ep9.ウィンター・ミュート

 去年は母の実家で過ごしたので、今年のニューイヤーズ・イブはナウダン郡の父の実家を訪った。

 両親と同じように自分を実の孫のように可愛がってくれる祖父母に学校での話をしながら(同じ話を二回も三回も聞かれた)、ウィリアムはテレビ中継でニューヤンクシティの現在の様子を垣間見た。

 今年もロングタイム・スクエアの年越しイベントは押し寄せた人々で立錐の余地もない有様だ。


 一五〇キロ以上離れた片田舎からテレビ越しに地元を眺めながら、ウィリアムは画面に映っていない別の地区のことが気になっていた。

 ほんの短い間でもいいから中継班が川の向こうに行かないだろうかと、そう思っていた。


 しかし結局、カウントダウンの数字がハッピー・ニューイヤーの文字に変わって紙吹雪が舞い飛ぶまで、世界都市のもう一つの顔が画面に登場することはなかった。

 友達たちから届いた新年おめでとうのメッセージに返信しながら、ウィリアムは相棒がスマホを持っていないことを残念に感じていた。

 彼女にハッピー・ニューイヤーと伝えられたならどれほど良かっただろうと、そう思わずにはいられなかった。


 しかしややあってから、今度は相棒がスタンドアローンな存在であることを神に感謝したくなった。

 最近普通でなくなっている自分が、うっかりハッピーニューイヤー以上の言葉を電波に乗せてしまうのではないかと、そんなリスクに気づいたのだ。


 やれやれ、とウィリアムは言った。

 まったく、やれやれだ。


 翌日ニューヤンク市に戻ってからはもう、大きな予定は入っていなかった。

 ウィリアムはカレンダーに×印をつけたいような心持ちで冬休みが明けるのを待った。


 そして一月四日は日が高いうちにゴブリン寮に戻り、時間を掛けて掃除や片付けをして過ごした。

 相棒が『ただいま!』と叫んで入ってくるのを心待ちにしながら。


 しかしビアンカは、夜になっても現れなかった。

 家族と過ごす時間をなによりも大切にする彼女のこと、きっと明日直接ホームルームに登校するのだろう。ウィリアムはそう納得した。

 そして自分のスペースに引っ込んで眠りについた。


 窓の外には冬の静けさウィンター・ミュートが満ちていた。

 あるいは、室内にも。



   ※



「ウィル! ハッピーニューイヤー!」


 翌朝、ウィリアムが教室に入った瞬間、先に登校していたココがそう叫んだ。


「ハッピーニューイヤー、ヘミングウェイ。ずいぶん早いんだね」

「だって、一秒でも早くあなたやビッキーや他のみんなに会いたかったんだもん」


 えへへと笑ってココは言って、さらに続けた。


「……みんなと話して、帰省中の毒気をデトックスしたかったのよ……一秒でも早く」

 吸血鬼なんて最悪デッドアス

 ときめく表情から一転死んだ魚の目で言ったココに、ウィリアムは『冬休みのことは聞かないようにしよう』とそう決意した。


「そういうウィルだって早いじゃない。それに、ビッキーは一緒じゃないの?」

「ああ、いや……」


 そのビアンカに会いたくて早出したのだとは、言わないし言えない紳士である。


「彼女はまだ戻ってないんだ。寮には寄らずに直接教室に来るんじゃないかな」

「そうなんだ。きっとちっちゃい子たちに『行かないで!』って泣きつかれたのね」


 そう推察したココに全面的に同意するウィリアム。

 三人のお姉ちゃん子に縋り付かれてなすすべもなくなっているビアンカは、あまりにも想像にたやすい。


「あたしも会ってみたいなぁ、スリーリトル・バルボアキッズ」

「今度一緒に会いに行こう。おみやげを持って。きっと歓迎してもらえるよ」


 そんなことを話しているうちに、ポツポツとクラスメイトたちが登校してきた。

 ホビットとエルフのミックストリオも、ドラゴニュートのリンドバーグも。


 繰り返されるハッピーニューイヤーの応酬。

 冬休みをどう過ごしたかの報告会(吸血鬼なんて最悪!)。

 そして相互に言い交わす今年もよろしくベストウィッシュ


 その輪の中に、エルフの少女の姿はない。

 最後までない。


 始業時刻になってティーチ先生がやってきた。

 担任教師はいつもと変わらない寝ぼけたような目でみんなを見渡して「ハッピーニューイヤー」と言った。


「ふむ、ビアンカの姿が見えんな。ウィリアム、なにかあったかね?」


 新年最初のホームルームの最後に、エスコート係を見ながら先生は言った。


「昨日は戻りませんでした。先生の方になにかご連絡は?」

「あったら君に聞いとりゃせんだろ。まぁ、あとで保護者に連絡してみよう」



   ※ 



 結局その日、ビアンカ・バルボアは放課後まで姿を見せなかった。


「BBちゃん、どうしたのかなぁ。いわゆるひとつの、ご家庭の事情?」

「いや、そういうわけじゃないみたいだけど……」


 案じる声のリンドバーグにウィリアムは首を横に振って言った。

 いつもより少し遅めではあったものの、ビアンカは今朝確かに家を出た。

 電話に出たお父さんがそう言っていたとさっきティーチ先生が教えてくれたのだ。


「……なにか、事件に巻き込まれたんじゃ」

「まさか。彼女に限ってそれはないよ」


 エルフの発言をエスコート係は即座に否定した。

 半ば自分に言い聞かせるように。


「もしかしたら、寮の方に戻ってるかもしれない。冬休みは忙しくしていたみたいだからね、疲れが抜けていなくて自主休校にしたのかも」


 そういうわけだから、僕も今日はこれで帰寮するよ。

 ウィリアムがそう言うと、ココが間髪置かずに「あたしも行く!」と言った。


 ゴブリンと吸血鬼は揃ってゴブリン寮への道を歩いた。


 寮に戻ると、エントランスドアの鍵は開いていた。

 しかし、寮の中にビアンカの姿はなかった。


 ビアンカの私物もなかった。


「……なにこれ、どういうこと……」


 愕然と言葉をなくしているウィリアムの隣で、代弁するようにココが言った。


 パーティションで区切られたビアンカのスペースは、入り口のカーテンが取り外されて中が丸見えになっている。

 すべての私物が、一切合切の生活が持ち去られた、完全な空白スペースが。


 共同スペースのテーブルの上に鍵が置かれていた。

 ゴブリン寮の鍵。


 返された鍵の下には手紙が置かれていた。

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