初めての拒絶
リオンによる魔法実技の訓練のためにシーアラが用意してくれた部屋は、本当に村にある軍の施設なのかと疑う様な造りだった。
普段見る、真っ赤な絨毯が敷かれた黒の大理石の造りとは違い、白い壁で一面覆われた部屋は、軍の敷地の見た目どころか、村とも随分不釣り合いだ。
特殊な材質で壁が作られているのか、どれだけ魔法を打っても壁が吸い込んでしまうという不思議な構造である。
おかげでリオンが盛大に放った、桁違いの威力を見せつけた魔法が建物を破壊する事はなかった。
この部屋が不思議な構造で出来ていなければ、危うく建物が倒壊するところだったかもしれない。
勢いのいい魔法を間近で見せられた翌日から、実技の稽古は始まった。
真っ白一色の空間でリオンと向かい合う様に立つと、手のひらに、赤く燃える様な力を集めるイメージをし始める。
その次に、真っ赤な魔法陣が手のひらに浮かび上がる。
魔法陣から勢い良く業火が吹き荒れるのをイメージして、腹の底から思い切り叫んだ。
「
ぼんっ…
細く、弱々しい炎が一瞬吹き出しただけで終わってしまった。
お鍋もびっくり、全然温まらねーじゃねえかと、そこにありもしない喋るお鍋から文句を言われそうなほどである。
「あんるぇ~…?」
威力のなさとは反対に、口から出てきた声の大きさに恥ずかしくなってそっぽを向きたくなる。
誤魔化すように首を傾げる私の前で、リオンは、じっと紅い目をこらし、表情を変えずに口を開いた。
「詠唱と、発射のタイミングだ。それが、問題」
「ほうほう…?」
首を傾げ続ける私の反応に、リオンの瞼が、ぱちくりと不思議そうに動く。
「タイミング…意味、分かるか」
「うーん、タイミングの意味はわかるけど、リオンが言ってる事がイメージつかないんだなー!」
どうやら『タイミング』の意味合いがわからないと誤解されたらしい。
リオンの中の私のイメージって、つまり、そういう事の様だ。
「オマエ、魔力、発射、詠唱の後。タイミング、一緒にしてみると、いい。見てろ」
そう言った次に、リオンは自分の手を前方へと掲げる。
またたく間に手のひらに赤い魔法陣を作り上げた。
私の何倍もの大きさの魔法陣だ。そしてぼんやりと、口を開く。
「
唱えると同時に、声に似合わない業火が放たれ室内の温度が一気に上昇する。
ごうごうと唸りを上げる炎は勢い良く私とリオンを包んだ。
一瞬にして火災でも起こったかのような、熱い、オレンジ色の部屋へと姿を変える。
部屋の壁の吸収が間に合わない様だが、リオンが手を降ろすと、次第に部屋の炎が消えていき、温度も下がっていった。
「タイミング、合わせる、大事だ」
「や、やってみる…はは…」
ぼんやりとしている印象のリオンからこんなに激しい魔法が繰り出されるなんて、誰も想像しないだろう。私もしない。
人は見た目で判断できないし、侮ってはならないと教えられている様な気がしてしまった。
口元を引きつらせたままだったが、リオンに、「やってみろ」と促されたため、まずは呼吸を整える。
息をゆっくりと吐き出してから、手を前方へと掲げる。
先ほどと同じように魔力が手のひらに集まるのをイメージすると、手のひらを中心に真っ赤な魔法陣が浮かび上がる。
空気を一気に吸い込み、叫ぶと同時に集まった魔力を放出する。
「
目の前がオレンジ色に染まる。
勢い良く吹き荒れた炎が渦を巻き、波のようにうねる。
灼熱が身を包み、一瞬にして汗が噴き出した。
あまりの勢いに私が口をあんぐりと開け、燃え上がる炎をただ眺めていると、段々と炎が小さくなっていき、やがて、何事もなかったかの様なつるんつるんの白い壁や床がお目見えした。
向かい側に立ったリオンは、この部屋の壁と同じように先ほどと変わらない表情をしていた。
「一発だ。すごい」
親指をあげ私にサインを送るリオンの目が一瞬、輝いた様に思う。
「あ、あはは、ビビった…」
言われたとおりにやった次に、どかんと一発大花火とでも言うか。
そう、兎に角勢いが良すぎた。
心臓がばっくんばっくんいってる。まじでびびった。
