もう、本当は多分本気になってたのかもしれない

 サイトゥル達が目覚めないまま一年という月日を越えて、更に月日は、もう一年と、過ぎていった。


「聞いているのですか、ハイシア・セフィー!」

「聞いてまーす」


 机に並ぶ教科書とノートに、指示棒が軽く刺さる。

 なんとも間延びした答え方をして、机に座っている私は先生を見上げた。

 教科書と指示棒片手に私を見下ろす先生の目は、光りで反射したメガネのレンズで見えなかった。

 かわりに先生の口元が引きつって歪んでいる。


「聞いているというなら、先ほど説明した事を、ご自身の口で説明してごらんなさい」

「え?はあ…」


 突然のことに、一瞬、きょとんとするも、私は口を開く。


「自分の体の周囲に魔力を薄く纏うようにバリアを張るのが、防御系基礎魔法のバリア。バリアは、一度は衝撃に耐えるが、たいていの場合、衝撃に耐えられず消滅する。二度目以降や、より強い衝撃に耐えられるものが、バリアの上位魔法であるシールド。ただし、バリアよりも多くの魔力を消費するため、使用者にも負担がかかる。また、熟練の使用者はこれらの魔法を発動するさい、魔法陣を出現させない」


 教科書に載る挿絵には、バリアとシールド、それぞれの魔法陣が描かれている。

 白く、紋様もそこまで複雑でないものがバリア。

 より魔法陣の紋様が複雑化されているものが、その上位魔法であるシールドだ。


 読み上げると、先生は、それはもう悔しそうに顔を歪めたものの、すぐに元に戻り座学の続きを始める。

 先生の説明を聞きながら、窓の外へと視線を向けた。

 雲一つない青空が広がっていて、日向ぼっこでもしたら気持ちが良さそうだ、なんて考えた。


 午前の座学が終わり、剣術の稽古まで時間がある。

 家を出て広場に向かうと、すでにメイが、セフィアとチャーリーと、ベンチで話し込んでいた。

 三人のそばに寄ると、メイが私に気付いて視線を向け、つられるように二人も私に視線を向ける。


「ハイシア!お勉強、終わったの?」

「終わった終わった。次まで時間あるからさ」


 四人揃って、広場の噴水の近くまで移動して話し出す。

 パン屋の赤ちゃんもすっかり大きくなって、自分の足で歩けるようにまでなっていた。

 魔法で水の泡を出すのが好きなのは相変わらずの様で、今日も、パン屋のお母さんと子供の攻防が繰り広げられている。


「ハイシア・セフィー」

「え、何…」


 私をフルネームで呼ぶセフィアに視線を向け、口元を引きつらせた。

 真剣な顔で彼女が私を見る時は、決まって、手合わせを申し込まれる時だ。

 訓練所外での手合わせについてシーアラが口を挟まないのを良い事に、度々手合わせを申し込まれるのだが、これがまた大変なのだ。

 回を重ねるごとに、一撃は重くなり、動きは速くなり、確実に実力をつけていってる。

 独学であるにも関わらず、初めて決闘をした頃よりも、剣を構える姿勢もよくなっている。

 たった一人で、彼女は今も努力を続けている。


「実はですね」


 神妙な面持ちで口を開くセフィアに、固唾を飲む。

 果たして何を言われるのか。


「王都に行こうと思います」

「あー、はいはい、王都ね、王都」


 セフィアの言葉に、ほっと胸を撫でおろした。

 良かった、また手合わせを申し込まれるわけじゃなかったのか。

 そっか、王都に行くのか。

 うん、王都。


「って、王都?!」


 予想していなかった言葉に、ほっとしたのも束の間、私は思い切りセフィアに振り向いた。

 何度か彼女の顔と、家族であるメイの顔を見比べてしまい、メイに苦笑いをされた。


「よくそんなバカみたいな反応できるよな、お前。ぷぷぷーっ」


 チャーリーが人を小ばかにした様に笑う。

 本能的に手が出てしまい、軽くだが、頭をぺしっとはたいてしまった。

 チャーリーが「いってーな!」と大袈裟に口にするも、そのすぐあと、セフィアを指さす。


「よく考えてもみろよ。セフィア、もう十五だろ?」


 十五歳。

 ランとの出来事から二年の歳月が過ぎた事になる。


「あー…そっか、士官学校に行くんだ?」


 私の言葉に、セフィアは笑って頷いた。

 滅多に見せない、ぱっと花が咲いた様な笑みは姉妹であるメイとどこか似ている。

 メイの方が柔らかい印象の花だが、セフィアは、それよりかは大人っぽい印象がある。

 ただ、今目の前にある笑みは、私達とそう変わらない少女の様な笑みそのものだ。


「じゃあ、シーアラが推薦状を?」

「いえ。その件はお断りしました。行くならばとことんまで、自分の力で行きたいので」

「うげぇ…私ならソッコーで書いてもらうのに」


 セフィアはどこまでも真面目だ。

 推薦状は、現役の者が実力を認めたという証にもなるだろうに、それをわざわざ断るなんて。


