オトナの気配
剣と剣が激しくぶつかり合う音が響く訓練所の休憩スペースで、すっかりボロボロになった訓練用の剣を持ちながら、兵士たちの動きを眺めていた。
サイトゥルが村の軍を取り仕切っていた頃と、今、稽古をしている兵士たちの身のこなしはそう変わらない様に感じる。
足の運びや、剣の振るい方も、まるで最初から決められているかのように動く兵士たちだ。
こういうの、「洗礼された動き」って言うんだっけと、つい昨日、座学の先生から教わった言葉を当てはめた。
サイトゥルの軍も、今の軍も、必要以上に大きく剣を振るとか、動くとかしない。
必要最低限の動きで、強い一撃を繰り出している。
サイトゥルが剣術の稽古を私につけていた時には、その動きがどんなものかなのかも分からなかった。
真面目に受けてなかったし、サボってばっかりだったから。
だから、シーアラがむかつくからという理由で剣術の稽古を受け続けて、ちょっとずつ分かってきた事だ。
動きを眺めていると、頭上に影が出来て、顔をあげた。
「村の子供に絡まれているらしいな」
氷柱の様な冷たい目をしたシーアラが、私を見下ろしていた。
「何故、やり返さない」
「シーアラには関係ないでしょーだ!」
いーっ、と顔をくしゃくしゃにして反抗する私に、さして大きな反応も見せず、シーアラは隣に座る。
ヘルメット一個分のスペースを開けて。
「貴様なら、噛みつきそうだと思ったが」
「べーだ」
とうとう、私史上最上級の反感の意を示す動きが出た。
舌を出す私に、シーアラが指をさす。
「それだ」
「だから、シーアラには関係ない!」
「剣を教えるものとして伝えておくが、喧嘩ごときにその剣術を使うなよ」
ひゅおぉぉ、と冷たい風の音が聞こえてきそうな程、視線に冷気が纏わりついている。
メイは、シーアラが私を対等に見たいんだと思うと言っていたが、ぜんぜんそんな事ない。
シーアラは私の事を、『喧嘩ごときに』習った剣術を使うと考えているんだろう。
「なんでそんな面倒な事しなくちゃいけないの~…喧嘩なんて面倒くさい」
「ほう」
「何」
項垂れた私に、シーアラは随分意味深な視線を向ける。
「意外だな」
「ふん、だ!」
随分失礼なやつだと、そっぽを向いた。
実際、メイに嫌いと宣言されたチャーリーはあれでとまるかと思いきや、寧ろどんどん酷くなっていった。
メイの目につく場所で私に突っかかってくるから嫌いだと言われたのであって、それならば、メイが見ていない間や私しかいない時に突っかかればいいだけの事だと言わんばかりに絡んでくる。
嫌だというより、面倒くさいからやめて欲しい。
あしらってもまるで効果がなく、どうやって振り切ろうかと考えなければならないのが、面倒くさい。
シーアラの思う通り、剣術を使えばきっと追い払う事も出来るだろう。
けど、そんな事をすればあっという間に村の大人たちが全員、雷親父三級から一級までを取得するに決まってる。
それが面倒くさくて、剣術で追い払うなんてことは出来ない。
剣術を使えば体を動かさなきゃいけない。
しんどい稽古で疲れた体に更にムチ打つとか、面倒くさがりの私にはもっと耐えられない!
