四話
お母さんは、エルフの領域に一番近い国・ルーンサイト国で生まれた。
ルーンサイトの中でも、『最もエルフの領域に一番近い村』であるラッコルトの生まれで、小さい頃は、そこで過ごしていたそう。
ルーンサイト国は農作物の産地としても有名で、特に小麦の生産地でもあった。
ラッコルトで生まれた子供の殆どが、農作物を育てる事に特化した
「だから、薬屋さんを営んでいる人も他の国から来た人が殆どだったのよ」
そう言って、お母さんは私の頭を一撫ですると、まるでおとぎ話でも聞かせる様な口調で話しだす。
「お母さん、せっかく薬師の個性を持って生まれたから、薬師になりたかったの。だけど、近くに薬師のお勉強を見てくれる人はいなかったし、本を買って、一人で勉強していたわ。当然、調合鍋だって持っていなかったから、小さい頃は、何もわからずお料理鍋で調合してたのよ?」
「お料理鍋で、お薬って作れるの?」
「まさか。作れるわけないでしょう?」
おかしなことを聞く、と言わんばかりに笑顔になるお母さんに、私は苦笑いを浮かべた。
「ある日、私の事を聞いた一軒の薬屋さんが、声をかけてくれたの。うちの調合鍋を使ってみないかって。お母さん、それが嬉しくて、二つ返事で言ったわ。お願いしますって。だけど、いざ調合鍋を使ってみても、全然お薬が作れなかったのよ」
お母さんは自分の事を話しているのに、くすくすと笑っていた。
「それでも暇があればその薬屋さんは、私に調合の事を教えてくれたわ。丁寧に、一から説明してくれてね。だけど何年たっても、一向に薬が作れなかった。個性が実は薬師じゃないのかもしれないって、何度も教会に足を運んだの。だけど結果は変わらなかったわ。個性は間違いなく薬師。なのにどうして薬が作れないのかって、お母さん、悩んで夜中に村を飛び出したことがあるの。ちょうど、今のメイと同じ年齢の頃のことね」
お母さんにも悩んでいた時期があった事に、びっくりして目が丸くなる。
だけど、それと同時に、どうしてか、親近感みたいなものが、湧いてきた。
「お母さんね、初めてポーションを作れるようになったの、十五歳ごろなのよ」
「え…」
「ふふ、驚くでしょう?」
今のお母さんからは、全然想像もつかない。
「それでね、お母さんに薬の事を教えてくれた人は言ったのよ。あなたは遅い方だけど、諦めずに毎日やり続けたから出来たんだって。その人は自分の事を、初めて教えてくれたわ。その人もまわりに薬師の先輩がいなかった事とか、初めてポーションを作ったのが八歳頃だったとか。旅に出て色んな薬師を見て、本当にばらばらで個人差があるんだと初めて知った、とかね」
「個人差…」
お母さんが十五歳までポーションを作れなかった事も、お母さんに薬師の事を教えた人は八歳でポーションを作った事も、私が十歳にも満たない頃にポーションを初めて作った事も、個人差っていう事なのかな。
「調合鍋も色んな種類があって、それぞれ特徴にあったものを選んだ方が良いとか、そういう事も教えてくれたわ」
本で読んだことがある。
薬師の特性に合わせて、調合鍋に色々な効果を付与して販売しているんだって。
ちょっと魔力が足りない人には、魔力の補佐をしてくれる調合鍋とか。
うちにあるのは、魔力で火加減を調整して作る、本物の火を使わないお鍋だったな、と思い出した。
「お父さんに会ったのは、お母さんが十六歳の時よ。冒険者だったお父さんがたまたまうちの村に来てね。怪我をしていた様だったから、思わず、作ったばかりのポーションをあげちゃったのよ」
懐かしそうにそう言って、お母さんは、また、くすくすと可笑しそうに笑った。
「そしたらね、もう大変。他で販売してるポーションよりも効くだとか、きっと相性がいいんだとか言い出しちゃって」
「お父さん、お母さんに一目惚れしちゃったんだ…」
「そうみたい。それでね、一緒に旅をしないかって言われたの」
冒険者は、世界中を旅して皆の困りごとをお手伝いする。
お父さんも例にもれなくそうだったみたい。
「けどお母さん、つい一年前にポーションを作れるようになったばかりで、ポーション以外は殆ど作れなかったのよ?」
「え?そ、そうなの…?」
あんまりにも意外で、私の目が、また、丸くなった。
お店に並んでいるのは、お母さんが作ったポーションはもちろん、魔力を回復するお薬や、一時的に身体能力が上がるお薬、力持ちになるお薬、色んなものが並んでいる。
ぜんぶ、お母さんが作ってるもの。
そのお母さんが、ポーションしか作れなかったなんて、やっぱり想像が出来ない。
「だからお母さん、言ったのよ。ポーションしか作れないから、お断りしますって。でもね、お父さん、お母さんが頷くまで村に居続けるって言って。本当にそうしちゃったんだもの。びっくりでしょう?」
