ママは女騎士を堕落させる(1)
エレノアは毅然とした口調で言った。
「その少女の醜態はなんですか。少女……えー名前は……」
「シャロン」
「シャロンの醜態はなんですか」
近頃のシャロンは俺以外の生き物に興味を示さなくなったので、エレノアに自己紹介も済ませていなかったのである。
「十二~十三歳ほどと見受けますが。とても年齢相応の言動とは思えません」
出会った当初は割とまともだったんだけどな。
もはや影も形もない。
返す言葉もなかった。
「貴方が甘やかした結果でしょう。シャロンはこれで真っ当な大人になれると思いますか。……全く。嫌なものを見ました」
まさか勇者殿もこんな風に育てたのはではないでしょうね? とエレノアは目尻を釣り上げる。
「レオンはちゃんと一人でトイレ行けるけど」
「そうではなく! 精神的に自立できているかどうかを問うているのです」
ママ漏れそう、とシャロンが声を上げる。
エレノアは「やむを得ませんね」と舌打ちすると、馬車を止めさせた。
一時休戦ってわけか。
いいぜ、シャロンが戻ったら続きをやろうか。
俺は苛立ちを感じながら、体を背もたれに預ける。
シャロンが馬車から降りやすいように、スペースを作ってやったのだ。
「んしょっと」
シャロンは俺の体に覆いかぶさるようにして、車内を移動する。妙に密着してくる。
なんだろ? と思っていたら、耳元に口を寄せてきた。
囁く声で、シャロンは言う。
(ママ、エレノアさんからはわたくしと同じ匂いがします)
時間にしてわずか一瞬の出来事だった。
シャロンは馬車を出て、小走りに茂みへと向かっていく。
お前とエレノアが、同じ匂い……?
見事に系統の違う二人だと思うが。正反対と言っていい。
甘いお菓子みたいなシャロンと、クールビューティーなエレノア。
だが鋼の甲冑に覆い隠された本性は、似た者同士だというのか。
試しにカマかけてみるか?
「ねえエレノア」
「……なんですか」
「ガリヤに着くまでは、私を本当のお母さんだと思っていいんだよ?」
「そうですか。私は母とは顔を合わせれば口論する仲なのですが、そのように扱っていいのですね。では了解いたしました」
しれっと言いやがる。
対話の余地なし。
シャロンの勘は外れてるんじゃないか? あの年齢じゃまだ女の勘なんて働かないだろ。
女ってより子供に近い人種だろうし。
この女騎士様はやっぱ、母親を憎んでるタイプのマザコンなんだよ。
そんで近くに母親または母性を感じさせる存在がいたら、ステータスが下がっちまうんだろ?
道中、戦力として使い物になんのかねこいつは。
だがそんな俺の心配は、杞憂に終わることとなる。
シャロンがトイレから戻り、再び馬車が動き出すとモンスターに出くわしたのだ。
それも複数回で、面子も凶悪極まりない。
サイクロプス変異種に双頭ドラゴン、上位デーモン。
魔王軍と人間軍の、最前線に近付いているだけある。
まず平常時であれば見かけないような顔ぶれだ。
並の冒険者ならいともたやすく殺め、ぺろりと昼ごはんにしちまうような手強い魔物。
ここはいっちょ俺の精霊術で追い払ってやらんとなあ。
と首を鳴らしながら馬車を降りるのだが、そのたびにエレノアが一瞬で片付けてしまったのだった。
「どうなってるの?」
この人ってこんなに強かったのに、一介の冒険者止まりだったんだ?
シャロンに聞いてみれば、
「まさか……確かに腕のいい騎士ではありましたが、ここまでではありませんでした。このレベルですと、もはや女勇者ですし」
だよなあ。
不審に思った俺は、水精に頼んでエレノアのステータスを鑑定させる。
【名 前】エレノア
【年 齢】19
【性 別】女
【クラス】聖騎士
【体 力】400
【魔 力】200
【筋 力】500
【耐 久】900
【敏 捷】900
【魔 攻】400
【魔 防】900
【スキル】一角獣の加護 マザコンLV91
なんか、昨日視た時より強い。
あとマザコンのレベルが上がってる。確か90レベルだったよな?
