過去と向き合うこと

思いがけない出会い

 カタカタと箱が揺れる。座っていると段々と腰が痛くなってきた。

 王様代理が、本来の目的地であるエルフの領域と隣接しているルーンサイトまで、箱馬車を貸してくれることになり、私たちはそれで移動をすることになった。

 デイスターニア国が兵力の国であると言っても、あまり馬のイメージはなかったけど、士官学校では乗馬の技術を学ぶ機会も設けれられている様で、セフィアが管轄している隊の兵士が馬を操っていた。

 窓の外の景色は段々と、デイスターニア国の整備された道から土へと変わり、平原が何処までも続いていく。

 大きな丘が見えてくると、私は窓を開けて顔を出し、あたりを眺めた。

 珍しい景色に、ため息が漏れそうになる。


「わぁ…デイスターニアを離れるだけで、全然違うんだけど」


 頬を撫ぜる風が優しい。


「ハ、ハイシア、危ないよ?」


 メイが困った様に言う。

 窓から顔を引っ込めて、私はにんまりと笑みを浮かべた。


「大丈夫でしょ。この辺、静かだし。それより見て、向こうに大きな丘が見えるの」


 ほら、と窓の外を指さすと、今度はメイも、遠慮がちに窓から顔を覗かせて「わぁ…!」と声を漏らした。

 デイスターニア国は魔族の領域との間に森があり、それ以外は、坂道はあっても平坦な道が多い。

 それに加えて、集落や小さな森、村はあるけど、人間の領域の中でも自然は少ない方だ。

 地図にもそう見えるように描かれている。


「丘、越えたら、ルーンサイト。エルフの領域に、最も近い、国だ」


 リオンが解説してくれて、メイが窓から顔を引っ込め噛み締める様に「ルーンサイト…」と呟く。


「何かあるの?」


 その様子に問いかけると、メイははにかんだ。


「お母さんのね、生まれた国なんだ」


 ヘントラスに住む、メイとセフィアの母親。

 普段は穏やかそうに見えるけど、メイが真夜中に村を飛び出した日に、村長に怒鳴っていたことを思い出して口元が引きつった。


「ルーンサイト、豊穣の、国。薬師、珍しい」

「うん、お母さんもそう言ってたの。だから、薬師のお勉強をするのがすごく大変だったんだって」


 自分の事の様に話すメイに、私は「へぇ…」とだけ返して、思い返してみる。

 メイが憧れている、メイのお母さん。

 薬師としてはメイの先生にあたる人で、色んな薬を扱っている店を営んでいるけど、私は結局、その店に入った事がない。

 そもそも怪我をしなかったのもあるけど、村の大人の雰囲気が嫌で、薬屋だけじゃなく、色んな店には近寄らなかった。

 そう言えば、植物の栄養剤をヘントラスから取り寄せると、セフィアが、デイスターニア国の城下町で詰め寄ってきた集落のおばさんに言っていた。

 品揃えが豊富、つまり、作れる薬の知識が豊富という事だ。

 到底勉強が大変だったというイメージとは結びつかない。

 メイが調合の作業に途方もない苦労を重ねていたことを知らなかったみたいに、私は、まだまだ、知らない事がたくさんある様だ。


「ハイシア、問題。ルーンサイト、どんな、国」


 リオンが唐突に、人差し指を立てて聞いてくる。

 その様子に、思わず顔を歪ませた。


「ちょっと、こんな所にまで来て勉強しろって言うわけ?」

「そう。勉強、大事だ」

「リオンは私の魔法基礎・実技の先生であって、座学の先生じゃないんですけど?」


 文句を垂れる私に対して、リオンは表情一つ変えず、寧ろその目は、答えを期待している様だった。

 魔法基礎・実技の先生でも、今だけは座学の先生もするぞと言いたげだ。

 その目に、面倒くさいなと思いながらため息を返す。


「もう、ハイシア!お勉強はしないとだめだよ?私たちが今から行くところなんだから!」


 メイもリオンの肩を持つのか、もう、と可愛らしく頬を膨らませて私に答えを求めてきた。