***
今日もシーアラをぎゃふんと言わせる事が出来ず、擦り傷と、悲鳴をあげる筋肉を引きずってオレンジ色の帰り道を歩いた。
意地悪でも喧嘩でもないけど、容赦がなくて、喧嘩に剣術を使いそうなのはシーアラの方だと思った。
地面に伸びる自分の影を見ながら歩いていくと、ブラウンのオーバーオールを着た足元が見えて、思わずうげぇ、と唸りそうになった。
「おいハイシア!」
「あ~はいはい」
適当に返事をする。
いつもの様に片手に金槌を持ち、仁王立ちしているチャーリーの横を通り過ぎようとすると、わざわざ通行止めをする様に、前に移動してきた。
「ジャマなんだけど」
「渡せ!」
ばん、と勢いよく出された手を眺めて、首を傾げた。
チャーリーから物を借りた覚えもなければ、誰かからチャーリー宛の物を預かった覚えもない。
ぴんときていない私に、チャーリーはこれでもかと言うほど目を吊り上げた。
「メイが作ったポーションだよ!お前、貰ったんだろ!」
「ああ、あれ…もうないよ、飲んじゃったから」
貴重な一本だとは知らず、結構さくっと、簡単に消費してしまった事に対しては、ちょっと申し訳なさもある。
もちろんそれはメイに対してであって、少なくとも、チャーリーに対してではないけど。
「な、な、の、…お、まえっ!」
「え、なんでそんな怒んの~…」
怒りで顔を真っ赤するチャーリーの、金槌を持つ手が降り上がる。
あしらうモードだった私にとっては不意打ちで、振り下ろされる前に何とか後ろに一歩、退いた。
勢い任せに振られた腕が金槌の重さに引っ張られて、チャーリーはそのまま地面にびたーんっ、と転がってしまったのだけど、別に私は悪くない。
これはチャーリーが悪い。
えっと、何て言うんだっけ?この前先生が言ってたのはー…そう、自業自得ってやつだ。
「っ~!な、な、」
地面に突っ伏してぷるぷると震えるチャーリーが、上半身だけ起こして涙目で私を睨み上げる。
普段大人たちが私を見下ろす様に私もチャーリーを見下ろしてみたけど、何だかあんまりいい気分じゃなくて、結局、チャーリーの視線に合わせるようにしゃがんだ。
「面倒くさい事しないでよ。ないものはないの。はい、ばいばい」
はやいところ帰った方が良いな、と思って、また立ち上がって、今度こそチャーリーの横を通り過ぎた。
次の瞬間、後ろから、砂を踏みしめる音がする。
慌てて振り向くと、金槌が目の前にあった。
いや、早い、それにしても早い。
あの状況から起き上がって振り上げるのにほんの二、三秒しか経っていない。
その早さに、こんな状態でも感心してしまう。
あ、避けなきゃいけない、と思いながらも、そのせいで反応が一瞬遅れた。
反射的に腕をあげて、金槌が降ってくる着地点である、額をガードする。
暫く待っても衝撃はなかった。
何が起こったのか、恐る恐る腕を下げると、金槌を持ったチャーリーの腕を、より大きな手が掴んでいた。
チャーリーのオーバーオールよりもずっと大きく、煤まみれなブルーのオーバーオールから、炭独特の臭いがした。
「こんっの、バカ息子!」
ぴしゃーんっ!と雷が落っこちた。
村長に引けを取らない程、強烈な雷だ。
雷親父二級保持者である事はまず間違いない。
「何やろうとしたかわかってんのか!」
「だ、だ、だっ、」
何発もの落雷を浴びながら、チャーリーは口をパクパクとさせて震えていた。
そして涙目だったチャーリーが、とうとう泣き出す。
それでも、雷親父二級保持者は躊躇なくチャーリーに雷をもう一発落とした。
武器屋のおじさん、マジで怖い。
魔族の領域に一番近い村の鍛冶師をしているおじさんは、サイトゥルからも、腕がいいと褒められていた。
褒められたことに対して、おじさんはデレデレするでもなく、ただ武器を作り続けている。
もちろんそれは今も変わらず、武器屋は、子供にとってはけっこう怖い場所だった。
だっていっつも仏頂面だし。
まさかここまで怖いとは思いもしなかったけど。
あの雷が自分の頭の上に落ちなくて良かったと、ほっとするぐらいだ。
おじさんがチャーリーにひとしきり雷を落とすと、私に向かって頭を下げた。
「うちの息子が悪かったな」
頭を下げてるのに、声は冷たかった。
嘘にはいくつか種類と方法があるんだと、何となく、感じた。
「も、もう帰っていい?つかれた…」
「ああ。こいつにはよく言い聞かせておくからよ」
オジサンの言葉に、私は今度こそ、歩き出す。
武器屋のおじさんは、多分、私の事が嫌いなんだろう。
謝っているわりに、言葉がトゲトゲとしている様に感じた。
魔物が人を警戒する様なトゲトゲと、ちょっと似てる気がする。
湖のスライム達の警戒に比べると、オジサンの警戒の方がちょっと強いくらいだ。
何にしても、これでチャーリーに絡まれなくなるなら万々歳だ。
面倒くさい事にこれ以上遭遇することもないのが、一番の収穫だ。
