決着をつけよう

 ルーンサイトの城下町で、メイとは別行動をすることにして別れた。

 リオンは私の後ろについてくる様で、ぼんやりとした目で隣を歩いている。

 市場を歩けば、また果物のおすそ分けという儀式がありそうだと思ったから避けて通ることにした。


「オマエ、どこ、行く」

「リオンこそ、たまには自分のしたい事とかないわけ?」


 ただ私の後ろをついて歩くリオンに、私は立ち止まって振り返り、問いかける。

 リオンの目が一瞬見開かれた気がしたものの、すぐにまた、ぼんやりとした目に戻ってしまった。

 もしかしたら見間違いかもしれないと思うほど、一瞬だ。


「…したい、事…」


 私の問いかけは、ただの素朴な疑問だった。

 したい事があるか、ないか、それだけなのだが、リオンにとって、この問いかけは別の意味を持ったかの様に、黙って考え込んでしまった。

 珍しく、リオンの紅い目が伏せられる。

 エルフっていうのは、憂いた様に目を伏せるだけで持ち前の顔の良さが際立つ。

 長い睫毛が太陽の光りに照らされ、目元に影が落ちる。

 私の旅に同行した理由は、頼まれたからという事を思い出した。

 リオン自身の意思とは無関係で、旅に同行する事は、リオンにそれを頼んだ人が、リオンにとって大事な人、あるいは、大事な事を意味しているのだろうか。

 何のために?


