約束
サイトゥルが編成した軍に混じって、拠点だという場所に向かったのはお昼になる少し前だった。
村の近く、よくスライムとランと一緒に遊んだ森の更に奥にある、魔族との境界線に一番近い場所だ。
境界線ギリギリの向こう側も暫く森が広がっているけど、よくよく目を凝らすと、微かに、岩を切り出した様な大地が広がっているのが見える。
逃げ出そうにも、ここにはサイトゥルだけじゃなくて兵士たちが大勢いて、きっと、私をあっという間に捕まえるに決まっている。
それがわかっているから、逃げだす事も出来なかった。
「おいチビ、手伝え」
「あ、はい…」
テントの布を放り投げられて、慌ててそれを手に取る。
名前は知らないけど、何度か訓練所で見た顔だ。
「なんだぁ?ビビってんのかチビ。勇者の肩書きが泣くぜ」
「う、うるさいな!」
意地悪くニヤニヤとする兵士に、震える声で言い返す。
勇者になりたかった訳じゃない。だから、肩書きが泣こうがなんだろうが、私にはどうでもいい。そもそも『かたがきがなく』って意味もよくわかってないけど。
手にした布を見様見真似で広げて、なんとか拠点設営を手伝った。
出来上がったいくつかの拠点の中でも特に大きなテントの下では、長机が置かれ、更にその上に、軍の訓練所で見た地図と駒が置かれた。
サイトゥルが何人かの兵士と、難しい顔で話してる。
時々、駒をつまんでは地図の上に置いて、どけて、また置いてを繰り返した。
大人達はみんな、訓練所に居たときよりもピリピリとしてたから、邪魔にならないように端っこに避けて地べたに座った。
訓練所で何度も見てきた人たちは、サイトゥルみたいなトゥルントゥルンな鎧じゃないけど、それでも、いつもより『凄い格好』をしてる。
いっつも人の事を馬鹿にしてくるやつも、その格好のせいで偉く見えた。
それから暫くは、なにもする事がなくて暇だった。
地面に座ってるせいで段々とお尻が痛くなってくる。
ずっと座ってるのもなんだったから、立ち上がると背筋がピキピキとした。
サイトゥルも、その周りのちょっと偉い人たちも、一番大きな拠点の下から動かずにずっと地図とにらめっこしていた。
「たいさーー!大佐!サイトゥル大佐!!」
森の中を駆け抜ける足音と共に、サイトゥルを呼ぶ焦った声が響いた。
暇でくっちゃべってた他の人も、呼ばれたサイトゥルも、サイトゥルと話をしていた人達も、みんなが一斉に声のした方へと顔を向ける。
私も同じように顔を向けた。
遠くから走ってきたのか、それとも兎に角全力で走ってきたのか、息が上がっている兵士の顔は真っ青だった。
「どうした、何があった」
サイトゥルがテントから出て兵士のそばまで行くと、兵士はようやく足を止める事が出来た。
何度も苦しそうに呼吸して、喋るのもままならないみたいで森の奥を指差すだけでいっぱいいっぱいだ。
兵士が森を指差すのと同時に、難しい顔をしていたサイトゥルの目がまんまるになる。
そして思いっきり、サイトゥルが息を吸い込んだ。
「全員配置につけ!ただし、こちらからは手を出すな!」
森中に響くんじゃないかと思うぐらい大きな声だった。体が少しビリビリするくらい。
耳を塞ぐ間もなく全員が一斉に張ったテントへと駆け出し、順番に剣と盾を手にする。
「ハイシア、お前はこちらへ来い」
「え、」
何が起きてるのか教えてよ!って言う間もなく、サイトゥルが大股で私のところへやってきて、腕をつかむ。
村長よりもずっと強い力だ。
「痛い!」
「構っている暇はない、来い!」
歩くというより、もはやほとんど引きずられる様な形でサイトゥルに引っ張られ、先程までサイトゥルと偉い人たちが居た拠点に連れられる。
拠点でようやく止まってくれて、振り返ってみると、地面に私が引きずられた靴の跡が出来ていた。
サイトゥルが腕を離し、みんなが持っているよりも二回りぐらいも小さい盾と剣を、荷積みの中から取り出して私に突き出す。
稽古で使うような、『絶対に相手を傷付けない剣』じゃないものを、私は初めて見た。
「何をしている、さっさと受け取れ!」
「は、はいっ」
またビリビリと痺れる様な怒号が落ちてきて、思わずサイトゥルから盾と剣を受け取ってしまった。
ずっしりと重たくて、肩がぶら下がりそうだ。
「お、おもい…」
剣も、いつも稽古で使ってるものよりも重たくて、到底扱えるようなものじゃない。
大きさは、大人用とは違って私の身長に合わせたものになってはいるけど、グリップを両手で握らないとしっかり構えることも出来ない。
「何だその姿勢は!」
「だ、だって、重い、から」
「言い訳はいらん!」
何発もの雷が落ちてきて、頭の上のたんこぶ団子なんてレベルの話じゃない。
