ママのおっぱい
俺とレオンは、無言で王都を歩いていた。
日が高い。王と対面している間に、太陽はすっかり昇り切ったようだ。
朝食もまだ済ませていないのに、昼が迫っている。
何か食べる? とでも言えばいいのだが、それすらできなかった。
レオンにかける言葉が、見つからないのだ。
鼻孔を刺激する肉料理の屋台に、国中から取り寄せた珍品を扱う露天商。
こんなにもきらびやかな街だというのに、今は何を見ても心を動かされない。
仕方がないとは、思う。
なんせサムソンが――俺にとってはエリナが――生きているかもしれないと判明したのだ。
俺達は酷く混乱していた。あらゆる可能性を疑っていた。
実はあの時死んでなどおらず、墓の下から出てきたのか。単なるサムソンを名乗る偽者なのか。
考えたくないが、アンデッド化でもしたのか。
王は至急、兵士達を村に向かわせると告げた。我が家の庭にある、サムソンの墓を調べさせるのだという。
何かが這い出てきた痕がないか。きちんと故人は眠っているか。
掘り返して、確かめるのだ。
もしよければ俺達の分も馬を用意し、一緒に連れていこうかと声をかけられた。
けれど、断っておいた。
もちろん、俺だって真相がどうなってるのかは気になる。凄く気になる。
後ろ髪を引かれるどころではない。
今もチラチラと馬車に目をやっては、「乗せてくれないかな? この顔で甘えたらタダで家まで乗せてくれるだろ」などとセコいことを考えていたりする。
が、そこはぐっとこらえて我慢した。
今の俺は父であり、同時に母でもあるから。息子を守れるのは、俺だけなのだ。
あれからすっかり塞ぎ込んでしまったレオンをケアするのは、俺の役割だ。
――父さんがアンデッド化してたならさ。それって、人間の敵だよね。僕が戦わなきゃいけないのかな。
そう、弱音とも決意ともつかない言葉を漏らしてから、レオンは完全に沈んでいる。
あんな筋肉ハゲのどこがいいんだ、と俺自身ですら不思議なくらい、レオンは父サムソンを尊敬してくれているのだ。
それがもし、親子で切り結ぶようなことがあったら
レオンの繊細な心は、きっと壊れてしまうだろう。
そんなのは駄目だ。許されない。
だが、アンデッドと化した人物は生前より力を増すのが普通だ。
ごく普通の農夫ですら厄介なモンスターと化すのだから、かつては勇者パーティーに居たほどのサムソンが不死者化したとなれば――
倒せるのは勇者か、勇者を超える魔力を秘めた、俺だ。
子が父と斬り合う。
妻が夫と殺し合う。
そんな地獄が、これから待ち受けているのかもしれない。
なあエリナ、教えてくれよ。
こんな時、母親ってのはどうやって子供を慰めればいいんだ?
なんか美味いもんでも作ればいいのかな。あえて明るく接すればいいのかな。
俺ガキの頃から単純な性質だったから、こういう細やかな気遣いって苦手なんだよ。
頼むよ、どうすればいい。
そうやって俺が思考をどんどん暗い方向に向かわせていると、レオンが口を開いた。
「ひょっとしたら、父さんは何かの奇跡で生き返ったのかもしれないな」
「奇跡……?」
「世の中のために戦って、勇者を導いて、ダゴンすら倒した英雄なんだ。神様がご褒美をくれたっておかしくない。そうでしょ?」
レオンは胸を張って言う。
「僕の父さんなんだもの。悪い蘇り方をしたとは限らないよ。だよね、母さん?」
「……うん」
母さんは自分の夫を信じてあげないの? と爽やかな笑顔で告げられる。
ああ――俺の息子はこんなにも、正しく育っている。眩しくて直視できないほどだ。
お前はやっぱり、歴代最強の勇者に違いない。
ただ強いだけでは駄目だ、皆を勇気付けるからこそ勇者なんだ。
「なんか妙に女っぽい仕草を見せる人だったけど、それでも父さんは僕のヒーローさ」
「そ、そこはあんまり指摘しないであげて」
「男なのにひらひらした下着履いてたし……あれは一体……」
頼むもうやめてやれ。事情があるんだ。深い事情がな。
雰囲気が明るくなってきたのはいいが、ちょっと話題がよくない方向に進んでるな。
「女装癖になるのかな、あれって」
「違うんだよ、あれは洗濯が間に合わなくて母さんの下着を貸してたんだよ。ほんとほんと」
「それは嘘だね」
「え」
レオンは俺の目を見て、きっぱりと吐き捨てる。
「だって母さんの下着、おじさんっぽいのばっかでしょ」
それはだな。
俺にも越えてはならない一線ってのがあるんだよ。
エリナと入れ替わってすぐに、他人に見せない部分の服装は自由って取り決めたからな。
精神衛生上の理由でだ。
だから俺はスカートの下に、男時代と同じようにゆったりとした短パンを履いてるし、エリナはあの筋骨たくましいサムソンボディに紐やレースで……なあこの話題やめない?