「セフィアとお前はちげーんだよ」


 ここぞとばかりに人を馬鹿にしてくるチャーリーに、メイが一睨み利かせると、チャーリーはまるで借りてきた猫みたいになる。

 私は仕返しに目線で小ばかにしてやった。

 ぷぷーっ、と笑う仕草までつけてやれば、今にも反発したくてしょうがないと、チャーリーがうずうずしだす。

 そしてそれを、また、メイが睨んで止めさせるのだ。


「けど、そっか。あんた、頑張ってたもんね。良かったじゃん」

「これはあなたのおかげでもありますよ、ハイシア」

「そりゃあそうでしょ。さんっざん!手合わせしてくれーって追っかけまわされてきたんだし~?」


 にんまりと口元に弧を描いて、わざとらしくセフィアを下から見上げる。

 セフィアは私の言動にも、笑みを浮かべて頷いた。

 自信に満ち溢れてはいるが、真っ直ぐな目をしていた。


「騎士の意味を考えるきっかけをくれたのは、あなたですから」

「…へ?」


 思いがけない言葉に、ぽかんと口を開けた。

 茶化す様にふざけた態度をとる私に、「自意識過剰もほどほどになさい」と言葉を返してくると思っていたのに、現実はそうではなかった。

 釘を刺すどころか、真っ直ぐと私の目を見て言うのだから、本気でそう思っている様で、全身のいたるところがむず痒くなる。


「私の剣は、誰かを傷つけるためではなく、守るために振るいたい。初心を思い出させてくれたのはあなたです」

「なっ、な、なに言ってんの?!別に、そんな大したことしてないし?!」


 一気に体中の血液が頭部に集まってきて頬が熱くなる。


「あ、ハイシア照れてるんだ!」

「ぎゃははは!お前、顔真っ赤じゃねーか!」

「う、うっさい!別にいいでしょ!」


 メイが追い打ちをかけてきて、チャーリーが腹を抱えて笑いながら私を指さし、どうにも調子が狂う。

 メイに至っては他意がないから余計にタチが悪い。

 チャーリーは完全に悪意で空気に乗っかっているので、後でもう一発、今度は結構強い一撃をお見舞いしてやろうと思った。

 セフィアはそんな私達を微笑まし気に見ているだけで、メイの言動にも、チャーリーの言動にも、何も言わなかった。

 そして涼しい顔をすると、口を開く。


「結局、シーアラ様に稽古をつけてもらえないままだったのは残念ですが。士官学校を卒業し、騎士になった暁には、また直談判をしに戻ります」

「うげっ、諦めてなかったの」


 告げられた内容に、人の本気を見た気がした。

 ハングリー精神恐るべし、である。


 シーアラはあれからも、セフィアに稽古をつけるとか、そういう話は一切持ち出していない。

 ただ、剣術の稽古の帰りがけに、前髪を崩した勤務時間外のシーアラが、公園で一人稽古を続けるセフィアを見守っている姿を、何回か見かけた事がある。

 シーアラは同じ騎士としてセフィアに期待を寄せているし、セフィアは多分、今のところ、シーアラの期待通りに進んでいるんだろう。


「セフィアが士官学校を卒業したら、俺が打った剣を贈ってやるよ!」


 次はチャーリーが胸を張って、堂々と、そんな事を宣言する。

 それはもう、自信満々にもほどがあると言いたいぐらいだ。

 その自信は一体どこから来るのかを問いたいが、チャーリーの背後に見えた影に、私が問うまでもないだろうという考えに至った。

 メイが苦笑いを浮かべてチャーリーの後ろを指さすと、チャーリーも振り返り、次第にその背中が震えだす。


「お前と言うやつは!この未熟者が何を言う!」

「お、親父ッ!いや、これは」

「お前の未熟な鍛錬でどうやったら人様に贈れるだけのものが出来るのか、聞かせてもらおうか!」


 ぴしゃーんっ、と雷が落ち、チャーリーはずるずると武器屋のお父さんに引きずられていってしまった。

 「あ~」なんて随分情けない声は、聞かなかった事にしてあげよう。

 なにせ雷親父二級保持者の雷は、なかなかに強烈だ。

 最近は村長よりも鋭い雷がチャーリーに落ちているのを見かけるので、そろそろ彼は雷親父一級に昇格するかもしれない。


「まあ、うん、チャーリーの剣は期待しないで待ってたら?」

「…ええ、そうですね…ええ…」


 チャーリー、ざまあ見ろと内心思っている私とは反対に、セフィアは口元を引きつらせていた。

 メイはチャーリーが引きずられて行った跡を眺めて、


「チャーリーのお父さん、力持ちだねぇ」


 なんて、随分と可愛らしい感想を述べたのである。

 哀れチャーリー、きみの恋はまだまだ成就しそうにないだろう、と、心の中で、さすがに合掌した。


「ハイシア、あなたに一つ、聞きたい事があるのですが」


 ふと、先ほどと同じように真剣な顔をするセフィアに、私はメイと顔を見合わせた後に首を傾げた。




   ***




 天高く太陽が昇って、太陽の光りが葉を輝かせる森の中を、子供三人で歩いていく。

