あなたの笑顔

 宿屋に戻って、私は頭を抱えた。

 城には行きたくない。

 ただ、今回の相談をするとなるとセフィアしか浮かばない。

 セフィアは王直属の兵士だから、会いに行くには城に向かうことになる。

 城には絶対行かないと、今朝、固く誓ったばっかりだというのに。

 それでも望みがあるなら、使える手段は使わなくては。


「ごめんメイ、ちょっとセフィアのところ行ってくる」


 隣部屋のドア越しに声をかけると、がちゃりと扉が開いた。

 調合をしていたのか、微かに薬草をすり潰したような臭いがした。


「お姉ちゃんのところ…?ハイシア、大丈夫?また王様に変な事言っちゃわない?」


 もうすでに不敬に当たる事を今朝も言ってきたけど、なんて口に出してしまえば、メイは多分卒倒するだろうから言わないでおく。

 そのかわり、にんまりと笑みを浮かべて「じゃ、行ってくる」とだけ口にした。


「あ!もう、ハイシアったら!」


 今朝まで引きずっていた体調不良は、もう、問題なさそうだ。

 同じようにリオンにも伝えてから、私は宿屋を出て城に向かった。


 門番に声をかけて、セフィアが今どこに居るのかを聞いた。

 当然、返ってきた言葉は「玉座の間におります」だった。

 自由に出入りして良いものかと一瞬迷ったが、城へと歩みを進める。

 特に門番から注意を受けたり、取り押さえられる事もなかったから、もしかしたら、王様代理が、勇者が来たら城に通して構わないとか言っているのかもしれない。

 今朝歩いたばかりの道を、もう一度歩く。

 こうも簡単に、今朝の誓いを捻じ曲げる事になるとは思いもしなかった。

 が、致し方ないと思う事にした。

 だって、セフィアに会って相談してみなきゃ、これ以上、私とメイとリオンだけではどうにも出来ないし。

 セフィアを探して玉座の間の扉まで来ると、扉に、兵士が二人構えていた。

 どうやら朝と違って、昼間はちゃんと見張りがいるみたいだ。

 城の中にまで見張りがいるってどういう状態なのか知らないけど、まるで、城の中も安全とは言い切れないと言わんばかりだ。


「勇者様ですね。いかがいたしましたか?」

「セフィア、いる?話があるんだけど」

「セフィア中佐ですね、少々お待ちください」


 そう言って、扉の番をしている兵士のうちの一人が中へと入っていく。

 セフィア、シーアラの次に偉い人だったらしい。

 流石に驚きを隠せずにいると、暫くして、扉番の兵士がセフィアを連れてやってきた。

 そんなに暇じゃないだろうに、何だか、ここまできて呼び出したことを少し申し訳なく思う。


「ハイシア、どうしたのです?」

「ちょっと話があったんだけど、あんた、今忙しいよね。夜でも良いから、宿屋に来てくれない?」

「ええ、良いですけど…王からは、今からでも良いと言われていますが」

「ああ、王様代理…」


 私の言葉に、セフィアは苦笑いを浮かべた。

 応接間を貸してくれると言うので、せっかくだから向かう事にした。

 そういえば、この城に来て応接間に通されるのは初めてだ。

 普通、最初に通される場所じゃないの?応接間って。

 けど、あの王様代理なら直接私たちを呼び立てるのだって、納得してしまう。

 わずか二日目、昨日の今日だっていうのに思ってしまう。

 腹が立つけど、私と似ている気がすると。

 頭の造りは違うし、考えている事は私以上に過激だけど。

 どういう意図かまでは分からないけど、通例に従う気がゼロに等しいところとかは、そっくりな気がしてしまう。


「こちらです」


 セフィアに案内されて通された応接間は、やっぱりむず痒い場所だった。

 煌びやかなシャンデリアに、豪華なソファー、テーブルクロスが敷かれた円卓。

 何もかもがむず痒い。

 やっぱり、夜に宿屋で話した方が良かったかもしれないと、少し、後悔した。

 セフィアに促されてソファーに腰を降ろすと、腰が沈んだ。

 宿屋のベッドに寝転がった時も驚いたけど、世の中には、こんな上質なソファーが存在しているんだと目を見開く。

 金持ちって、なんにでも金賭けて、良くするんだ。


「で、どうしたんです?」

「ちょっと相談なんだけど」


 そう切り出して、私は、今日の出来事をセフィアに話した。

 冒険者の事、依頼を出した人の事、魔族側の事情。

 総てを考慮するのは難しいという事も、承知はしている。

 それでも、何か出来ることがあれば良いと思わずにはいられない。

 面倒くさいけど。

 とても、面倒くさいけど。

 それでもそう思ってしまうのは、私が、幸か不幸か魔物の言葉を理解出来て、彼らにも喜怒哀楽があると知ってしまったからだろう。


