ep9.ニューヤンクの二つの顔

 プラード校の寄宿制度は、親元を離れて暮らすことで自立心を、集団生活によって規律と協調性を培うことをそれぞれ目的とした制度である。

 あるのだがしかし、歴史と伝統のプラードでは学問を支えてくれる家族との絆もまた重視すべしとされている。

 寮生活を送る生徒たちに自宅への帰宅が許されるのは週末と祝祭日ホリデイのみだが、上記のような理由からこの週末の帰宅は強く奨励されている。


 そしてその一点に関してならば、ビアンカは他の誰よりも模範的な生徒だった。

 土曜日になると、彼女は公共交通機関が目覚めはじめる時間にはすでに学園を出発する。

 家族の待つ家に帰るために。

 毎週、少なくとも彼女がゴブリン寮に入寮してからの過去二週間についてはそうだった。


 そしてもちろん、三週間目に当たる今日この日も。


なんてこったいオー・マイ・グッネス


 ビアンカの不在を確認したウィリアムは、しばしあれこれと思案して。

 それから、ダメ元で校舎内の視聴覚準備室まで出向いた。

 さて、呼びかけること数分。内側から鍵が開き、眠そうな目をしたティーチ先生がのっそりと顔を出した。ここに棲み着いているという噂はどうやら真実だったらしい。


「かくかくしかじか……というわけでして」


 ウィリアムはざっと状況を説明した。


「恐れ入りますが、ビアンカのスマホの番号を教えていただけませんか?」


 ウィリアムがそう頼み込むと、ティーチ先生はもう何度目かの大あくびをしながら、知っとれば教えてやって構わんのだが、と言った。


「しかし残念、その情報は私の手元にもない。というか、この世のどこにも、ない」

「ナイ?」

「そう、わからないノット・ファウンドではなく存在しないノット・イグジスト。なにしろあの子はスマホも携帯モバイルも持っとらんからな」


 嘘だろ、とウィリアムは思った。

 今時の高校生がそこまでスタンドアローンなこと、ある?

 いやでも、そういえばビアンカがスマホをいじってる姿なんて一度も見たことない。ヘミングウェイをはじめとした女子なんか、なんなら授業中だって触ってるのに。

 迂闊、僕自身が『校内スマホ禁止』を厳守してるから、気づかなかった。


「というかなんだね? ビアンカに用事とは、そこまで火急の用件なのかね?」

「あ、いえ、火急かと問われますと、そういうわけでもないような……」

「ふむ、ならあれか。土日のたった二日が我慢できぬほど相棒が恋しい、と?」

「ちぎゃっ、ちぎゃいます! それはちがう!」


 大慌てで、しかもなぜだか赤面までしながら否定して、ウィリアムは言った。


「ええと、ちょっと彼女に伝えなければいけない言葉がありまして……紳士として」


 ウィリアムの説明に、ティーチ先生は「ふむ」と少しだけ考えを巡らせて。


「なら、必要なのは電話番号じゃなくて家の住所だな。それなら教えてやれる」

「え、いや、ちょ、待っ……」

「あのなぁウィリアム、オフの担任を叩き起こしてまで伝えたいような言葉は、電話で済ませちゃいかんのだ。紳士なら、男の子なら、直接会って伝えてきなさい」


 言いながらもティーチ先生はペンを走らせる。

 そうしてプリントの切れ端にアドレスを書き出すと、それをウィリアムに押しつけて。


「しっかりしなさい、エスコート係。しっかり青春しなさい」


 そうやんわりと叱咤激励して、再び視聴覚準備室に引っ込んでしまった。

 一人取り残されたウィリアムは、まじか、と思った。

 というか、青春ってなに?


 そうして三十秒ほど立ち尽くしたあとで、ようやく渡された住所に視線を落とし。


「……え、これって」


 まじか。思わず今度は声に出して呟いた。



   ※



 学園を出発したあと、ウィリアムはそのままドラゴニック・アヴェニューのデパートまで足を運んだ。

 このデパートでしか手に入らない焼き菓子を手に入れる為だった。


『ヒント・ビアンカには小さい弟と妹が合わせて三人もいるぞ』


 住所の横についでのように書かれたアドバイスが『手土産はスイーツに』と教えてくれたのだ。

 普段いい加減な担任のナイスアシストに、ウィリアムは大いに感謝した。


「……しかし、ずいぶん子だくさんなご家庭なんだな」


 エルフというのは少子傾向の強い種族なのである。

 二人産めば多子家庭と見なされるし、子供の居ない夫婦も少なくない。

 現にウィリアムも一人っ子だ。


 ひるがえって、バルボア家は四人姉弟。

 いや、ビアンカに兄か姉がいれば、もっとだ。


 ゴブリン子だくさん。そんな言葉がウィリアムの脳裏をよぎった。


 ともあれ、限定焼き菓子は問題なく手に入った。

 その後、ウィリアムは三ブロック半を徒歩で移動してからバスに乗り、そのまま二十分ほど車上の人となる。

 乗車地点から二つ目のバス停でお婆さんが乗ってきたので、もちろん紳士的に席を譲った。


 二十分後、ブランディッシュ橋のバス停で、乗り換えチケットをもらって下車した。


 乗り換えのバスはなかなかやってこなかった。

 ウィリアムはバス停にたたずんで、目の前の巨大な長い橋を眺めた。

 正確には橋と、その橋が渡す向こう岸に広がる街を眺めた。




 ニューヤンク州ニューヤンクシティ。

 世界の最先端をひた走るグローバルシティたるこの街は、大きく見て二つのエリアに分かたれている。


 一方は摩天楼が建ち並ぶ高級エリア『アッパーサイト』。

 経済面では世界最大の証券取引所とそれを擁する金融街を、文化面では名だたる美術館や博物館とそれらが所蔵する膨大な数のコレクションを有し、そのほか名物も名所もそれこそ枚挙不能の、まさしくニューヤンクを世界都市たらしめている地域である。

 住民はエルフ・ドワーフをはじめとしたいわゆる上級種族が大半を占め、プラード校が所在するのもこちらである。


 さて、『アッパーサイト』からイースタン川を隔てた南側が、ニューヤンクのもう一つの顔……あるいはニューヤンクの暗部と呼ばれる『ダウンエッグ』だ。

 同じニューヤンクでありながらアッパーサイトとはなにからなにまで正反対の低級エリア。

 こちらの住民はオークやゴブリンなどのいわゆる下級種族、それにニンジャやキョンシーなどの移民種族が大半である。

 貧しい人たちが暮らす荒れた地域、それがダウンエッグ。


 ……と、言われている。そう聞いている。

 しかし本当のところがどうなのかを、ウィリアムは知らない。

 生まれてこの方をニューヤンクで育ちながら、彼はイースタン川の向こうに渡ったことが一度もなかった。


 治安の悪い場所だと、近寄ってはならない場所だと大人たちが語る地区。

 ティーチ先生から渡された書き付けには、そのダウンエッグの住所が記されていたのだった。


「……本当に、どこからどこまでも意外性の塊だな、彼女は」


 そうこうするうち、ようやくバスがやってきた。



 車内はとてもいていた。

 座席に座ると、バスは一度だけ大きく揺れて走り出す。


 走り出して、歩道のない自動車専用橋に進行して。

 そうして、ウィリアムが今まで一度も渡ったことのなかった橋を、川を、発車から五分後にはあっさりと渡ってしまっていた。

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