ep5.幸運と不運は交互に波打つ

 すべてが順調、一切が順風満帆、なにもかもが上手くいっていた。

 本当に、怖くなるほどに。


「ふむ、いったい、それのなにが問題なのかね?」


 クリスマスパーティーの翌日、今年最後の二者面談が視聴覚準備室で行われていた。


「いえ、問題というわけではないのですが……こうも上手くいきすぎていると、反動でそのうち良くないことが起きそうな気がするというか……」

「あのなぁウィリアム、今は科学の時代でここはエンパイア合衆国だぞ?」

「い、いえ、迷信っぽい思い込みだということは自分でもわかってるんです。だけどその、もう一つの理由の方は、実はもっと深刻でして……」

「なにかね?」

「……こんなに順調だと、ついついイイ気になってしまいそうなんです……」


 かああああ、と心底呆れかえった調子でティーチ先生が天井を仰ぐ。


「……まったく、君がレノックスを見習うべき点が、一つだけあるぞ。自分を嫌ってるというわけでもない癖に、君には若者らしい自惚れがまるっきり欠如しておる」


 それでもティーンエイジャーか? と半ば本気で叱る口調で先生は言って。


「イイ気になっていいのだ。とういうかね、ちょっとはなりなさいよ。君はそれだけの結果を出してるんだから」


 しっかりしなさい、エスコート係。

 そういつもの台詞で締めくくったティーチ先生に、少年はなんと言葉を返せばいいかわからなかった。

 ただ、鏡を見なくてもわかるくらいに頬が熱く赤くなっていた。困るなぁ、これじゃほんとにイイ気になっちゃいそうだ。


「ところで、君のシンデレラはもう帰ったのかね?」

「はい。ヘミングウェイと三人でお昼を食べたあと、すぐに帰宅しました」


 ココのように遠方に里帰りする生徒への配慮もあってか、冬休みまえ最後の授業日である今日は午前中だけの時間割タイムテーブルになっていた。

 学生大食堂レストランホールでの昼食後、ビアンカはミール・カードの残高を弟妹へのおみやげドーナツに交換するや、すぐさま飛び出していったのだった。

 しきりに名残を惜しむココに「なにが寂しいんだよ、どうせ来年もずっと一緒にいんのに」と笑顔で言い残して。


「そうかそうか、実にあの子らしい。そのときの様子が目に浮かぶようだ」


 ティーチ先生は楽しそうに言った。

 きっとこの人は『来年もずっと一緒』と言われた時のヘミングウェイの感動っぷりもお見通しなんだろうな、とウィリアムは思った。


「……高校教師なんて稼業を長くやっとるとな、生徒たちがくっついたり離れたりして築く人間関係を、それこそ星の数よりもたくさん見てきたよ。バラエティー豊かなんてもんじゃない。類型はあっても、そこには一つとして同じものはなかったはずだ」


 そう言って、ティーチ先生はほんのつかの間、遠い目となって過去を眺めた。

 そのあとで、目の前のウィリアムを見据えて、続けた。


「だが、君とビアンカのような化学反応は、この私にとってもはじめてだ。正反対の二人が出会って、お互いがお互いにとって掛け替えのない存在となって、しかも最近は周囲にまで良い影響を及ぼしはじめている」