「ねえリオン」


 声をかけると、伏せられていた視線が向く。

 ぼんやりとしていて、何を考えているのかはわからなかった。


「せっかくなんだから、見つかるといいわね、あんたのやりたい事」

「…見つける…」


 噛み締める様にリオンが呟く。

 私よりも背の高い子供みたいで、それが何だか可笑しくて、笑みが零れた。


「だってあんた、私の魔法基礎・実技の先生だって頼まれた事でしょ?メイに魔法を教えるのだってそう。この旅についてくるのだって、頼まれたからでしょ?」

「そう。頼まれた」

「だったら、自分のやりたい事を見つける旅にしたって良いんじゃない?どうせついてくるのは変わらないんだし」


 そう言って、踵を返して歩き出す。

 リオンは私の後ろをついて歩く。

 けれど、何かを考える様に、時折、周りに視線を向けては立ち止まった。

 私もそれに合わせて立ち止まる。

 立ち止まっては歩いてを、何度も繰り返した。

 市場から一本道をそれるだけで、城下町は静かだ。

 民家が建ち並び、談笑している住民たちがいるくらいで、いたって普通の街並みと変わらない。

 デイスターニアの城下町はどこもかしこも冒険者と兵士だらけだったから、少し、この静かな町並みに驚いた。

 歩いてると、丸まった背中が見えてくる。

 買い物帰りなのか、手には袋を下げて、とぼとぼと歩いている老人。

 昔の面影などすっかりなくなってしまったかの様な、寂しい背中だと思ってしまう。

 ちゃんと、決着をつけなきゃいけない。

 心の中でそう自分に言い聞かせて、下唇を噛んで、それから、その老人に向かって走り出した。

 リオンが慌てて追いかけてくる。


「待ちなさいよ!この、雷親父!」


 ありったけの声で叫んだ。

 静かな道に私の声が響いて、住民が窓を開けて何事かと顔を覗かせる程だった。

 それも気にすることなく、立ち止まって振り返る老人――サイトゥルのもとへと、走った。


「…何だ?」

「話が…あるんだけど」


 腹に力を入れて、逃げ出しそうな足を奮い立たせて、私はサイトゥルを睨み上げる。

 サイトゥルは頷いて「ついてこい」と言って、歩き出した。




   ***




 サイトゥルの後を追いかけて、城下町からは少し離れた場所にある家に辿り着いた。

 大きいが、外観はヘントラスにある村長の家そっくりだ。


「あがれ」

「え、あがれって…ここ、サイトゥルの家なの…?」


 無遠慮に扉に手をかけて言うサイトゥルに思わず言葉を返すと、一度だけ頷いて、サイトゥルは扉を開けた。

 デイスターニアで大佐をしていただけあって、給金はかなり良かったという事なんだろうか。

 サイトゥルが扉を開けたまま私を待っている事に気付いて、慌てて中へと入った。

 家の中は外観からは想像がつかない程、何もなかった。

 吊り下げ式のランタンが天井から下がり、その下にはテーブルと椅子がある。

 それ以外にあるのは、小さな本棚と、その本棚の上に、本が一冊あるだけだ。

 少し奥に暖炉があるものの、長い事使われていないのか、薪も置かれていない。

 遠目で見ても分かるほど、煤がついているだけだ。


「すまんな、来客は久しいから、ろくなものがなくてな」

「…別に…それは構わないけど…」


 広さだけで言えば、村長の家の二倍はある。

 上階に続く階段もあるから、相当な広さのはずなのに、人の気配がまるでなかった。

 寂しい部屋だと感じた。

 これがサイトゥルの家なのかと思うと、不思議でならない。

 兵士たちと過ごし、必ず誰かが居た記憶が強すぎて、一人で過ごしているサイトゥルなんて想像もつかなかった。


「それで、話しとは何だ?」


 サイトゥルが「まあ、座れ」と言って私とリオンを椅子に座らせる。

 テーブルは四人掛けで、椅子も四脚ある。

 家族と過ごしていたにしては、人の気配が、やっぱりない。

 家族がこの家に住んでいるなら、家族のが何かしらありそうなのに、それも、見たところなさそうだった。


「…家族は?いないの?」


 あまりの不気味さに、思わず聞いてしまった。

 サイトゥルはピューターを準備しながら「ああ」と、言葉を続けた。


「亡くなったよ」


 その言葉に、ぶわりと汗が噴き出した。

 冷たい、嫌な汗だ。


「…それ、って…」


 いつの、話…

 聞きたくないと思うのに、聞かなければいけない様な気がして、口が勝手に動き出す。

 指先が震えて、ぐっと拳を握りしめた。


「…そうだな、恐らく、お前の考えておる通りだろう」


 その言葉に、息が詰まった。

 指先だけじゃなくて唇まで震えてくる。

 けど、一瞬にしてそれは私の中で、ぱんっと音を立てて弾けた様な気がした。


「だったら、なんで私に謝ったりなんかしたのよ」


 自分でも驚くほど、低い声でサイトゥルに問いかける。

 目の奥が熱くなって、鼻の奥がつんとして、憎くないのに許せなくなる。

 心臓の中がぐちゃぐちゃにかき回される様な。

 苦しいのか、痛いのか、悲しいのか。

 けどはっきりと、これが憎しみや恨みでないことだけは認識が出来た。


「聞いてるんでしょ?私が、何も話さなかった事。思わなかったわけ?お前が話していればとか、家族のもとに居られたとか、そんな風に思わなかったの?何で?どうして?!」


 サイトゥルは首を横に振って、座る私を見下ろした。

 恨むような目でも、憎むような目でもなく、ただただ、悲しそうに。


「そうか、わしが謝った事で、お前を苦しめてしまったか」

「なんなの…何でそうなんの。何でそう思うの、なんでそう思えるの!」

「命を軽んじたからだ。民を守るための剣だった。だが、あの時のわしは、守る剣ではなく、多くを守るために一つの命を犠牲にする剣を持っていた。命を軽んじれば、軽んじただけ、己に返ってくる」


 何それ。

 何それ、何それ、何それ!

