それは多分邂逅ってやつ

 ポカポカとした太陽の光が窓から入ってきて、あまりの気持ちよさにくわぁ、とあくびが出た。

 一人部屋に置かれた机に広がっているノートと教科書が、なんだか、ただの紙切れにみえてしょうがない。


「ハイシア・セフィー!聞いているのですか!」


 突然の怒鳴り声と同時に、ぱしんとノートが軽く弾かれる。


「んぎゃっ!!」


 驚いて変な声が出た。先生が、指示棒でノートを叩いた。

 ぎょっとして顔をあげると、昔、魔物図鑑とやらで見せられた鬼みたいな顔と視線がかち合った。


「まったく、何度言えばわかるのですか。もう一度いきますよ」


 『聞いているのか』と聞いてきたくせに私の答えを待たず、先生は、指示棒をもとの位置に戻すと、教科書を読み上げた。




――魔力と技術の発展を象徴する国、デイスターニア国。

大陸の中でも特に大きな国だ。

人間の種族がもつ大地にはいくつかの国が存在するが、その中でも、一番大きな国と言っても良い。

デイスターニアはどの国よりも武力に優れ、逆に、人々の食料なんかの農畜産業に関しては、やや他国に劣る。

だが、武力に優れているがゆえに、他国に兵を送り武力を貸し、かわりに他国で担っている農畜産物を輸入している国だ。

そして、最も魔族の領土に近い場所に位置している国でもある。

デイスターニア国の中でも、特にヘントラスと呼ばれる村は、最も魔族の領域に近い村とされている。




 先生が、教科書に書いているらしい一文を読み終えると、ぱたんと本を閉じて、私を見下ろす。


「あなたのお勉強時の態度について、村長とお話をして参ります。自主学習をして待っていなさい」


 ギロリと、やっぱり鬼みたいな目を向けてから、先生は部屋を出ていった。

 一人になった部屋で、言われたとおり教科書に視線を向けるも、何を書いてあるのか全然わかんない。


「ふわぁ…」


 退屈で、やっぱりあくびが出て止まらない。

 椅子に腰かけたまま、まだ床につかない脚をぷらぷらとさせる。

 もう一度本に視線を向けたけど、やっぱり文字が読めなくて本を閉じた。

 ゆっくりと椅子から降りて、足音で床が軋まない様に、そっと、そーっと、扉へ向かって行く。

 ドアノブに手をかけて、ゆっくりと扉を、ほんの少しだけ開けた。

 体重をかけきってしまって、うっかり本を読むことを止めたのがばれないようにという気遣いも、もちろんセット。

 先生と村長が真剣な顔をして話していて、私には気づいていない様だった。

 今がチャンス!

