一方的な約束のこたえ
みんなが寝静まった深夜、家の扉を激しく叩く音で目が覚めた。
せっかくいい夢を見てたっていうのに下の階が騒がしくて、目を擦りながらのっそりと体を起こす。
窓の外はまだ暗く、お月様がてっぺんに昇っていた。
こんな時間にいったいどうしたのかと気になって、ベッドから出て、音をたてないようにゆっくりと扉を開ける。
階段の下から灯りが漏れているのが見えて、女の人の荒々しい声が聞こえてきた。
言葉ははっきりと聞き取れないものの、何やら村長と言い合いをしているみたいで穏やかじゃない。
大人たちの言い合いか、なんて思って、欠伸をしながら踵を返した。
「メイが魔族の領域にでも入っていたら、どうなさるおつもりなんですか!!」
突然はっきりと聞こえた声に、思わず肩をびくつかせた。
いや、それよりも。
大声をあげた女の人の言葉に、はっとして、気付かれないように素早く階段を途中まで降りた。
高低差で頭上に近い天井の影を利用して、一階の様子を覗き込む。
テーブルを挟んだ手前側に村長が、奥にメイのお母さんがいた。
村長に今にも掴みかかりそうなメイのお母さんを、メイのお父さんが、両肩に手を置いて止めている状態だった。
怒鳴ったのはメイのお母さんという事らしい。
「まだ森へ行ったと決まったわけではあるまい」
「それ以外に何処へ行ったと言うんですか?!」
「王都側の方へ向かった可能性もあるだろう」
冷静に言葉を返す村長とは反対に、メイのお母さんは余計に熱をあげ、言葉で噛みつくみたいだった。
「あの子がこんな時間に家を出るなんて…!まだ怪我だって治ってないのに!」
ひとしきり叫んだあとだからか、メイのお母さんは、今度は両手で顔を覆う。
メイが、お父さんとお母さんに黙ってこんな時間に家を出たという事なんだろうか。
ふ、と軽く息を吐き出して、音をたてないように階段を上がり部屋へと入る。
着ていた寝間着から普段着へと手早く着替えると、目を瞑り、全身の空気を纏うイメージを繰り返した。
軽く手のひらをかざすと、半透明の魔法陣が浮かび上がる。
「ステルス」
小さく呟くと、自分の手や足が、みるみるうちに視界から消えた。
目を凝らすと境界線の様なものが見え、その線を頼りに扉をそっと押し、音を立てない様に階段を降りた。
メイの両親と村長は、まだ言い合いを続けていた。
メイのお母さんは泣いている様で小さく肩が震えている。それをメイのお父さんは支えているけど、その視線は、強く村長へと向けられていた。
「シーアラ様に報告をして探していただけないのでしょうか」
メイのお父さんの方が、口調は冷静だった。
村長が、ううむ、と真剣な表情で暫く考えると、小さく頷く。
「もちろん、そうはする。しかし森を中心に探させるのは、早計と言えるだろう」
村長とメイの両親の話し合いはまだまだ続きそうだった。
ステルスの魔法を解除することなく、三人に気付かれない様にそっと外への扉を開ける。
村長はメイの両親に視線を向けっぱなしで、出入り口が開いた事には気付かなかった。
村長の家を出て、背の高いランタンの灯りを頼りに森へと続く道を走った。
誰も起きていない様で、どの家も、窓の中は真っ暗だ。
ステルスの魔法を解きながら走り続けると、森へと続く道が見えてくる。
綺麗に整備された道から、草が茂る道へと足元が変化していった。
ここから先はランタンの街灯もなく、頼りになるのは空にある月明かりだけだ。
息を切らしながら、いつもの道を曲がって湖へと向かう。
村長は、本当にメイが森に入ったのかわからない様だったけど、私は一つだけ、心当たりのある場所があった。
いつもの曲がり角を曲がると、夜の湖が見えてくる。
空に浮かぶ月が照らす、森から切り出された様な湖に人影はなかった。
水色のスライム達が、月あかりに照らされて輝きながら寝ているだけ。
肩で息をしながら、急いで来た道を戻る。あまり行き慣れていない道で、湖に続く道から逸れてしまったのだろうか。
それとも、本当に森には来ていないのか。
村と、サイトゥル達が拠点を作った最前線へと続く分かれ道で足を止めた。
「っ、どっちに行けばいいの!」
思わず文句が口から出た。
人影がないかを、右から左へ、焦りを押し殺してゆっくりと、視線をずらしながら目を凝らしていく。
奥の方に、きらりと一瞬何かが光ったのが見えた。
月明かりとは違う黄色い色は、夜に部屋を照らすランプの色とよく似ている様に見えた。
それは、魔族の領域と人間の領域の境界線がある、軍の拠点を設営した方向からだった。
――お願いだから、メイが居ます様に!
