厄介者らしい。ダークエルフは

 セフィアが王都に旅立ってから数か月。

 窓から差し込む月明かりを頼りに、ベッドの上で、一冊の日記帳と向かい合った。

 すっかりボロボロな日記帳の表紙を指先でなぞり、息を軽く吐き出して呼吸を整える。

 物心つく前に亡くなったらしいお母さんが残した一冊の日記帳には、大人たちが困った様に笑って嘘をついて教えてくれなかった事が記載されているはずだ。

 表紙を指先でなぞると、ざらついた感覚が伝わり年月の長さを教えてくれた。

 もう一度、息を吐き出して呼吸を整えなおしてから、ゆっくりと、一頁目を捲る。

 じっくり、目を凝らしてから、二頁目、三頁目と、読んでは捲り、また読んでは捲りと繰り返す。

 最後の頁になるにつれ、緊張はなくなっていく。


 読み終えての感想は、思ったより衝撃的ではないというものだった。

 そして同時に、大人が困った様に笑ってごまかした理由も、私は知ってしまった。

 静かに日記帳を閉じ、窓の外へと視線を向ける。

 夜空に浮かぶ満月を、私は強く睨み上げた。




   ***




 メイが嬉しそうに、「お姉ちゃん、新入生代表としてご挨拶したんだって!」と、届いた手紙を見せてくれた。

 シーアラにその話をしたうえで、「代表の挨拶ってランダムで決めるの?」と聞いたところ、入学試験の最高得点者が選ばれるとかいう、彼女の努力の底力を思い知らされそうな返事が返ってきた。

 チャーリーは、本格的に武器屋を継ぐつもりなのか、雷親父一級へと昇格を果たしたお父さんにこっぴどく叱られながらも、工房で金槌を振るっている毎日だ。

 サイトゥル達は未だ目覚めず、時折、王都から直属の魔導士たちが村へ来ては試行錯誤しているが、その努力も虚しく現状には変化がない状態だった。


 定期的に通っている教会からの帰り道、手渡された鑑定用紙の結果を思い出しては両手を組み、天を仰いだ。

 知性の成長速度がよろしくない。魔法基礎は軒並み以下。

 ただ、もとから振り切れていた魔力に加え、体力と肉体戦術も次いで吹っ切れそうだ。

 なのに、シーアラに勝てたことは一度もない。

 シーアラの肉体戦術の項目はきっと振り切れているに違いない。

 貰った鑑定用紙を見て出てきた答えは、どうやら脳筋バカからは、未だ抜け出せそうもないということだ。


「おい、聞いたか?」


 村長に怒られませんようにと祈っていると、噂話をしている声が聞こえてきて、視線を向けた。


「ああ、あれだろ?村の近くでダークエルフを見かけたって」

「気を失ってたらしいんだよ」

「あぁ…そりゃあ誰も近付かないだろ。なにせダークエルフだしな」

「けど、どうすんだろうな?あのままじゃ野垂れ死にだろ?」


 何だか随分物騒な話が聞こえてきて、首を傾げた。

 ダークエルフといえば、何だっけと思い返してみるが、『ダークエルフについて』と書かれた記憶の引き出しの中は空っぽだ。

 座学でやったはずなんだが、と思うも、さっぱり思い出せない。

 知性の成長が全く見られない部分をここで発揮してしまう事になるとは、実に悲しき事態である。

 村の近くという事は、森の方だろうか。それとも王都へ続く道の方だろうか。

 自然と止まっていた足を動かしだすと、鑑定用紙をくしゃくしゃに折って胸ポケットに入れ、騒がしそうな方へと向かった。

 途中、何人もの人がダークエルフについて噂しているのを耳にした。


 騒がしいのは、王都へと続く村の出入り口の方だった。

 人が何人も行き来はしているが、道の真ん中を避けて歩いていた。

 暫く道を歩いていき、村の出入り口からほんの数メートル先に、人が倒れているのを見つけた。

 村の住人達が倒れている人に数歩近寄るも、すぐに、避けて足早に去っていく。

 子供が寄ろうとすれば親が手を引いて、止めていた。


 私は倒れている人のそばに近付き、しゃがんで様子を確認する。

 旅装束に、尖がった耳、褐色の肌と、クリーム色の髪をした男だ。

 顔立ちからして、私やメイよりも年上で、シーアラよりは年下だろうか。

 目を瞑っているだけなのに、人離れした顔立ちをしていると分かる。

 一言で言えば、絶世の美男子というやつだろうか。


 この人、生きているのだろうか?

