ママは女騎士を堕落させる(2)


「豪華でしょう⁉ これはどう見ても豪華極まりないでしょう⁉」


 エレノアは身振り手振りを混じえ、必死に自身の正当性を主張する。

 俺の胸の中で指をしゃぶっていたシャロンが、得意満面といった様子でトドメを刺しにかかる。


「エレノアさん。……確かにこの報酬は豪華です。ママ力まみれです。けどこれを豪華と感じる十九歳は、病気でしてよ」

「……嘘だ……」

「残念ながら真実ですの。ママ力に魅力を感じるのは本来、年齢一桁の特権なのです。世間的には10ゴールドでこの依頼を引き受けるのは、狂人の所業でしょうね」

「嘘だ……! 第一私は、ママ力などに興味はない!」


 そうかしら? とシャロンは目を光らせる。


「調べはついているのでしてよ! 神官っ娘の噂話ネットワークを甘く見ないことですのね! 貴方が以前所属していた女騎士育成団体を辞めたのは、当時最も慕っていた先輩に『私のお母様になってください』と迫ったせいでしょう! そして断られ、顔を合わせ辛くなった貴方は団を抜けた!」

「な、なぜそれを……」

「貴方が迫った先輩の姉は、クレスト教団で神官をやってらっしゃいますわ。妹が姉に悩みを相談するなんて、普通のことでしょう?」


 エレノアはガクガクと肩を震わせ、地面に手をついた。

 背中を丸め、四つん這いの姿勢である。


「……姉が……先輩に姉がいたのか。あの先輩よりも、さらに年上で包容力のあるだろう、姉が……くっ、そっちに迫っておけばよかった……」


 後悔するとこはそこじゃないと思うんだがな。

 ていうかこれまでの人生丸ごと後悔しとけよもう。


 エレノアはしばらく観念したといった様子で下唇を噛んでいたが、ふっと小さく笑った。

 迷いを振り切ったかのように見えた。


「ええ、いいでしょう。確かに私は母親の愛に飢えているかもしれません。そこは認めましょう。あの報酬には惹かれました。悪いですか?」

「開き直ったね」

「ですが、そこのエリナ殿に甘えたくてこの依頼を受けたわけではありません。……もっと別な、まともで大人な母親が待っていると思っていた。それは勘違いしないで頂きたい。大体この人は、下手したら私より年下に見えるじゃないですか。ハーフエルフの種族特性が裏目に出ましたね、これではとても母性など感じられない」


 なるほど、理詰めで来たな。

 確かにお前は雇い主が俺だとは、顔を合わせるまで知らなかった。間違いない。

 そのロジックで逃げ切れると思ってるんだろう。

 俺の方もこれ以上の攻め手は見つからない。


 これまでなのか?

 こいつは単に、頭の中に理想の母親像があって、それで俺にきつく当たっていただけなのか?

 俺が理想とかけ離れているから。

 望む母親ではないから。


 いや。

 違う。

 それは違う。


 こいつは俺といる間、ステータスが上がっていたじゃないか。

 俺に母性を感じ取り、通常以上の力を発揮していたマザコンなのだ。

 俺とは口喧嘩まがいの会話しかしてないってのに、マザコンレベルを上げて……。


 ふと、そこで俺は思い出す。

 自分の幼少期をだ。

 いつも農作業に駆り出されていて、俺をほとんど構ってくれなかったおふくろ。

 俺はガキの頃、どう感じていた?


 そうだ。

 俺は少年時代、母親に叱られるだけで嬉しくなかったか?

 ちゃんとこの人は俺に興味を持ってくれたんだって、口論にすら価値を見出していなかったか。

 そのうちわざと気を引くために、イタズラなんかするようになって。

 それで、しまいには出来の悪い息子だと愛想を尽かされて。

 

 おふくろは俺じゃなく、見た目も剣も魔法も完璧な、デリアの方を可愛がるようになって。

 俺は、お祖母ちゃん子になった。


「エレノア……貴方もしかして……実の母親に、ある時期から無視されるようになったんじゃない? それで、貴方の方から喧嘩腰に絡んで、やっとコミュニケーションが取れてる状態なのでは?」

「……なんですか、やぶからぼうに」

「図星って顔してるね。そう。段々貴方がわかってきたよ。……貴方は私を、何度も批判してきたよね。そしたら私がむきになって反応するから、楽しかったんでしょう?」

「馬鹿な。それではまるで、好きな女の子の注意を引こうとする男児だ。私がそんな幼稚な人間に見えるとでも」


 全く見えないさ。

 お前は分厚い鎧に身を包んだ、長身で鋭い顔立ちの美女だ。

 でも、身長や人相なんてのは自分で選べないものだろう?