そんな天任せな事を祈りながら、光りが見えた方へと走り出した。
分かれ道から最前線までは少し距離がある。思い切り走って、途中で足がもつれて転びそうになりながらも、何度か光ったり消えたりを繰り返すランタンの様な明かりへと走り続けた。
サイトゥル達と拠点を設営した場所を通り過ぎ、そして、魔王になったランとサイトゥル達が睨み合った、最前線であり境界線へと走る。
ちかちかと光るランタンの様な明かりがどんどん大きくなっていく。間違いなく、進んでいる方に人が居る。
そのうちに人影が見えてきて、私はそこへ一直線に走り抜けた。
月明かりが照らす、グリーンの髪をした後姿。
その奥に見えた影に、私は、目を見開いた。
自然と走る速度が落ちていく。それとは逆に、心臓が、煩いくらい音を立てていた。
真っ黒で艶のある髪に、ムーングレイの瞳が、ランタンを手に持つ人影を見ていた。
「…ま、おう…」
喉にひっかかっている様な怯えた声がその人影からする。
迷わず人影の――メイの隣に並んだ。ランタンを持っている手が震えるのが見える。
「ラン」
私が名前を呼んだことで、ランタンを持っていたメイはやっと私に視線を向けた。
同時に、境界線を挟んだ向こう側にいるランも、私に視線を向ける。
記憶の中のランよりも、より背は高く、顔立ちは大人に近付いた様に思う。
ムーングレイの瞳が、優しいだけじゃなく、悲しそうだった。
「ここから先は、魔族の領域だ。そこの娘は、領域の境界を越え、足を踏み入れようとした」
優しい目とは反対に、ランの口から出てくる言葉はどこか冷たくて、まるで、『勤務時間』のシーアラの様だった。
隣でメイが、肩を大きく揺らし体を震わせている。
「別に踏み入れてないでしょ」
「警告だ」
反抗する私に、ランはそれだけを言って踵を返す。
咄嗟に境界線の向こう側に、手を伸ばした。
「ラン!あの時なんであんな嘘ついたの!」
境界線の向こう側へ足を踏み出していたランの動きが止まって、私に振り返る。
その目はやっぱり、泣きそうだった。伸ばした手は、境界線ギリギリのところで止まって、伸ばしきれなかった。
「嘘?」
わざとらしく首を傾げるランを睨み上げた。
「宣戦布告なんて嘘!それだけじゃないし!本当に宣戦布告だったら、なんでサイトゥル達を殺さなかったの?睨み合いの歴史に終止符を打ってって、どういうつもりなわけ?!」
「あの兵士たちは、生きていたのか。運がいいね」
まるで興味がありませんと言うように、目を伏せて口元に笑みを浮かべるランは、やっぱり嘘つきだ。
「本当に殺したかったら、そこ、悔しがるとこでしょ」
「人間は
「ランがあの時言ってた『あの人みたいになったら』って、前の勇者のことでしょ」
自分で思うよりもずっと低い声が出た。ランの目をこれ以上逃がさないように、逸らされた目線に合うように、私も視線を移動させる。
ランの目が、その瞬間に丸くなった。
「ほら。やっぱりそうだ。前の勇者の事だ。あんた、昔迷子になって、人間の領域に入ったんでしょ。その時に、男の人に助けてもらった。ランが魔族で、王族だってその人に話しても、その人、ランを殺さなかった。それどころか、魔族の領域の境界線まで道を案内してくれた」
次第にムーングレイの瞳が大きく揺れていった。
私の視線から逃げる事さえ忘れて、一瞬、息が止まった様に動かなくなった。
「だからランは、人間と手を取り合えるかもって思ったんでしょ?」
真っ直ぐとランを見つめ続ける私に、大きく見開かれた目がゆっくりと閉じていく。
そして、諦めた様に頷き、すぐあとにその目が開かれる。
優しいけど悲し気なムーングレイの目だ。
「もう、終わった事だよ。どうしてハイシアが知ってるのかは、知らないけど」
終わった事と言いながら、ランは諦めた様に力なく笑う。
そしてすぐ後に、困った様に笑った。
「ハイシア、人間と魔族の長い睨み合いの歴史に終止符を打つ絶好の機会なのに、どうして何もしないの?」
ほら、とランが両手を軽く広げる。
その瞬間、腹の底から真っ赤な
伸ばしきれなかったはずの手が、ランの頬目掛けて勝手に動いて、勢いよくぶつかる。
乾いた音が響いて、手の平が痛い。ランが愕然として私に視線を向けた。