村長の、たんこぶ団子を五つ作りそうな尖った空気だって、これが大人の本気なのかと思わず怯んじゃったのに、更に上があったなんて。
なんだっけ、蛇に睨まれたカエルって、今の私の事を言うんじゃないか。
まわりの大人達は私に嫌味を言う余裕もなくて、次々と、自分の盾と剣を持って森の奥へと消えていく。
「魔王がやってくるぞ。相手の出方次第では、ここは戦場になる。命のやり取りをする事になる。お前にその意味がわかるか」
サイトゥルは私を鋭く睨んでから、あのピッカピカの盾を手にして、私が持つ剣よりも何倍も大きな剣を片手で持ち上げた。
「ついてこい」
今度は地面を揺らしそうな、大きくはないけど低い声で、私を呼ぶ。
嫌だと言うことも、わかったと言うことも出来ず、言われるままに、震える足をなんとか前に一歩出すのが精一杯だった。
一歩前に進むごとに、村で感じた空気の何倍もピリついた雰囲気を強く感じていく。
配置についたらしい、訓練所で何度も見かけた顔たちは、私を見てから、手に持っている剣や槍を握りしめ直していた。
額にうっすらと冷や汗を滲ませている人や、細く息を吐き出して震えている人もいた。
サイトゥルが私を連れだったのは、その最前線だった。
前にはサイトゥルの背中しかなくて、その奥は、多分、少し行けば切り出された様な石の道が続いているんだと思う。
目を薄く開いて凝らすと、遠くに砂粒みたいな影がいくつも連なっているのが見えた。
「さ、サイトゥル…」
「怯むな」
「ちが、ちがう、あれ」
ただ前を見据えているサイトゥルとは反対に、震える声で伝えるのが精一杯だ。
「何が見える」
「わかんない、けど…」
砂粒は少しずつ、少しずつ、大きくなっていく様に見える。
動いている。
動いて一直線にこっちに向かってくる砂粒なんて、聞いたこともない。
「なんか、くる…よ」
「構えろ、怯むな」
心臓が胸を突き破って出てきそうだ。
吐き出す息は震えてすっかり上がり、嫌な汗をかいている。
グリップを握る手が汗でべしょべしょなのに、指先が寒い。
サイトゥルが、少し後ろにいる単眼望遠鏡を持った兵士に目配せすると、兵士は頷いてレンズを覗き込む。
「…何だ…?確かに魔族の様だが…あれは…あれが新しい魔王…?」
「報告を」
戸惑いの声をあげる兵士に、サイトゥルは声だけかけた。
「はっ。魔物が列を成してこちらに向かってきています。ただその中央に位置しているのは、子供です。ハイシアより少し年上ぐらいの」
「なるほど…それが新たな魔王か」
砂粒だった大きさの影はどんどん大きくなって、形を成していく。
ゴブリンの様な小さい影や、翼の様な影、中には、ぱっと見ただけだと人間なんじゃないかと思うほど、私達と形がそっくりな影もある。
影が近付けば近付くほど、サイトゥルも、みんなも、緊張感に包まれていく。
まるで周りの温度だけがどんどん下がっていくみたいに、手足の先が、凍ってると思うほど冷たくなった。
形を成した影は次第に輪郭を浮き彫りにする。
子供ぐらいの背丈をした緑色の肌をする、棍棒を持った何匹ものゴブリンや、人と同じような顔の造りをしている、背中に黒い翼を生やした吸血鬼とか。
あんなにたくさんの魔族を目にするのは、初めてだった。
中には名前を知らない者もあった。
二本足で立って歩くのに、体の上半分は蜘蛛みたいで目がたくさんある者とか。
ぞわりと背中が震える。
境界線ギリギリまで魔族はやってくると、示し合わせたように動きを止めた。
境界線を越えない様にしているみたいで、その中央を、道を開けるように魔族が避ける。
壁のように背が高い魔族達の影から、人間と同じ形をした脚に黒い靴が覗き込んだ。
「─え」
黒い髪の毛にムーングレイの瞳の、人間と同じ顔立ちをした少年が、境界線ギリギリまで踏み込むと最前列の魔族達は同時に一歩下がった。
「人間が境界線の近くで陣を張っている。これは、我々魔族への攻撃の準備か?」
「まさか。ただの訓練に過ぎん。そちらの早とちりではないかな」
自分よりも背が高いサイトゥルにも引けを取らない堂々とした姿は、むしろ、サイトゥルよりも彼を大きく見せた。
サイトゥルよりも小さいはずなのに大きく見える。
「早とちり…まあ、良い。これは良い機会なのかもしれない。人間、そろそろ我々魔族との長い歴史の中で起きた争いに、終止符を打とうではないか」
「よもや、宣戦布告と受け取られかねないということをおわかりか?魔族の王」
「なるほど、はっきり物を言ってやらねばわからぬか。今、我々はまさにその宣戦布告をしたのだと!」