 そんな疑問に、恐る恐る手を伸ばした。


「ハイシア、そこで何をしている」


 村の方から、氷風特一級の風がひゅおん、と吹いた様に思う。

 顔をあげて声がする方へ視線を向ければ、前髪を整えた状態のシーアラが、兵士を複数連れてこちらに向かってきた。


「いや、この人、大丈夫かなって」


 立ち上がってシーアラを見上げると、視線が私から倒れている人に向けられ、すぐに後ろをついてきた兵士たちに振り返る。


「彼を教会へ運べ」

「「はっ!」」


 指示を受けた兵士たちが数人がかりで男を持ち上げると、村の中へと入っていった。

 シーアラから指示を受けた通り、教会へ向かったんだろう。

 治療を受けさせるつもりの様だが、一部始終を見ていた村人たちは、こぞって不安そうな顔をしていた。


「へんなの」

「なにがだ」

「何でみんな、こんな不安そうなのかと思って」


 返事の代わりに、盛大なため息が私の頭上に降ってきた。




   ***




 シーアラと共に、倒れた男を運ぶ手伝い―と言っても、坂道で後ろから押すくらいだが―をして、シーアラと兵士たちと教会へ向かうと、シスター達が男の治療をしてくれた。

 治療が終わるまでの間、教会の各種受付があるロビーでシーアラと待機をしていると、随分顔色がよろしくない村長が教会に駆け込んできた。

 朝はめちゃくちゃ元気だったはずなんだけど。


「シーアラ殿、どういうおつもりですかな?!」


 私には目もくれず、一目散にシーアラまで駆けてくると、ここが静かな教会であるという事を忘れたかのように村長が声を荒げた。

 雷親父二級と言っても、いまの雷は、まあ、四級程度かな。


「村長殿、ここは教会だ。お静かに願おう」


 対して、シーアラはいつもと変わらない氷柱の様な目で村長を見下ろす。

 声も静かで、村長が急に声を荒げられたことにも動じていない様だった。

 シーアラの言葉に、村長が一瞬ぐっと押し黙った後、静かに口を開く。


「ダークエルフを村に入れたと聞きましたぞ。その真意を問いたい」


 かなり遠くの落雷レベルまで村長の声は落ち着いたが、声のボリュームのみで全く落ち着きがなさそうだ。


「村の前で倒れていた者を助けて何か問題があると言うのか」

「問題なら大ありではないか。相手はダークエルフですぞ?」

「だから何だと?村の出入り口に放置しておけば、いずれ死ぬか、あるいは、はぐれた魔族によってあちら側に連れられる方が面倒だろう」


 今度こそ、村長が黙った。

 聞いていて気持ちが良い話ではないが、ダークエルフというのは結構厄介な様だ。


「それにだ」


 ひょい、とシーアラの手が伸びる。

 私がくしゃくしゃにして胸ポケットにしまった鑑定用紙を取り上げると、丁寧に開いて村長に見せてしまった。


「あっ!ちょ、返せ!こら!」


 手を伸ばして鑑定用紙を取り返そうとすれば、シーアラはその分だけ腕をあげて、私の手の届かない高さにしてしまう。

 なんで知ってんのか聞きたいけど、今はそんな事より、この鑑定用紙を取り返すのが先だ。


「うまくすれば、彼女の特性であるこの振り切れた魔力を上手い事、魔法基礎に振れるかもしれないとは思わないかね」


 シーアラの表情といったら、完全に、悪の取引を持ち掛ける極悪人だ。悪い大人だ。前髪を崩していないのに。

 村長は、首を縦には振らない。

 どうにかして反論しようと考えている様だったが、そこに追い打ちをかける様に、更にシーアラが言葉を続ける。


「無論、彼がこちら側だと判断してからの話だ。軍には設備もなくはない」

「それで村に何かあったらどうするおつもりですかな!」

「そのために、我々軍がいるのだよ」


 ノーとは言わせないと言いたげに、シーアラが、冷たい目で村長を見下ろす。

 村長は歯ぎしりを立てた後、何も言わずに勢いよく踵を返し、教会を出ていった。

 けど私は確かに見たぞ。去り際に腰をさすっていたのを。怒りに任せて振り返って、腰を痛めたんだね、村長。

 シーアラが腕をおろして鑑定用紙を私に差し出す。

 それを受け取って、もう一度くしゃくしゃにした。


「ねえ、なんでシーアラが鑑定用紙の内容知ってんの?」


 魔力が降り切れているというのは、鑑定用紙を見た人しか知らないはずだ。