 軽んじたのなら。

 あの時の事をそう言うのなら。


「それじゃあ多くの命を軽んじた私はどうなるの!天秤にかけたのは私も同じなのに!なのにどうして謝ったりなんかするの!」


 ランとサイトゥル達を天秤にかけた。

 多くの命と友達の命を天秤にかけた。

 最初からおあいこなんかじゃなかったのだ。

 サイトゥルだけじゃなく、眠った兵士の多くには家族がいただろう。

 サイトゥルと同じように、眠っている間に家族が亡くなっていたとしたら。

 私は、サイトゥル達だけでなく、その家族、多くの命を天秤にかけていた。

 どうして今まで気付かなかったのだろう。


「ハイシア、己の両手を広げてみろ」

「なに、いってんの」

「良いから、やってみろと言っておる」


 ただ私を見下ろすサイトゥルの言葉に、わけが分からないまま、言われた通りに両手を広げる。

 サイトゥルは、満足そうに頷いた。


「そこにおさまるだけが、お前の守れるものだ。あの時のわしは、両手を広げれば、そこにお前がいただろう。守れるところにいたというのに、それをしなかったのだ。お前は今、こう考えただろう。自分がした事で、多くの兵士に、わしと同じ経験をさせたと。だが、あの時、お前のそばにはその多くの兵士がいた。そして同じように、両手を広げれば守れる範囲に居たというのに、誰もがそれをしなかった。お前は、己の天秤にのせる錘の大きさを、間違えておる。お前がその総てを背負う事ではないのだ。あの時あの場に居た兵士たちが、みな、同じだけの重さの錘をもち、等しく天秤にかけただけだ」


 だから、お前がそう背負うものではない。

 サイトゥルの手が、私の頭にのびる。

 しわくちゃで、豆が固まった武骨な手が、私の頭をふわりと撫でた。

 その瞬間、また、何かが弾けた。

 今度は音も立てず静かに。

 世界があっという間に滲んで、次から次に滴が頬を垂れていく。

 いやだ、いやだ、泣きたくなんかないのに。

 たまらず両手で顔を覆ったら、余計に溢れて止まらなくなった。


「そうか。あの日から、ずっと抱えておったのか」


 サイトゥルの手が、私の頭を撫で続けた。

 煩いなとも、大きなお世話よとも言う事が出来ず、ただ、泣き続ける事しか出来なかった。


 それから、私はぽつり、ぽつりと話し出した。

 あの日、凄く怖かった事も、稽古が嫌だった理由も、そして、その魔王こそが、私の友達だった事も。

 何もかも、洗いざらい吐き出してしまった。

 サイトゥルは時折驚きつつも、怒ることも、否定する事もなく、ただ「そうか」「そうだったのか」と相槌を打ち、話を聞いてくれた。

 いつの間にか、空気を読んでかリオンはいなくなっていた。


「本当の歴史を、キーアから聞いたか?」


 ふと、サイトゥルがそんな事を聞いてくる。


「…聞いたというより…お父さんが、キーアのお父さんに語った事を、読んだ」


 鼻声で答えを返すと、サイトゥルは、また、深く頷いた。

 ごしごしと袖で頬を拭って「それがなに?」と返した。


「お前はもしかしたら、初代の勇者と同じ様に、大義を成すのかもしれんな」

「…そんなの…わかんないし」


 大義なんて、私は思っていない。

 ただランの横っ面を殴ってやればそれで良い。

 自分から勇者に殺されることを望むなんて、そんな馬鹿な事を考えるなと、言ってやりたいだけだ。


「お前の選択は、間違ってはいないのだろう。魔族の言葉が理解できるのは、ほんの偶然だったかもしれん。しかしな、ハイシア。今だから、本当の歴史を知ったからこそ思う。お前は、正しかったのだと」