 中に脆くて柔らかな身が詰まっていたとしても、誰も気付いちゃくれない。

 俺だってそうだ。

 人よりデカい体といかつい顔になっちまったばかりに、エリナ以外は誰も俺の内面なんか興味もっちゃくれなかったよ。

 周囲にはなんの悩みもない、強くてタフで大雑把な男だと思い込まれていた。

 だから雑に扱われた。


 だが、そんな頑丈な人間など、果たして世の中にいるのだろうか。

 痛みを感じない精神などあるのか?


 エレノア、お前は俺だ。

 俺と同じなんだ。

 

「おいで、エレノアちゃん!」


 その精神年齢――溶かし尽くす。

 

 俺はシャロンを降ろし、空いた胸にエレノアを抱き寄せる。


「な、何を」


 鎧の下から、女の艶めかしい香りが漂ってくる。

 ちくしょう、やりにくい。相手が男のレオンや、子供なシャロンならこうはならない。

 だが妙齢の女となると、赤ちゃんではなく異性と感じてしまう。

 

 これじゃ駄目だ。俺の中のおっさんが鎌首をもたげている。

 もっとお母さんにならきゃ駄目だ。

 俺はママなんだ。


 今この瞬間だけ、心の男性器を捨てる。

 去勢する。


 俺はエリナママにしてサムソンママ。

 イメージする。


「大丈夫だよ。エレノアちゃんがお母さんことを嫌いでも、お母さんはエレノアちゃんのこと大好きだからね」


 消えた。

 俺の中の、雄が消えた。

 下心は吹き飛んだ。


 今俺の腕に抱かれている十九歳の女は、赤ん坊だ。

 赤ちゃんなら何をしてあげないといけない?

 授乳だろ!


 俺はエレノアの顔を胸元に寄せると、背中をポンポンと叩く。

 一定のリズムで、眠りを誘うように。

 エレノアはしばらく体をこわばらせていたが、静かに目を閉じた。


「こんなのは……茶番だ」

 

 しかしその声に、さきほどまでの怒りや緊張は感じ取れない。

 セリフとは裏腹に、リラックスしている。


「エレノアちゃんの、ほんとのお母さんのこと聞いたよ。仲、悪いんだってね。貴方のお母さんは、貴方を騎士になんかしたくなかった。そのせいでしょう?」

「……」

「もっとおしとやかな娘が欲しかったとか……そんなことをよく言われたんじゃない?」


 俺も、もっと魔法が得意で顔のいい息子が欲しかったなんて、よくおふくろに言われたもんさ。

 あれは、傷つくよなあ。

 自分を産んだ人にありのままの自分を肯定して貰えないってのは、死ぬより辛い。

 作り主に、お前は失敗作だと言われるわけだからな。


 自己肯定感が、持てない。

 おかげで俺は四十近くまで恋愛もできないような男に育っちまった。

 エレノア、お前もそうなんだろ?

 浮いた話一つないってのは、恋をする価値が自分にあると思えないからなんだろう?


「……私は……私は、別に……確かに母にはよくそういった小言を言われましたが、でも……だからって、貴方にこんな風に抱かれたいとは思わない」


 エレノアがどう思ってるかどうかは関係ないんだ。

 お母さんが今、お前を抱っこしたいと思ってるんだ。子供ってのはただそこにいるだけで可愛い。

 生まれてきただけで愛おしい。

 そういうもんだろ?

 俺が涙ながらにそれを訴えると、エレノアもまたそっと目の端から雫を流した。


「お……おか……エリナ、お母さん……」

「うん、うん」


 が、エレノアはそこでがばりと身を離し、かーっと顔を赤らめてしまう。


「駄目だ! 私は貴方に甘えたいと思っているが……それ以上に、は、恥ずかしい!」


 まあな。それは俺だって同じだ。

 やはり、十九歳という年齢が邪魔をするのか?

 助けを求めるようにレオンとシャロンの方に目を向けると、二人は「アレか……」「ええ、アレね」と目配せをしているところだった。


「アレ?」

「バブる崩壊だよ、母さん」


 なんだその造語は。


「母さんの母性は凄い。おそらくハーフエルフの中では一番だろう。我を忘れてバブることができる。でもよしよしされている側は、たまに自分は何やってんだ? という気分になってしまう。これを僕らの業界ではバブる崩壊と呼んでいる」

「真性マザコン界ではよく知られている現象でしてよ……赤ちゃんの心とのシンクロ率が下がると、反動と羞恥心で心を持ってかれますの」

「あれは怖いね。僕も何度か――持ってかれた」


 腕を組み、しみじみと解説するレオンとシャロン。

 そうか。お前らの頭が変なのは何回も心をどっかに持ってかれたせいなんだな。

 意味はわからないが、ニュアンスは感じ取った。


 ようするにエレノアは今、照れてるんだな。

 

