ママはパパと再会する

 肩で息をしながら、塔内に駆け込む。

 瓦礫と粉塵だらけで視界は最悪で、何度もけほけほと咳込んだ。

 

 それでも俺は、歯を食いしばって進み続ける。

 会いたい人がいるから。会わなきゃいけない人がいるから。

 求めていたものは、すぐそこに。


「エリナ……」


 俺のつぶやきに、レオンは怪訝そうな顔をする。

 どうして急に自分の名前を? とでも思っているのだろう。

 だが、もう止まらなかった。

 周囲の目など気にもかけず、最愛の妻の名を叫び続ける。

 叫んで、走る。


 エリナ。


 まるで病気なんてなかったかのように。

 全て嘘だったとでも言うかのように。

 生前と同じ佇まいで、エリナはそこにいた。

 姿形こそサムソンだけれど、あの少し内股で両手をかざす構えは、間違いなくエリナだ。


 ……息子の前でそういう、なよやかな動作は止めて欲しい。父親のオネエ疑惑がますます深まるだろ。

 とはいえそれはお互い様か。

 か弱い女子の肉体で接近戦を挑み、返り血だらけになった俺に文句を言う資格はない。

 

 俺は女の体で男らしく戦い、エリナは男の体で女らしく戦っていた。

 愛する妻は魔法なんて使えないはずの俺の肉体で、いくつもの水流弾を放っている。

 

「……何があったの……? どうして……?」


 呼吸を落ち着けるのに苦労しながら、途切れ途切れに質問を投げる。

 頭の中でもっと上手く話せているはずの口が、動いてくれない。


 一歩、近付く。


 今にも手が触れそうな距離だ。

 エリナの方も俺に気付いたらしく、髭に覆われた顔をこちらに向ける。


「……勇者の母か」


 重く低い、男の声。

 その他人行基な口調に、違和感を覚える。

 エリナ? 

 まさかお前は本当に、中身がダゴンになってるのか?


「覚えてるかエリナ、俺達が出会ったきっかけを」


 いつの間にか俺の口調は、男時代のそれに戻っていた。相手がエリナだと、自然とこうなってしまう。たとえどんな肉体になろうとも、最愛の人の前でなら、モノローグと変わらない言葉が漏れてくる。


「俺がパーティーを追放されて、やぶれかぶれになってた時に、優しく声をかけてくれたのはエリナだったよな」

「……知らんな」

「お前あの時、言ってくれたじゃないか。どこにも行くあてがないなら、うちに来ませんかって。それで家に上がらせてもらって、俺は昔話をして。お前も身の上話をして」


 俺は小声で語りかける。二人にしか聞き取れない声で、二人しか知り得ない過去を。

  

 ふらふらとさまよっていた俺は辺境のペリシアに迷い込んだ。

 そこでエリナ、お前と出会った。

 頼む、覚えてると言ってくれよ、なあ。

 お前は傷ついた俺を、優しく包み込んでくれたじゃないか。

 自宅に迎え入れて、温かい飲み物まで出してくれた。


 なんで俺なんかに声かけてくれたんだ。

 こんな、冒険者としての肩書すら失った俺に。

 今の俺は無職のおっさんなんだぜ。


 自嘲気味に吐いた愚痴に、お前はこう言ったよな。「職場をクビになった父親みたいでムラムラしたから。つい拾っちゃった」って。いい笑顔で。 


 俺がポカンとしてると、お前は「自暴自棄になったお父さんを部屋に招き入れた私は、実の娘なのに手をつけられてしまうのでした……」と設定語りを始めた。

 怖くなった俺が逃げようとして玄関に向かえば、「お父さんはそうやってお母さんを選ぶんだ!」と既に小芝居が始まっていた。

「近親交配で奇形の子供いっぱい作ろーね、おとーさん」と、道徳をかなぐり捨てた発言をするお前の目は、完全にトリップしていた。

 正直怖かった。

 ここで死ぬんだと思った。

 もはや観念した俺は、もがあっ⁉


「人目のあるところで何てこと言ってるの!? 事実でも言っていいことと悪いことがあるでしょう⁉」

 