 村に近い範囲のためか、相変わらず、草木も瑞々しい若葉色をしていた。

 曲がり角を曲がって、セフィアを連れて暫く歩くと、開けた空間に辿り着く。

 中央には湖があり、周辺には湖を囲う様にして水色のスライム達が、飛び跳ねて遊んでいる。

 スライムも太陽の光りを受けて、つるん、と輝いていた。

 空間に一歩足を踏み入れると、スライムが一斉にこちらに向き、飛び跳ねながら向かってくる。


「わぁ、みんな、こんにちは!」

「よいしょ、と」


 メイが目を輝かせながら飛び跳ねてきたうちの一匹を抱き上げる。

 私も一匹、飛び跳ねてきたスライムを抱えた。

 相変わらずひんやり、つるん、としていて、触ると気持ちがいい。


「この森に、こんなところが…」

「うん!お姉ちゃん、この子たちはね、人間を襲ったりとかはしないの。だから大丈夫だよ?」


 まるで自分自身のことを言うかのようにメイがセフィアに説明すると、セフィアが、恐る恐るスライムに手を伸ばす。

 初めて見る人間に、一瞬、スライムも形を変えて驚く。セフィアに攻撃の意思がない事を感じ取ると大人しくもとの形に戻った。

 セフィアの指先が、つんと、手触りを確認するように触れ、その次には、優しい手つきで手の平全体を触れさせて撫でる。


「不思議な感覚ですね。人間とも、犬や猫とも違う手触りです」

「でしょ~?人懐っこいんだぁ」


 メイの言葉に頷いた。


「大人たちが言うみたいに、恐ろしい魔族もきっといるのかもしれない。けど、全部が全部、そうじゃないんだよ」

「あなたが、ずっと稽古をサボっていたのはこの子達が原因ですか」

「まあね。友達を傷つける力なら、いらないなーって思って」

「では、なぜ今は稽古を?」

「んー?それはー、ねぇ」


 スライムを撫でながら、さてなんと説明するべきかと考える。


「まさか、ちょっとした意地だなんて言わないですよね」


 セフィアから地鳴りがしそうな圧が漏れ出して思わず口元を引きつらせた。

 スライム達の形が、また、驚いて変わってしまう。


「お姉ちゃん!スライムたちが怖がっちゃうよ!もう!」


 すかさずメイが、抱き上げていたスライムを撫でながら、頬を膨らませて怒ってますよアピールをすると、セフィアは慌ててメイに弁解を始める。

 あからさまな圧を受けても何ともないのは、メイが、セフィアの家族だからなのだろうかと疑問を持たずにはいられない。

 メイの事だから、気が付いてなかったなんていうオチもありそうだけど。


「最初はさー、シーアラが気に食わないからって理由だったよ」


 水面がきらきらと輝いて、てっぺんから降り注ぐ太陽の光りも、まるでカーテンの様だ。


「セフィアがめちゃくちゃ努力してる事を知って、恥ずかしくなったんだよね。十五歳になったら士官学校に行くのが通例だって知ってても、早く騎士になりたいって努力して、前を向いてた」

「今思えば、あれはただの焦りで――」

「そうだとしても、その通例を変えようと一人で努力してるセフィアを見て、思ったんだよ。勇者になったら、いつかこの子達を――友達を斬らなきゃいけなくなる。それが嫌でサボってたけど、状況を変える努力をしなかっただけで。だから、みんなが思う勇者像なんか蹴散らす努力を、しても良いんじゃないかってさ。そう思った。あの時セフィアに勝てたのだって、ただのまぐれだって、今でも思ってるよ」


 不思議そうに私達を見上げるスライムの頭を撫でて、ぼんやりと、遠くを眺める。


「『勇者』の私を待ってる大事な友達がいるんだ。面倒くさいけど、そいつのところに行って、そいつの思う勇者像を吹っ飛ばしてこなきゃいけないんだ、私は」


 魔族の領域に一番近い村と呼ばれる私達の住む場所の、更に奥では、今もランは待っているのだろうか。私が勇者になって、ランのところへ行くことを。

 きっと、ランが持つ勇者のイメージも、人間というイメージも、ランだけでは変えられなかったのかもしれないなんて思う。

 だからこそ、私が勇者となって、ランのもとに行く意味が、きっとある。

 そのためには、まだまだ足りないものがたくさんある。

 シーアラは、私に口先だけのやつの後ろにはついてこないと言った。

 名声も地位も経験も必要だと言った。

 メイが言ってくれた、魔王を倒さない勇者になるための名声、地位、経験とはどんなものなのか。

 考えないといけないことは、たくさんある。


「最近ちょっと、頑張ってるのはそれが理由だよ」

「そうですか。それは、私も負けていられませんね」

「――わ、私も、凄い薬師になるんだ!」


 暫くの間、私達三人は湖の輝く水面を、スライムと共に眺めていた。

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