勤務時間のスイッチは、どうやら前髪にあるようです

 朝の支度を済ませ、朝食を食べる。

 先に食べ終えた村長が、家の外のポストを見てくると席を立った。

 村長の背中を目で追ってから、パンを頬張り、スープを飲む。

 今日はコーンポタージュだ。

 ご飯の後は、食器を片付けてから座学の勉強である。

 なんだったか、確か魔法基礎の勉強云々かんぬん。

 ぼんやりと今日の日程を思い出しながら、朝食をたいらげた。


「ハイシア、お前に手紙がきておる」

「は?」


 村長が一枚の封筒を手に戻ってくると、それを私の席に置いた。

 封筒に書かれている文字は日記帳ほど難しいものではなく、寧ろ、教えられたばかりの字だけだ。

 教科書と比べると随分乱暴で汚い文字だが、形はちゃんと成してるから、辛うじて読める。

 封筒を手にとり、まじまじと読解していく。


「なになに?は、た、し、じ、よ、う??」

「はたしじょう。果たし状だろうが」


 読み間違いがあるのはご愛敬だ。

 村長が呆れた様にため息をつきながら、読み上げた文言を訂正してくれて、うまく言葉になった。


「果たし状って、あれ?俺と戦え!ってやつ?」


 裏表を逆にすると、文字が記載されているのが分かる。

 文字を一つずつ、さっきと同じように見ていく。


「ち、やー、りー…チャーリー?うえぇ…チャーリーからの果たし状って事?」


 今度は村長の訂正が入る前に自分で読解出来たものの、読み上げた音に、私はあからさまに顔をしかめた。

 村長と同じ雷親父二級保持者である父親にあれだけこっぴどく叱られてなお、こんな果たし状まで持ってくるって、いったいどんな恨みが私にあるというんだ。

 人の恋路を邪魔する奴は面倒くさい事に巻き込まれるとか、言ってる場合じゃないんじゃない?これ。

 封筒をあけて中身を確認すると、お世辞にも綺麗とは言えない、大きめの紙が一枚入っていた。

 明らかにいらない紙を丁度いい大きさに手で千切って、そこに文字を書いている。

 その証拠に、紙の端がだ。

 手紙の用紙だとかを持っていなかったのだろう。


「えーっと?き、よ、う…今日?ひ、ろ、ば、で、ま、つ。今日、広場で待つ?」


 いかにも果たし状っぽい文章なんだろう。何となくだけどそんな感じがする。

 問題は、それしか文字が書いていない事にあった。

 いやいや、内容も、すごく問題だけど。

 時間が書いていないのだ、この果たし状には。

 いったい何時に広場に行ったら良いのか、まったく不明だ。

 そういう所が、ある意味で、チャーリーっぽいなと思ってしまった。


「聞いたぞ。この前金槌で殴られそうになったらしいな。チャーリーに何をしたんだ」


 村長が鋭い目つきで私を睨む。


「えーっと…チャーリーの恋路を邪魔しちゃった?前に先生が教えてくれた、『人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえ』っていう状態というかぁ…?」