 こんなのは、まさしく化学変化ケミストリーと呼ぶしかないだろう、とティーチ先生。


「なぁウィリアム、最初に君と交わした取引のことは、忘れておらんよな?」

「え、あ、はい」


 また急に話題を変えられて、ウィリアムがまごつきながら返事をする。


「うむ。それじゃあ、自覚の足りない君に一つだけ言わせてもらうとしよう」


 そこで、ティーチ先生はことさら真面目な視線をウィリアムに注いで、続けた。


「取引があろうがなかろうが関係ない。私は信じているのだ。現一年生の中で最も『名誉紳士』に相応しいのは、他でもない君だとな」



   ※



 光は影に取り憑かれている。雲は必ず太陽に追いつく。

 幸運と不運は、交互に波打つ。


 これらの使い古された文句の数々は、もちろんただのジンクスに過ぎない。

 しかしそのジンクスが結果として的を射てしまうことは、往々にしてある。



   ※



 ウィリアム・ハートフィールドが担任教師と面談していたちょうどその頃。

 とっくに下校したと思われていたビアンカ・バルボアの姿は、再び校舎内にあった。

 校内の、教頭ロレンス・グリーンバーグのオフィスに。


 遡ること数十分前、今まさに校門を飛び出そうとしたビアンカを、あまり見覚えのない女教師が呼び止めたのだ。


「ビアンカ・バルボアさんですね、実は今後の学校生活について教頭先生が是非お話しをしたいと申しております」


 伝言役メッセンジャーの女教師は生徒であるビアンカに対してなんだか妙にへりくだった調子でそう説明した。


 正直さっさと帰りたかったが、ビアンカはしぶしぶ女教師の案内に従った。

 教頭先生というのは肘鉄を食らわせるにはいささか巨大すぎる権威バビロンのように思えたし、なにより彼女には迷惑をかけたくない相手がいたのだ。


「失礼、お待たせしてしまったかな」


 調度品の一つ一つに金のかかってそうな部屋で、これもまた金のかかってそうなソファで待つこと三十分近く、ようやく待ち人は現れた。


「今年から当校の教頭職を任されております、グリーンバーグです」

「……ビアンカ・バルボアっす」


 真っ直ぐ差し出された手をおざなりに握り返すと、グリーンバーグ教頭は彼女のその手を空いていたもう片方の手も加えて両手で包み込み、そのまま上下に揺さぶった。

 文字通りの握手ハンド・シェイクを受けながら、ビアンカが教頭に抱いた印象は二つあった。

 一つは『このおっさんは教育者ってより実業家か政治家みてえだな』というもの。

 そしてもう一つは、彼は彼女の最も嫌う相手と同じ臭いがするということ。


 この男は信用できない。ビアンカのゴブリンの勘がそう叫んでいた。


「あらためて、はじめましてバルボアさん。直接お話しをするのは初めてですが、自然公園での活躍は聞いています。お手柄でしたね」

「……いや、別にあたし一人の手柄じゃないっすから」


 彼女のこわばった態度をどう受け取ったのか、目の前の男は実用的な笑い方で笑いながら「そんなに緊張しないで、リラックスしてください」と言った。

 ビアンカはこの男を『ケツの穴シニア』と呼ぶことに決めた。似ている、本当によく似ている。


「あの遠足には私も同行していたのですがね、他の先生たちと一緒にビジターセンターで待機していたので、現場に駆けつけたのは事件の後処理の段階においてでした。もしも私が状況に居合わせていたらと思うと、忸怩たる想いを禁じ得ません」

「そっすか。あの、できたら早いとこ呼ばれた本題に入ってもらっていいすか?」


 妹のお昼寝に間に合わなくなっちまうんで、とペコッと頭を下げてビアンカ。

 そんな彼女に「ああ、これは気づかずに申し訳ない」と教頭が謝る。


「ええとバルボアさん、君はなかなか特殊な経緯で当校に入学したようだね。……ああ、悪く思わないでくれよ。生徒の情報を把握しておくのは職掌の一部でね。出身中学はダウンエッグの公立パブリック、お住まいも川のあっち側で、しかもご両親は……ゴブリン?」

「……血の繋がってない養子っすよ。書類とかにそう書いてなかったんすか?」


 思わず声に敵意がこもった。

 教頭が口にしたゴブリンという単語には、かすかに、だがはっきりと馬鹿にしたようなニュアンスが宿っていたのだ。

 湧き上がる怒りを抑制するために、ビアンカは相棒の顔を思い浮かべる。迷惑をかけたくない相手の顔を。


「もちろんその情報も把握しています。それから書類にはこうもあった。君を入学させたのはプラードの慈善事業の一環であると。……どうもここが理解できない。たった一人の女生徒を特例的な措置で拾い上げたところで、ノブレス・オブリージュを果たしたことには到底ならないと思うが……まぁ、ともかくそれが理事長のお考えらしい」


 そこまで話したところで、教頭は仕切り直すように「さて」と言った。


「さてバルボアさん。君を当校に入学させた人物には、ゆくゆくは君に広告戦略的な部分での協力を求める構想があったらしい。その時期をいつとするかもまたどのような形でとも一切書かれてはいないが……もし本気でそれをやるつもりがあるのなら、君が世間の注目を集めている今それをやらないのは、大変な機会損失だと思いませんか?」

「生憎なんすけど、そいつは勘弁してください」


 教頭が言葉を終えた直後、ビアンカは即答でそう断った。


「さっきも言ったけど、ワイバーン退治はあたし一人の手柄じゃない。相棒がいたからできたんだ。そんで、その相棒もカメラの前に出るのは嫌がってる」

「そういえば、先日のニュース番組のあとでSNSが盛り上がってましたね。『ティーンエイジ・ヒーロー』は『ティーンエイジ・ヒーロー・カップル』だった』と」

「ち、ちぎゃ……! カ、カップルって、あたしとウィルは、そんにゃんじゃ……」


 否定の声は尻すぼみに小さくなる。

 いかにもゴブリンっぽく狼狽えながら、エルフの少女は心の中で毒づく。

 ちきしょうお姉さんめ、公共の電波で余計なこと言いやがって!


「その反応だとネットは見てない? けっこうけっこう、学生はそれでいいんです。さて本題に戻りますが、君のいう相棒とは、同じクラスのウィリアム・ハートフィールド君だね? ええ、こちらも調べました。上流階層アッパーサイトの文化に不慣れな君の学校生活をサポートしてくれている少年で、しかも……ふふ、ここでもまたゴブリンですか」


 瞬間、さっき以上の怒りがわき上がるのをビアンカは感じた。慌てて相棒の顔を思い浮かべるが、今度は逆効果だった。


「大丈夫、ハートフィールド君の意向を気にしているなら、その心配はありません」


 怒りに歯を食いしばるビアンカをよそ事に、教頭は涼しげな態度で話を続けた。


「現在SNSで話題になっているのは『ヒーローは男女二人だった』という限定された情報のみで、個人の特定はおろかその種族すら不明のまま。だからこそ憶測が憶測を呼び盛り上がっている部分もあるのでしょうが……まぁともかく、私がなにを言わんとしているのか、わかるかな?」

「……もったいぶらねえで、ハッキリ言ったらどうすか?」

「つまり、君のパートナーとしてメディアのマイクを向けられるのは、必ずしもハートフィールド君である必要はないということですよ」


 その時、待ち構えていたように扉が開いた。

 現れたのは、この部屋に入ってからもう幾度となく連想している顔だった。


「……よう『ジュニア』、ここで会うとは思ってなかったぜ」


 ディミトリだった。

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