どうか、お気になさらず
翌日、午前十時を過ぎたころ、私は城下町を歩いていた。
後ろから緊張した面持ちのメイと、ぼんやりしているリオン、本と羽ペン、携帯型のインクを持参したキーアがついてくる。
午前から市場には人が行き交い、兵士が果物を買ったり、お店の人と談笑をしていた。
リオンに果物をあげていた店も、数人のお客さんが果物を手にとっては戻したり、会計をしたりと、繁盛している様だった。
平和そのものに見えるルーンサイトが、魔族ではなく、人間相手の問題を抱えているとは、目の前の光景を見ただけでは想像しがたいほど、町の人たちは笑顔だった。
町並みを眺めながら真っ直ぐ城門まで向かう。
この前城の中を案内してくれた兵士は、今日も門前で番をしていた。
「あ、勇者様。それにキーアさんも。おはようございます」
兵士が朗らかな笑みを浮かべて挨拶をしてくる。
キーアが丁寧に「おはようございます」と返し、メイも同じ様に返した。
「おはよ。ねえ、今日って王様は忙しい?」
「王ですか?少々お待ちください、急いで確認してきますね」
声をかけた兵士が相方の門番とアイコンタクトをとると、朗らかな笑みからは想像もつかない程急ぎ足で、城の中へと入っていった。
それから十分程度して、門番が戻ってくと、笑みを浮かべた。
「どうぞ。王はあいにく公務中でして。ただ、王女が勇者様にお会いしたいと」
「ありがと」
遠慮なく城の中に入ると、道案内のためか、戻ってきたばかりの兵士も一緒になって城に入った。
道案内が居るのは助かった。
一度来ただけだと、迷う自信がある。
前回と同じように、むず痒くなる様なシャンデリアの真下を通って、城の奥にある玉座の間へと向かう。
玉座の間の前まで来ると、兵士が「少々お待ちください」と私たちに言ってから、一度、扉の向こうへと入っていった。
「ハイシア…?今日は、何をお話するの?」
不安そうにメイが私に問いかける。
昨日サイトゥルとの事があったばかりだからか、メイは朝から私を心配してくれていた。
そんなメイに、笑みを向けた。
「ちょっとね。山賊問題の事。これが解決しないと、前にも進めやしないでしょ?この国」
メイが「そっか」と言って、安堵した様に笑った。
後ろで見ていたリオンが、珍しく、はっきりとした視線を私に向ける。
キーアはリオンの反応に気付く事なく「なるほど」と呟いて、早速羽ペンを本に走らせていた。
よく見れば、私がお父さんの事について見せてもらった本の背表紙とは違い、随分簡素な造りだった。
ヘントラスに居るらしいキーアの両親が帰ったら、製本がどうのと言っていたから、メモ用として持ち歩いているのかもしれない。
「お待たせしました、どうぞ、お入りください」
玉座の間に入った兵士が扉を開け、私たちを招き入れる。
前回と違って、玉座には女王一人が座っていた。
ふわりとしたドレスだが、やっぱり、目に痛くない優しい色合いをしている。
座っている女王は私たちに視線を向けると、柔らかく笑った。
「よく来てくれたわ。ごめんなさいね、あの人、この時間は公務だから。私がお話し相手でも大丈夫かしら?」
やっぱり、女王の笑みは、多分、母親の様な笑みなんだろうと思った。
自分のお母さんをよく知らない私でも分かるほど、優しい、慈愛に満ちた、相手を安心させてくれるような笑みだ。
「突然来たのは私たちの方なんだから。気にしないでよ」
私が先頭に立ち、扉のそばには兵士が控えている。
私の後ろにメイとリオン。
キーアは、私たちから一歩引いたところで、いつでもメモがとれるように羽ペンを構えていた。
「どうかしら。キーアから、お話は聞いた?」
「聞いた。だから、私が王様に質問した答えも、何となくだけど分かった」
――あなたたちは長く生きてるでしょ?魔族に不安とか、ないわけ?
