ママは城塞に上がり込む

 俺達は無事、城塞都市ガリヤに辿り着いていた。

 無事とはいっても、当初の予定より二日遅れである。

 つまり九日を要したことになる。


「道中やたらとモンスターが出現しましたものね。んもう。あいつらのせいで遅刻ですわ!」


 などとプリプリ怒ってるけど、大体お前のせいだからなシャロン。

 お前のエアへその緒発言で、本来の運転手が逃げ出したせいなんだぞ。


 おかげでほとんど乗馬経験のない俺が運転するはめになったからな。

 馬に鞭入れるだけでも一苦労だっての。

 エレノアも時々交代してくれたけど、あいつ徐々に精神年齢が落ちていったから後半は使い物にならなくなってたし。

 

「今何時だろ……大分遅れたけど、まだ皆生きてるかなぁ」


 天気が悪いため、いまいち時間帯がわかりにくい。

 腹時計からすると夕方といったところか。

 昼前には来たかったんだけどな、と伸びをしながら馬を降りる。


 目の前に傲然とそびえ立つのは、来るものを拒むかのような城壁。

 至るところから、見張りを立てるための即防塔が盛り上がっている。

 住み心地を優先して建てられたであろう王宮とは違い、戦うための城といった外観だ。


 戦況はかんばしくないようだった。


 やたらと負傷兵が目につくし、壁中に焼け跡がある。

 今まさに消火作業を終えたばかりです、といった感じ。

 終わってないとこすらあるし。


 ここにデリアと、動き回るサムソンの死体がいる。

 俺達夫婦に何が起きたのか、もうじき判明する。

 早く知りたいような、直面するのは恐ろしいような、複雑な気分だった。

 

 そうやって俺が物思いに耽っていると、一人の兵士が近付いてきた。

 まだ若い。二十代後半くらいの男だ。粗末な鎧からして、一兵卒に過ぎない身分だろう。


「おいおい嬢ちゃん、ここは馬車で見物に来るような場所じゃねえんだが」


 どこの誰だか知らねーけど、冷やかしで来られると迷惑なんだよ、と絡んでくる。

 戦況の悪化で、鬱憤が溜まっているのかもしれない。

 めんどくさいな、こういう輩。


「それともあれかい? 俺らを体で慰めてくれる、ありがたーい補給物資ってやつ?」


 男は垢まみれの顔に、ぬらついた笑みを浮かべて近付いてくる。

 あと数歩の距離。

 そろそろ実力差を見せてやった方がいいか?

 と術の起動準備に入ったところで、音もなくエレノアが抜剣していた。


「引け。下郎」


 エレノアは剣先を男の顎に突きつけると、朗々と口上を述べる。


「この御方を誰と心得る」

「へ……も、もしかして、貴族のお嬢様だったり……?」

「違う。こちらの女性はエリナママである」

「ママ?」

「既に七度も私のオムツを替え、離乳食を作り、あまつさえ涎かけさえ縫ってくれた母の中の母。そのような聖母を愚弄するとは。恥を知れ!」

「オムツ替えに……涎かけ……? ひっ、ひいっ! いい年した女同士で何やってんだお前ら! へ、へ、変態だぁー! 誰か助けてくれ! 痴女が現れた! 誰か! 誰かー!」


 男は身震いをしながら、脱兎のごとく駆け出していった。

 どんどん小さくなる背中に目をやりながら、エレノアは静かに剣を鞘に戻す。


「どうやら兵の練度はあまり高くないようですね。顔に剣を近付けただけであの怯えよう。これでは戦果が上がらないのも無理はない」


 違うよな?

 あいつ絶対、剣に怯えたわけじゃないよな?

 今やすっかり意思の疎通もままならなくなったエレノアに、哀れみの目を向ける。


 こいつにママと認められてから、ガリヤに来るまで九日間。

 俺は全身全霊を以って甘やかしてやったつもりなのだが、その結果がこれだ。

 途中からエレノアの目はハイライトを失い、マザコンスキルのレベルは200に達していた。


 余談だがレオンは199、シャロンは201になっている。


「如何なさいましたか、母上」

「いや別に。似合ってるなーって思って」

「……これは私の、誇りですから」


 言って、エレノアは綺麗なおねいさんとしか言いようのない笑顔で、首元の涎かけを撫でる。

 白銀の甲冑を着込んだ美麗な女騎士が、涎かけ。

 いいんだけどさ別に。俺が恥をかくわけじゃないし。

 他人のふりすればいいし。


 いきなり盛大なケチがついたものの、気を取り直して俺達は城塞に足を進める。

 

 門の前には、数名の兵士が立っていた。

 怪しい輩は追い払いですので、な雰囲気。まさしく不審な集団の俺達では通れるはずがない。 

 ないのだが。

 幸い、今の俺には王様から支給された許可証がある。

 これさえ見せれば、一発で道が開く。


「ん。苦しゅうない」

「……この紋様……王家直轄の使者ですか。これは失礼いたしました」


 どうぞ、と門を開けられる。

 兵達は不思議でしょうがない、といった様子で俺達の素性を噂し合っていた。


「なぜエプロン姿の女の子が、あのような権限を与えられているのだ」

「いいじゃないか、可愛いし。お、隣の騎士も中々綺麗だな。……だが首元に着けてるのは、涎かけか? あっちのちっこい神官ちゃんも着けてるな」

「目つきもおかしいし、皆気が触れているのか? ……あ、ああ。そうか。そういうことか。あのエプロンを着た少女は、戦場で心神喪失状態に陥り、幼児退行した者の面倒を見ているに違いない」

「奉仕の精神というやつだな。見習いたいものだ」

「まだ若いのに立派な心がけだよ全く」


 大外れだけど、好意的に解釈されてる。なので放置することにした。

 一々指摘するの面倒だし、実情は似たようなものだし。

 シャロンなんて俺におんぶされてるし。

 ついにこいつは自力歩行すらストライキしやがった。


 エリナの体はあんまり筋力がないので、結構きついんだけどな今。

 魔法で身体強化してもいいんだけど、それをやると今度は強すぎる腕力でシャロンの尻を握り潰しかねない。

 悩ましいところである。

 

 なにより、こんなことで悩みたくなかった。

 まだ毎朝抜けまくる髪の毛に悩んでた、おっさん時代の方がましだぞ。

 十三歳の少女が乳幼児と化したので困ってます、とあの頃の俺に教えたらなんて言うかなあ。

 病院に行けって言うだろうなあ。頭の病院だぞ、頭皮じゃなくて中身の方を診てもらうんだ、今すぐ! って。

 

「ほんと手のかかる子供達だよね……」

「まんまぁ」

 

 かろうじて、実の息子であるレオンが涎かけを拒否しているのが救いか。

 あいつにはまだ理性やプライドが残っているようだ。

「僕は赤ちゃん返りしたいタイプのマザコンとはちょっと違うんで」と冷静に涎かけを拒絶していた。

 なんかその口ぶりだと、マザコンにも色んな派閥があるみたいで怖いんだが。

 まだなんかパターンあんの?


 もうお腹いっぱいなんだけどな。

 

 暗澹たる気分で足を引きずっていると、奥の方から聞き覚えのある声がした。


「兄貴……の奥さん?」

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