ママは狂戦士と化す

 一通りデリアとの情報交換が済むと、いよいよ勇者の引き継ぎ作業に入った。

 新旧の勇者が直接顔を合わせ、交代の意思を確認するのだ。


 デリアからレオンへと。

 叔母から甥へと。


 煤臭い城壁の隅で、それは静かに行われた。

 二人は向かい合い、視線をぶつけ合っている。


「……精々頑張りな」

「わかってる。叔母さんも今までお疲れ様」


 レオンが一礼すると、デリアはくるりと踵を返して立ち去っていった。

 その目が潤んでいたのは、気のせいではあるまい。

 開放感からか、はたまた無力感からか。それはデリアのみぞ知る。


 俺もなんだか、重要な仕事をやり遂げた達成感があった。

 今この瞬間、ようやくレオンは本当の勇者になった気がする。


 残る問題は蘇ったサムソンと、魔王討伐だろう。

 どちらも一昼夜で片付く問題ではないけどな。

 片方は近くにいるってだけでも、ありがたいと思うべきか。


 デリアによると、サムソンは西方の見張り塔で、魔王軍を迎え撃っているのだという。


 ここからは歩いて数分の距離だ。馬車ではなく、自分の足で辿り着ける距離。

 妻はそこにいる。

 もうすぐ会える。

 朽ちたはずの俺の体で動き回るエリナと、再会できる。

 

 たくさん、言いたいことがあった。

 どうやって生き返ったんだ? 

 なんでレオンを勇者に推薦したんだ? 

 俺達に顔を見せなかったのはなんでだ?

 まだ俺を愛してるか?


 すぐでにも駆け出したい衝動をこらえて、レオンの腕を引っ張る。

 俺は一人の男である前に、一児の親だ。エリナとまた会う時は、レオンも一緒だと決めていた。

 ああもうグズグズするなよな、さっさと来いって。


 俺が今どんな顔をしているかわからないが、ただごとではない様子は感じ取ったらしい。

 シャロンやエレノアも、何も言わずついてくる。


 階段を昇る。通路を曲がる。前を塞ぐ兵士に許可証を見せる。

 これを何度も繰り返す。

 息が弾む。

 

 エリナ。エリナ。エリナ!


 ようやく見えてきた見張り塔は、哀れにも崩れかけている。

 四体もの飛竜が首を突っ込み、羽と尾を振り回していた。その背中には黒い甲冑の騎士が乗っている。

 

 魔王軍の竜騎士だ。


 数本の水流が飛竜の羽を撃ち抜くが、多勢に無勢でしかない。

 あれがエリナの魔法なのだろうか?


 数が足りない。なのに誰も助けようとしない。

 あの塔に俺の妻がいるというのに。


「エリナ!」


 叫んで、俺は飛び出した。

 それと同時に、左右の壁が崩落する。巨大な穴が穿たれ、飛竜が禍々しい鼻面を突っ込んできた。


「ギョアアアアアアア」


 不揃いな牙にべっとりと唾液をこびりつかせ、竜が吠える。

 舌先からはちろちろと炎が上がり、通りがかった者全てを焼き尽くさんとしていた。


「人間ンンン! 皆殺しィィ!」


 飛竜に跨った黒騎士どもが、高笑いをしている。

 品性など欠片もないが、これで魔王軍の精鋭部隊だ。

 あの鎧の中身は、上位のデーモンやアンデッドとされている。


 まずこいつらを仕留めなければ、進むこともできやしない。

 いいぜ、やってやるよ。

 俺は大気中を漂う、マナの流れに神経を集中させる。

 

 集めたマナを四肢に流し込む。身体能力を引き上げる。

 ミスリル買い物カゴから、皮剥きを取り出す。


 竜騎士だろうがなんだろうが、要は根菜と一緒だ。

 堅くて食えない外側は、ひん剥いてしまえばいい。

 騎士の鎧なんてものは、言わば皮の一種。

 ミスリル皮剥きの前では、なんの意味もなさない。


 甲冑と人参の皮は全然違う? 細けえことはいいんだよ!

 一々食材と道具の相性に拘ってて、主婦が務まるか。

 ふさわしくない得物で調理するなんて、日常茶飯事よ。

 ご家庭のキッチンってのは、常に何かが足りないもんだからな。

 場合によっては、パン切り包丁で野菜の皮を剥かねばならない日曜日もある。

 前の日に夫婦喧嘩で、皮剥きをブン投げちゃった時とかな。


 どっか飛んでって見つからないんだよな。

 いくら気が立ってたとはいえ、まさか俺が愛するエリナにあんな真似をするとは自分でも思わなんだ。

 なんであの時、あんなに過激な振る舞いをしたんだろ?