 でも大丈夫だ。俺とエレノアは確かに一瞬だが、通じ合った。

 例え刹那に満たない時間であっても、ママと赤ちゃんの関係になっていた。

 あの瞬間は決して嘘なんかじゃない。


 俺は、俺の痛みをこじ開ける。

 だからお前も飛び込んでくるんだ、エレノア。


「エレノアちゃん、もっかい抱っこ」

「……無理だ。無理なんです。私は騎士で、大人だ。もう冷めてるし……そんな気分じゃない」


 俺はな、レオンがなんであんなにお母さん大好きなのかはよくわかんねえんだよ。実母と疎遠だったし。

 亡き母をいつまでも慕っているシャロンの感覚もわからん。

 だけど、母親が相手してくれなかったからこそ、理想の母親を追い求めるエレノアの気持ちはわかる。


 お祖母ちゃんが俺のおふくろだったらよかったのに。

 おふくろがお祖母ちゃんみたいだったらよかったのに。


 俺の幼年期を支配していたこの願望は、お前の孤独と通じ合うはずだ……!


「はい、ぎゅー」

「……」

「ぎゅー」


 エレノアは俺に抱かれ、顔をこわばらせている。

 だがそれでいい。

 ここからだ。

 今からお前は生まれ直し、傷だらけの少女時代をなかったことにするんだ。


「エレノアちゃんはかっこいいねー。男の人より強そうだね」

「……かっこいい……?」

「うん。ママかっこいい女の子大好きだよ。エレノアちゃんがいつも剣のお稽古頑張ってるの、知ってるからね。いつも全力だよね。こんなに手が豆だらけになるまで素振りしてるんだね。偉いね。お母さん、エレノアちゃんのママになれてよかったな」

「母上は、ドレスの似合う可憐な娘が欲しかったのだ。私は悪い娘だ」


 おふくろは、こんな筋肉バカな息子は要らなかった。俺は悪いせがれだ。


「そんなことないよ。ママっていうのはね、子供が生まれてきただけで幸せなんだからね。エレノアちゃんは生きてるだけで可愛いんだから。ママはずっと貴方のこと大好きだからね。あー。エレノアちゃんを産んでよかったなぁー」

「……私を、産んで……」


 あんたなんか産まなきゃよかったって、何度も言われたっけ。


「お母さんは、エレノアちゃんがどんな子供に育っても、お母さんでいるからね……ずっとよしよししてあげるからね」


 俺は俺の言葉で、エレノアと同時に自分の少年時代さえも慰めていく。


「……お母さん……貴方が……お母さん……お母さん……お、おかあ、さ、ん」


 エレノアの目元は涙ぐみ、声は湿っていった。


「お母さん……おかあさん……」

「ええ。お母さんよ」

「酷いこといっぱい言って、ごめんなさい」

「いいよ。全然気にしてないから。どう話しかければいいのか、わからなかったんだよね。でもちゃんとごめんなさいできたね」

「ごめんなさいお母さん……嫌いにならないで……」

「お母さんちゃんと謝った子は嫌いにならないよ。ううん、謝れなくても嫌いにならないよ。エレノアちゃんは、エレノアちゃんなだけでいいんだよ」

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

「お母さんは、貴方が生きてる限り、貴方の味方なんだから」

「……エリナ……ママ……ままぁ……」


 エレノアの頬から顎にかけて、涙の筋がいくつも通っていく。

 俺も泣いていた。

 レオン、シャロンも泣いていた。


 永遠とも思える時間、俺達は抱き合っていた。


 全てが終わった時、エレノアは憑き物が落ちたような顔で俺の手元からすり抜けた。

 そのまま膝をつき、腰から抜いた剣を地面に突き刺し、深々と頭を下げてくる。


「……見苦しいところをお見せいたしました。見事です。勇者の母にして、精霊術師エリナ殿。これより貴方は私のまことの母上であり、剣を捧げる主である。この身朽ち果てるまで、貴方の側に仕えましょう」

「いいよそんな仰々しいの」

「……貴方は真のママだ」

「いいってば。別に今まで通りでいいし、甘えたくなったら好きなように甘えていいし」


 でしたら、とエレノアは言う。


「では母上殿。この愚かな騎士めに、次なる施しを与えてはくれませぬか?」

「何すればいいの?」

「はっ。実は以前から、母性的な女性にこれをして頂く日を心待ちにしておりまして」


 エレノアは立ち上がると、おもむろに鎧のスカート部分をめくり、ズボンを下ろす。

 本来であれば下着が見えなきゃいけない部位に、白く分厚い布が巻かれているのが見えた。

 この形、赤ちゃんがよく腰に巻いてる――


「ぜひとも私のオムツ替えをして頂きたいのです」

「無理」

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