そしてそれは、始まりへ

──三年という、長い月日が過ぎた。


 月がてっぺんに昇り、村中をキラキラと照らすある夜の事。

 腰に巻いたポーチに、たった一人の人間の友達が作った、二本目のポーションを、母親の日記とともに入れる。

 茶色いマントで身を包んだ彼女──ハイシア・セフィーは、軽く手をかざした。


「ステルス」


 手のひらに小さな、半透明の魔法陣が浮かび上がると、呟くと同時に魔法陣もろとも姿を消した。

 よく目を凝らせば、空間の中に別の物体が浮き出ている様にも見えるが、景気と一体化しているために、一瞬見ただけでは判別がつかない。

 彼女は音を立てずに部屋の扉を開け、ゆっくりと階段を降りる。

 一階の窓から射し込む月明かりを頼りに、日頃、彼女が村長と共に食事をするテーブルに、一通の封筒を置いた。

 文字の読み書きをしようともしなかった六年前からは想像がつかないほど、封筒に書かれた字は綺麗だ。

 ハイシアは、あたりを見回した。


 台所では、村長に毎回食器の片付けを押し付けられた。

 今いるテーブルのある部屋では、よく村長から怒鳴られもした。

 村長は彼女の事を嫌っていた。それはハイシア自身でも気付いていたが、よくもまあ、国からの要請とは言え、嫌いで生意気な子供を何年も家に住まわせたものだと、感心さえする。

 そして、『嫌い』の中に、わずかながらに情が湧いたことも、ハイシアは知っている。


「お世話に、なりました」


 誰もいない空間で、深々と頭を下げると、人知れず村長宅を後にした。


 ハイシアは、ゆっくりとした足取りで、育った村であるヘントラスを見て回った。

 よくメイやチャーリーと集まった広場、チャーリーの家族が営む武器屋、メイとセフィアのお母さんが営む薬屋、王都から派遣された先生や行商人が泊まる宿屋、よく噴水のそばで魔法の攻防を繰り広げていた赤ちゃんの家族が営むパン屋。

 最新の鑑定用紙を貰うためによく足を運ぶようになった教会。


 ゆっくりとした足取りでそれらを見ながら、やがて、軍の敷地にたどり着く。

 宿舎では、不寝番以外の兵士は英気を養うために眠りについている頃だ。

 ステルスの魔法で気配を消したまま、訓練所へと向かった。


 訓練所に設置された、訓練用の剣を格納しておくラックには、すっかり使い古されてボロボロになった子供用の剣がいくつかあった。

 まるで子供の成長に合わせてサイズを新調してきた様に、下からサイズが少しずつ大きくなっていく。


「こんなにちっさいの、使ってたんだ」


 ハイシアは思わず呟き、最下段にかかっている剣を手に取る。

 今のハイシアが持てば、まるでおもちゃの剣も同然のそれも、十歳が持てば立派な訓練用の剣だった。

 その剣で、まだ士官学校に入学する前のセフィアの剣を受け止め、打ち流していた事を思い出し、口元に笑みが浮かぶ。

 丁寧に剣を戻すと、踵を返し、次には宿舎と訓練所の間にある建物へと足を踏み入れた。


 有事の際のためか、大理石の壁に備えられたランタンが灯っていた。

 赤い絨毯を踏みながら、長テーブルのある広い空間を通り過ぎ、更に奥へと入っていく。

 曲がり角を迷わず進んでいくと、開けた空間に出た。

 何人もの兵士が白いベッドに横たわり眠っている。

 長いこと動いていないからか、その顔は皆、酷く痩せこけていた。

 ハイシアは中央へと向かい、今も目覚めない、やや老いた顔をしている兵士のそばへ行く。

 ステルスを解除して完全に姿を現すと、眠っている兵士の顔を見下ろした。


「サイトゥルもさー、私のこと、嫌いだったよね」


 ぽつり、ぽつりと語りかける。


「まあ、あの時の私、クソガキもいいとこだったし、言うこと聞かなかったし、当然と言えば当然だったけど。けど、たかだか十歳のガキンチョに、戦場の最前線に立てって、それは酷くない?私、まだその事許してないからね。だから、早く起きて、私がここに戻ってきたときに、一発ぐらい、殴らせなさいよね」