「そうですか」


 一通り話し終えると、セフィアはそう言って、暫く考え込む。


「ハイシア…こういう言い方をするのは良くないとは分かっているのですが。その魔族、どこまで信用に値しますか?」

「どこまでって…」

「うまい事話しに乗ったふりをして、人間に報復を考えている可能性は?」

「…正直、ないとは言い切れないけど」


 セフィアの言葉に、森で会ったゴブリンとオークの姿が頭に浮かぶ。

 人間を恨んだ目で睨んで、最後まで警戒を解くことはなかった。

 仲間が今日も人間によって殺されたばかりだっていうのに、その人間が現れて、普通だったら平常でいられない。

 けど、話が出来たという事は、まだ知らされていないか、或いは。

 或いは、復讐の機会を伺っているか。


「ハイシアの話を王にすれば、何かしら試す機会はいただけるかもしれません。けど、確証がないとなると、下手をすれば、真逆の結果をもたらす事になりかねません」

「…そうかもね」


 そんな事も、考えなかった訳じゃない。

 だから踏み込めない。

 真剣な表情で答えるセフィアに、私はまた、頭を悩ませることになった。


「この問題の根幹は、何だと思いますか」

「目前の問題は、みんな、生きるためにやってるって事だと思うけど…」

「ええ。そうでしょうね。ですが、魔族には、人間に対する憎しみがあり、人間には、魔族に対する恐怖が根底にある。湖のスライムたちとは、わけが違うんです」

「わかってる」


 私が思ってるよりもずっと根深いという事。


「けど、どこかでお互いに折り合いをつけないと、ずっとこのままじゃん。このままで良いわけ?」

「いいえ。あの方なら、いいえ、と答えるでしょうね。私自身も、そう思いますよ」

「だったら――」

「だからこそ、それを成すには実績が必要なんです。あなたにも、王にも」


 セフィアの鋭い視線が私に向く。

 少し、シーアラに似ている気がした。

 セフィアも軍人というものが板についてきたという事か、それとも、何かしらの影響を受けて、シーアラの様になったのか。


「あなたがそうして動いている事を知れば、王は喜ぶでしょうね」

「うげぇ、何かやだ、それ」


 柔らかく微笑んだセフィアとは反対に、私はあからさまに嫌な顔をしてしまった。

 結局手柄は全部、王様代理のもの。

 手柄そのものに興味はないけど、私にも実績が必要だと言うなら、全部手柄を持っていかれるのは納得がいかない気もする。

 本当に、気がするだけだけど。


「ハイシア」

「なに?」

「全てを叶えるというのは、とても難しい事です。ですが、折り合いをつけるための努力は、出来るんですよ、きっと」


 そう言って、セフィアはまた、柔らかい笑みを浮かべた。




   ***




 宿に戻って夕食をとってから、昨日と同じように宿屋の屋根の上に登って、そこに座り込んだ。

 昨日と変わらず、町は遅くまで人が出歩いている。

 中には鎧を着た人もいるし、酒場帰りなのか、足元が覚束ない人もいた。

 見上げる月は今日も変わらずに綺麗で、青白んだ光りが大地を照らしている。

 ぽっかり浮かぶ月を見ながら、考える。

 もともと城下町に寄ったのは、旅の途中の通過点に過ぎなかったからだ。

 もしかしたらセフィアに会えるかもしれないとも、思ってなかった訳じゃない。

 もし再会出来たら、今までの事を話したりしたいと思っていたのに、そんな暇もなくなるほどだ。

 長くデイスターニア国に残ることになるとも思っていなかった。

 お母さんのことが知りたいから、エルフの領域に行こうと思っていたのに。

 現実を突きつけられて、考えなければならない事、やらなければならない事が増えて、前途多難とは正にこの事だと言わざるを得ない。

 けど。


――きっと、避けては通れない事だった


 そうも思う。

 それが今、このタイミングだっただけで、王都でこの問題にぶつかっていなかったとしても、いずれどこかのタイミングでぶつかっていたんじゃないかと思う。


「…ん?」


 月を見上げていたら、小さい、小さい影が見えた。

 よく目を凝らして、屋根に立ち上がる。

 あの影は。


「――ラン!」


 叫ぶと同時に、走り出していた。

 足元に魔法陣を浮かべて足場の様にして、渡り、走って行く。

 影はまるで私から逃げるようにして夜空に紛れながら消えたり現れたりを繰り返した。

 夜空に紛れても、影は浮かぶ。

 城下町から少し離れた場所で、影は逃げるのをやめたのか、動きを止めた。