主に俺に効くから。
「父さんの件も気になるけど、そっちは待ってれば王様が調査してくれるしね。それよりも今は、目の前の問題だと思う。そもそもこれは何年も前から、ずっと言おうって考えてたし」
「な、何なの、目の前の問題って」
レオンは両手を指先までぴしりと伸ばし、頭を下げながら言った。
「お願いします。まともな女物の下着を着けてください」
「……」
理由を聞いていいかな? と俺は恐る恐る聞いてみる。
すると刹那の速さで答えが返ってきた。
「みっともないからです」
「……み、みっともない? でもお母さんの下着姿なんて、レオンくらいしか見ないんじゃない? なにさ、可愛い下着を身にまとった母親が見たいとでも言うの。それじゃまるでお母さんに欲情する危ない人だよ?」
「そういうんじゃなくて」
レオンの視線が、ぎろりと道をゆく人々をなぞっていく。殺意すら感じる眼光だ。
もはや目で人を斬れそうな勢いである。
もしこれに技名を付けたら、「サムソンの魔眼」とかになるんだろうか。
「母さん、周りの目は気にしてる?」
「……目、というと……?」
「年頃の息子にこれを言わせるとはね。……はあ。……いいかい母さん。頼むから。これは本当の本当にお願いだから」
「何なのさっきから?」
ほとんど泣きそうな顔で、レオンは言う。俺の鎖骨の、やや下のあたりを指差しながら。
「ちゃんと、胸当てを着けてください」
「……えー……」
「男物のダボッとした肌着を下に着るんじゃなくて。体型にフィットしたやつを着けて欲しい」
「いや、……別にどうでもよくない?」
「よく、ない! ちゃんとした胸当て着けてないせいで、エプロンの上からでも形がわかっちゃってるから! 動くたびにゆさゆさ揺れてるから! 何かで押さえつけないと目に毒だよ! 眼球にトリカブトだよ!」
「表現が文学的になってきたね」
「村にいた頃は年寄りばっかだったし、人口も少なかったからいいよ!? でもね、ここみたいに若い男がたくさんいる街で! その格好は絶対に間違ってる! 母さんは他人の視線に、もっと敏感になるべきだ!」
視線視線って言うけどな。
今まさにお前が俺の下着事情について叫んでるせいで、男どもの視線が俺の胸元に集まってるんだぞ。
誰に似てこんな鈍感になったんだか。
「お願いだ母さん……僕は……僕は母さんがこんなふしだらな服装をしてると思うと、つらい……」
「そ、それはごめん。ごめんね、悪いお母さんでごめんね」
「このままじゃ僕は、王都にいる全ての男の視力を奪ってしまいそうだ。目潰し特化剣技『サムソンの魔眼』で、通り魔的に通行人の目を切り裂いてしまいそうなんだ」
「ほんとにサムソンの魔眼ってあるんだ!?」
しかも物騒な性質のやつ。
闇属性っぽい技に俺の名前付けるのやめようぜ。な?
俺もお前の頼み事を聞くから、お前もそこは譲るんだ。
俺はサムソンの魔眼を改名させることを誓わせた後、交換条件として今すぐ女性用下着を購入するのを受け入れる。
だが、しかし。
「……難易度が高過ぎる」
どういうのを買えばいいのか、そもそもどこで買えばいいのか、まずそこからしてよくわからないのだった。
服屋に行って「乳当てよこせ」と頼むだけでいいのか?
俺は恥ずかしながら、エリナの他に女を知らない。
そのエリナは辺境育ちだったもんだから、自分の下着は自分で縫っていた。
二人で服を買ったことなど皆無だ。
だからそのなんだ、女の子と一緒にショッピングってのが、未経験なのだ。
女物の服屋はさっぱりわからんのだ。
俺の脳内で女の子のおしゃれは、哲学や数式と同じ領域にしまってある。
「理解できないものゾーン」にまとめて放り込んであるのだ。
あと「照れくさいゾーン」にも入ってる。
だって服屋だぜ? 女性用の。ひらひらフリフリしたやつ。女の子のパンツや胸当てが売ってるお店。
そこに中身おっさんの俺が入って、買い物しろだって?
悪いが羞恥心で五回は死ねるな。無理だ。不可能だ。
一人では……な。
「……レオンはさ、お母さんが大切?」
「当たり前だよ。だからこういう忠告もしてるんだし」
「なら力を貸して。一人じゃできそうにないから」
「ん、何すればいいの」
「お母さん田舎者でよくわかんないから、女物の下着が売ってるとこまでエスコートして、彼氏面してくれるだけでいい」
レオンの顔色は赤ではなく、青になっている。
わかるぞ。
この次元まで来ると、女の子の世界への下卑た好奇心なんか吹っ飛んで、恐怖に変わるからな。
俺も今同じ気持ちだ。道連れだ。
「……つ、つまり母さんは、十五の息子を、女性用下着売り場に連れ込んで、一緒になって商品を買わせようっていうのかい?」
「それだけじゃないよ。……できれば店内でずっと待機してて欲しい。恥ずかしいから。単独行動は無理だから。店員さんに声をかけるのも、レオンにやって欲しい」
「……なんだって?」
「その端正な顔で『やあお姉さん、この人に似合いそうな下着を探してるんだけど』と笑いかけるんだよ。できるでしょ。勇者ならやれるはず」
「確かにそれができたら勇者だけど、少々意味の違う勇者じゃないかな!?」
そうやって俺達親子が道端でギャイギャイ牽制し合っていると、背後から少女の声がした。
「あの……下着をお探しなんですか?」
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