 サムソンの大きな手で、口を塞がれる。

 よかった、間違いなんかじゃなかった。

 今目の前にいるマッチョなおっさんの中身は、エリナだ。

 俺とエリナしか知らないはずの、二人のなれそめを覚えているのだから。

 俺は口元を覆う手を引き離すと、真っ直ぐに目を見て言う。


「やっぱりエリナなんだな」


 エリナの眼は泳いでいる。うろたえているようにも見えた。


「どうして俺達の元から離れたんだ。……どんな手段かは知らないが、生き返ったなら一声かけてくれたってよかっただろ」

「生きてるとは言えなかったから」


 ……アンデッドになっちまったのか? 俺の問いかけに、エリナは首を振る。


「どういう意味だ?」

「今の私は生きてるとも言えないし、死んでいるとも言えない。サムソンなのかエリナなのかすら、ううん、ダゴンなのかすら定かじゃない」

「なんだって?」

「ダゴンの能力は、精神を入れ替えるものだと思ってた。でも違う。あなた……あいつの能力は、」

 

 エリナが何かを言いかけたところで、一際大きな飛竜が滑空してきた。黒い影が俺達を覆い尽くす。


「あなた、話はあとで」


 ああもう、いいところで!  

 話が中断されちゃったじゃん!

 じろりと上空を睨み上げると、飛竜の上に甲冑を着込んだ騎士が乗っているのが見えた。女だ。兜で目元は隠れているが、長い髪が風になびいている。見えている部分からするとまだ若いように感じる。

 真っ赤ツヤな唇にはツヤがあるものの、肌は緑だ。亜人種なのだろう。


 黒い女騎士は、俺を見下ろして言った。


「お前か……? イケメンの新勇者が連れてきれた、若い女というのは」


 あれ? この声って多分あいつだよな。

 さきほど俺が皮剥きで仕留めた、アンデッドの騎士が遠隔会話をしていた相手だ。

 となるとこの飛竜部隊の指揮官であり、隊長様ってことになる。


「信じられぬ。調理道具を片手に最前線に出てくる女がいるとの報告は、まことであったか」

 

 黒い女騎士は飛竜に跨ったまま、憮然と俺を眺めている。

 

「我が名は飛竜将軍、スカーレット! 戦場にそのような玩具を持ち込む戯れ、恥を知るがいい! 貴様は楽には殺さん!」


 向こうが正々堂々と名乗りを上げるならば、こちらも答えざるを得まい。


「主婦、エリナ。別にあんたを馬鹿にしてるわけじゃないから。これが我が家で一番硬くて強い武器なだけだし」

「主婦だと?」


 一瞬、スカーレットの語尾に棘を感じた。「だと?」の部分に苛立ちが含まれていたように思える。

 気のせいだろうか?


「ふーん……じゃああの勇者って既婚なんだ。ふーん……」


 いや俺レオンの奥さんじゃないんだけど……。

 なんかあちこちでそういう誤解を受けるんだよな。ぱっと見の外見年齢が息子と同じくらいなのが良くないのか、それとも人前で腕を組んだり頭を撫でたりするのがいけないのか、どっちだろうな。たぶん前者なんだろうな。

 別に母親が息子とスキンシップするのなんて普通だし。

 だって息子だよ? お腹を痛めて産んだ我が子だよ? 元々俺の体内にいた生物なんだから、俺の一部みたいなもんじゃん。だから息子を触るのって自分の髪の毛を触るのと何も変わらないと思うんだよな。そんでもって髪の毛って自分で洗うものじゃん? だから昨日もレオンの体を洗ってやったんだけど、俺別におかしくないよな? よな?