 自分でもわかんねえや。


 なんていうか女の体になってから、定期的に感情をコントロールできなくなる時期が……。

 毎月数日間ほど、目につくもの全てを破壊したくなるというか……。


 ――。


 これ以上は男の尊厳に関わるので、深入りしない。

 だがそろそろ、日付的にそれの時期っぽいとだけ言っておく。


 つまるところお前ら黒騎士どもは、生きて帰れねえってこった。


 飛竜から黒騎士達が飛び降りた瞬間、俺も動く。

 勝負は一瞬、すぐにでも決めてやる。

 右手には皮剥き、左手には買い物カゴ。

 どこからどう見ても強そうな装備だ。強そうだろ? アホ騎士どもが。何へらへら笑ってんの?


「ひひっ。お嬢ちゃん、ここはお料理教室じゃないんだぜぇ?」


 強そうって言えよ。

 言いなさいよ、んもう! 

 今何見てもイライラするんだからっ!

 

 俺は八つ当たり気味に、黒騎士の篭手を引き裂く。

 火花を散らしながら、闇色の金属片が地面に散らばる。


「こ、この女、皮剥きでダイヤモンドメイルを!?」


 続く第二撃で、兜をべろんと削る。

 フェイスガードが外れ落ち、醜悪なドクロ面が表に出てきた。

 どうやらこの黒騎士の中身は、アンデッドだったらしい。


「……あ、ありえねえ……増援、増援を……」


 アンデッドの騎士は耳に手を当てると、なにやらゴニョゴニョとつぶやき始めた。

 魔王軍の方が、魔法や工芸品が発達しているとは聞く。何か遠隔での連絡手段もあるのかもしれない。


「こちら二番隊所属、モルダート。至急応援を願いたい」


 ガガガ、という音の後、女の声が聞こえてくる。


『どうした。貴様が手こずるほどの相手か』

「エプロン姿の若い女が、野菜の皮剥きで俺の鎧を剥いてくる」

『……モルダート、貴方疲れてるのよ』

「俺は正気だ! ほら! こっち来てる! いいから遠視魔法でも使えって!」

『……この仕事が終わったら、ゆっくり休むといい』

「隊長! 隊長ォーッ!」

 

 骸骨の騎士は、滑稽な断末魔を残して骨の破片と変わり果てた。

 続いて二体目、三体目の黒騎士にも切りかかる。

 ダイヤモンドだかなんだか知らないが、十五年の長きに渡って鍛え続けた調理技術に、敵うはずがない。


「これが! 主婦の! 皮剥きスキル!」


 言いながら、俺は騎士達の盾をスライスしていく。


「……ち、違う……皮剥きの技能は全く関係ない……どう考えてもこの切れ味は、ミスリル銀に魔力を込めているせいだ……」

「一々うるさいよあんた達は!」


 げしっと蹴り飛ばす。その衝撃で竜騎士達の隊列が崩壊し、道が開ける。

 今こそ好機。

 俺が矢のように駆け出すと、レオン達も遅れてついてくる。

 こいつら今まで何やってたんだ? 加勢しようと思えばできただろ?


 それとなく話を振ってみると、シャロンが「今のママはあまりにも怖すぎて近付けませんでした」と答えた。


「まるで狂戦士だな」


 とはエレノア。


「僕にはよくわからないんだけど、母さんは毎月こうなるんだ。背後に意味もなく不穏なオーラを漂わせるというか。家族にはまだ優しいけど、畑に侵入してきた動物なんかには容赦がなくなる。普段なら追い払うだけで済ますところを、棒で叩いて捕まえて、夕ご飯にしてしまう。一体なんなんだろうねこれは? ハーフエルフの種族特性なのかな」


 不思議だよね、とレオンが解説する。


「……その、母上殿が妙にイライラする期間は、どれくらい続くのだ」

「うーん。三日から七日くらい? それが終わると二日ほど寝込むね。お腹痛いとか言ってさ」

「そ、それはだなレオン君。……あー。こういうのは、年の近いシャロンから教えてやってはどうかな」

「わたくしに振るんですか!?」

「二人はこれがなんなのか知ってるの?」

「……」

「……」

「もし詳しいなら、教えて欲しいんだけど。え、なんで赤くなってるの」

「……」

「……」

「あのシャロンが恥ずかしがるようなことっていうと、ひょっとして子宮に関係があるのか……?」

「も、もう黙っててくださいな!」


 エレノアとシャロンは、気不味そうに口を閉ざしてしまった。

 これでわかっただろ? 俺達にはエリナが必要なんだ。

 俺は中身が男親だから、レオンに女体の神秘なんか教えてやれねーんだよ。

 俺自身すらよくわかってないから、曖昧にぼかしてるんだ。


 エリナ、どんな理由でもいい。第二の生を得たというなら、早く俺達の元に帰って来てくれ!

 女親のお前が息子に教えてあげなきゃならないことが、まだまだたくさんあるんだよ。

 

 お前はあらゆる意味で必要な存在なんだ!

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