ep7.86400秒の毎日

 プラードアカデミーの冬休みは十二月二十三日に始まり一月四日に終わる。

 わずか二週間足らずの長期休暇バケーションではあるものの、その短い期間の中にはクリスマスと年末年始が含まれている。イベントの密度では夏休みにも引けを取らない。


 大晦日ニューイヤーズ・イブを翌日に控えた十二月三十日、ウィリアム・ハートフィールドの姿はイースタン川沿いの超高層ビルにあった。

 ドワーフの自動車王ドナルド・トランプルが所有する通称トランプル・タワー、そのグランドフロアを貸し切って行われる企業セレモニーに父の付き添いとして出席していたのだ。


 他のご多分に漏れず、ウィリアムもまた忙しくも充実した冬休みを過ごしていた。

 休暇の第一日目にはニューイヤーカードの出し忘れはないかと最終のチェックを行い、その朝の新聞に掲載されていた『うちの子に人生初のカードをください!』の募集に対する一通を含む三通を追加でしたためた。

 クリスマスには両親とディナーを楽しみ、翌日は前年度までお世話になっていた家庭教師の家に近況報告と挨拶に伺った。

 デジタル音痴の母親の代わりにネットで座席を予約して、一緒に映画を見に行った。


 冬休みの間も、ウィリアムは一日を二十四時間で過ごしていた。

 漫然と消費してしまう時間なんて存在しない、おはようからおやすみまでが充実した日々。

 にもかかわらず、彼は、ふとした瞬間に物足りなさを覚えてしまう。

 一日を二十四時間で過ごしながら、心のどこかに満たされない空虚さがある。


 学校が休みになる前、ウィリアムにとって一日は二十四時間ではなく、千四百四十分であり、八万六千四百秒だった。

 すなわち、一分一秒までが隙間なく意味で満たされていた。

 起きている間はもちろん、眠っている間も。


 セレモニーが終わったのは正午を少し過ぎた頃だった。

 拍手で主催者を見送った後は他の招待客たちと別れの挨拶をかわし、それから会場を出た。


「父さん、僕、しっかりできてたかな?」


 タワーから少し離れた後で、少年は隣を歩く父親に向かって聞いた。

 父に恥をかかせてしまったのではないかと、そんな不安が声には滲んでいた。


「ふむ、そうだね」


 川沿いの遊歩道で歩みを止めて、エルフの父親はゴブリンの息子に向かって言った。


「セレモニーが始まる前の挨拶回りの際、私から君を紹介された皆さんは口を揃えて『ご自慢の息子さんですね』と言った。その時の彼らの言葉の中にあったのは、社交辞令的な響きか、あるいは皮肉めいた冷笑であったかもしれない」


 今日出会った上流階級のセレブたちが自分に、ひいては尊敬する父に向けてきた好奇の目を、ウィリアムは思い出す。

 思い出して、少しだけ気持ちを沈ませる。


「だけどね、ウィリアム。閉会後にもう一度挨拶した時、彼らは再び同じ言葉を私に言った。ご自慢の息子さんですね、と。セレモニー中の君の振る舞いを見た上で口にされた二回目のそれは、けっして世辞や社交辞令ではなかったと、私はそう感じたよ」


 いかにも、ご自慢の息子だ。

 そう締めくくって、父は川の流れに視線を投げた。


 息子も同じようにした。

 父親の顔を見ることができなかった。さっきまでの落ち込んだ気分とは正反対のものが胸を満たしていた。

 頬はきっと赤くなっているはずだ。


 血の繋がらない親子は、しばし無言のままイースタン川を見つめ続けた。

 二つの地区を隔てる川の向こうには、こちら側アッパーサイトとは様相の異なる町並みが望めた。


 ダウンエッグ。


「さて、父さんはこのまま家に戻るけど、ウィリアム、君はどうする?」


 タクシーを呼んでいるけど、一緒に乗っていくかい?


「……ううん。せっかくだけど、僕は少しだけ寄りたいところができたから」

「そうか。わかった、それじゃあ先に帰っているよ」


 十五才の息子の行き先について父は特に詮索せず、「あまり遅くならないようにな」とだけ言った。


 歩き去る父の背中を見送った後で、もう一度、ウィリアムは川の向こう岸を眺めた。

 彼の毎日を八万六千四百秒にしてくれる女の子が暮らす町を。



   ※



 前回と同じように手土産のお菓子を買って、前回と同じようにバスに乗って、前回と同じように川を渡った。


 二度目のダウンエッグは一度目に来たときと同じように活気に満ちていた。

 演出性とはほど遠い賑やかさ、十二月の寒さをものともしない人々の発熱。

 通りに面した店々を彩る年末年始の飾り付けは住民の雑多な人種構成を反映するかのようにとりどりで、スローガンなど不要の本物の多様性ダイバーシティがそこにはある。


 ウィリアムは以前よりもずっと慣れた足取りで街路ストリートを進んだ。

 地図アプリなど立ち上げず、スマホなんて取り出しもせず、壁に描かれた路上の芸術を鑑賞しながら。


「……最後に学校で別れてから、もう一週間も会ってないのか」


 迷いなく道を進みながら、相棒と最後に会ってからの日数を数えてみた。

 毎日、しかも四六時中一緒に居た相手と一週間も顔を合わせていないという事実は、あらためて確認してみるとひどく不思議なことと思えた。


 それから、そんな風に指折り数えるほど彼女を恋しく感じている自分に気づいて、喉から変な声を出した。


「ち、ちぎゃっ……! 恋しいとか、そういうのじゃない!」


 誰も聞いていないのに、いきなり言い訳を口走る。


「ぼ、僕と彼女は、そういうんじゃない! 僕は彼女の寮友かつエスコート係で、学業と生活の面で彼女のサポートをしているだけで、だからこれは、恋とかそういうのじゃ断じて……」


 完全に墓穴だった。

 自分で口にしてしまった『恋』という言葉が、ウィリアムの胸で感情の大火災を起こす。


「……いったい、僕はどうしちまったっていうんだろう……?」


 力なく路上に蹲って、ゴブリンの少年はしばし鎮火の時を待った。


 そして再び歩き出した時、彼はさっきよりも少しだけ早足になっていた。

 そのことは自分でも自覚していながら、少年は歩みを緩めることができなかった。


 目的地に近づくごとに、強く不安が兆してくる。

 突然来てしまったけど、会えるだろうか?

 彼女は在宅しているだろうか?

 アポイントもなしに来てしまって、迷惑がられたりはしないだろうか?


 前回の訪問時にはなかったはずの不安に押しつぶされそうになりながら、それでもウィリアムは前に進むことをやめられない。


 それの正体に、ウィリアムは気づいていない。

 しかし少年を突き動かしているのは紛れもなく、すべてのティーンエイジャーにとって最も重要な感情だった。


 だから、目の前に求めていた姿が現れた瞬間には、しばし呼吸さえ見失った。


「こら! ホブ、ゴブ! リンを仲間外れにするんじゃないの!」


 ご近所さんと一緒に弟妹の遊びを監督している、エプロン姿の相棒がそこにいた。

 ウィリアムは呼びかけようとして、しかしすぐには声が出てこなかった。


 そうして彼が立ち尽くしていると、相棒の方が彼の存在に気づいた。


「ウィル! おい、ウィルじゃねえか!」


 輝く瞳と弾んだ声が、ここまで膨らみ続けていた不安のすべてを吹き飛ばした。 

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