を連れた吸血鬼は全速力で闇路を森へと駆けた。

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