ep6.君から彼を取り上げるのではなく、彼から君を取り上げるのだ

「……よう『ジュニア』、こんなとこで会うとは思ってなかったぜ」


 苦虫を噛みつぶした顔で言ったビアンカに、シニアに対する元祖ケツの穴ことディミトリ・レノックスは「ジュニア? なにを言ってるんだ?」と怪訝な顔をした。


 それから、誰に勧められるまでもなくソファに腰掛ける。

 ビアンカの隣に。


「その様子を見るにお互いに紹介は不要そうですね」


 二人のやりとりを満足げに肯きながら教頭が言った。

 これが仲良しこよしに見えてんならあんたの目ん玉はガラス玉だぜ、とビアンカは思う。

 それからソファの上で尻を滑らせて、ディミトリから距離を取る。


「さてバルボアさん、これで趣旨は飲み込んでもらえたかな? 要するに、こちらのレノックス君にハートフィールド君の代役を務めてもらおうと、そういう計画です」

絶対ぜってぇお断りだ」


 ビアンカは即答した。形ばかりの丁寧語すら使うことを忘れて。


「教頭先生はご存知ないだろうけど、あたしとこのレノックスは実に因縁浅からぬ仲なんすよ。こいつだってあたしの旦那役なんかまっぴらだろうさ」

「ふむ。君たちの間になにか問題があるらしいことは、まぁ、私も聞いています」


 教頭はうんざりしたような目をちらっとディミトリに向けて、続けた。


「ですが、レノックス君からはすでに承諾を頂いております。だからこそ彼はこの場に同席しているのです」

「……あーもう、まじかよ。そこまでしてヒーローになりたいのかよ」


 この目立ちたがり屋アテンション・シーカーめ。

 隣のディミトリに呆れた目を向けてビアンカは言った。


「とにかく、なんと言われようと、レノックスがオーケー出してようがなんだろうが、こっちのこのあたしの意見は変わらない。嫌です、お断りです」

「ふむ、そんなにレノックス君がお嫌なのですか?」

「確かにこいつは生ゴミ食い散らかすアライグマより不快ビーフな野郎だが、でも相手が誰だろうと関係ない。あたしはあたしの相棒以外に自分の手綱リードを握らせたくないんだ」


 どうしてもってんならウィルだけじゃなくてあたしの代役も立ててくれ、とビアンカは言った。もう一人テキトーな目立ちたがり女を見つけて、そいつとレノックスの二人をカメラの前に立たせりゃいい。ヒーローの肩書きなんざ喜んでくれてやるから。


 ビアンカのこの返答に、教頭はなるほど、なるほど、と二回繰り返して言って。


「なるほど。つまりバルボアさんは、正式なパートナーがいるのに仮初めのパートナーの隣には立てない、立ちたくないと、そういうことですね?」

「……ん、まぁ、たぶんそんなとこだと思います」

「そうですか。けっこう、いや実にけっこう。バルボアさんは言葉遣いや態度こそ男勝りですが、内面は昨今まれに見るピュアなお嬢さんなのですね」


 あたかも本気で感心しているように教頭は褒めて、それから、言った。



「――では、レノックス君がその『正式なパートナー』になれば、問題ありませんね」



 ビアンカが、まるで時間そのものを停止させたように固まった。

 そんな彼女の反応に、教頭とディミトリの口元に意地の悪い笑みが浮かぶ。


「これもレノックス君にはすでに承諾を頂いているのですがね、君に今後も継続的な宣伝協力をお願いするなら、君のサポート役……エスコート係ですか? とにかくそれも彼に交代してしまったほうが後々のちのちも都合が良いと、こう考えたわけです」


 教頭が言い、ディミトリが同意を示すように肯く。やはり笑みを浮かべたまま。


「プラードの歴史と伝統を象徴するようなエルフの美男美女、これだけで君たち二人は広告塔としてすでに及第点です。それが一皮剥けば、そこにはさらに『下町育ちのじゃじゃ馬娘の手を引き導いた御曹司』というドラマまで隠れているとくれば……うん、これは実にキャッチーだ。大衆の心をぐっと掴む。少なくとも……」