 チャーリーがメイを好きなのは、顔を真っ赤にしている本人を見てすぐに分かった。

 メイに嫌いと言われて、まるでこの世の終わりでも見てきたのかと思うほど真っ青になっていたのも、チャーリーがメイの事を好きだからなんだろう。


「村長、面倒くさいよぅ…」


 剣術の稽古の事とか、勉強の事じゃないし言っても怒られないよね、と思いながら出した言葉に、村長は私を睨んでおしまいだった。

 雷を落とされないから、このラインで面倒くさがるのは大丈夫という事なんだろう。

 そのかわり、助言もしないのは、『自分でどうにかしろ』『子供の面倒ないざこざに巻き込むな』という事なのかもしれない。

 椅子に座って、脚をぷらぷらとさせながら、私は手にした果たし状を、さてどうするかと考えた。


 子供の予定なんて、大人からしてみれば小さなことである。

 時間通りに先生が家に来て、一緒に二階へと上がる。

 机にノートと教科書を広げれば、今日の授業の始まりだ。

 今日は魔法基礎についての勉強で、教科書には文字よりも魔法陣の方が多く載っている。

 それでも解説文なんかはあるから、先生は、文字を勉強中の私のために音読をしてくれる。

 質問をすれば、嫌そうな顔をしながらも読み方を教えてくれたりもする。

 勇者に魔法基礎なんて必要なの?と思うが、どうやら私には必要な事らしい。

 剣術とかの肉体戦術だけじゃないのが、これまた面倒くさい。

 魔法なんて、サボるために覚えたサイレントと、その上位魔法のステルスだけで十分だ。

 途中で寝なかったのは、目と耳による、文字と音の追いかけっこをしていたからだ。


 無事に今日の座学も追えて、昼食をとって、それから少し時間が空く。

 食器を片付けた後、広場にでも行こうかと迷ったが、チャーリーからの果たし状の事があるためやめておいた。

 その代わり、稽古までの少しの時間だけなら良いかな、と、湖に行ってみようと思った。


 スライム達は元気にしているだろうか。

 何か月も会えていない私の事は、忘れてしまっただろうか。

 そんな事を考えながら、森へ向かうための道を歩いていく。

 広場を通れないから、ぐるっと遠回りをして行こうと思った。


「みつけたぞ!」

「んぎゃっ!」


 後ろから、子犬の鳴き声みたいな叫びが聞こえて思わず変な声が出た。

 反射的に振り返ると、そこには、使い古されたバケツの底を頭にかぶって、木の板を盾の様に持ち、もう片手に木の棒を持ったチャーリーの姿があった。


「…うわぁ…」


 思わずドン引きである。

 その格好もそうだけど、何より、わざわざ広場を通らない道を進もうとしたのに、果たし状に書かれた場所ではなく家から少し進んだ先で会ってしまったのだから。

 武器屋から広場に行く道とは真反対の道のはずだ。


「お前がいつまでも来ないから迎えに来たんだ!決着をつけてやる!」


 息巻くチャーリーとは反対に、子供ながらに色んな事を突っ込みたくて仕方がない。


「決闘って迎えとかそんなのあったっけぇ…?」

「お、お前がいつまでたっても来ないから!」

「あの果たし状、時間書いてなかったんだけど」

「は、はぁ?!そ、そんなはず!」

「なんなら村長に聞いてもいいけど」


 だんだんチャーリーの顔が真っ赤になっていく。


「それじゃっ!」

「あ、あ!おい!」


 チャーリーが狼狽えている隙に、一目散にその場から立ち去った。


 チャーリーから逃げて暫く走ると、森の入り口に辿り着く。

 時計がないから、空の、太陽のある位置を意識して湖に行かなければならない。

 数か月ぶりに入る森の中を、迷う事なく歩き続ける。

 途中で道を曲がって、暫くすると、開けた場所に出た。

 太陽の光を浴びて水面がきらきらと輝き、その周辺にはスライム達がぽよぽよと、ジャンプをして楽しそうに過ごしていた。

 ランは来てないのかと目で確認してしまい、そんな自分に小さくため息をついた。

 一歩一歩湖に近付くと、スライム達が私に気が付いてぱっちりとした目を向ける。

 警戒する事も、逃げる事もなく、寧ろこちらに近付いてきたのを見て、胸を撫でおろした。


「ひさしぶり」


 声をかけると、楽しそうにスライムが飛び跳ねる。


「ちゃんと私のこと、覚えていてくれたんだ。良かった」


 腰を降ろすと、一匹のスライムが私の膝に飛び乗ってくる。