***
チャーリーに雷が落ちてから数日後、村の広場のベンチでメイと一緒に、パン屋の赤ちゃんと、そのお母さんの攻防を眺めていた。
「そういえばね」
ふとメイが話し出して、隣に視線を向けた。
いつもは柔らかい笑みが、今日は、弾けたみたいに明るい。
「二本目、出来たんだ!」
「ポーション?」
「うん!」
メイが、ほら、と、緑色のエプロンのポケットから、液体が入った小瓶を取り出す。
確かに前に見た液体と同じように見えた。
一本目が出来上がるまでに四年、二本目が出来上がるまでに、数か月。
ポーション一つを作るにしても、魔導士が作るとなると、こんなに時間が必要で、たくさんの失敗が必要なんだという事を、メイは私に、身をもって教えてくれた様に思う。
「メイさ、そんなに薬師になりたいんだね」
「え?」
「すごい時間がかかったじゃん。凄いなーって思って。私なんて、まだ数か月しか経ってないのに、もう文字の勉強投げ出したいーとか思ってるもん」
本当に投げ出すつもりはないものの、正直、サボりたくてうずうずしてる。
「本当にやりたいなって思った事だもん。だから、続けられたんだ」
えっへん、と、メイが珍しく誇らしげに口にする。
メイの手の中にある小瓶の価値を知った今だと、前に比べて、その小瓶が輝いて見えた。
とても貴重な、メイの作ったポーション。
誇らしげにして当然だと思うし、寧ろ、もっと自慢したって良いんじゃないだろうか。
「これも、ハイシアにあげる」
「え、でも貴重なものだよ?」
差し出された小瓶と向けられた笑顔に、ぎょっとする。
そんな簡単に人にほいほいあげていい様な代物じゃないはずなのに、一本目の時も、今回も、メイはなんの躊躇いもなく、私に差し出してくる。
普通だったら、記念品として手元に置いておきたいものなんじゃないだろうか。
「いいの。ハイシアに使ってほしいんだぁ」
へにゃりと笑うメイに負けて、私は小瓶を受け取ってしまった。
手のひらで包めるほどの小さな瓶の中の薄緑色の液体は、スライム達がいる湖の水面みたいに、きらきらと輝いている様に見えた。
「そうだ、一本目は使ってくれたの?」
「え?!あ、う、うん…。ただその、そんなに貴重な物だって知らなくて…。お腹に出来たアザを消すために…」
段々と申し訳なくなってきて、言葉が尻すぼみになっていく。
もっと大けが負った時とかに使うべきだったのかもしれないけど、そもそも勇者になりたくない私がそんな大けがなんて負うはずもなく。
ちゃんとした使用の機会はやってこないのかもしれないとは思った。
メイの表情は、それでも、ぱぁっと明るくなる。
「治った?!」
「え?!も、もちろん!凄く効果あったよ!あ…だから、サイトゥル達を見つけられたんだし…」
あの日の事を思いだして、また、手のひらの小瓶に視線が落ちる。
私の様子に、メイも、同じようにしょんぼりと目線を下げてしまった。
今も、あの日に何があったのかを知っているのは私とメイだけで、大人たちは何も知らない。
あれ以来、魔族が動くとかで村の大人たちがピリピリしている様子もないし、軍の兵士たちが騒がしい様子もない。
そんなことがあれば、シーアラだって黙っちゃいないし、私の剣術の稽古なんて出来なくなるんだろう。
―ーランは今頃、何をしてるんだろうか。
「ランに、会いたいな」
ぽつりと言葉が漏れて、はっとする。
広場にいる大人たちはそれぞれ好きなことをしているし、パン屋の赤ちゃんは、水の泡が出来ては消されるのが楽しいのか、きゃっきゃと笑っている。
私の呟きを耳にしたのはメイだけだった。
メイが突然、勢いよく顔をあげて口を開く。
「会いにいったらいいんだよ!」
「へ?」
勢いのままに聞かされた言葉に、思わずぽかんと口を開けた。
メイは私の様子なんかお構いなしに、こんなに大人がいるこの広場で、堂々と言葉を続ける。
「今は無理かもしれないけど、会いに行ったらいいんだよ!」
「え、いやいや、メイ?」
「言ったでしょ?魔王を倒さない勇者がいちゃだめなの?って」
噴水の音と、大人達の喋り声と、赤ちゃんの笑い声がノイズになって、メイが言った事も、私の呟きと同じように、周りには聞こえていない様だった。
まっすぐとした、強い、青い目が、私を見る。
シーアラの、針の穴に糸を通す様な鋭さはないけど、大地のすべてを肉眼で見通す様な強さだ。
やっぱりメイは、私の前を歩いているんだ。
私よりも一歩先に進んで、大人になっていってる気がする。
「…次の稽古、さぼろっかな~」
「えぇ?!なんで?!」
「会いに行こうかなって」
「今じゃないって言ったでしょ~?」
「冗談だよ、じょーだん」
慌てふためいてるメイは、いつもの、私と同い年のメイだった。
さっきまであった、『オトナの気配』は何処かへと消えていった。
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