ep2.シンデレラ? エスコート係?
信じられないことが起こった。起きてはならない事態が発生した。
「さて、それじゃあ邪魔者の先生は消えるから、あとは二人で親睦を深めてくれ」
なんとティーチ先生が、最低限の説明すら放棄して席を立とうとしたのだ。
「待って待って待って! 先生! ちょっと待ってまだ行かないで!」
「なんだ? ちゃんとお互いの紹介はしただろう?」
された覚えがなかった。
いや、確かに名前だけは教えられたけど。『こちらがウィリアム・ハートフィールド君、そしてこちらがビアンカ・バルボア君だ』って。
え、まさかあれで紹介したつもりなの?
ちゃんと?
「ちゃんとだよ」
ウィリアムの内心を読み取ったようにティーチ先生。
「そう、いかにも『ちゃんと必要最小限の紹介にとどめた』のだよ。君たち二人がこれから時間をかけてお互いを知っていく、その友情の喜びを奪ってしまわんようにな」
「とにかく、バディ結成おめでとう。美しい友情はここからはじまるのだ。ウィリアム、君のシンデレラをしっかりエスコートしてやるんだぞ?」
そう言ったあとで、ティーチ先生は「む、待てよ」と自分の言葉を反芻する。
「エスコート……エスコート係……うむ、お世話係よりこっちのほうが俄然通りがいいな。よし、決まりだ! ウィリアム、今日から君はエスコート係だ!」
「は? シンデレラ? エスコート係? いや、そんなことより……!」
「では、私は急ぎの手続きが残っとるから行くぞ。ウィリアム、信じとるからな!」
言うなり風のように去って行くティーチ先生をむざむざと見送りながら、ウィリアムは「どうして僕はこの先生を信じて慕っているのだろう?」と不思議になった。
そのようにして無責任な教師は去り、室内には初対面の少年と少女が取り残された。
いや、初対面ではない。
ウィリアムはそこに座る女子生徒に目をやる。
目をやって、思わずため息をつく。
何度見ても間違いようなどなかった。
なにしろウィリアムだって多感な時期の男の子である。
自分を文字通り殴り飛ばした女の子のことは、忘れようにも忘れられない。
しかし相手を忘れていなかったのは、ウィリアムの側だけではなかった。
「ゴブリンの生徒っつうからもしかしてとは思ったけど、やっぱあんただったか」
「え?」
「あんた、校外学習で殴っちゃった奴だろ?」
言うなり、バルボア嬢は「ごめん!」と頭を下げた。
「ほんと、あんときはマジで悪かった。あんたを殴ったのは完全にこっちの筋が通ってなかったし、しかもその後まともに謝りもしねえでトンズラ決めちまった」
この通りだ! とテーブルに手をつき、さらに深々と頭を下げるバルボア嬢。
「い、いやいや、気にしないでくれたまえ!」
慌てて取りなすウィリアムである。
「そもそもあれは僕が勝手にパンチの前に割り込んだのだし! ね!」
「あ、そういやそっか。んじゃ気にしないどくわ」
「切り替えが早い……いやそれよりも。
というか、見分けがつくの? とウィリアム。
多くのエルフにとって、ゴブリンの顔は見分けのつきにくいものである。
日常的に接する相手ならともかく、一度見ただけの相手を識別するのはかなり難しいはずだ。
しかしこの同級生は、ウィリアムという個人をはっきりと見分けている。
ウィリアムのこの質問に、エルフの少女は「何言ってんだこいつ?」という顔をする。
「はぁ? んなもん当たり前だろ、ゴブリン同士なんだから。あたしにはエルフの方がよっぽど見分けつかねえよ。あいつらどいつも同じようなツラなんだもん」
マネキンかっての! と、自らもまた美貌の種族であるバルボア嬢は言った。
――ああ、そういやこの子は自分はゴブリンだって主張してたんだっけか。
なるほど、とウィリアムは思う。
なるほど、こりゃいかにも『特別な事情』がありそうだ。
しかも僕の想定とはタイプの違う、想定よりもずっと
情報が、伝えられていて然るべき情報が徹底的に不足していた。
ああ、なんというありがた迷惑な配慮だろう。友情の喜びにも最低限のお膳立ては必要だと思う。
と、さっきのやりとりを思い出してウィリアムが再びしかめっ面となった、その時。
「しっかし、ようやく同族と会えて、なんかホッとしたぜ。このガッコってマジにエルフだらけだからな、肩身が狭いのなんの」
そう言いながら、バルボア嬢はおもむろに席を立つと。
「ええと、ウィリアムだっけ? これからよろしくな! 相棒!」
何を考えたのか、いきなり背中からウィリアムに抱きついたのだ。
「わっ、わゃっ! わぎゃ!」
ゼロ距離に感じる柔らかな存在感……というか柔らかな感触に、心にハイエルフを宿した少年はゴブリンみたいな声を出して飛び退いた。
「? なんだよ?」
「こ、こ、こっちの台詞だよ! いきなりなにをするんだ君は!」
心臓バクバク状態のウィリアムに対し、バルボア嬢はまるっきり平然とした様子。
どころか、反対にウィリアムに対して訝るよな視線を向けて。
「……? なにって、同族と群れたがるのはあたしらゴブリンの習性だろうが?」
「……はぁ?」
「あんたもゴブリンのくせに、この程度のスキンシップでなにをそんな大げさな……変わった奴だとは薄々感じてたけど、やっぱ変人だな」
もはやこっちの台詞だと反論する気力すらなかった。
「……あのですね、ミス・バルボア、
「ビアンカでいいよ、タメなんだしミスもいらねえ。そんかしこっちもウィリアムとかウィルとか呼ぶからさ。……つか、そのオールドなんとかってなんだよ?」
わかったそれも変人用語だな! とけらけら笑う、バルボア嬢あらためビアンカ。
ウィリアムは挫けそうな心に鞭を打って、なんとか続ける。
「オーケー、ビアンカ。いいかい、この学園ではいまみたいなスキンシップは、今後一切、ナシだ。少なくともこの僕に対しては、ナシだ」
「ふうん。他のゴブリンに対してもか?」
「他のゴブリンなんていないの! この学園にゴブリンの生徒は僕一人だけなの!」
いけない、思わず大きな声を出してしまった。紳士百箇条より第三十条、『紳士はいかなる時もクールかつスマートであれ』。
クールに、クールに、スマートに……。
「ゴブリンは一人だけって……おい、目の前にいるあたしをまるっと無視すんなっつの」
どうにか紳士的余裕を取り繕うと必死のウィリアムに、むっとした顔でビアンカ。
「一人じゃなくて二人、だろ? ゴブリンはここにもいるぞ?」
「え、ええぇ……」
「ま、とにかくだ。同属同士、楽しくやってこうぜ! な、相棒!」
自称ゴブリンのエルフ少女は、エルフ育ちのゴブリン少年に屈託なく笑いかける。
とんでもない役目を引き受けてしまった。ウィリアムはいまさら思い知った。
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