そう問いかけた私に、王様は、キーアに話を聞けば、それがきっと答えになると言った。
今ならその答えが、何となくわかる。
そして、答えを提示するだけじゃなくて、私自身がキーアの話を聞いて、様々な事を感じなさいと言ってくれていた事も。
「あなたたちは、不安なんか微塵も感じてなかった。ただ、はるか昔の、本来の姿に近づけたいっていう、それだけ。けどそのためには、人間同士の問題を解決しないといけない」
でしょ?と問いかけると、女王は頷いて、ふふっと笑った。
「あなたは、とても賢い子なのね。あなた自身が聞いて、感じた事はとても大切な事よ。きっと、旅での糧になる」
賢いと言われるのは、初めてだった。
その言葉が妙にむず痒くて、変な顔になりそうで、それを何とかこらえた。
後ろで、紙にペンが走る音がする。
キーアにとって、この瞬間は記すべきひと時なんだろう。
「ねえ、山賊の問題なんだけど。この前捕まえた山賊と話は出来る?魔族がいるなら手伝えるかもしれないでしょ」
女王は「そうね」と口にした。
それから間を置くことなく、首を横に振る。
はっきりと、明確な意思を持ってだ。
私を見る女王の目が、優しいながらに強さのある、凛としたもの含んでいた。
まるで、女王自身が持つ優しいだけじゃない、国を率いる強さを持っている事を、教えてくれるように。
「だめよ。あなたが出てはいけないの」
「どうして?」
頭ごなしではない否定だった。
村の大人からのものとは違う、まるで説くかの様な言い方だ。
シーアラの様な圧倒的な強さではない、大人が自分の子供に言い聞かせる様なもの、だと思う。
「あなたは勇者よ。デイスターニアはあなたの故郷だから、あなたが国政に携わったと言っても、理由になるでしょう?けれど、このルーンサイトは違う。あなたがもし、ルーンサイトのためを思って、山賊の問題を考えてくれたのであれば、それはとても嬉しい事よ。けれど、あなたがここで関われば、南の国や東の国にも、同じようにしなくてはいけないわ。勇者は、国のためにあるのではないのだから」
優しい声で説く女王の言葉を、うまく理解出来なかった。
単純に、言っている事が難しい。
要領を得ない私に、キーアのペンがぴたりと止まる。
「少し、難しかったかしら…そうね、じゃあ、こう考えてみて?あなたがここで、ルーンサイトだけに、手を貸したとしましょう。南の国や、東の国は、どう思うかしら?」
どう思うのか。
南の国も、東の国も、どんな国で、どんな王様が国を治めているのかが分からないから、何とも想像が出来ないというのが正直な感想だった。
「…ずるいって、思っちゃう、かも…」
ぽそっと、メイが後ろから言葉を漏らす。
「ええ、そうね。おまけに南の国も東の国も、デイスターニアの声明を良く思っていないわ」
「…弱み、握られる…」
リオンも言葉を発した。
それでもよくわからない。
弱み?なんの?平等じゃない?そもそも平等って何?分からない事がまた増えて、眉間にしわを寄せた。
「オマエのせい、そう、言われる。国同士、溝、深まる。勇者の加護、受けた国、受けなかった国、争いに、発展する。オマエ、今、そういう、立ち位置」
「別にそんな大した事――」
「いいえ。いいえ、大したことなのよ。とてもね」
女王の目は、頑として譲らないと語っていた。
強い目をしている。
冷たくない、優しい目だけど、やっぱり、とても強い。
「勇者というのはね、世界に一つしかない特別な
わかってくれるかしら?と問いかける女王に、私は頷くしかなかった。
詳しい事はやっぱりわからない。
ただ女王は、私の事を思って、考えて、そう言ってくれている。
それだけは、確かだ。
そしてもう一度考えてみる。
デイスターニアの元王様代理は、セフィアが、私と元王様代理の考えを分かったうえで引き合わせてくれた。
そしてこうも言った。
「これから先、この国は恐らく動乱を迎え、最悪、他国を巻き込んで混沌とするでしょう」「あなたの噂はたちまちに広がるでしょうし、あなたを抱え込もうとする者も出てくるかもしれません」と。
ようやく、そうか、と理解できた。
女王も王様も、本当の歴史だと思われる事を信じている。
だから私を抱え込むのではなく、国として送り出そうとしている事。
これが仮に、悪い奴だったら?魔族と対話をはかりたいと言いながら、実はそうでなかったら?私を利用して、何か別の事を考えていたら…?