「別に…正しいとか…正しくないとか、そんなので、決めてないし…」

「ああ、そうだろうとも。きっと初代の勇者もそうだったんだろうと、わしは思うぞ」


 初代の勇者。

 遠い、神話の時代の歴史。

 燃やされた、この世界の過去。

 サイトゥルは私と同じように、総てを知ったのだろう。

 サイトゥルの目は、どこか、嬉しそうだった。

 ヘントラスでは見た事もなかった『大佐じゃないサイトゥル』が目の前に居て、嬉しそうに顔をほころばせている。

 その光景が、印象的だった。


「ただ、友のため、大切な友人のため。それだけだっただろう」

「…うん」

「だからこそ、お前はお前のなすべきことを、成したいと思う事を成すのだ。誰もそれを止められはせん。お前が折れん限りは」

「…折れないし」


 サイトゥルなりに、私を励ましてくれているんだろう事は気が付いた。

 ただ、あまりにも説教臭くて、遠い昔を思い出したような気がして、それが、懐かしかった。

 初めて懐かしいと思えた。


「ならば、もう、過去に振り回されるな。あの時の事があったからこそ、お前は今ここにいるのだと、そう思え。胸を張って、お前の思う勇者として、生きなさい」


 サイトゥルはもう一度私の頭を撫でると、いつの間にか湧いていたヤカンのお湯をピューターに注いだ。

 茶葉が入っていたのか、ヤカンから注がれるお湯は透き通った赤茶色をしていた。

 淹れてもらった紅茶を飲みながら、私の口からも、サイトゥルたちが眠っていた間の事を話した。

 シーアラが派遣された事や、教えてくれた事、チャーリーの事、セフィアの事、そして、メイがうんと努力して、薬師として立派になっている事も。

 サイトゥルは懐かしそうにしながら、満足そうに話しを聞いた。


「この剣も、盾も、チャーリーが打ってくれたのよ。おじさんに認められて、初めて打ったんだって。メイが言ってた」

「あの小僧がのう。随分立派になったもんだ」

「でも、チャーリーの一番の目標は、調合鍋を打つ事なんだって。メイのために」


 サイトゥルは「そうか」と頷いて、それから、外に視線を向ける。

 そういえば、リオンが外に出たっきり戻ってきていない。


「…ハイシア、あのリオンという奴じゃが。気をつけろ、奴がお前の旅に同行しているのは、恐らくシーアラに頼まれてではない」


 急に真面目な顔をして、出入り口の扉を睨むサイトゥルは大佐の顔ではなかった。

 元大佐としての忠告ではない。

 もっと別の何かだ。


「…そうかもね。でもね、リオンが私に魔力の使い方を教えてくれた事に変わりはない。まだ確信はないけど、本当に確信を持てた時、その時には、突き止めなきゃいけないとも思ってる」

「そうか。そうだな」


 サイトゥルは、リオンがダークエルフだからとは言わなかった。

 出自が分かっていないにしても、サイトゥルは総てを知っている。

 今更、種族だ何だと言い出すとも思えない。

 リオンという一人の存在に対して、警戒している様だった。


「ねえ。私、うんと強くなったんだから。手合わせしない?あんたが初めて教えてくれた剣とは比べ物にならない事、知ってほしいんだけど」


 今のサイトゥルに、私の強さを、成長したところを見て欲しいと素直にそう思えて、ピューターを手ににんまりと笑った。

 サイトゥルは目を見開いて、それからすぐに、軍人だった頃の、あの厳しい顔を私に向ける。


「この老体にムチ打たせる気か?」

「なに言ってんの。山賊がいるとか言って怒鳴ってたじゃない。現役でしょ。昔から全然変わんないわよ、あの雷」


 サイトゥルは立ち上がると、一度、二階に上がっていく。

 それから少しして、訓練用の剣を二本持って戻ってきた。

 木製の、打つと痛いけど決して人を斬る事はない剣だ。


「ほれ、付き合ってやろう。あの生意気だった小娘がどれほど成長したか、望み通り見てやろう」

「う~わ、言われた途端、なんかムカッとしてきた!言っとくけど、容赦なんてしないからね」


 立ち上がり、ピューターをテーブルに置いて、かわりに訓練用の剣を受け取る。

 サイトゥルと二人で外に出ると、リオンがぼんやりと外を眺めていた。

 私たちが訓練用の剣を片手に出てきた事に驚いて、一瞬、目を丸くするものの、すぐにまた、ぼんやりとした目に戻る。


「号令、いるか」

「そうね、せっかくだし、リオンにかけてもらいましょう」


 この敷地には、訓練をするには十分な広さがある。

 私とサイトゥルは一定の距離をあけて向かい合うと、互いに剣を構えた。


「ほう、姿勢は正されておるようだな」

「どっかの悪い大人が、容赦なかったからね」


 リオンが「はじめ」と随分しまりのない声をかける。


 私とサイトゥルは、その日、互いに気が済むまで、稽古に勤しんだ。

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