少年が声高らかに宣言した言葉をきっかけに、境界線の向こう側にいた魔族達が一斉に境界線を踏み越え始めた。
同時にサイトゥルが、今日一番の怒号をあげだす。
「構えーー!!」
私の後ろで、震えたり、剣を握り直していた兵士たちが、一斉に、わっと動き出した。
「な、え、まっ、て」
どんっ、と背中に衝撃が走ったと思うと、後ろから押されだして、集まる群衆の中で揉みくちゃにされていく。
みんな目の前の敵しか見えていないのか、足元にいる私を蹴ったり踏んだりで、私はどんどん埋もれていく。
サイトゥルが私に押し付けた盾がなかったら、お腹が今頃ぐっちゃりと潰れていたかもしれない。
いや、そんな事よりも。
大人よりも小さい体をなんとか動かして、群衆の足元と足元の間にある隙間を縫っていき外へと這い出ていく。
「っ、はっ」
やっとの思いで鎧の足を抜けきり、息を上げながら立ち上がった。
「言ったはずだよ。魔族は人間を殺そうとしてるんだって」
聞こえてきた声にはっとして顔を上げる。
「だから、勇者が必要なんだって」
いつの間にか、少し年上になっていた。
同じ目線だったはずなのに、たった数週間会っていなかっただけで、目線を少し上げなければ目が合わないくらい、大きくなっていた。
「なん、なんで、ラン、」
喉に言葉がつっかえて、うまく喋れない。
頭の中をじわじわとモヤが覆いつくしていって、何も考えられなくなりそうになる。
手に持った剣がカチカチと音を立てて、立ってるのだってやっとだ。
「長い長い、人間とのにらみ合いの歴史に終止符を打つんだ。言っただろう?」
ランは眉間にシワを寄せて目を伏せた。
その表情は見たことがある。
何で勇者が必要なのかって話を湖でした時と、同じ表情だ。
嘘だ、ランは嘘をついている。
なんで、どうして?なんでそんな嘘をつくの?けど、魔族は本当に人間を襲ってる。
戦ってる。
これは嘘?本当?だんだんわからなくなってくる。
「なん、っ、うそ、うそ」
「本当だ」
『何で』と『うそ』しか言えない魔法にでもかかったみたいに、ランにそれだけを言い続ける私に、ランはぴしゃりと言い放つとおもむろに手を宙にかざす。
ランの足元から大量の力を含んだ突風が吹き出して、私の体を強く打ち付けてきた。
盾で防ぐ間もなく、立っているのがやっとな程の力の塊が、突風という形からだんだんとランの手のひらへと集まっていった。
小さな丸い力から、それはほんの数秒で空を覆い尽くす程の、巨大な一枚の板のようなものへと変わっていく。
「な、なんだあの魔力量っ…」
「あ、あれが新たな魔王の──」
「なんって、力なんだっ」
後ろで兵士たちが次々と、唖然と言葉を漏らすのが聞こえる。
「嘘じゃないんだ、ハイシア」
困ったような、泣きそうな、けど小さく笑って、優しい声でそんな事を言った。
その瞬間、空を覆う程の力の塊が強烈な光を放つ。
目も開けていられないほどの眩しさに、今度こそ、持っていた盾で顔を覆って、ぎゅっと目を閉じた。
一瞬にして、魔物の雄叫びも、サイトゥルや軍のみんなの怒号や叫び声も、聞こえなくなった。
代わりに私が吐き出す息の音が、いつもより大きく聞こえてくる。
ゆっくり、ゆっくり、そっと、うっすらと目を開けていくと、さっきと変わらず地面に生えている草が見えて、盾から顔を出す。
そこには誰も居なかった。
目の前で、空に手を掲げてふっ、と息を吐き出したランがゆっくりと手を下ろす。
さっきまで戦ってた魔族達も、サイトゥルたちも、どこにも居ない。
「ハイシア」
「な、ど、どこ…みん、みんな、どこ、行ったの…」
一瞬の出来事に、頭が追いつかない。
「ハイシア。僕の本当の名前は、ランディオル。ランディオル・ユル・ザンサス。五十代目の魔王」
「ら、らん」
「ハイシア、僕はいつか、人間との長いにらみ合いの歴史を終わらせたいと思ってる。手を取り合えたらとも思ってた。けど、きっとそれは無理だ。だからせめて、もっと君が大きくなって、あの人みたいになったら」
数週間前までいつも見ていた様な笑みがランにはあった。
ちょっと大人びて数週間前の記憶とは少し違うけど、それでも変わらない、穏やかな、柔らかい優しい笑みだった。
「僕のところまでおいで。このにらみ合いの歴史に終止符を打って。約束だ」
あまりにも一方的過ぎる約束をとりつけて、ランは、盾を持ったまま呆然とする私の手を握って、そして、居なくなってしまった。
一瞬で消えてしまったから、多分、魔力を使って何処かへ行ってしまったんだと思う。
しばらくの間、私は立ち尽くしていた。
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