リオンが珍しく私に強い視線を向けたのは、興味でも覚醒でもなく、警告だったのだろう。
「…そうね。ルーンサイトの問題は、ルーンサイトが解決しないと、いけないわね」
「ええ、そうよ。あなたはやっぱり、賢い子ね」
私の言葉に、女王はまた、柔らかい笑みを浮かべた。
「ねえ、だったら…これは…その、ただの世間話なんだけど」
訳の分からない前置きだと自分でも思うけど、それぐらいしか今は頭に浮かんでこなかった。
「聞いてよ。昨日サイトゥルと手合わせを久しぶりにしたんだけどね。退役したなんて絶対嘘。すんごい強かったんだから。あれでどこにも所属してないなんて、信じらんないくらい。今サイトゥル、働き口でも探してるんじゃない?」
あからさまな、世間話し。
それでもキーアはきっとこう書くだろう。
「世間話と称して、推薦していた」と。
正しく歴史に残す事がキーアのやるべき事だから。
「そう。その働き口が早く見つかると良いわね」
「ま、そうね」
やってみて、頬が途端に熱くなる。
らしくない事はするものではないと思った。
後ろでリオンがため息をついたのも、聞き逃さなかった。
リオンがため息をつくなんて、初めてかもしれない。
これが他国に知れれば、それはリオンの言った「弱み」になるのだろうか。
そうだとしても、お父さんがキーアの父親に語った事も、製本前のこのやり取りも、明るみになるのは相当先の話だろう。
「世間話のついでに…あなたたちは、これからどうするのかしら?」
女王が、まるで私の世間話に付き合うかの様に聞いてくる。
カモフラージュなんだろうけど、これも含めてキーアのメモには残るだろう。
けれど、女王は笑みを浮かべていた。
「エルフの領域に行こうと思ってる。お母さんの事、ちゃんと知りたいから」
「エルフの…そう。それなら、気を付けた方が良いわ。エルフの森は不思議な魔法がかけられているのか、人間が足を踏み入れると彷徨って、気が付いたらルーンサイトに戻ってきているなんてお話もあるのよ」
それが本当かは、分からないけど、と女王は言った。
人間がルーンサイトに戻るなら、お父さんはどうやってエルフの森に行って、お母さんに出会ったと言うんだろうか。
キーアの家にあった本では、お父さんがルーンサイトを訪れた理由はエルフの森に行くためで、そこから先の記述はなかった。
数ページの空白の後、あったのは、「勇者・逝去」「死因・不明」「仲間・行方不明」の三つの記載だけだった。
お母さんが残した日記には、エルフの森で出会ったと書いてあったから、何かしら、方法はあるはずだと私は考える。
「行ってみないと」
「ええ、そうね。あなたの旅が、恵まれた、豊かなものである事を、私もあの人も、祈っているわ」
女王の言葉に深く頷いて、私は、女王に頭を下げた。
明日には、この城下町を旅立とうと思う。
女王の言葉の通り、山賊の問題に首を突っ込まない方が良いのなら早いところ出た方が賢明だろうから。
***
城を出て、一度キーアの家に戻る事になった。
リオンはため息をついてから一度も言葉を発していない。
普段はぼんやりとしている目が、今は厳しいものになって私に向けられている。
メイはリオンの様子に気付いて居心地が悪そうにしているが、圧されている様で、何も言わなかった。
キーアは私たちの状態でさえも記す価値があると考えている様で、歩きながらペンを本に走らせていた。
よく誰にもぶつからないなと、そんな姿に感心した。
キーアに借りている部屋の窓から庭を眺める。
遠くに見える金色が、風に揺れて凪いでいる様に見えた。
眺めていると、扉からノック音が聞こえた。
「ハイシア」
扉の向こうに居るのはリオンの様で、私を呼ぶ声がする。