 そこで教頭は「ここがポイントです」とばかりに人差し指を立てて、続けた。


「少なくとも、ゴブリンなんかよりもよっぽど絵になるでしょう?」

「……つまり、なにか?」


 そこでようやくビアンカが言葉を発した。とても静かな声音だった。


「……教頭さん、あんたはあたしからあいつを取り上げようってのか?」


 静かに、しかし瞳には凄まじい敵意を沸々と滾らせて、ビアンカは言った。


「君からハートフィールド君を? いいえ、その解釈は、ちょっとだけ私のと違う」


 だが、『凄まじい表情』という一点においては、教頭も負けていなかった。


「バルボアさんからハートフィールド君を取り上げるのではありません。ハートフィールド君からあなたを取り上げるんですよ」


 そう言ってのけた瞬間のロレンス・グリーンバーグの笑顔には、人というのはこんなにも歪んでしまえるものかと、そう感じさせてあまりあるなにかが潜んでいた。


 だから、ビアンカは理解する。

 学校の宣伝戦略なんてものに、この男は実のところ少しも関心を持っていないのだと。

 それはただの口実に過ぎず、本当の目的はもっと根の深い部分にあるのだと。


「……なるほど、話はわかった。……お話になんねえってのが、よっくわかった」


 一度だけ息を吸い込んで吐いてから、ビアンカは言った。

 自分でも驚くほど落ち着いていた。あまりにも怒りが高まると、人はかえって冷静になるのかもしれない。

 命にかかわるほどの怪我を負った時にアドレナリンが痛覚を遮断するように。


「もちろんあたしの答えはノーだ。テレビでヒーロー扱いされんのも、先進派リベラル気取った旧弊保守オールドスクールの売名工作も、あたしの、あたしらの知らないとこで勝手にやってくれ」

「もちろん無条件でとは言いませんよ? こちらの提案を受け入れていただけるのであれば相応の見返りを用意します。たとえば学業単位クレジットの取得に便宜を図ることもできますし、卒業後の進路についても相談に乗れます。なんなら金銭的にも……」

「悪いんすけど、どんなご褒美にもなびくつもりはないんで。あたしからウィルを引っぺがすなんて、そんなこと誰にもできないし、誰にもさせない」


 教頭だろうと理事長だろうと、たとえ大統領だろうとだ、とビアンカ。


「……この条件を飲めないなら君はもうプラードにはいられない、と言っても?」

「へぇ、飴玉並べても効果がないとわかったら、今度は脅迫かよ?」


 ビアンカの口角が不敵につり上がる。


「いいぜ、好きにしろよ。どうせもともと気に入らなかった学校だ。最近それを好きになりはじめてたのはどっかの紳士バカのおかげなんだ。そいつとバイバイしてまでしがみつく理由なんか、どこにもない」


 言ったと同時にいくつかの顔が脳裏をよぎった。

 少しだけ泣きそうになりながら、そのことを気取られないようさらに口角を持ち上げてビアンカは教頭を見る。


 教頭は小さくため息をつき、やれやれ頑固ですねぇ、とぼやくように言った。


「教頭、ご意見してもよろしいですか?」


 その時、すました顔で成り行きを見守っていたディミトリが横から口を挟んだ。


「教頭もご覧になった通り、このバルボア君とウィリアム君の絆の強さは大したものです。まったく、彼と彼女の友情は我が一年A組の誇りですよ」


 そう言ってディミトリは拍手をした。馬鹿にしたようなわざとらしい拍手だった。


「しかし、柔軟さを欠いた物事が例外なくそうであるように、固い絆とはそれそのものが弱点となり得ます」

「つまり?」

「たとえば、こういうのはどうでしょう。バルボア君が我々のオファーを受けてくれなかった場合、ウィリアム君は永久に『名誉紳士』の選考対象から外される、とか」


 ディミトリが言い終わるより先に、室内に無数の音響が生じた。

 バチバチ、バチバチという空気の破裂音。いくつも折り重なる剣呑なサウンド。


「……てめぇ、ふざけんじゃねえぞ」


 もはや殺意の領域に踏み込んだ憎悪の目でディミトリを睨みつけて、ビアンカは言った。

 フゥフゥと肩で息をして、魔力の紫電が走る拳を懸命に押さえつけながら。


「ふ、ふふ、言葉よりも雄弁な反応ではないか、バルボア君」


 ビアンカ・バルボアという獣に完全に威圧されながら、形ばかり威厳を取り繕ってディミトリは言った。


「まぁ、落ち着きたまえよ。いいのかね、暴力沙汰は一発で『名誉紳士』の資格を失うタブーだぞ? いまはまだ君の飼い主はウィリアム君だ、累が及ぶとしたら誰だ?」


 ビアンカが小さく呻いて歯を食いしばる。

 ディミトリが指摘した通り、一連の反応はどんな言葉よりも雄弁に物語っていた。


 彼女はこの取引を断れない、と。


「教頭、勝手に話を進めてしまって失礼しました。私からは以上です、お返しします」

「あ、ああ」


 はじめて目撃した『ゴブリンパンチ』という『現象』に度を失っていた教頭が、ようやく我を取り戻す。

 ごほんと一つ咳払いして、彼は言った。


「ではバルボアさん、そういうことでいきましょう。もちろん返答は今すぐでなくて大丈夫です。冬休み中に検討してみてください。

 一応私の連絡先をお伝えして――」


 少女の耳にはもう、どんな言葉も届いていなかった。



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