 まるで撫でてくれとせがんでいる様に見えて、その通りに優しく撫でると、つるつるでひんやりとした感覚が手のひらに広がった。


「ランは、たまには来てるのかな」


 不思議そうにスライムが瞬きをする。

 そして、きゅ、きゅと小さい音を鳴らした。

 うん、ランはあれ以来、ここには来ていないみたいだ。

 意外なことに、メイがたまにここを訪れる事も教えてくれた。


「そっか~…ラン、もう忘れちゃったかな、私たちの事」


 細く、息を吐き出した。

 ここに来ると肩の力が抜けるものの、あの出来事の前と比べると、気持ちが少し違う気がする。

 落ち着かないというか、スライム達をいつか倒さないといけない日がくるのかとか、そんな事を考える。

 そして同時に、メイが言ってくれたことも、思い出す。

 魔物を倒さない勇者がいちゃだめなのか、魔王を倒さない勇者がいちゃだめなのか、と。


「貴様の迷いの原因はソレか」


 突然頭上に、氷柱が落っこちた気分になった。

 弾かれた様に振り返り素早く立ち上がる。


「な、なんでここに居んの!」


 剣を構えたシーアラを睨み上げる。

 いつもの何倍にも増した冷たさをする目に、一瞬怯みそうになるものの、踏ん張って視線を逸らさないようにした。


「答える義理はない」


 一歩一歩、ゆっくりと近づいてくるシーアラの手は、剣を離そうとも、納めようともしない。

 じりじりと近づくシーアラの圧に、今にも気圧されそうになる。

 足が震えて、氷柱から逃げだすイメージしか頭に浮かばない。

 凍った地面を必死に走って逃げて、その後を追うかのように次々と氷柱が落ちてきて、スライム達が凍って割れていく様な、そんなイメージだ。

 心臓が煩い。吐き出す息が震える。額から汗が滲み出る。

 現実のシーアラは、今もゆっくりと近づいてくる。

 その眼には、スライム達が映っていた。


「う、うあああああああ!」


 気が付いたら、叫んでいた。

 地面を蹴ってシーアラへと向かって行く。

 頭の中で、自分の目の前に薄黒いバリアを張るイメージが湧いてきて、そのバリアごと、シーアラに思いきりタックルをかました。

 どんっ、と体に衝撃が走る。

 ぶつかった肩から、変な音がした気がしたけど構っている余裕はない。

 シーアラが足を踏ん張り反発しかけるものの、重心が傾いて、地面にしりもちをついた。

 咄嗟に飛び乗って、その次には後ろを振り返る。


「みんな逃げて!殺されちゃう!」


 叫んだ私に驚いてスライム達が一瞬ぐにゃりと形を変えるものの、すぐにいつもの丸型に戻って、ぴょんぴょんと飛び跳ねて奥へと姿を消していく。

 スライムが逃げられたことに安堵する間もなく、首をもとの位置に戻してシーアラを見下ろす。

 自分が倒れているにも関わらず、シーアラは、刺す様な目で私を見ていた。


「人間ではなく、魔物の側につくのか」

「うるさい!」

「魔物は人間に害を成すと知っていてか」

「違う!みんな、何にもわかってない!」

「分かってないのは貴様の方だ!ハイシア・セフィー!」


 今まで聞いたことがないシーアラの怒号に、思わず目がまん丸になった。

 驚いて呆けている私を、シーアラはどかして起き上がる。


「魔物は人を殺す。貴様それを見てきたはずだ」


 怒号のその次には、もう、いつもの様なひんやりとした声に戻っていた。


「サイトゥル大佐たちはなぜ目覚めない。それは魔族の仕業だろう」


 確かにそう。

 シーアラの言う通り、サイトゥルたちを眠らせたのは間違いなくランだ。

 自分を魔王だと言った、その人だ。

 見ていたからこそ、否定が出来ない。


「魔族はやがて人を食らいつくす。その未来を食い止めるのが勇者たる貴様の務めだ」


 座っているのに私を見下ろすシーアラの言葉に、だんだんと、私の目が吊り上がっていく。


「やっぱなんもわかってない!シーアラは、なんもわかってない!」

「ならばなぜサイトゥル大佐たちは眠り続けている」

「ランが本気出したらみんな死んでた!サイトゥルたちは生きてなかった!」


 まるで、防波堤が決壊したみたいに、次々と口をついて言葉が出てくる。


「人間と手をとりあえると思ったって言った!けど無理だって!だからランは私を待ってるの!人間と魔族の長い睨み合いの歴史に終止符を打つって!だから待ってるって!ランはそう言ったの!そう言って泣きそうな顔してたの!睨み合いの歴史に終止符を打ってって私にそう言ったの!あんたに何がわかんの!」