なぜだ?
こいつにマザコンスキルが成長するような機会あったか?
俺と険悪に会話したくらいだろ?
しかも母親的存在と一緒にいてステータスが上がるのって、母を慕ってる方のマザコンだろ?
深い謎を抱えたまま、俺達一行は昼食の時間を迎えたのだった。
戦闘と休憩を繰り返しているうちに、何人か腹を鳴らす奴が出てきたのだ。
エレノアもその一人だったりする。
さすがにぎゅるる、なんて音を聞かれたのは恥ずかしいようで、「生理現象ですから」と目を合わせずに言い訳する。
やっと愛嬌のあるところを見つけたかもな。シャロンにはまるで及ばないけど。
愛嬌極振り、引き換えに知性は全部削りましたみたいな声色で、シャロンは俺にしがみついている。
まんまーごはーんってな感じに。
こいつどんどん幼くなってくな。誰のせいなんだろ。
俺は至って普通に接してるつもりなのだが。
馬車を止めると、皆で降りて食材を引っ張り出す。
火を起こし終えたら、調理開始。
黒パンに干し肉、チキンスープ。
悪いが保存食ばかりだ。本格的なのは夕飯までおあずけである。
もっといいもん食わせてやりたいんだけど、人数多いし。
食料の消費ペースとか色々あるわけよ。
だからせめてこうして、シャロンを膝の上に乗せてあーんさせてだな。申し訳なさをごまかすのだ。
「んまんまんまんま」
シャロンは俺の胸に頬をすり寄せながら、スープを飲んでいる。
右手は俺と自身のへその間にある空間を、行ったり来たりしていた。
何か紐状のものを、撫で回すような動きだ。
それなにやってんの。
「これですか? エアへその緒ですの」
ママのお腹の上でスープを飲みながら、エアへその緒を撫でる。まるで本当にお腹の中に帰ったみたい。
そう言って知性をとろかしていくシャロンに、十三歳相当の精神年齢は見当たらない。
神官らしさもないし、倫理観は最初に溶け落ちている。
かろうじて残っているのは、赤ちゃん成分だけである。
昼間っからこの子は……とため息をつく。
見かねたレオンが、すっくと立ち上がった。
「シャロン。さすがに今のはどうかと思う。母さん困ってるだろ」
俺が助けを求めるような目を向けると、レオンは「ここは任せて」と頷いた。
「あのねシャロン。僕が生まれた時、へその緒は首の周りに絡みついてたんだ。母さんと赤ちゃんが繋がってたへその緒は、そこじゃない。もっとマフラーみたいにしないとリアリティがない」
こうですの? とシャロンは首周りの空間を撫で始め、エアへその緒の位置を修正する。
レオンお前さ。
そうじゃねえだろ。
今めっちゃいい仕事したみたいな顔してるけど、全然違うから。
お前もお前でどうなってんの。すげえな。
なんでシャロンの狂気に共感できるんだ。
そうやって俺が唖然としていると、ダァンッ! と物音がした。
エレノアが拳を地面に叩きつけた音だった。
膝立ちの姿勢を崩し、わなわなと体を震わせている。
「……貴方達というものは……」
不潔です、幼稚です、考えられません! と女騎士はその端正な口元を歪めて怒鳴った。
黒い髪を振り乱し、俺を名指しで批判する。
目元は潤み、顔全体が真っ赤だ。耳まで燃えるように赤い。
まさかエレノアがここまで取り乱すとは。
ちょっとビビるぞ。
「信じられない。どう育てればこんな子供になるのですか。これは……こんなのは母親の愛ではない……! 貴方は間違っている!」
俺も間違ってると思うけど、子供達が積極的に間違えにくるんだよ。
俺悪くないだろうが。
反論の材料を頭で並べていると、レオンは静かに語りだす。
俺の自慢の長男坊は、静かだが確かな闘志を感じさせる顔でエレノアに語りかける。