「コントロール、大事だ」
あの業火をコントロールしろと言うのだろうか。
いや、言うのだろうかではなく言っているのだ、リオンは。ぐっと親指を上げたまま、目を輝かせて。
あの業火を思うように操り、出力を調整しろと言う事なのか。
すでに挫けそうである。
「出力、イメージと、直結してる」
サムズアップのあと、今度は人差し指をぴんと立てるリオンの言葉に、ほうほう、なるほど、と耳を傾ける。
つまりイメージの中の炎がデカすぎたがために、これだけの火力が放出されたという事なんだろうか。
やってみなければ始まらないと、リオンに見てもらいながら、実技の稽古を進めることにした。
***
魔法基礎の実技が終わったあとというのは、剣術の稽古のあととは違った疲労感に襲われることを知った。
体全体がだるく、神経を尖らせたせいで、もう、クタクタで注意散漫だ。
今だったら、目の前に街灯があってもぶつかりに行く自信がある。
村長の家を目指し、よたよたと歩みを進め、夕焼けに染まった広場へと差し掛る。
ベンチに、一人腰をおろすメイが視界に入った。
「メ──」
一歩踏み出して、すぐ後に、足を止めることになった。
メイはぐっと下唇を噛み、俯いて緑色のエプロンを両手で握りしめていた。
いつもの、薬品作りに失敗したと言っているメイとは何かが違う。
「メイ」
改めてメイの名前を呼びながら、広場のベンチへ向かい、隣に腰掛ける。
私に視線を向けるメイは、どこか、迷った様な顔をしていた。
「ハイシア…」
「どうしたの?」
いつもと違って、声が沈んでいる。
ぱっと咲いていた花が、今は、しぼんで頭を垂れている様に。
「…ううん、何でもない」
「悩みごと?」
「な、何でもないよ、本当に!」
勢い良く首を横に振るメイはベンチから立ち上がる。
「ごめんね、もうご飯だから帰るね!」
「あ、ちょっと、メイ?!」
何かを振り切るようにして、メイは走って家へと向かってしまった。
取り残された私は、首を傾げるしかなかった。
思いつめるほど悩んでいる様だったけど、私には話してくれないということなんだろうか。
そう考えると、胸の奥にモヤモヤとした灰色の霧のようなものが広がっていく。
なんだろう、この感じは。
もやもやの正体がよくわからないまま、私も、座ったばかりのベンチから立ち上がり帰路についた。
その翌日は、朝からメイの事が気がかりだった。
礼儀作法の先生から怒られるのは毎度のことだけど、午後の、シーアラから受ける剣術の稽古では氷柱ではなく氷風の様な一撃と視線を浴びることになってしまった。
木製の訓練用の剣をくるくると回しながら訓練所の休憩スペースにあるベンチで、ぼんやりと遠くを眺める。
メイが何かに悩んでいる。
けど、何を悩んでいるのか話してくれなかったのは、なぜだろうか。
兵士たちが剣を振り上げ、避け、盾で受け止める姿が視界の右から左へ、ただ、流れていく。
「どうした」
シーアラが水の入ったピューターのマグを二つ持って隣に腰かけると、私に一つ、差し出した。
「メイがさ、悩んでるみたいだったから。けど、昨日声掛けたら何でもないって、逃げるみたいに帰っちゃったからさ」
差し出されたマグを受け取って、水を一気に飲み干した。
動き回った後の水というのは、体にしみわたっていく感覚だ。
全身が潤されていく様な気がする。
「喧嘩でもしたのか」
「ええ~…そんな事ない、はず。なんかしちゃったのかな~…」
深いため息をついて、空になったマグの底に視線を向けた。
メイに、あんな風に逃げられたことは一度もない。
思い返すと呆れられてしまうようなこともたくさんしてきたが、メイは、呆れながらも私に話しかけてくれて、励ましてくれた。
そんなメイが、理由もなく私を避ける様な事をするというのは、考えたくない事だ。
「わかんない」
「そうか。しかし、訓練所に私情を持ち込むな。怪我の原因になりかねん」
勤務時間外モードではないため、シーアラの声は、氷点下だと錯覚するような冷たさだ。
