ママは下の世話をしたくない


 今朝のことである。

 俺は突然、王様に呼び出しを受けたのだった。

 何事かと思えば、再びサムソンが現れたのだという。

 目撃者によると、場所は城塞都市ガリヤ。

 魔王軍との最前線であり、俺達が次に向かわねばならなかった街でもある。


 というのも、妹デリアは未だに自分が勇者の任を解かれたことを知らない。

 四十路の身で、不毛な籠城戦を続けている真っ最中なのだ。アラフォーで独身の女勇者……もういい休め、休むんだデリア。


 というわけで新勇者であるレオンが現地へ向かい、お疲れ様と告げる必要があった。

 その後は若き勇者が前線の主力を引き継ぎ、士気も上がりまくるだろうってのが当初の予定。

 つまり俺は、実の妹に肩をトントンしに行かなきゃならんわけだ。

 やり辛いよな。


 さてその城塞都市ガリヤに、ふらりとサムソンがやって来たのだそうだ。

 生前と全く変わらない姿でデリアと肩を並べ、魔物に突撃している。

 そんな報告が上がってきているらしい。


 エリナが生き返って、人間のために戦っている。


 そう思うといてもたってもいられなかった。

 俺はさっそくレオンとシャロンに出発の準備をすると告げると、荷造りに入った。

 王様を上手いことマインドコント……説き伏せたおかげで、支援物資でパンパンになった馬車が届く。

 あとはこれに、今抱えている荷物を詰め込めばいい。


 食い物に着替えに、レオンにシャロンに女騎士エレノア。

 全部まとめて客車行きだ。


「……よもや貴方が私を雇うとは」


 そう。

 実はサムソンの件を知った直後、ガリヤまでの護衛としてエレノアを指名したのである。

 冒険者ギルドを通して、きちんと賃金を支払っての依頼だ。

 これなら誰も文句は言うまい。


「これも何かの縁だよ」


 努めてにこやかな顔を作りながら、握手を求める。

 が、パンッとはたくような手つきで返された。

 握るとグローブの冷たい感触がした。硬くてゴツゴツしてて、身を守る殻みたいな触り心地。

 指も内面も、隠す気まんまんだ。


「報酬が支払われている間は、貴方が私の主です。それは認めましょう。ただし必要な時以外は、無闇に話しかけないように」


 言って、長身の女騎士はガシャガシャと音を立てて馬車に乗り込んだ。

 鎧姿にそぐわない、艶めかしい残り香が鼻孔をくすぐる。


 無駄に色気のある姉ちゃんだ。甲冑の下はさぞかし豊満に違いない。

 顔だって大したもんだ。これでいいとこのお嬢さんなら、母親が女らしく育てたくなるのもわかる。

 格上の家柄との婚姻も狙えただろうしな。

  

「よいですね? この仕事が終わってしまえば、貴方とはこれっきりですから」


 はいはい。

 わかってるよ。


 ガリヤまでは馬車で一週間ほど。

 その間にこいつを口説き落として、正式加入させられたら俺の勝ち。

 晴れて女騎士エレノアはうちのパーティーメンバーとなり、レオンの彼女候補だ。


 駄目だったらその時は今生の別れ。すっきりしててわかりやすいだろう?


 ふんっと己を鼓舞させながら、空を見上げる。

 雲は一つも見当たらず、昨日のぐずついた天気とは大違いである。

 空気も澄んでいる。

 朝でも昼でもない、何かが始まる予感に満ちた午前。

 気温が上がりきる前の、涼しい時間帯だ。


 俺はこれくらいが過ごしやすくて好きだ。

 馬車を引く馬もそれは同じらしく、ご機嫌に尻尾を振っている。

 王様が手配してくれただけあって、見栄えのする牝馬だ。それが二頭いる。

 操縦する御者は初老の男である。


 なにやらエレノアはそいつに話しかけ、「数時間おきに私が運転を交代し、貴方を休ませて差し上げます」だのと主張している。


 お前の魂胆わかってるからな。なるべく馬車の中で俺と過ごす時間を減らしたいんだろ。

 本当に心を許す気ないよな。


 出鼻をくじかれる思いだったが、気にせず俺も馬車に上がり込む。

 この騎士様ぜってえ車内の雰囲気悪くするよな、と覚悟しながら座席に尻を滑らす。

 が、意外にもエレノアはレオンと親しげに会話を始めたのであった。

 剣技トークで盛り上がってる……。


 嘘だろ。こいつ俺以外には愛想いいのか?

 

 確かにこの女とレオンをくっつけようとしてるよ。

 だからお前ら二人が仲よさげなのはいいけど。いいんだけど。

 でもちょーっと傷ついたぞ今のは。

 

 俺がしょげていると、するすると猫のような動きでシャロンが擦り寄ってくる。


「ママ、わたくしがついてるから」


 これなら寂しくないでしょう? と大きな碧眼をうるませて、気遣ってくる。

 

「レオンさんはあちらの女騎士様にデレデレなようですし。今日のママはわたくしの貸し切りですのね」


 ふにゅ、と法衣の下の、柔らかな感触が二の腕に伝わってくる。

 胸か腹かは知らんが。

 シャロンは俺の腕に抱きつき、しなだれかかってきたのだ。

 オープンな甘えん坊だよな。エレノアもこんくらい扱いやすければね。


 ため息をつきながら、御者に声をかける。もう出していいですよ。


「はいよ」


 ぴしぃ。

 馬に鞭が与えられる音が鳴り、馬車が動き始める。

 乗り心地は悪くない。ほとんど揺れを感じさせない。

 さすが高級馬車だ。国賓用(あとママ用)とボディに書かれているだけある。カッコの中身は昨日王様が自主的に書いていた。


 気が利くぜ。

 利くでいいのかなこれ? 気が狂ってるの方が合ってんのかな?