「う、うん…」
「村にいる間は、農作物を育てるお手伝いとか、村のみんなの困りごとに手助けをしていたみたいで。冒険者なのに、本当に、この村に居続けさせて良いのかって思って。それを、薬師について教えてくれてる人に相談したのよ。そしたらね、旅に出てみれば良いって」
そんなにあっさり、旅に出て良いって言っちゃうんだ…
「旅に出て、色んな事を知って、今みんなが何に困ってるのか、自分が作れる薬で解決出来るのか、見てきたら良いって言ってたのよ。きっと、自分も旅に出て色んな薬師を見てきたからでしょうね」
お母さんの言葉に、ああ、そっか、と納得した。
色んな事を見て、それが良い事だったから、お母さんにもそうやって勧めたんだ。
「だから、一緒に旅に出る事にしたの。旅に出て、その中で薬を作る修行を積んで、薬師として立派になって帰ってこようって。だけどね、お母さんが思っていた以上に、冒険者は大変だった。何かあればすぐに怪我をするし、魔力切れも起こす。時には風邪だって引く。ポーションしか作れなかったのが、凄く悔しくて、色んな国の本を読んで、色んな調合鍋を試していったわ」
「お父さんのために?」
「ええ、そうね」
お父さんのために、お薬を作りたい。
お母さんが旅の途中で持った目標は、お姉ちゃんやハイシアとは違って、ポツンとしている様に聞こえた。
だけど、それが悪い事の様には思えなかった。
ぽつんとしているけど、じんわりと、暖かい気がする。
「それでね、お母さんは色んなお薬が作れるようになった。お父さんのために、もっとたくさんの薬を作ったり、今までにない新しい薬を作りたいって思ったの。そんなに大した理由じゃないように感じるかもしれないけど、お母さんには、それで十分だったのよ」
それで、十分…。
「薬師になって、みんなの役に立ちたいとかは…?」
「そうねぇ…その時はそこまで考えられなかったわ。お父さん一人を回復させて、お父さんのために薬を作れればいいって思ってたから。旅の中で出会った薬師の中には、たくさんのお店を持って、色んな人を助けたい、そのために薬を作り続けたいっていう人もいたけれど。凄く立派な目標だと思ったけど、お母さんは、その目標は持とうと思えなかった」
「どうして?」
「お父さんのために薬を作って、お父さんが笑顔になってくれるのが一番だったからよ」
お母さんは、また、笑った。
「お母さんがお薬を作る理由は、それだけ。今もそうよ」
「お父さん、冒険者をやめたのに?」
「ええ。今でもお薬は必要だもの。それが、たまたま他の人にも必要だっただけの事よ」
「お店は…?どうして、ヘントラスでお店を開こうと思ったの?」
私の問いかけにお母さんはしばらく考えた後、笑顔になって、口を開いた。
「何となくかな」
「…な、何となく…?」
「そう、何となく」
お母さんの昔話は、意外でびっくりする事ばっかりだったけど、お話の中で、多分、一番びっくりした。
魔族の領域に一番近い村にお店を開くっていう事は、例えば、もっと、色んな人をお薬で治してあげたいとか、何かあったときに、自分のお薬が役に立つようにとか、そんな理由だと思っていたのに。
「場所なんて、そんなに関係ないの。お父さんが行きたいところ、やりたい事が出来る場所なら、どこでも良かったのよ。お母さんの薬は、まず、お父さんのためにあるんだから。セフィアやメイが生まれてからは、家族のために作る様になったけど、きっかけは、お父さんだったのよ。生まれた場所であまりお目にかかれない個性だったからっていう、それだけの理由から始まってね」
もう、開いた口が塞がらない。
薬師のお母さんは、お薬でみんなを笑顔にする立派な薬師だと思っていた。
きっと、お姉ちゃんやハイシアみたいな目標があって、薬師としてお勉強を始めたんだと思っていた。
この村にお店を開いたのだって、大きな目標があっての事だと思ってた。
だけど実際には、そんな事なくて。
「がっかりしちゃった?」
私に笑顔でそう聞いてくるお母さんに、私は首を横に振った。
私が思っていた事とは違ったけど、何だか、お母さんみたいな目標でも良いんだなって、そう思えた。
――いいんじゃない?お母さんみたいな薬師になるっていうのだって
ハイシアが私に言ってくれた事の意味が、なんとなくだけど、分かった気がする。
「お母さんは、別の薬師と自分を比べたりしなかったの?」
「しなかったというより、そんな余裕なかったわ。十五歳でポーションを初めて作った。それも周りと比べると遅い方だって言われたんだもの。周りと比べていたら、きっと、薬師になる事を諦めていたわ」
お母さんはそう言って、ゆっくりと私の頭を撫でた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます