道しるべ

 呆然としていた私の意識を現実に引き戻したのは、カラスの鳴き声と、冷え出した風だった。

 盾を杖の代わりにして立ち上がると、お腹に痛みが走る。

 服の裾を引っ張って捲ると、これでもかというほどでっかい痣がお腹を占領していた。

 なにか持ってたっけ。

 ぼんやり動く手が服をまさぐり、ズボンのポケットの膨れに当たった。

 ポケットに手を突っ込んで中のものを取り出して、何を握ったのか確認する。

 あったかい緑色をした液体が入った小瓶を、私の手は掴んでいた。

 メイから貰ったポーションだ。

 ああ、飲まなきゃいけない。

 瓶の蓋をあけて、一気に喉に流し込むとお腹の痛みが消えていく。

 味は甘いような、苦いような、不思議な味だった。不味くはない。

 空っぽになった瓶を投げ捨てて、盾を杖代わりにして歩き出した。


 サイトゥル達を探しに行かなきゃいけないし、あれだけ強い力だと村にもどんな影響が出てるか分からない。

 メイは大丈夫だろうか、村長は大丈夫だろうか。村の人たちは?

 次々に浮かんでくる疑問が、ぱちぱちと弾けて消えて、また浮かんで弾けて消えていく。


 何となくの記憶を頼りに、設営した拠点にたどり着いた。

 テントはなぎ倒されて無残な姿で散らばり、駒もあちこちに散らばっていた。

 人は誰も居ない。

 そばを通り過ぎて、引き続き、村へ続く道を歩いていく。

 真っ赤な夕日が葉を照らして、足元はどんどん暗くなって、視界が悪くなる。


 メイが初めて作ったというポーションの効果は抜群だった。

 お腹の痛みはすぐに消えたし、突風で負った擦り傷や切り傷も消えた。

 もちろん痛みもない。

 なのに、凄く『痛い』。

 どこがと聞かれると困るけど、とにかく、どこかが痛くて仕方がない。

 しゃんと歩けるはずなのに、足取りはよろよろで覚束おぼつかなかった。


 目を凝らして歩き続けると、見慣れた道が見えてくる。

 森の出入り口はすぐそこだ。

 なにか、盛り上がったものが見える。

 出発した時にはなかったはずだ。

 警戒するだけの気力も残っていない私は、ずるずると盛り上がったものへと近づいて行く。

 ピカピカと、『トゥルントゥルン』だ。


「─サイトゥル…?」


 こんもりと盛られたかの様に地面に伏してるのは、トゥルントゥルンの鎧を身に付けたままのサイトゥルだ。

 地面にはピカピカの盾も放り出されている。


「サイトゥル!」


 地面をぐっと蹴り上げて走った。

 足がもつれてよろけそうになる。

 盾が重たくて邪魔で、途中でほっぽった。

 倒れてるサイトゥルのそばでしゃがんで、トゥルントゥルンの鎧を軽く叩く。

 歩いても音がしなかった鎧が、カシャン、カシャンと音を立てた。

 特別みたいに見えた鎧も、今は全然、特別なんかじゃない。


「サイトゥル、サイトゥル!おきて、おきて!」


 思い切り揺さぶる。

 ガシャガシャと耳を突く、大きな音が聞こえる。

 それなのに、サイトゥルが起きる気配はしなかった。


 少し遠くでは、訓練所で見てきた兵士たちが何人も、サイトゥルと同じ様に地面に倒れていた。

 トゥルントゥルンの鎧は少しだけ傷付いているものの、サイトゥルは怪我をしている様には見えなかった。

 血が流れたり、顔が切れてたりもしてない。

 ただ寝てるだけみたいに見える。

 なのに、目を覚まさない。

 ガシャガシャ煩く音を立ててもだ。


「お、き、ろー!」


べちん、べちん、ガシャ、ガシャ


 何をやっても本当に反応がなく、ただ、鎧を叩いた手のひらが、じんじんと痛むだけだった。

 そのうちに、そんな事をする気力もなくなってきて、手が動かなくなる。

 サイトゥルの、ちょっと傷ついたトゥルントゥルンの鎧は冷たかった。

 だんだんサイトゥルの顔さえ夜の暗闇にとけて見えなくなってくる。

 人の事を小馬鹿にしたり、笑ってた兵士達の姿も。

 大人が本気で怒った怖さとは違う、何かに呑み込まれる様な怖さが、抱きついて、まとわりついてくるみたいだった。