 ぼんやりとしていながらも、目だけがきりっとしているリオンと、可愛らしい怒り方をするメイに負け、私は仕方なく口を開く。


「ルーンサイトって、あれでしょ?エルフの領域の近くの」

「それはさっき、リオンさんが言いました!」

「ちょっと、メイまで先生やる気?!」


 ぎょっとすると、メイがえへへ、と照れた様に笑う。


「一回だけね、やってみたかったんだ」


 頬を赤くして笑うメイに、リオンは「似合ってる」と言った。

 この旅、国を移動する度にこんな事を答えさせられるのかと思うも、メイとリオンが楽しそうだから、まあ、良いかとも思えて、やれやれと小さく笑みが零れた。


「ルーンサイト国は、デイスターニア国から武力を永続的に借りている代わりに、国内で採れる小麦や果物、野菜を多くデイスターニア国に輸出している…だっけ?」


 村で座学の勉強をしていた頃に教わった内容を思い出しながら口にすると、メイは目を真ん丸にした。


「凄い…ちゃんと覚えてるんだ…」

「え?せっかく答えたのになんでその反応なの?ちょっと、メイ?!」


 聞いてきたから答えたのに、答えられないと思っていた様な反応をされて、私まで目を丸くした。

 確かに村に居たころは、座学の勉強を頑張っていると言っても、定期的に通っていた教会の鑑定用紙に記載された知性の部分はぼろぼろの結果だった。

 何なら、旅に出る直前に診てもらった結果も、それと変わらない。

 知性の次に問題だった魔法基礎の項目は、リオンに鍛えられたおかげでだいぶ外側にせり出ていたけど、知性だけはどうにも出来なかった。

 メイもそれを知っているから、驚くのも無理はない。

 そう分かっていても、聞かれたから答えた身としては、ちょっと納得がいかない。


「ご、ごめんねハイシア…答えられると思ってなくて…お勉強、頑張ったんだね」

「そこでしみじみされちゃうと余計傷つくんですけど?!」


 誤魔化したように笑うメイに、私は「まったく」とため息をついた。

 言い出しっぺのリオンは、ぼんやりと「正解」と口にして外に視線を向けてしまった。

 座学の先生なんて慣れない事をするからもたないのよ。


 腰に伝わっていた振動がおさまって、次には、軽く扉を叩く音がする。

 リオンが扉を開けると、馬に乗っていた兵士が顔を見せた。


「国境に着きました。ここからは、ルーンサイトで任務にあたっている兵士が馭者を務めます。勇者様、どうか、お気をつけて」

「ありがと。あんたも、気を付けて帰りなさいよ」

「ありがとうございます!」


 わざわざ兵士が挨拶をしてくれて、言葉を返すと、心底嬉しそうに笑ってから敬礼をして、扉を閉めた。

 再び馬が動き出す。

 振り向いて後ろの窓を見れば、兵士は、馬車が遠くなるまでずっと敬礼をしていた。


 兵士の言う通りなら、動き出した馬車はルーンサイトの領域に入ったという事になる。

 メイが地図を取り出して、ルーンサイトの地形を詳しく確認していく。

 リオンが地図を覗き込み、指をさす。

 私もメイも、その指先に視線を向けた。


「これ、丘。越えたら、ここ」


 リオンが地図を指でなぞる。

 指が止まったのは、ルーンサイトの城だ。

 地図には細かく街の様なものが描き込まれている。

 ルーンサイト城の膝元に町がある様だ。

 視線を城下町から更にずらすと、緑色が広範囲にわたっている。

 城下町の様な細かな描き込まれ方はしておらず、ただ『エルフの領域』とだけ記されていた。

 地図は完璧なものではない。

 デイスターニアの領域も、ヘントラスまでは、どこに橋があって、細い川が流れていて、と、見てとれるものの、その更に、地図の上方、北の方角にある『魔族の領域』は、岩が切り出された様な絵が描かれているのみで、詳細はない。