 何かに言い訳していると、噂をすればなんとやら。


「母さん!」


 俺に追いついたレオンが駆け寄ってきたのだ。再会した父・サムソンを見て何を思ったのか、


「……父さん」

「……レオン」

「ごめん父さん。母さんは僕が貰うね」

「?」


 相変わらずよくわからない会話をしているが、これはどう解釈すればいいんだ?

 未亡人になった母さんは息子の僕が老後の面倒を見るから、父さんは何も心配せずに成仏してよ、とでも言いたいんだろうか?

 二世帯住宅でも建ててくれるのか?

 

「レオンの人生プランは嬉しいけど、今は目の前の敵に集中してくれるとお母さん嬉しいなって」

「え、嬉しいの? 母さん……」


 親子で能天気な会話をしていると、頭上の竜騎士が叫んだ。


「戦場で見せつけるなーっ!!!」


 スカーレット将軍は巨大なランスを腰だめに構え、人竜一体となって突っ込んでくる。

 騎馬部隊の突撃戦法を、空中から飛竜を用いて行っている形だ。

 まずい、明るい老後計画に目がくらんで反応が遅れた。


「危ない!」


 咄嗟にレオンが俺を庇い、俺の上に覆いかぶさった。

 なんてこった……直撃じゃないか!


「ぐううううううぅぅ!」


 苦悶に顔を歪めるレオン。

 いくら勇者といえど、まだ十五歳の少年なのだ。

 それが苦痛を感じているだなんて、とても見ていられない。

 俺は自然と流れ出る涙にもどかしさを感じながら、必死にレオンの体を抱きしめ続けた。


 永遠にも感じる一瞬。

 

 レオンは――

 レオンの体は……えっ? すげえ、てっきり槍が貫通したかと思ったけど、ギリギリで持ち応えている。なんて防御力だ。


「危なかった……母さんから産まれてなかったら死んでたところだった……」


 それお前のステータスが高いのと、メチャクチャ頑丈な鎧を着込んでるおかげだよ。誰の腹から産まれたとかは関係ないよ。

 こいつって自分の身に起きる良い現象は全部母親のおかげにする癖があるよな。

 かわいいやつめ。


「ふん。このような場に妻を連れてくるからそうなるのだ」


 そしてそんな愛しい息子を、スカーレット将軍は侮蔑の目で見下ろしている。

 ……許せない。こいつだけはただじゃおかない。

 

「はっ。大体なんだ、貴様の妻は。ずいぶんと童顔じゃないか。ええ? このロリコンめ。これだから男という生き物は。大人の女を相手にできないから、そのような小娘に走るのだ」


 どうやら怒り心頭なのはスカーレットの方も同じらしく、やけに熱の篭った批判を口にした。

 急にどうしたんだこの女将軍は。


「我が槍の錆となるがいい!」


 スカーレットは上空から正確無比の突撃を繰り返し、またもレオンの背中に痛恨の一撃をお見舞いした。


「ぐがっ!」

「レオン! もういい! もういいから! お母さん一人でも大丈夫だから、庇わなくていいよ!」

「嫌だ! せっかく母さんの上に乗れたのに、離れるわけにはいかない!」


 一瞬変なことが聞こえたけど、とりあえずレオンは俺を守ることをやめないようだ。

 一体どうすればいいんだ。いくらお前の防御力が高くたって、目の前で息子が苦しんでたら辛くなるのが親心なんだってば。


「確かにレオンはすっごい硬いかもしれないけど……これじゃ先にお母さんがおかしくなっちゃう!」

「今ので僕もおかしくなりそうなんだけど」


 まずいな、今回の敵は高速で飛び回ってるから魔法も狙いが定まらないのだ。

 後ろでシャロンやエレノアが頑張ってる声が聞こえるが、あちらもジリ貧なようだし……。 

 

「いつまでイチャついてる気だーっ!」

 

 それにしてもこのスカーレットとやら、やけに俺とレオンの絡みにつっかかってくるな。

 ん?

 待てよ。

 刹那、俺の脳内にあるアイディアが浮かんだ。

 勝機が見えたかもしれない。

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