「っ…」


 ぐっと歯を食いしばって立ち上がる。

 とにかく、誰かに知らせなきゃいけない。

 村へと続く道を進んだ。

 ほとんど真っ暗でも、サボるためにずっと通っていた道だ。

 だいたいどこに何があって、どこを曲がればたどり着くのかは、感覚でどうにかなった。

 しばらく歩き続けると、遠くに灯りが見えてきて自然と足が前に出る。

 早歩きだったものは、気が付いたら走っていて、息が上がる。

 それでも私が足を止めることはなかった。


 灯りがどんどん近づいて、ぼんやりとした景色は輪郭を顕にしていく。

 見慣れた屋根、広場の噴水、村を照らす高い位置にぶら下がったランタン。

 村の出入り口のそばにある広場では大人達が集まっていた。


「そんちょ、村長!そんちょー!」


 ありったけの声で叫ぶ。

 集まった大人達が一斉に私の方に向いて、ぎょっとしだす。

 薬屋の足元から、ちょこんとメイが顔を出して私に駆け寄ろうとするのを、メイのお父さんが慌てて止めに入っていた。


「お前…生きておったか」


 大人達が避けて道を作り、中心から村長が出てくると、冷たい声でそう言った。


「村長、手伝って!」

「何を言うか!勇者がまさか逃げてきたのではあるまいな!」

「違う!サイトゥルたち!一緒にきて!」


 サイトゥルよりかは幾分か小さい雷鳴の様な村長の声よりも、私の方が大きい声だったと思う。

 村長の腕を両手で掴んで、そのまま引っ張った。

 村長は一瞬だけ前につんのめって、またすぐにバランスを取り戻して、私に引っ張られる。

 後ろから、村の大人達もついてきた。

 サイトゥル達を見つけた場所は、先ほどと変わらない状態だった。

 軍の兵士たちが何人も地面に転がっているのに、みんな、怪我を負った様子はない。

 サイトゥル達は村の大人たちによって、軍の宿舎へと運び込まれた。

 魔族の領域の近くにある村といっても、顔の知らない住民がいる程大きくはない。

 軍に新しい人が増えれば気付くし、誰かが居なくなっても気が付く程度の規模だ。

 だから、いなくなってしまった人はいないことはすぐにわかった。

 みんな、目が覚めないだけだ。


 その翌日、何人もの魔導士が馬車に乗って王都からやってきた。

 どの魔導士もみんな、王様に仕えている事を示すバッジが胸にささっていて、村長の案内で宿舎へと向かって行くのを、私は見ていた。

 大人の誰もが軍の兵士の事を心配していている様だった。

 足を運んだ広場には誰も居ない。

 気が付けば私は、森の中にある湖に居た。

 太陽の光りが水面を照らしてきらきらと輝いていて、数週間前と何も変わっていない。水色のスライム達が飛び跳ねて私の足元にやってくるのも含めて。

 そこで初めて、ほっと、息を吐き出せたような気がして地面にぺたりと座り込んだ。


「みんなは、私のこと、怖い?」


 スライムを抱き上げて膝の上に乗せて、いつもしていた様に、つるつるのスライムを撫でる。

 ひんやりとして冷たくて、目は大きくて、時々、ぱちぱちと瞬きをする。

 スライムは、今更何を言っているのかと不思議そうに私を見上げた。


「ハイシア…?」

「だれ?!」


 私とスライム達しかいないはずのこの場所に、か細い声が聞こえ、弾かれたように振り返った。

 思った以上に大きくて警戒した様な、トゲトゲとした声に、私に声をかけた人は小さく肩を震わせてしまった。

 綺麗な緑色の髪を三角巾で束ねて、まんまるに開かれたブルーの瞳が私に向けられていた。


「な、なんだ、メイか…驚かせないでよ」

「…ご、ごめんね…ハイシアが森に入っていくのが見えたから…あの、そっち、行ってもいい?」


 遠慮がちに問いかけるメイに頷いて、膝に乗せていたスライムを地面にそっと降ろす。

 スライム達は今まで見た事のない人間から遠ざかる様に、跳ねて少し遠くへ移動し、私とメイの様子を伺う様に、動かなくなった。