「母さんは何も悪くない。ただ人より母性が溢れてて美人で肉感的で年を取らなくて油断しがちなだけで……いやこれ酷いな……間違いなく青少年と同居していい女性ではないな……僕は何やってんだ?」
「途中で素に返らないでレオン! 諦めないで!」
俺のエールで立ち直ったレオンは、またもエレノアに言葉をぶつける。
「エレノアさんこそ、さっきから変だ。どうしてこんなに母さんに突っかかるんですか」
「……見ていられないからですよ。誤った教育で子供の人格が歪められるのを、騎士として見過ごすわけにはいかない」
「本当に理由はそれなのかな?」
「なんですって……?」
だらだらと汗をかき始めたエレノアに、レオンは追撃を加える。
「朝からずっとだ。シャロンが母さんに甘えるのをガン見しては、逐一文句を言っている。それだけしっかり見てるってことだよね?」
「この二人が……見せびらかすようにしてくるからです」
「違うね。貴方は見てるんだ。見ずにはいられないんだ」
「だ、誰だってこんな奇妙な親子関係を前にしたら、視線が行くものでしょう!」
「そんなことはない。あの御者のおじさんを見なよ。シャロンがエアへその緒と口にした瞬間、『やべえこいつら麻薬キメてる』とドン引きして、走り去って行ったじゃないか。あれが普通の人間の反応だ! ……見ていられないんだよ、普通は」
なんかあのおっさんいないなあと思ったら、そんなことになってたのか。
これからこの馬車、誰が動かすんだよ。エレノアと俺が交代で馬に乗るしかねーじゃん。
「……くっ。……私は……私はあくまで、そう、正義感からここに留まったのです。エリナ殿が子供達を駄目にしていくのを、放置するわけにはいかない」
ふーふーと息を荒げるエレノアは、今まさに鉄面皮がボロボロと剥がれ落ちていた。
なんかシャロンとの出会いを思い出すなこれ。
「正義感から、ねえ。本当にそれだけかい?」
「……何が言いたいのです」
「報酬も目当てなんでしょ?」
「え、ええ。そう、そうでした。ええそうとも。私はそこの人を駄目にする母親がギルドに提示した、割のいい報酬につられて応募したのです。それを受け取るためにも、ここに残らくてはならない」
レオンとシャロンの口元がニヤリと緩む。
二人同時に、声を合わせて「墓穴を掘ったね」「墓穴を彫りましたわね」とエレノアの顔を指さす。
「エレノアさん。……その母さんが出すといった、割のいい報酬とやらの内容を言ってごらん?」
「は?」
「いいから言ってごらん。それで貴方が何者なのか、なぜ生まれてきたのかがわかる」
エレノアは眉をしかめながら、震えた声でつぶやく。
「……『護衛求む。城塞都市ガリヤまで、馬車で一週間の旅。報酬は10ゴールド。ごめんねもったいないからこれ以上お金は出せないや。その代わりお母さんの手作りご飯と添い寝と、子守唄を用意してあげる』……この、妙に豪華な報酬を求めて応募した私の、どこがおかしいと……?」
全部おかしいだろ。
なんか変だなあとは思ったんだよ。
実は言うとエレノアを雇う前、レオンに相談してみたのだ。
マザコンスキル持ちの女騎士を護衛に指名したいんだけど、なんかアイディアない? と。
するとレオンは「なら僕が求人広告を書くよ」と言い出したのである。
金は10ゴールドあれば十分っていうし、試しに任せてみることにした。
10ゴールドってのは、十歳の子供が一日で使う小遣いと同じくらいの額だ。
カスみたいな賃金だ。
あとはレオンの書いた求人をよく確かめもせずギルドに渡し、できればエレノアに来て欲しいと指名したらホイホイついてきやがった。
なんでこいつこんな破格値で釣れたんだろ、っかしいなーと思ってたら本当に頭がおかしかったのか。
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