 隙間から二人の様子を眺めながら、思わず「にししっ」と小さい笑い声が漏れた。

 あ、「女の子らしからぬ下品な笑い方ですよ!」と前に、何だか随分偉そうな先生に言われたのを思い出した。


「サイレント」


 小声で、なるべく二人の耳に届かない様に呟くと、手のひらに一瞬、小さな魔法陣が浮かび上がる。

 すぐに消えたのを確認してから、私は、今よりも更に扉の隙間を作る様に、慎重にドアノブを引いていく。

 子供一人が通れるくらいの隙間まで幅を持たせたら、手を離して、ゆっくりと、さっきと同じように床が軋まないよう、気をつけながら、二人の横を通り過ぎた。


 バレちゃわないか、心臓をドキドキさせながら、手に汗握って二人の横を通るのは、なかなかにスリルがあった。

 それでも無事に通り過ぎると、次の難関が待ち構えている。家の出入り口の扉という難関だ。

 手汗で若干手のひらが湿っぽい。

 手を開いて、ズボンのすそで拭ってから出入り口の扉に手をかける。


 バレない様に、慎重に、そーっと、そーっと…

 村長と先生の話はまだ続いている様で、難しい単語や話しが耳に入っては、反対の耳から抜けていく。

 難しい単語が聞こえてくるのが、私が抜け出したのがバレていない合図でもあったから、少しほっとした。

 だけど、安心したら、ドアノブを握っていた手が緩んでしまった。


―きぃっ…


「あ」


 扉は音を立てて予想以上の早さで人が通れるスペースを作っていく。

 話していたはずの先生と村長の声は止んで、かわりに、びしびしと背中に視線が刺さってくる。


「ハイシア!」

「んげぇっ!逃げるが勝ちっ!」


 後ろから、まるで餌を見つけたクマの様な圧を感じ、一目散に外へと飛び出した。




     *** 




 村の近くにある森まで走り、村長と先生という追手から見事、逃げ切った。

 この森は、最も魔族の領域に近い村であるヘントラスの中でも、特に魔族の領域に近く、大人でも普段寄り付かない場所だった。

 だからこそ、とても静かで、森林が広がっている。

 昼間は陽の光を浴びて、葉っぱがきらきらと輝くほど美しい場所だ。

 魔族の領域がすぐそばにあるなんて、今でも信じられないくらい。


「ん~!はぁっ…」


 ぐーっと背筋を伸ばし、この開放的な場所で一息ついてから、さらに奥へと向かう。

 夜が来ると流石に真っ暗で何も見えなくなってしまうから、その前には帰らなきゃいけない。

 慣れた道を暫く歩いていく。

 何本もある木に茂る葉っぱは、一心に太陽の光りを浴びて輝いて、地面に生える草は瑞々しい若葉色をしていた。

 少しずつ道が開けてくると、奥の方に、より一層輝きが増した世界が見えてくる。

 そのまま歩き続けていくと、やがて完全に開けた空間に出て、太陽の光りを反射する湖が姿を現した。


「はぁ~…ここがいいんだよ~…」


 湖の近くにしゃがんで、そのままごろんと寝転がる。

 さぁーっとそよ風が通り抜けて、私の髪先で遊んで耳元を擽っていく。

 その音に混じって、ぽよん、ぽよんと柔らかいものが弾むような音が聞こえた。


「あ~!おいで~」


 青い空から視線は外さず、手だけでその存在を呼ぶと、急に視界が水色一色になる。


「わっぷ!」


 驚いて声をあげるものの、それはただ、小さな私の体の上で何度もジャンプするだけだ。

 まんまるで、触ったらひんやりとしてそうな生物である。

 大人たちはこれをスライムと呼び、魔族の中でも最下等に位置する、冒険者が最初に討伐する『魔物』だと言っていた。


「あはは、たのし?」


 ただ体の上でジャンプしているだけだけど、きゅるん目が若干輝いている様に見える。

 水色のスライムは、水辺に多く生息している、だっけか…。

 今日来た先生とは別の先生から教わった事を思いだす。


「きゅい~っ」


 スライムの、明るく楽しそうな声がする。

 私と、たった一人の人間の友達以外の人は、この鳴き声も言葉だって事を知らない。


「そっか~、私もね、たのしいよ!」


ぽよんぽよん、ぽよん、ぽよん


 跳んだ時に聞こえるスライム特有の音が、一つから二つ、二つから三つへと増えていく。

 私の体の上で跳んでいる子の仲間の様だった。

 跳んだスライムを両手でキャッチした。

 思ったよりも弾力があって、ぽよぽよしてる。

 体を起こしてあたりを見回すと、複数のスライムが私の周りに集まっていた。

 中には私の事を初めて見る子もいるみたいだ。

 その子は不思議そうに、周りのスライムと私を見比べている様だった。


 初めて見る、自分達とは違う生き物が珍しいのかもしれない。


「気をつけてね?私以外の人間は、あぶないからね」


 両手で持っていたスライムを降ろして、立ち上がる。


「…ニンゲン…?」


 細い、まるで虫の羽音の様な小さい声が聞こえて慌てて振り返った。


「だれ?!」


 そんな威嚇めいた声まで出てしまった。

 だけど、そこに居たのは、人は人でも、私より少し背が小さいくらいの男の子だった。

 真っ黒な髪に、ムーングレイのきれいな目をした男の子。

 黒いシャツに、黒い半ズボンに、黒のソックスとブーツ。

 何だか随分浮いた格好をしてる、綺麗な顔立ちをした男の子である。


「…なんだ、大人じゃないのか…びっくりした~…」


 ほっとする私をよそに、その男の子は随分と不思議そうに私を見て、それから、私の足元に集まっていたスライムにも視線を向けて、そしてもう一度、私に視線を向ける。


「…スライムと、遊んでたの?」

「うん、遊んでた…のかな?」

「ニンゲンなのに…?」

「だめ?」

「…ううん、ダメじゃないけど。ニンゲンにも、そういう人、いるんだ…」


 男の子の言葉の意味はよく分からなかったけど、このスライムたちをやっつけたり、いじめたりする人じゃないという事はわかった。

 男の子も、ゆっくりと、何かを探るような足取りで近寄ってきて、それから、近くのスライムを一匹持ち上げる。

 私の足元にいたスライムたちが、次々と飛び跳ねながら、今度は私とその男の子の足元を囲うように移動する。


「珍しい~!スライムが人間を警戒しないなんて!」

「…僕は…その…」

「あのね、大人たちには内緒にしてよね?ここ、ばれちゃいけない場所だから!」


 もじもじとして何か言いたそうにしている男の子の言葉を聞く前に、私は彼に念を押した。

 お願い、と両手を顔の前でくっつけると、男の子は頷いて、それから小さく笑った。


「ありがとう!私、ハイシアっていうの!あなたは?村の人じゃないよね?」

「う、うん…村には、住んでないから…ぼ、僕は…ラン…」


 ランと名乗る、目の前の男の子の言葉に、私は首を傾げた。

 村には住んでないんなら、どこに住んでるんだろう?この辺、村の他に住む場所なんかあったのかな…?


「あ…え、えっと、ハイシアは、どうしてここでスライム達と遊んでるの?」


 ランが焦った様に、私に問いかけてくる。

 私は両手を腰に当てて、えっへんと胸を張った。


「それはね~、サボってるから!」

「サボってる…?」

「うん。村長がね、お前は将来勇者として、魔族と戦うんだからたくさん勉強して、たくさん剣術の稽古をしなきゃならんのだ!とか言うんだよ?けど、私いやなんだよね。だから、サボってるの!あ、ここでサボってたこと、誰にも言わないでよね?」


 ふん、と鼻を鳴らして威張る私に、ランは一瞬ぽかんとして、それから、くすりと笑った。


「それ、威張ることじゃないし、自慢にもならないよ?」

「えー!いいじゃない、ちょっとくらいさ」

「あはは。面白いね、ハイシアって」


 虫の羽音みたいに小さい声だったさっきまでとは違い、ランは、今度ははっきりと、声を出して笑った。

 男の子だけど、笑うと可愛いとか思っちゃった。

 勿論、本人には言わないけど。


 それから何時間かの間、私とランは、その場に集まったスライムたちと一緒に遊んだ。

 遊んだといっても、跳ねるスライムをただ眺めたり、スライムと一緒にジャンプしてみたりしただけなんだけど。

 それでもすごく楽しくて、あっという間に時間が過ぎた。


 家に帰ったら何が待ってるって?

 村長からの雷だよ!

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