ママは人さらい

 どこか鼻にかかった高音で、まだ幼さを感じさせる声質だった。

 耳の中でぽんぽんと飛び跳ねる、色とりどりの砂糖菓子。

 音色からそんなイメージを思い浮かべながら、俺は首を後ろに向ける。


 これ可愛いよな、絶対可愛い生き物いるよな、と、脳内のとある部分が反応していた。

 おっさんとしての下心ではない。

 エリナの脳の奥深くに刻印された、庇護欲センサーがビンビンと反応しているのだ。

 そう、ママとしての本能が。


「わたくしでよければ、このあたりのよいお店をひああっ!?」

 

 一瞬だけ、十代前半くらいの女の子の顔と、黒と白の布が見えた。

 かと思ったら視界から消えていた。

 一体どこへ? どうやって?


「んんー! んんんー!」


 俺が不思議に思っていると、胸の中でちっちゃな少女がもがいていた。

 例のごとく腕がひとりでに動き、抱き締めていたらしい。


 おっさんの体でこれをやったら、完全に現行犯だろう。

 けれど今の俺は見た目がハーフエルフ女子なので、通行人の表情はほがらかなままだ。

 ほがらかを通り越して、「いいもん見たなあ」みたいな目を向けてくる者までいる。


「……むぐ……息が……」

「うわっ、ごめんね!」


 いよいよ窒息の気配が見え始めたので、大慌てで少女を開放する。

 胸で顔面を押し潰すような形になっていたらしい。

 レオン曰く母性爆弾のこいつで鼻と口を塞がれては、ひとたまりもなかっただろう。


 謝りがてら少女の髪のもつれを直してやり、全身をまじまじと観察する。


 けほけほとむせる声すら愛らしい、金髪の女の子だった。目の色は緑。

 いわゆる金髪碧眼である。

 かなり整った目鼻立ちで、美少女だ。

 今俺はこの子と養子縁組したくなっている。それで可愛さが伝わっただろうか?


 背は低い。

 十ニ歳から十四歳の間なら、何歳と言われても納得しそうだ。

 体型がよくわからないので、それが年齢の推測を妨げているのもある。


 なんせ少女の服装は、襟元にだけ白を残した真っ黒な法衣だ。

 ところどころに縫い付けられた、金色の紋章クレストが日の光を反射して輝いている。

 体の線をあえて隠すそうなこの衣装は、神官だろう。


 それも、一神教の。


 この国で信仰されている宗教は、主に二つ。

 わりかし性に対してフリーな多神教と、非常に厳格な一神教の、クレスト教だ。

 どれくらい厳格かというと、クレスト教の神官は戒律により、生涯独身を貫かねばならない。

 その決まりを破れば神の奇跡は失われ、せっかく覚えた法術は使えなくなるとされる。


 なので可愛い女の子がクレスト教の神官をやってると、世の男どもは「もったいねえ」と嘆くことになる。

 逆に確実に保証されている純潔に、そそるものを感じる輩もいるそうだが。

 こういう事情を考えると、女ってのも大変だな……。


 で。

 そのクレスト教の幼い神官さんが、俺の顔をジト目で睨んでいる。

 気が強そうだ。おしゃまな感じ。


「お嬢さんお名前なんていうの? うちの子になる?」

「母さん、いきなり誘拐未遂は……」

「いや、だって可愛いし。もう一人くらいなら養える余裕あるし」


 レオンの可愛さの真骨頂は、よく訓練された狩猟犬だけど、飼い主の前だと尻尾ブンブン振っちゃうみたいな、ギャップによるものだ。

 精悍な風貌との落差に、お母さんはきゅんきゅんしちゃうのだ。


 しかしこの神官さんはつーんと澄ました育ちのいい猫的な、外見極振りのあざとさがある。

 やっべ、子宮にしまって産み直してあげたい。実母になってあげたい。そんな歪んだ思考すら湧いてくる。


「……シャロンと申します」


 私貴方を警戒してますからね、な顔で少女は名乗った。

 