怪我をしないか心配はしてくれている様だけど。
「はぁーい…」
気のない返事をして、ベンチの空いたスペースにマグを置き、稽古を続けている兵士たちの動きに視線を向けた。
ただ、いつもと違って、やっぱりぼんやりとしか認識が出来なかった。
***
それから数日、メイはことあるごとに私を避ける様になった。
広場でたまたま見かけて声をかけても、何かと理由をつけて家に帰ってしまったり、教会で最新の鑑定用紙を貰いに行こうと誘っても、薬の調合があるから一人で行ってほしいと言われたり。
メイは、決まって困った様に笑って私にそう告げる。
お母さんの日記帳を見せた兵士が私に向けた表情と、ランが私に向けた表情と、同じだと気が付いた。
――メイは私に嘘をついている。
気が付いたら後は早かった。
いつもと同じように朝食をとり、村長の家を出る前にぺちんと両頬を軽く叩いて気合を入れてから、外へと踏み出した。
今日は珍しく午前の座学はお休みで、午後からはリオンによる魔法基礎の実技の稽古だ。
広場へと続く道を、いつもより大股で歩いて向かう。途中、メイが広場にいた場合と、いなかった場合の動きをイメージした。
広場はいつもと変わらず村の大人たちが数人、集まって話し込んでいた。
他にも、パン屋のお母さんと子供による魔法の攻防が今日も行われていたり、噴水のそばで子供たちが遊んでいた。
メイはいないのかと、広場にいくつかあるベンチに視線を向け、順に目を凝らして確認していく。
奥のベンチに緑色のエプロンをかけたメイが座っているのが見えた。
日に日にメイの表情が曇っていってる。
咲いた花が、冬になるにつれて次第にしぼんで枯れていく様に、メイの表情も、しぼんで枯れていってる気がしてならない。
「メイ!」
まるで大勝負に出るかの様に、ずかずかと、大股でメイのもとへ向かって行く。
私に呼ばれたメイは目をまん丸に見開いて、慌ただしく両手を宙に浮かせたりエプロンを握ったりを繰り返した。
お構いなしにメイの前まで行き彼女を見下ろすと、今度は視線を合わせようとしてくれず、あっちへきょろきょろ、こっちへきょろきょろとし出す状態だ。
「メイ。あのさ、なんで嘘つくの?」
「え?あ、あの、何の話?」
「最近のメイ、変だよ。話しかけても、薬品の調合があるからって言ったり、必要な薬草を買わなきゃいけないからって言ったりして、私の事、避けてるでしょ」
「そ、そんなことないよ?」
メイは私を見上げて、困った様に笑った。
「ほら、それ。大人が私に嘘ついた時と同じ顔してる。私には話せない事?」
「ほ、ほんとに、その、お薬の調合の練習とか、その、薬草とか、必要で…嘘なんかついてないよ?」
泣きそうな顔をしだすメイの視線は、やっぱり宙を彷徨って、どこを見て良いのかわからない様だった。
「別に、私に言えない事ならそれでも良いんだけどさ。私には薬品の事とか、薬草の事とかわからないし。だけど、悩んでるならちゃんと誰かに言った方が良いよ?最近のメイ、ずっと悩んでるみたいだし」
「べ、別に…そんな事…」
「そう?じゃあ何で、そんな辛そうなの?」
「そ、それは…その…」
もごもごとメイの口が動く。ただ、それは音になっていない様で私の耳には届かなかった。
もしかしたら音にしようとしてないのかもしれないけど。
俯いてエプロンをぎゅっと握るメイの手に、私の手を伸ばした。
ぱしんっ
乾いた音と同時に、伸ばした手に痛みが走る。
いつの間にか伸びた手は方向を変え、メイの手には届かない。
「え」
一瞬、何が起きたのか分からなくて、目を見開いてメイを見つめる事しか出来なかった。
あ、手を払われたんだ、と気付いた時には、メイのはっとした表情が目の前にあった。
「あ、ご、ごめ…っ、ごめんなさいっ!」
メイは勢いよく立ち上がって、駆けて行った。
何があったのかわからず、私は暫くの間、そこに立ち尽くしている事しか出来なかった。
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