 俺はそれ以上その件に深入りしたくなかったので、エレノアに目を向けた。

 今のあいつはレオンとの剣術談義も終わり、窓の外を眺めている。

 冷たい、警戒心たっぷりの横顔だ。

 私人間関係に興味ありません。貴方達と深く関わる気がありません。仕事で一緒にいるだけです。

 言外にそう告げている。


 レオンとのお喋りも、よくよく考えてみれば戦力を確認したかっただけなのではと思えてくる。

 どんな技が使えてどういう戦法が得意なのかを一通り聞き出したら、もう用は済んだとばかりに会話を切り上げたもんなこの女。


 こいつの人生は、いつもこうだ。

 他人との間に壁を作り、距離を置き続けてきた半生だった。


 聖騎士エレノア。

 フルネームはエレノア・ロートシルト。

 齢十三歳にして生家を飛び出し、女性騎士育成団体「絶対オークなんかに負けない団」に加入。

 体格、運動神経ともに恵まれていた彼女はめきめきと頭角を現し、十五歳にして副団長に任命される。

 

 しかし人間関係に嫌気がさし、その二年後には退団。

 以降はフリーの冒険者として過ごし、数々の武勲を打ち立てる。

 十九歳となった現在では、一匹狼で有名。

 金も名誉も手にしたのに、いつもどこか寂しそうな目をしている。


 美人だけど堅物。

 浮いた話は聞かない。


 どうしてここまで詳しくなったのかというと、ママさんネットワークの力である。

 肉屋の前で立ち話する奥さんの集団に混ざり、情報を集めてみたのだ。


 主婦ってなんでも知ってるよな。

 道端で息子の好きな女の子の名前とか、平気で教え合ってるんだぜ?

 こりゃうかうかおふくろに悩み事なんか相談できねーよな。


 俺がもし自分の母親にそんな真似されたら、切れて嫌いになったり……してたのかなあ。

 俺全然お母さん子じゃなかったしな。あんま興味なかったというか。

 母親に対しては、いつも畑仕事に追われてた地味なおばさんって印象しかない。

 あんまり忙しいので、俺の世話はほとんど祖母が行ってたし。


 おふくろって肉体的には俺を産んだ人だけど、ほぼ他人じゃね? と思いながら育ったのだ。

 どっちかというと母親より、祖母が亡くなった時の方が悲しかったくらいだし。


 もうちょっと構って欲しくはあったかな?

 ほんとそんくらいだね、俺の母に対する葛藤なんて。


 なのでマザコン連中の気持ちは、さっぱりわからん。

 エレノアの心情もよくわからん。


 レベル90のスキルとして刻まれるほどの、実母への憎悪。

 それは一体いかなるものか。

 どうすれば克服し、俺達のパーティーに加わってくれるのか。


「……そんなに私の顔が面白いですか」


 エレノアは俺に見られていることに気付いたらしく、ぼそっとつぶやいた。

 目線は外の景色に固定されたままだ。


「面白くはないけど、興味はあるよ」

「そうですか」


 つんと済ました表情からは、これっぽっちも歩み寄る気配を感じ取れない。

 俺こいつと上手くやってけんのかなあと思っていると、くいくいと袖を引っ張られる感覚があった。

 シャロンだった。


「どしたの?」

「おしっこ」


 乗る前に済ませろよな。

 急にしたくなったのか?

 女の子は近いっていうけどさ。


「あーじゃあ一旦停車して貰おっか。そこの茂みで済ませといて」

「エリナママも来る?」

「ううん。お母さんはまだ出ないからいいよ」

「そういう意味じゃなくて、わたくしが用を足すのを手伝います? というお誘いなのですが」


 そういう意味も何も、普通は一個しか意味ねーだろ。

 十三歳の少女が一緒にトイレ来る? と同性に声かけてきたら、連れションと解釈するのが人間だと思うが。


「あのねシャロン……いくら貴方がお母さんっ子でもね、限度があると思うなーって」

「限度?」

「下の世話はやだ」


 シャロンはしばらくポカンとしていたが、やがて「え、じゃあ急にわたくしがおねしょしたくなったら、誰が片付けてくれるんですか?」と不思議そうな顔になった。

 おねしょって自分の意思で出したらおねしょじゃなくね?


「お母さん本当に怒るよ。一人でやっといで」

「ネグレクトですわ……」


 よよよ、と泣き真似をして見せるシャロンだったが、俺の関心はさきほどから別の人物に切り替わっていた。

 エレノアである。

 あんなにも車内の様子に興味のなさそうだった彼女が、今は両の拳を握りしめてこちらを凝視している。

 エレノアは恐ろしいものを見た、と言いたげな表情で言葉を発する。


「なんてことを……」

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