 つまり、私と、それから村長、一緒に鑑定用紙を見せ合った事のあるメイしか知らないはずだ。


「貴様の状態は定期的に軍に報告される」

「聞いてないんだけど?そんなの」

「伝えていないからな。貴様の教育方針は村長殿が決めていることが多いが、王都からわざわざ教師を呼び寄せるんだ。この村が、『魔族の領域に一番近い村』で、貴様が勇者の個性を持つ者だからという理由だけで、お前の座学の教師は皆、国から依頼を受け、金を貰っている」

「初耳なんだけど…」


 お金の流れだとか、そんな事、一ミリも考えた事がなかった私にとって、シーアラの説明は心にずっしりときた。

 もしも二年前のセフィアがこの事を知っていたら、手が付けられなかったかもしれないなと思ってしまう程だ。

 ここの軍の人は、王都の中でも精鋭が集まってるのだから、シーアラが国に報告する責務を負っているとしても可笑しくないという事なんだろうか。


「…ちなみにさ、勤務時間外で発覚した事は――」

「勤務時間外は勤務時間外だ」


 それしか言わなかったが、つまりはの様だ。


 しかし、ダークエルフがどうしてそんなに厄介なのか、やはり記憶の引き出しをあけてみても全く覚えがない。

 完全に歴史の勉強の内容がすっ飛んでしまっている。

 国がお金を出していると言われても、申し訳ないが歴史の勉強だけは、どうしても耳に入ってこないのだ。

 入ってきてもすぐに頭から抜け落ちる。


 暫く待っていると、ダークエルフの治療を担当したシスターが奥の部屋から出てきて、シーアラに、治療が終わったことを報告した。

 どうやら飢えで気を失っていたらしく、教会側で治療したあとにお粥を出したらしい。

 シーアラは、今日の稽古は中止だと私に告げて部屋の奥へと入っていった。

 ここから先は、軍の仕事の様で、私は半強制的に教会を追い出された。

 しかたなく広場へと向かった。

 やはりダークエルフの噂で持ち切りで、子供を連れている大人たちが、噴水の近くで井戸端会議をしているのを横目にベンチに腰を降ろした。


「ハイシア!」


 緑のエプロンをかけたメイが、薬屋がある方から走ってくると、私に声をかけてから隣に腰かけた。


「なんか、また騒がしいねぇ、みんな」


 メイはゆったりとした口調だった。


「あのさ、ダークエルフってそんなに厄介なの?」

「え、ハイシア知らないの?ちゃんとお勉強してる?」


 驚くメイに、頷きかけて止まってしまう。

 勉強はしてるけど、歴史に関しては聞き流しているなんて口には出来ない。

 出来ないが、この、おっとりとした友達を前に、嘘をついてはいけない気がして頷けないでいた。


「ダークエルフってね、エルフ族から追放されてるんだって。だけど、魔族でもないからあっち側でもない、はぐれものなんだって言ってた」

「はぐれもの…」

「魔族じゃないけど、魔族の仲間になるダークエルフも、いるんだって」


 メイの説明に、なるほど、と頷いた。

 大人たちがダークエルフを避けるのは、要は、ダークエルフが怖いからなのだろう。

 あそこで倒れていたのが、魔族の仲間のダークエルフだったらどうしようという不安と恐怖があるのかもしれない。


「喋れるんなら、別に良いんじゃないの?コミュニケーションとれるんだし」


 怖がるのはそれからでも遅くないというのに。

 これも一種の色眼鏡というやつなのかもしれない。


「ハイシアなら、そう言うと思った」


 にへ、と笑うメイの笑顔に、私も口角をあげる。

 そして同時に考えるのは、この笑顔をチャーリーが見ていたら、果たしてどんな反応を見せるのだろうかという事である。

 きっと顔を真っ赤にするに違いない。


「でも、どうするんだろうね?」

「さあ?さっきシーアラが、軍の仕事だって言って、会いに行ったみたいだったけど」

「大丈夫かなぁ…」

「どうだろうね」


 軍がダークエルフをどうするのか気になったが、流石に、教会に戻って盗み聞きをするなんていう選択はとれなかった。

 エルフ族から追放されたということは、もとはエルフ族なんだろうか。

 だとしたら、死んだお母さんの事、何か知ってたりするんだろうか…

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