「ふざけないで。なんで何かしなくちゃいけないわけ?なんで友達を手にかけなきゃいけないわけ?だから私は勇者になりたくないの!そうやって魔王を倒せだの魔族を殺せだの、いちいち煩い!勇者だから魔王を倒さなきゃいけないとか、そんなのどうでもいい!私は友達を殺すための勇者にはならない!」
拳を握って、それから一度呼吸を整える。
目の前にいる、嘘つきで優しすぎる友達に私が出来る事は何だろうか、なんて考える必要も、もう、ない。
「前の勇者も、多分、そう思ってたよ」
「そんな事、どうして、ハイシアがわかるの」
「そりゃあ、親子だし。ランの事を助けた勇者、お父さんだし。お母さんの日記にも書いてあったし。それが原因で、多分、殺された事も含めて書いてあったよ」
隣でメイが小さく「え…?」と言葉にならない音を吐き出した。
メイが持ってるランタンが小さく揺れる。ランもメイと同じで、さっきからずっと驚いたままだ。
次第にランの表情が歪んでいく。悔しそうに眉を寄せて、また、視線を伏せた。
「だったら、余計に魔族である僕の事が憎いはずだよ。君のお父さんが死んだ原因は、僕を助けた事なんだって言うなら。なのに、どうして。どうして魔王である僕を殺さないんだよ」
「はぁ?!ランが友達だからに決まってるでしょ!まだわかんないの?!私は友達を倒すとか殺すとかしたくないの!言ったばっかでしょ!」
大声で怒鳴って、息が続かない。ぜえぜえと呼吸を繰り返して、それでも私はランを見続けた。
「けど私が勇者になる事をランが望むなら、なってやるわよ、勇者に。魔王を殺さない勇者にでもなんにでもなってやるんだから!ランの事は倒さない!けど、聖剣を手に入れて、ランのもとへは行ってやるんだから!」
「…めちゃくちゃだ…あんまりにも」
「好きに言えば!どうせ大人たちはみんな、聖剣手に入れれば勇者とか思ってんだから!めちゃくちゃだろうと何だろうと、私は私の思う勇者になるの。ランが思ってる勇者像なんか殴り飛ばしてやるんだから!」
境界線を挟んで、握った拳を構える。端から見れば、たしかに、勇者と魔王の戦いと見えなくもないと思う。
それにしては随分と可愛げのあるものだけど。
私が言ってる事がめちゃくちゃ過ぎて、ランはまた、驚いた様に目を見開く。
驚いたり、嘘ついたり、泣きそうになったり、悔しそうになったり。
私達人間と、何が違うって言うんだろう。ランにだって、湖のスライム達にだって、感情はちゃんとあるのに。
「だから、待っててよね。絶対殴ってやるから。もっと剣術の稽古も魔法も頑張って、聖剣、手に入れる旅に出るから、ちゃんと」
月明かりに照らされて、驚いてるランの目が、よく見える。
しばらく驚いていたランは、それから、優しい目をして、私に手を伸ばしかける。境界線ギリギリのところで手は動きを止めて、かわりにランは口を開いた。
「その信念が、いつか手折られない事を願うよ」
穏やかな笑みを浮かべてから、伸ばしかけた手を引っ込めて、今度こそ踵を返して魔族の領域の奥へと姿を消していってしまった。
「…絶対、負けないし」
――折れるもんなら折ってみろ。
誰に挑戦しているのかもわからないけど。
ただ、この世界のたくさんの大人たちの姿が浮かんだ気がして、そのひとりひとりに、挑んでいる様な気分だ。
ふと、メイの、ランタンを持つ手が下がっていく。
ランが消えた方からメイに視線を向けると、気まずそうに私から視線を逸らした。
「ねえ」
声をかけると、メイの肩が大きく揺れる。
合わせて手に持っていたランタンも、プラプラと揺れた。
「怪我、してるんでしょ?大丈夫なの?」
ハッとして反射的に上がったメイの視線と、私の目が合った。
メイは遠慮がちに小さく頷いて、口を開いた。
「も、もう治りかけだから、大丈夫…」
久しぶりに聞いたメイの声は、怯えているみたいに震えていた。
「場所、移動しよ。ここだと色々大変だし」
メイの手からランタンをさらうように取って歩き出す。
戸惑った様子で動かない気配に、足を止めて振り返った。
「ほら、早く。置いてくよ?」
「あ、ま、待って」
「待ってるから」
慌てて歩き出したメイが私の隣に並ぶのを待って、もう一度、歩き出した。
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