 エルフの領域と同じようで、それは地図の右側、方角にして東側にある海にも、『海人族かいじんぞくの領域』と書かれている。

 本当に存在しているかも分からない天神族てんじんぞくが住む場所に関しては記載すらない。

 この地図は、人間が、人間のために作ったのだろう。


 突然馬車が、大きく揺れた。

 体が斜めって、慌てて箱に手をつく。


「きゃっ!」


 メイが小さく悲鳴を上げた。

 バランスを崩し、座っていた場所から大きく傾く。

 咄嗟にリオンがメイの腕を掴み、メイが床に放り出されることはなかった。

 私は慌てて窓から顔を出す。

 後ろから、馬に乗った数人の男がこの馬車を襲ってきた様だった。

 手にはロープを持ち、目元以外は隠れるロングローブを着ているが、刃こぼれの激しい剣を持っている者も数人いた。


「止めて!」


 馭者に慌てて声をかけると同時に、私は扉を足で勢いよく蹴る。

 扉のフチに手を引っかけ上半身を外に乗り出すと、片手をかざす。

 瞬時に手の平に魔力を集め、緑色の魔法陣を浮かび上がらせる。


エデラよ!」


 叫ぶと同時に魔力を放つと土を割って蔦が生え、男たちの乗る馬に次々と意思を持ったように蔦が絡みついていく。


「もう一発お見舞いしてやるんだから!」


 蔦に足をとられた馬が次々と転がり、男たちが振り下ろされていく。

 瞬時にもう一度魔法を放つと、蔦がベッドの様に形を成して、馬から振り下ろされた男たちを捕まえた。

 蔦のクッションに落ちた男たちが、次々と蔦に絡めとられていく。

 私たちの乗る馬車はゆっくりと速度を落とし、そして、止まった。


「お怪我はありませんか?!」


 馭者の役割をしていた兵士が馬から降りて、箱まで来る。

 私が箱から飛び降りると、次いで、メイとリオンも降りて、蔦に絡めとられている男たちと、転げて動けない馬に視線を向けた。


「お、お馬さん大丈夫かな…?」


 蔦に絡めとられている男たちではなく、メイは馬を心配して眉尻を下げた。


「結構派手に転んでたから」

「えっと…ちょっと待ってね、今、お薬出すから…」


 道具入れからポーションの入った小瓶を出すと、メイは男たちを素通りして馬へと向かう。

 私が放った魔法に絡めとられている男たちが、蔦から逃げようともがいているが、メイはそれを気にしなかった。


「普通、人間の方を心配しませんかね…」


 呆気にとられている兵士に、リオンが「ハイシアが、捕らえた。だから、多分、わかってる」と答える。

 兵士はすぐに、はっとして男たちにまじまじと視線を向けた。


「山賊ですね。申し訳ありません。ルートを変更した方が良かったですね」

「それは良いんだけど、こいつら、どうすれば良いの?っていうか、山賊なんて居んのね、この辺」


 私の言葉に兵士は申し訳なさそうに頷くと、もがき続ける山賊たちのそばまで行き、手に持っていたロープや剣を取り上げた。


「この国で、今、問題になっているんです。お手を煩わせてしまって申し訳ありませんでした」

「別にそれは良いんだけど――」


 結局これはどうすれば良いわけ?ともう一度聞くよりも先、後ろから、カチャカチャと金属音が擦れる音が響いてくる。

 新手の山賊かと思い振り向いた私は、目を見開いた。


「この近くに山賊が潜伏していると聞いたぞ!」


 雷のような怒号だった。

 ところどころ傷がついた、誰かのお下がりと言わんばかりの鎧に、一般兵が使うような剣を片手で持ち走ってきた、年老いた顔の男から目が離せなかった。


「も、申し訳ありません。ですが既に勇者様が山賊を捕らえてくださいました!サイトゥル元大佐!」


 兵士がへこへこと頭を下げる。