 どこまでも強気で、しかし、許さないと言う割に、澄んだ声で語りかける。


「じゃあ、行ってきます」


 眠る兵士に深々と頭を下げてから、彼女は踵を返した。

 もと来た道を戻り、長テーブルのある部屋まで出ると、テーブルに、封筒を二通置く。

 一通は、サイトゥルの後にやってきた、にむけて。もう一通は、端正な顔立ちをした、ぼんやりとしているダークエルフへ向けてだった。


 ふぅー、と、細く息を吐き出して、ハイシアは建物の出入り口へと向かう。


「行くのか」


 突然聞こえた声に、ハイシアは反射的に振り向く。


「んげっ、いつからいたの」


 いつの間にか長テーブルよりも少し奥の、サイトゥル達が寝かされている部屋へと続く道とは反対側の道に立っていた。

 前髪を崩した、『勤務時間外モード』のシーアラの登場に、ハイシアは思わず顔をしかめる。


「先ほどだ。ステルスで空間と擬態して侵入したは良いが、ステルスを解いたせいで気配がだだ漏れになったな」

「えぇー…こんな時にまでダメ出し?」


 項垂れるハイシアへ、シーアラは笑みを向ける。

 決して『勤務時間』では見ることが出来ないであろう、柔らかい─ハイシアはそれを、吹雪が止んだあとの銀世界のようと比喩していた─笑みを浮かべた。


「良いのか」

「なにが?」

「その様子だと、俺とリオン以外に相談はしなかったんだろう?」

「まあ…そうだけど」


 剣術の稽古と、魔法基礎の実践の訓練をみている二人には、どうしても、いつ旅に出るのかを伝えなければならなかった。

 ハイシアが居ないと村長が騒いだら、大変な事になるのは安易に想像がつく。

 その時に、抑止となる別の存在が必要なのもそうだが、稽古の進捗とも関係してくる事もあって、いつ頃旅に出るのかを、ハイシアは二人に話していた。


 ただ、それでもたった二人だけ。

 唯一の人間の友達にも、その友達の事が好きすぎて、日々、調合鍋を打つ修行を続けている、友達ともライバルとも言い難い存在にも、伝えてはいない。


「恨んでいるか?サイトゥル大佐の事を」

「まっさか。いくらなんでも恨んじゃいないって」


 いつもより穏やかな顔をしているシーアラの問いに、ハイシアは、肩をすくめた。


「たった十歳のガキンチョを死戦場みたいなところに向かわせたのは、今でも許せないけど。それでも、サイトゥルは。それは逆に、有難かったよ」

「ほう」


 ハイシアの反応に、シーアラは興味があるようで目を薄く開く。


「ある意味で、子供らしくいられる時間をくれてたのよ、サイトゥルは。今思えば、口ばっかでちょこまかしてるガキンチョなんて、サイトゥルぐらい実力がある大人だったら、一発で捕まえて、言うことを聞かせることくらい簡単に出来たでしょ。でもそれをしなかったのは、憎たらしいと思う反面で、子供らしくいられる時間を、私にくれようとしてたんでしょ、多分」


 まあ、本当に『多分』だけどね。

 そう付け加え、ハイシアは更に口を開く。


「だからこそ私は、その後にやってきたシーアラに食らいつけた。シーアラは私を対等に見ようとしてくれてたからね。シーアラから教わる物事を受け入れる準備期間だったと思えば、感謝はすれど、恨んじゃいない。本当にムカつくけど」


 やはり腹は立つのか、真面目な顔をして語ったと思うと、その次には、顔をしかめる。

 シーアラは、そんなハイシアの反応に、一瞬、目を見開くと、すぐにいつもの表情に戻った。


「サイトゥルも村長殿も、そこまでできた大人ではないぞ。俺の推測だが、お前を、領域の境界線ギリギリに出撃させた理由は、そんなにキレイなもんじゃないだろう」


 勤務時間外と称されるシーアラが、まるで軍議でもするかのような真面目な顔をして口にする。


「だと思う。国の言うとおりにならない勇者は、国にとってはお飾りだもの。いらないでしょ。それに勇者は、世界でたった一つだけの個性スキル死んでも、勇者としての責務を果たそうとしたって理由ができるし、生きたら生きたで、いつもと変わらないようにすれば良い。まあ、どんな理由だろうが、私が周りからどう思われてるのかもわかってるし、過程がどうであれ、私は生きて、大事な事を見つけた。だから、今更他人がどうのこうのなんて、どうでもいい。そんな事まで考えなきゃいけないなんて、それこそ面倒くさいったらない」


 ふん、と鼻をならし、ハイシアはきっぱりと言い切る。

 ハイシアの態度にシーアラは、またしても驚いた。


「お前は、捻くれているのか素直なのか、前向きなのか他者に関心がないのか分からんな。矛盾が多い」

「そりゃあそうでしょ。大人に嘘つかれまくって、状況を理由に殺されそうになって、そのくせしっかりご飯も寝るところも与えられて、いい教育だって受けさせてもらえて。周りが矛盾ばっかなんだから仕方ないでしょ」

「はっ、それもそうだな」


 とうとう、シーアラが笑い声を漏らした。

 物事を捻くれた角度で見ているのは、シーアラも同じのようだった。

 シーアラが前髪を整えだす。ハイシアはそれを見て、『勤務時間モード』になるつもりだと悟った。


「貴様の旅路は、そう甘いものではないぞ」

「わかってる」

「せいぜい、のたれ死ぬなよ」

「当たり前でしょ。絶対、ランの事をぶん殴ってやるって決めてるんだから」

「その強がりがいつまで持つか、見ものだな」


 ハイシアに氷柱の様な冷たい視線が向けられる。

 彼女は、ただ、まっすぐとその視線を返した後に、深々と頭を下げた。


「お世話になりました」

「行ってこい。勇者として、成すべき事を成せ」


 『勤務時間』のシーアラの言うが、周りの思う勇者像と違うことは、ハイシアにしか分からないことだ。

 ゆっくりと頭を上げると、今度こそ、ハイシアは踵を返して軍の敷地をあとにした。


 村の出入り口へ向かいながら、これからする事を考える。

 まずは王都へ行き、武器の調達からしなければならない。十歳の時に軍の臨時拠点の設営に携わった事から、野宿への心配はあまりしていなかったが、武器だけは、必要になってくる。