 警戒はしている様だけど、メイをいきなり襲ったりするつもりもない様だ。

 メイはスライム達の様子に戸惑いながらも、隣まできて腰かける。


「あの、ハイシア…だいじょうぶ?」

「わかんない」


 大丈夫と言われても、一体何が大丈夫なのか。

 メイが言ってるその大丈夫が何に対してのものなのか、よく分からなかった。


「いつも、ここに来てたの?お稽古サボってた時とか」

「うん」

「そっか。あの…スライム達、襲ってこない…?」

「こないよ。ただ人間が珍しいからああしてるだけ。メイを見るのは初めてだから」

「そっか。えっと…いつもハイシアと遊んでくれて、ありがとう?」

「ちょっと。何でメイがスライムにお礼言うの」


 メイはご丁寧に、スライム達にお辞儀までする。

 スライム達はメイのその行動で、自分達にとって脅威ではない事を何となく感じ取ったのか、飛び跳ねながら、少しだけ距離を詰めた。

 詰めたといっても、本当にほんの少しで、まだスライム達は、手を伸ばしても触れないくらい遠くにいる。


「え?だって…お稽古サボったり、お勉強サボったりしてると、大人達が来るでしょ?ハイシアとあんまり遊べないんだもん…だから私以外にお友達、いるのかなって…ちょっと心配で」

「え、何それ。他にも友達いるよ!ランとか――」


 勢い任せで出てきた言葉にはっとした。

 『友達』という言葉が、何だかすごく痛い。

 昨日と同じでどこが痛いのかと言われると答えられないけど、それでも、どこかが痛くてたまらない。


「…ハイシア?」


 メイが不思議そうに私を見る。

 ランの事をどう説明したら良いんだろう。

 ランはどんな友達で、この湖でどんな話をして過ごしたのか、ともかく、メイ以外にも友達はいるからメイが心配する事じゃない。

 何か言わなきゃいけないと思うほど、開いた口が、塞がらなくなって、同時に動かなくなる。

 下唇が震えて、鼻の奥がツンとして、目の前は滲んでメイの姿がぼやけていく。


「ハイシア?どっか痛いの?怪我したの?昨日、魔王と戦ったって本当だったの?」

「ランは魔王なんかじゃない!」


 これでもかと言うほど大きな声で、叫んでしまった。

 滲んだ視界ながらに、メイが驚いているのが、なんとなくわかる。

 そういう空気をしている。


「あ、え、ご、ごめんね、あの、ただ、わたし」


 次第にメイの声も震えだして、そして次には、わんわんと泣き出してしまった。

 まさかメイが泣くなんて思っても見なくて、一瞬だけ、驚いて私の涙が止まる。

 そしてまた次第に、今度はメイにつられる様にして、結局二人して泣いてしまった。

 スライム達が足元まで近づいてきて、私達を慰めるように、心配しているかのように飛び跳ねる。

 もう、わけが分からない。

 勝手に涙は出るし、メイは泣いてるし、頼れる大人はどこにもいないし、ランは来ない。

 寂しいのか、怒ってるのか、許せないのか、悲しいのか、それも分からないぐらい、一気に『何か』が押し寄せてきて、それに潰されそうな気がして、余計に怖くて、ただ泣き続けた。


 私達が泣き止んだのは、すっかり陽が傾く頃。

 優しいオレンジ色に染められてのことだ。


「…ご、ごめん…メイのこと、泣かせるつもりじゃ」

「う、いわないで、また泣いちゃうよぉ」

「え、う、ご、ごめん…」


 涙ですっかり濡れた服の袖で、もう一度、ほっぺたを拭うメイの目はまだうるうるとしていた。


「と、友達、だったの…?その…」

「うん」

「…あの…ハイシア、これから、どうするの?」

「…わかんない。けど、勇者になりたくない。勇者になったら、ラン、倒さなきゃいけないなんて、やだもん…」

「あの…ハイシア、その人の事、教えてほしいの」

「ランのこと?」


 メイの首が小さく縦に動く。


「いいけど、なんで」

「だって、ハイシアの数少ないお友達だよ?気になるよ?面倒くさがりでお稽古抜け出しちゃうようなハイシアのこと、呆れないでお友達でいられるの、私一人だけだと思ったもん」