 鎧を着た老人は箱馬車のそばに居る私に視線を向けると、これでもかと言うほど目を見開いた。


「――そうか、が」

「は、はい。勇者様、紹介いたします。この方は――」

「…退役したって、聞いたけど。サイトゥル大佐」


 心臓がバクバクと嫌な音を立てた。

 喉が震えて、悟られないように、いつもより大きな声を出した。

 サイトゥルは目を細めると、顔を逸らして兵士に向いた。

 兵士は「あ、あれ、お知り合いでしたか?」と、妙な空気を感じてか、焦って取り繕うかの様に笑い、サイトゥルに声をかけた。


「は、ハイシア…」


 馬にポーションをやっていたはずのメイが私のそばまで来ると、心配そうに私を見る。

 そして、そっと私の手を両手で握った。

 その手を握り返して、私は蔦に絡まった山賊に視線を向ける。


「あんたたち、なんで山賊なんかやってんの?」


 自分の気を逸らせる話題ならなんでもよくて、たまたまそこに、山賊が居たからって理由だけで、こんな事を聞いた。

 もがいていた山賊たちは、私とサイトゥルの間に流れる妙な空気に気付くことなく、私を睨む。


「うるせぇ!お前がとっとと仕事しねぇからだろ!」

「は?人間なんだから、ちゃんと理由くらい言ってくれない?何で山賊なんかやってんのって聞いてんのよ」


 苛立ちをぶつけるように、片手をかざして、蔦の巻き付きを少しだけきつくしてやった。


「いでででで!は、話す!話します!」


 力加減を間違えた様で、きつく縛りすぎたらしい。

 手をおろすと、山賊たちがほっと息を吐き出し、私を睨みつけた。


「俺たちが住んでた集落が、何年も前に魔族に襲われたんだよ。行き場を失くしたんだ、俺たちは!」

「そうだ!だから生きるために!」


 口々に事情を吐き出す男の中には、泣き出す者も居た。

 本当か嘘かの判断はつかないものの、それが本当なのだとしたら、このルーンサイトという国はそんなに働き口がないほど、情勢が悪いのかと疑ってしまう。


「何年もその状態って…この国、どうなってんのよ」


 呆れてため息を吐き出し、少しだけ考えた。

 山賊の言う集落があった場所に足を運んで、そこに魔物がいれば、コミュニケーションをとってみるのも一つかもしれない。

 デイスターニアの国境まで戻れば、国境警備の兵士が、デイスターニアと魔族の契約に則って連れて行ってくれるはずだ。

 あの新しい王が、既に書状にサインを施していればの話ではあるが。

 デイスターニアを発ってから数日はしているが、そういった話はまだ耳に入ってきていない。

 そもそも、私たちをここまで連れた兵士が知る術もないから、それは仕方がない事だ。


 そして嘘だった場合の事も考える。

 嘘だった場合、集落には何があるのだろうか。

 この山賊たちの事を誰に相談しようか迷う。

 これから先、こういう事は多々あるかもしれない。

 情報というのは、とても大事なものだと思い知った。


「そやつらを、どうするおつもりかな、殿


 サイトゥルの他人行儀な言葉にトゲは含まれていない。

 それでも、どうしてか心臓に何かが刺さった様な気がして、ぐっと下唇を噛んだ。


「…うっさいわね。好きにすれば?」


 結局、私では決められないから、サイトゥルと、ここまで馬を走らせた兵士に任せる事にした。


 サイトゥルの判断で、山賊たちはルーンサイトの城下町まで連れて行かれることになった。

 山賊が乗っていた馬は、メイが持ち合わせていたポーションで怪我を治して蔦から離してやると、すぐさま方々に散り、自由に駆けて行った。

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