 言ってる事も、顔も、ぐちゃぐちゃになっていた。

 目の前が滲んで次から次へと涙が出て、止まらない。

 ランの事を悪く言う事が許せなかったのか、それとも友達であるスライムを斬ろうとしたのが許せなかったのか、それすらもわからない程、ぐちゃぐちゃだ。


「それが、あの日、貴様に起こった事か」

「言わない!知らない!」


 服の袖でごしごしと目を拭いても拭いても視界は明瞭にならない。


「質問を変えよう。その力はどこで身につけた」

「知らない!力なんてない!」


 力があれば、今頃はランを止められていただろう。

 シーアラがなんのことを言っているのか理解が出来ない。

 ついでにシーアラが今どんな顔をしているのかも分からない。

 どうせひんやり冷たい目か、針の穴に糸を通すような鋭い目をしているか、或いは人を刺せそうな目でもしているんだろうと思う。


「自覚がないのか。あのシールドを張ってタックルしてきただろう」

「だから知らない!」

「魔法は使えないのか」

「サイレントとステルスしか使えない!」


 どちらも低級の魔法だ。

 ちょっと魔力があれば使えるし、練習もそんなに必要じゃない、基礎中の基礎の魔法だったはずだ。

 対してシールドと言えば、耐久度はまちまちだが、習得自体が難しい高度な魔法だったはずだ。

 今日やった座学の勉強でも、そんな話をしていた様な気がする。


 次第にぐちゃぐちゃだった頭が整理されていくも、途中からは自棄の様な状態に陥った。

 スライムを斬ろうとしたことも、魔族のことを一括りに悪く言った事も許せなくてぐちゃぐちゃだったことを、認識した。


「貴様の迷いは、魔王と知り合っていたことか」

「うるさい!」


 ようやく視界が輪郭を持ち出して、最初に目にしたのが氷柱の様な冷たい視線を向けているシーアラというのは、どうにも腹の立つ話だ。

 墓穴を掘ったものだから、斬られるんじゃないかと警戒をしてもう一度睨み上げた。


「貴様の剣は、堕落ではなく迷いだった。貴様が言う事は本当の事なのだろう。だが、何故決意しない」

「勇者になったって友達倒すことになるだけじゃんか。だったらそんなのいらない」


 シーアラが、はぁ、と深いため息をつく。

 その次には、自分の前髪をくしゃりと崩して私に顔を向けた。

 いつも完璧で冷酷な軍の大佐が、だ。

 兵士が見たらびっくりしてきっと動けなくなるだろう。

 当然私も動けない。


「今は勤務時間外だ」


 そう言って、こほん、と一つ咳払いをした。


には歳の離れた妹がいる。お前のように、随分と駄々をこねるじゃじゃ馬だ」


 いきなり何を言い出すのかと思えば、家族自慢でも始まってしまったのか。

 けど、どういう意味なんだろうか。『勤務時間外だ』って。


「兵士ではなく、妹を持つ一人の兄として言っておく」


 別に私の兄じゃないけど、という言葉は呑み込んだ。

 冷たい目ではあるけど、普段のシーアラとは違う様に思う。

 氷柱の様な鋭いものではなく、吹雪が止んだ後の銀世界の様な、そんなひんやりとした目だ。


「自分がしたい事をしろ。倒したくないというなら、倒さなくてもいい自分になれ。そのためには名声も地位も経験も必要だ。口先だけのやつの後ろには、誰もついてこない。魔王を倒さなくていい勇者になれば良い」

「…え…」


 森に差し込む太陽の光りが、シーアラを、森と一緒に照らした。

 絶対に見る事のないと思っていた、シーアラの笑みがそこにはあった。


「勇者とは、勇気がある者の事だ。魔王を倒す者が勇者なのではない。倒さない事がお前の勇気なら、それを示せ。迷いを捨てろ」


 シーアラは言い終わると、また、深いため息をついて立ち上がり、くしゃくしゃにした自分の前髪を整えだす。

 そして何かを思いついたように、前髪を整え終える前に、私を見下ろした。


「教会に行って、今の自分の力量を知れ。ここまでは助言だ。そしてここからは勤務時間だ」


 今度こそ、シーアラは前髪を整えきると、軍の訓練所で見る氷柱の様な視線を向け、私の腕を掴んで立ち上がらせた。


「剣術の稽古の時間はもうすぐだぞ。訓練所についたら、まずは肩の治療だ」


 そう言って、一人、村へと続く道を歩き出してしまった。

 あまりの豹変ぶりに驚いて、暫くの間、動くことが出来なかった。

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