 地味に失礼な事を言う。

 けど確かにメイの言う通りだ。

 村にはもちろん、私とメイ以外にも子供はいる。

 その殆どは私の事を、「勇者なのに」って言って、サボる私を嫌う。

 だから村には、メイ以外に友達が居ない。メイが気になるのも仕方がないというものだ。


 メイにたくさん、ランについて話した。

 この湖で色んな話をしたこととか、スライムと一緒に遊んだこととか。

 ランは私達と同じくらいの見た目なのに、ちょっとだけ大人みたいで、あと、知ってる事が多い事とか。

 それから、実はちょっとだけ嘘つきだとか。

 最後にランが一方的にとりつけた約束の事も話した。

 ランは優しかった。優しかったのに、なんでこんな事になっちゃったのか。


 私が話している間、メイは時々相槌をうちながら、話を聞いてくれた。

 私自身が、何が起きたのかわからないのだから、話を聞いてる方はもっと分からないはずなのに、それでも、ちゃんと聞いてくれた。

 私が話終わったあと、メイは、ちょっとだけ驚いていた。

 それから、足元まできていたスライム達に視線を向けて、そっと手を伸ばした。

 スライムは一瞬動きを止めて固まったものの、メイが攻撃のために手を伸ばしたわけじゃないとわかると、むしろ自分の方から、メイの手に寄っていった。


「わ、冷たい…つるつる…きもちいいね」

「え?え、うん。良い子でしょ?」

「うん。大人たちが言ってる魔族と全然違う」

「…それは…」


 大人たちが言ってる『魔族』は、きっと、昨日のランの様な事を言ってるんだろう。

 自分達を攻撃してくるかもしれないと、村長たちはいつも言っていた。

 魔王を倒すために勇者は存在しているのだと。人間をいつ襲うのかもわからない、危なくて悪い奴らなんだと。


「あのね、私、お母さんみたいになりたいの」

「薬師でしょ?」

「うん」


 メイはスライムを撫で続けている。

 撫でられているスライムも、なんだか気持ちが良さそうだ。


「魔導士ってね、薬師よりもずっと魔力が多いんだって。だから、薬師の個性を持つ人よりも、お薬を作るときに、魔力のコントロールがすごく難しいんだって言ってたの」

「え?でもこの前ポーション出来たって言って、くれたじゃん」

「もう。出来上がるのにいっぱい時間かかったんだよ?」

「どれくらい?」

「四年」


 いっぱいといっても、メイには、薬師としての色んな事を教えてくれる人がすぐそばに居るのだから、長くても一か月とか、それくらいだろうと勝手に思っていた。

 それが実際には、四年もかかって、あの小瓶一つ分のポーションを作っていたなんて、驚いて声も出ない。

 四年もかかるなんて、私だったら多分投げ出す。

 面倒臭いって言って、やめちゃう。

 それをメイは、ずっと、投げだす事もしないで、作り続けていたという事なんだろうか。


「お母さんね、何回も私に言ってきたの。諦めて魔導士になったほうが良いんじゃないかって。凄く大変なんだよって。でも、私、お母さんみたいになりたいっていうの、諦めきれなくて。お母さんのこと、大好きだから」


 スライムを撫でていたメイの手が止まって、私に、綺麗なブルーの目が向けられる。


「ハイシアは、ハイシアのやりたいこと、やったらいいよ」

「え?」

「みんなが言う勇者じゃなくても、ハイシアじゃないと出来ない事があるのかなって。魔導士が薬師になっちゃだめなのかな。魔王を倒さない勇者がいちゃ、だめなのかな」


 メイはいつもおっとりとしていて、村でも大人たちから可愛がられていた。

 ほわっとしてて、家族に大事にされていて、勇者の個性を持って生まれた私と違って、色んな道が選べて、自由なんだろうなって思ってた。

 けど、目の前のメイは、そんな印象からは想像もつかない程、強い目をしていた。


「…勇者には、なりたくない」

「面倒くさいから?」

「本当は、違う。勇者になったら、この子たちの事も倒さなきゃいけないかもしれないって思った。だから、それが嫌で、だったら勇者になんかなりたくなくて、それで、面倒くさいって言って、稽古とかお勉強とかサボる事にしたんだ。そうすれば、いつか村長とか、サイトゥルとか、みんな私のこと、諦めてくれるなって思ったから」

「魔王とか、魔物とか倒さない勇者に、なっちゃえばいいんだよ!魔導士だけど薬師になるんだ、私は。それとおんなじ」


 にへ、と柔らかい笑みを浮かべたメイに、私は、何も言えなかった。

 なれるかな、そんな勇者に、なんて不安が大きいから。

 それでもメイが言ってくれた言葉が嬉しかったのは本当だ。

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