 王都を抜けた後は、エルフの住む森へ行き、母親の事についてと、聖剣があるとされる、天神族てんじんぞくの住む天空の国へと行く方法を聞いてみる。

 場合によってはその後に、海に住む海人族かいじんぞくの領土へ行く必要もあるかもしれない。

 そして聖剣を手に入れた時、この、『魔族の領域に最も近い村』であるヘントラスへ戻ってくる事が出来るのだろう。


 あれこれ考えながら進んでいき、王都へと向かう道が見えてくる。

 そこに、人影が二つあった。

 こんな真夜中に、村の出入り口に人影がある事自体が不自然だが、人影は、誰かを待っている様に、そこから動かなかった。

 人影が、例えば村を狙う物取りなんかだったとしたら、これはとんでもなく面倒な事になる。

 せっかくシーアラとサイトゥルに別れの挨拶をしたというのに、また戻らなければならないのは、随分と締りが悪い。

 ここまで考えて、結局、ハイシアが行き着いた結論は『まあ夜中だしな。多少締まりが悪くても、シーアラ相手だけだし』だった。


 ハイシアは、まっすぐ人影の方へ向かう。

 近づくにつれて、人影は段々と輪郭を顕にしていく。

 見覚えのある影だった。


「あ、やっときた。良かったぁ~、まだ出てなくて」

「メイ?!あんた何で?!しかもリオンまで!」


 随分気の抜けた柔らかい声に、ハイシアはぎょっとする。

 傍らには、三年前よりも背が伸び頭一つ分飛び抜けた、リオンも立っていた。

 よく見れば、二人とも、ハイシアと同じように旅装束を纏っていた。


「俺、オマエの旅、ついていく。頼まれた」


 『頼まれた』とは、シーアラにだろうか。

 そうなのであれば、意外とシーアラも過保護だと、ハイシアは思う。

 だが、柔らかい笑みを浮かべるメイには、旅に出る理由がないはずだ。


「私もついてくからね?」

「何言ってんの。旅に出る理由がないでしょ、メイ」

「あるよ、私にも!」


 ずん、と勢い良く距離をつめるメイに、ハイシアが思わず仰け反る。

 メイは勢いを緩めずに、まくし立てた。


「お母さんみたいな薬師になるために、旅に出るの。お母さんも世界を旅して、今の、『魔族の領域に最も近い村』で薬師としてお店を開けるまでになったんだもの!私だって、もっともっと、いろんなお薬の勉強をしたいの。そのために、ハイシアと一緒に行くからね!」


 なんともメイらしくない、勢いの良い言葉に気圧され、ハイシアは反射的に頷いてしまった。


「それに、ハイシア、回復の魔法使えないんでしょう?だったら余計に、薬師が必要でしょ!」

「わ、わかった、わかったから」


 まさか、人を二人も旅に連れ立つ事になるとは。

 ハイシアも予想外の出来事に、口元を引きつらせるしかなかった。

 しかし、一応、軍に属する形となっているリオンはともかく、メイにも旅の目的があるのなら、それを止める理由もない。


「そうだ、これね、チャーリーからハイシアにって」


 おもむろに、メイが両手で差し出したのは、ひと振りの剣だった。

 シンプルだがしっかりとした、黒漆の鞘に納められた剣だ。


「チャーリーが、おじさんに認められてから初めて打った剣なんだって。あと、それから──」

「これも、預かってる」


 メイがリオンに目配せをすると、リオンもまた、ハイシアに一つの盾を差し出した。

 大きな氷を切り出したような形をした、水色の盾だ。

 背中に回せる様に、ベルトまでしっかりとついている。


「まったく…。こんなの作ってる暇があるんだったら、作りたいって言ってた調合鍋の練習でもしてなさいっての」


 言葉の割に、ハイシアの口元は緩んでいた。

 メイとリオンからそれぞれを預かり、盾を背に負って、剣をソードベルトにセットする。

 盾の重量はそこまでなく、背負ってもあまり重さを感じないが、見るからに頑丈そうだ。

 剣も、帯刀するだけで、ブレイドの長さが自身の身長にぴったりな事がわかる。


「ねえ、最初はどこに行くの?」

「まずは王都。もしかしたら、うっかりセフィアと鉢合わせちゃったりするかもね」


 自然と、三人が並んで歩き出す。

 月はすっかり傾き、代わりに空が光を帯びる。


「王都、ハジメテだ」

「私だって初めてなんだけど?」

「わ、私もそうかも…」


 なんとも賑やかな旅の出発を果たした三人を、黎明の空が見守っていた。

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