「私はエリナ。お母さんって呼んでいいからね」

「……あ、やっぱ自力で下着買ってくださいね。わたくしはこれで」

「待て待て待て待て。ごめん、ごめんって」


 俺は逃走の動きを見せたシャロンの肩をがっちりとホールドすると、ひそひそとレオンに密談を持ちかける。


(レオン、あんた今この子にプロポーズしちゃいなさい)

(は? 何言ってんの? 何言ってんの? 初対面な上にクレスト教の修道女だよこの子?)

(だってレオンとこの子が結婚したら、義理の娘にできるじゃん)


 そしたら毎日着せ替え人形にできるだろ? 母娘ペアルックで外を歩いたりもできるんだぜ?

 そんなこともわからないのか。やれやれ、これだからレオンは。

 お前にはまだこの次元の話は早かったようだな、と肩をすくめる。


 なお当のシャロンは一連のやり取りをしっかり聞いていて、声を失っていた。

 

「……服屋に案内したら……お家に返してください」


 もう言い逃れできない誘拐犯の気分になりながら、俺達はシャロンに先導されて道を進む。

 

「ねえ、手繋がない?」

「……なんか怖いので遠慮しときますね」


 言い訳させて貰うと、俺は何も子宮にクる女児を養育したいっていう、それだけの理由でこの子に執着しているわけじゃない。


 彼女が神官だからだ。

 聖なる法術は、アンデッドを浄化する力を持っているのだ。

 もしもサムソンが不死者と化していた場合を考えると、どうしても戦力として必要になるクラスである。

 

 レオンはああいったが、俺はやはり世慣れた大人なのだ。

 サムソンと戦うという、最悪の未来も想定して動かなくてはならない。


 そういうわけで、なんとかシャロンと仲良くなって、手元に置いときたいのだ。

 おそらく最悪の第一印象を与えちゃってるけど。

 取り返し付きそうにないけど。


 今から俺の話術で養女にできないかな?

 それとなく会話を振ってみる。


「シャロンちゃんは何歳なの?」

「十三歳ですが……。初対面の女の子に抱きついてろくに下着も着けてない胸を押し付けてくる、変態のお姉様はおいくつなんですか?」


 凄いな、俺はまるで変質者じゃないか。

 やめろよ、段々自分のヤバさを自覚してきたじゃないか。

 母性で頭がおかしくなってる間は感じなかった羞恥心が、遅れて襲ってきたぞ。

 

「三十三歳だよ」

「さんじゅ……え?」

「だから、三十三歳だよ」


 シャロンの俺を見る目が急に穏やかなものになる。なんだ、どうした。

 あまりの若作りに、同性として尊敬の念が湧いてきたとかか。


「そう……やっぱり、精神を患っておられるのですね……まだお若いのに……自分の年齢さえわからなくなって……」

「違う! 私、半分エルフだから」


 王都に来てから二度目の、耳見せを行う。

 人間よりは尖っているが、純血のエルフよりは丸い、中途半端な三角耳。

 これがまさが年齢認証にここまで役に立つとは。世の中わからないものである。

 

「ハーフエルフ……」

「そそ。平均寿命五百歳の、あのハーフエルフ」

「えっ、じゃあもしかして息子さんは養子じゃなくて、実の子なんですか!?」


 俺達の会話を立ち聞きしていただけあって、レオンと俺が親子なのは把握しているようだ。

 俺は「もちろん。レオンはこのお腹で育ててやったんだよ」と、へその当たりをポンポン叩いて見せる。


「……実の、お母様……ずっと若くて、死なないお母様……」

 

 シャロンの発した言葉は、不思議と語尾に力がない。

 それだけでなく、動きもじわじわと元気を失っていく。

 うつむき、徐々に足を進める速度が落ち、ついには止まってしまった。

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