 ゴブリンとオークが隠れ住んでいる森と、集落の間くらいの場所だ。

 魔法陣の足場を今度は下り階段の様に作ると、足早に地上へ降りていく。


「ラン」


 四年前より更に背が高くなった。

 黒髪は伸びて、整った顔立ちをより強調させる。

 黒い、魔術師が身に着ける様な襟のついたローブを着て、下はズボンと黒のブーツだ。

 ムーングレイの瞳には、優しさと悲しさが共生している様で、見ていて、引き込まれそうになった。


「よく、僕だってわかったね」

「はぁ?」


 見入ったのも束の間、悲しそうに苦笑いを浮かべるランの言葉に、私は眉を寄せる事になった。


「友達舐めないでくれる?」

「…ハイシアは、結局、あの頃から何も変わらないんだね」

「どういう意味?」

「魔王を倒すために旅に出たはずなのに、どうして、敢えて魔族と接したの?」

「訂正するけど、別に、魔王を倒すために旅に出たわけじゃないから、私。ランの横っ面殴るためだし。あんたこそ、変わってないじゃない?私に倒されたいとか殺されたいとか、まだ言うつもり?」


 両手を組んで、下からランを睨み上げる。

 ランは苦笑いを浮かべていた。


「あの魔族が、本当に帰りたいと思っていると、思う?」


 ランの視線が森に向く。

 ムーングレイの悲し気な瞳が、月明かりに照らされて、冷たく光った。

 冷たい視線だ。

 あまり見た事のない、けど、知っている目だ。

 まるで蔑む様な、そんな視線をしていた。


「言い切れないってことくらい、私にもわかってる。けど、どこにも確証なんてない。本当かもしれないし、襲ってくるかもしれないし、そんなの、わかりっこない」

「それで信じてみようって思うのであれば、それはとても悲しい事だよ」

「別に悲しくないし」

「裏切りは、悲しい事だ」


 知っているかのような口ぶりだ。

 実際ランは知っているんだと思う、裏切られた悲しみってやつ。

 私にはない経験。

 サイトゥルや村長の事は、別に信じている大人ってわけじゃなかったし、実際、悲しさよりも恐怖の方が勝って、あわよくばなんて考えていたかもしれないと思った時にも、悲しくはなかった。

 妙な納得感は代わりにあったけど。


「そうかもしれないけど、魔族だから人間を裏切るとか、決めつけて話しても、それこそ無意味でしょ」

「…ハイシアは、勇気があるのかな。それとも無知なのかな」

「悪かったわね、頭悪くて」

「いいんだよ」


 そう言って、ランは私に視線を戻す。

 泣きそうな顔をして私に手を伸ばすけど、その手は中途半端に止まって、戻された。

 まるで躊躇っている様で、それがランの心を表している気がして。


「ただ、だからこそ、少し心配だな。無知がそうでなくなった時、手折られてしまうから」

「おあいにく様。私そんなに軟弱に鍛えられてないの」


 そう言い返して、ランの胸元に拳を突きつける。

 こつんと当たった拳から伝わる温度は、尋常じゃなく冷たくて、人間と同じ見た目をしているのに全然違うんだと、教えられている様な気がした。


「迷う事もあるけど、私は絶対、折られたりしない。だからこうして、あんたに、容赦も遠慮もなく触れる事だって出来るんだから」


 四年前と同じ。

 まるで宣戦布告でもしている様な気分だ。

 でも四年前と少しだけ、違うこともある。


「人間と手を取り合いたいと思った時、きっとランの周りには誰もいなかったんでしょ。けど私はそうじゃない。今のあんただって。ランには私がいる。私にはメイとリオンがいる。ここにはセフィアも居る。村に帰れば、チャーリーもシーアラも居る。だから、きっと繋がるの。それを証明するためにも、私は絶対、ランの所に行ってやるんだから」


 私の言葉に目を見開いたランは、暫く呆けていたけど、次第に柔らかい笑みに変わっていく。

 それは、小さい頃に見たっきりの、何の曇りも悲しみもない、笑みだった。


「本当に、ハイシアには敵わないな」

「だてに悪い子やってないわよ」

「悪い子だっていう自覚はあるんだ」

「そりゃあそうでしょ。私を誰だと思ってるワケ?」


 拳を降ろして、にんまりとした笑みを返す。

 ランはまた、笑った。


「ねえラン。ランや私だけじゃなくて、色んなものが変わっていってる。だから、ランにお願い事があるんだけど」

「ハイシアは容赦がないなぁ」

「あったりまえでしょ」

「それで、お願い事って?」


 そう言ったランに、私は、ランが思う通り、お願い事をしてやった。

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