「どーぞー」
呼ぶと、扉がゆっくりと開けられた。
扉の向こうには、やはりリオンがいた。
メイは部屋に居るのか、その場には居ない。
リオンから来たのに、廊下から動こうとはしなかった。
「なに?入ってくれば?」
声をかけると、ようやく、リオンが部屋に入る。
扉のそばに控えて、近くに来ようとはしなかった。
まるでよく躾けられた子犬の様に見えて「どうしたの?」と声をかける。
リオンは、険しい表情をした。
城での事だろうと、すぐに予想がついた。
女王の言葉をうまく理解できなかった事に物申したいのか、それともまた何か違う事なのかは分からないが、魔法を教えてくれていた時とも雰囲気が違うのだけは、確かだ。
「なーに。城での事?」
「そうだ。オマエ、自覚、ない。無自覚、酷すぎる。そのうち、オマエ、利用される。勇者を欲するやつは、たくさん、いる。お前、そうなると、魔王に、会えない。時間、かかる」
リオンの言葉は最もだと、私も思う。
他国の事にいちいち首を突っ込みすぎるのは良くないのかもしれない。
女王の言う通り、デイスターニアは、一応、故郷だ。
理由はそれで良いかもしれないが、このルーンサイトも南の国も東の国も、本来は通過点に過ぎない場所だ。
けれど、実際王様も女王も、私たちに良くしてくれた。
足りない情報や知識を、くれたのだ。
それだけでも良い人である事は間違いないと思ってしまう。
実際良い人だと思う。
私のためを思って、敢えて私の力を借りない事を選んだのだから。
「利用、される。誰でもかれでも、信じるな」
「それは――」
それは、あんた自身に対しても?
そんな言葉を呑み込んだ。
「そうかもね。あんまり大人に、あからさまに優しくされた事ないんだもの。耐性ないの。わかるでしょ。そのためにリオンやメイがいてくれるとも、思ってんのよ?これでも」
肩をすくめて、窓の外に視線を向けた。
ちょうど、門のところにサイトゥルが立っていた。
鎧をまとって、剣を腰に佩刀したサイトゥルは、建物を見上げている。
そして、建物に向かって――私に向かって、敬礼をした。
ほんの数秒だ。
サイトゥルは歩き出す。
城下町の方角だから、山賊退治か、あるいは、城に呼ばれたかだろうか。
「オマエのお守…一苦労」
「悪かったわね」
呆れた様なリオンの声に、なんの悪びれもない言葉を返す。
後ろでまた、ため息が聞こえた。
「じゃあ、私との旅をやめる?」
「無理だ」
呆れて、苦労をする。
そのくせ即答だ。
リオンが誰に頼まれて一緒に旅をしているのかは知らないが、私に同行するようにと頼んだ相手は、きっと、リオンにとって大切な人なんだろう。
だから何があっても、リオンはこの旅に同行する。
じゃあ、リオンの大事な人って、誰?なんのメリットがあってリオンに頼んだの?
そう問いかけることは、まだ、出来ない。
単に確証がないからだ。
確証も、確信も。
「じゃ、付き合うしかないわね、私のお守」
「…オマエ…」
呆れていたと思うと、今度は仕方がないと言いたげになる。
それはいつものリオンだ。
魔法が上手に使えなかった時にも少しだけ見せた事がある、小さな変化だ。
「どう思われてるか、ねぇ…勇者のレッテルが大嫌いだった私に、それを考えろなんて言うのが、どうかしてるのよ」
自嘲まじりに呟いた。
窓の外は、変わらずに金色が遠くに見える。
その光景をもう少しだけ見ていたと思うと同時、それでも前に進まなければならないとも、私は確かに、思った。
面倒くさがりな勇者が頑張るしかなくなった話 城 @tachi_gaoo
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