ママは息子の奥さんになる

 俺の上で苦しそうに顔をしかめるレオンに、小声で相談を持ちかける。


「レオンにお願いがあるの」

「……何?」

「今だけお母さんのこと、自分の奥さんだと思ってほしいな……」

「今だけも何も、常にそう思って暮らしてるんだけど」


 お母さんっ子だなあ。

 でもそういうほのぼのしたやり取りがしたいわけじゃなくて、これは重要な作戦会議なのだ。

 

「お母さん本気で言ってるんだよ」

「……?」

「私のこと、レオンの奥さんにして。今日だけは」

「……母さん? と、父さんの前でそれを言う意味はなんだい? あの人に何を見せつけるつもりなの? 僕とどうなりたいの?」


 俺はエリナと体が入れ替わって、十五年も過ごしてきたのだ。さすがにこれくらいの年月を女として過ごしていれば、ある程度女心ってやつがわかってくる。そうとも、俺はとても他人の感情の機微に敏感な人間なのだ(なぜだろう、あちこちから抗議の声が聞こえてくる気がした)

 さっきから執拗に俺とレオンを敵視するスカーレット将軍の言動を見ているうちに、ある可能性に気付いたのだ。


 あの女、行き遅れじゃね?


 ちょうど適齢期を少し過ぎたぐらいの風貌に見えるし……。

 その割に化粧濃いし……。

 そしてあいつの最大の武器が精密な突撃戦法というなら――


「レオン、お母さんが合図したら立って。まずは安全な場所に移動しないと」

「母さん……いやエリナ、好きだ……」


 レオンったらさっそく役に入り込んでるな。

 頼もしい息子だ。

 俺も負けじとレオンに腕を絡ませ、体を寄せる。もう胸なんかもろ肘に当たってるけど、どうせ母親の乳房なんてなんとも思わないだろうから遠慮は要らないだろう。ほんの十数前まで吸ってた物体だしな。

 さてスカーレット将軍の反応はというと……。

 

「貴様ら……」


 空中でわなわなと肩を震わせているのが見える。

 もはや槍を取り落としそうな勢いだ。


「殺す、貴様だけは殺す……っ」


 俺はレオンの肩に頭を乗せた。

 しなを作って、「あのおばさん怖い」などと言ってみる。


「――」


 遠すぎて聞こえないけど、たぶん至近距離だったら「ブチッ」って聞こえただろうなって勢いで切れているのが確認できた。

 とどめとばかりに俺が憐みの目を向けると、女将軍は金切り声を上げながら突撃してきた。


「オトナ女子は何歳になっても適齢期!!! 年下彼氏だって簡単に見つかる!!!!」


 それ今言うことか? なセリフを発しながら、あらぬ方向へとぶつかっていく。

 当然、槍は見当外れの箇所に刺さっていた。


「嘘……?」


 自らのしでかした誤爆に、他ならぬスカーレット本人が最も驚いているように見える。

 そう。

 俺の立案した策はこうだ。

 

 敵は未婚のキャリアウーマンなんだから――目の前で年下のイケメン旦那とイチャイチャする主婦を見たら、ぜってーイラつく。


 もう正気を失うくらいイラつく。

 脳の血管が全部切れるくらいイラつく。 

 きっと細かい狙いなんか定まらなくなるほど動揺し、精密な槍の一撃など決められなくなると予想したのだ。

 そして、俺の作戦は見事に成功したようだ。

 ママ友社会で鍛えられた不毛なマウント合戦の経験が、こんな形で役に立とうとは。もう二度とあれは経験したくないけどな。思い出すだけで胃に穴が開きそうだし。

 なんで旦那の年収と息子の身長をことあるごとに自慢しなきゃならないんだろうな、主婦同士の会話って。

 

「……生きては返さん……」


 俺が過去のトラウマを思い出している間に、スカーレットはよろめきながらも槍を構えた。

 再度の突進準備に入ったようだ。

 しかし遠目にもわかるほど大きく体を震わせているその姿に、開戦時の気迫はない。


 よほど精神的に動揺しているらしい。

 これなら容易に回避行動が取れるし、カウンターだって決められそうだ。


「レオン」


 なぜか硬直しているレオンに耳元で囁いて、はっぱをかける。

 ほら、ここはあんたの見せ場でしょ。


「お母さんに格好いいところ見せて?」

「好きだ……エリナ……」


 レオンは力強い目で頷くと、俺から身を離した。

 数歩下がると大きく上段に剣を構え、振り下ろす前の溜めを作る。

 あれこそはあいつの必殺剣、ダンジョンの三分の一を蒸発させる閃光、サムソンカリバーだ。予備動作がデカ過ぎるのと、レオンは大体いつも情緒不安定なせいで狙いが甘くて素早い敵には当たりにくいという欠点があるけど、スカーレットは精神的に追い込まれているため回避行動が取れなくなっている。

 またとない好機だ。


 勇者と女将軍、二人の視線が交差する。


「サムソン・カリ――」

「別に結婚するのだけが幸せじゃないし、そういうのって今時古くない? 女には家庭に入らなくても、キャリアを形成するって道があるから今は。ってか別に男とか興味ないし。女友達と食べ歩きしたりおしゃれな服着るだけで私十分幸せですから。子育てってそんなに価値のあるものかな? 子供がちゃんと育つかどうかすらわからないってのに。グレたり無職のまま実家にパラサイトするようなのに育つかもしれないでしょ。そういうケース見てるとね。あー独身貴族ってまさにその通りだなーって思わない? 旦那や子供の世話に追われてすっかり老けた主婦とか見てると、終わってるなって。ああいう人らってきっと不幸なんだろうなーって。自分のためだけに使えるお金、一体いくらあるんだろうね? もう何年かしたらきっと私みたいな生き方の方がスタンダードになるんじゃない? 老後は女同士で共同生活とかしてさ」

「でも今、貴方は泣いてるじゃないですか」

「――」

「サムソン・カリバァァァァァー!」


 レオンは咆哮と共に、父の名を冠した一撃が放たれた。

 歴代最強の勇者ですら魔力を使い切るほどの、莫大なエネルギーの奔流が空を駆ける。


「ああ……光が見える……でも、私には……モルダートがいるから……怖くない……あいつは……兜を外したらイケメンのダークエルフだって言ってた……死んでもモルダートが……モルダートが待ってるから……」


 モルダートって遠隔で会話してたあの黒騎士か?

 あいつ兜の中身はドクロ面のアンデッドだったよ、と教えてやる。


「そんな……デート費用はこっちが出してたのに」


 寂しげな断末魔を最後に、スカーレットは閃光に飲み込まれ、輪郭を失っていく。

 もはやその影は人の形を保っておらず、末端から砕けていくのが見えた。

 レオンの剣技を真正面から受けては、チリ一つ残るまい。


 ちょっと気の毒になってきたけど、母親の目の前で息子に怪我をさせたあげく、ロリコン呼ばわりしてきた以上はな。

 それ相応の代償を支払わせるしかないのだ。


「覚えておくんだね、未婚女。ママって生き物はね、自分より息子を傷つけられた時の方が怒るんだよ」


 まだ残ってるとしたら、己の子宮に聞いてみるんだな。

 そこに宿っている母性は、きっと俺に賛同してくれるだろうさ。

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