ママと新たな勇者様
俺は今日もエリナの看病を続ける。
あれからさらに病状は悪化し、近頃はめっきりベッドの上で過ごすようになった。
頻繁に吐血し、今では食事も喉を通らなくなっている。
筋肉質だった体はすっかり痩せこけ、皮膚は黄色っぽく変色していた。
医者に見せたところ、胃の中でよくないものが大きくなっていると言われた。
腫瘍だ。
治す術は、ない。
薬は効かないし、回復魔法もかけるだけ無駄だ。
何故なら魔法による治療は、肉体の治癒力を上げて再生させるもの。
あるいは外から入り込んだ毒や呪いを打ち消すもの。
自らの肉体が生み出した腫瘍には効き目がない。それどころか回復魔法をかけると、腫瘍が育つ速度は上がるそうだ。
どうすんだよ、それ。
俺は昔自分だった男の手を握りながら、毎晩のように語り明かした。
お互いこんな姿になっちまったけど、幸せだったよな俺達。色々むちゃくちゃだけどさ。それでもお前のおかげで俺は救われたんだ。
パーティーを追い出されて絶望してた時に、声をかけてくれたのはお前だった。
愛してるよエリナ。だからさ、死ぬなんてやめろよ。飯を食ってくれよ。お願いだエリナ。治ってくれ……。
レオンの前じゃそれぞれ外見通りの口調を演じてる俺達だけど、二人きりの時は俺が男口調に、エリナは女口調に戻っていた。
「俺はこんなにお前に幸せにして貰ったのに、まだ何も返せちゃいない」
エリナはサムソンの顔で答える。
「……本当に幸せなのは、私の方。なぜって、ハーフエルフは信じられないくらい長命だから。人間と恋をすれば、必ず好きな人が先に死ぬのを、見送る運命にあったから。でも貴方は、それを覆してくれた」
「エリナ……?」
「貴方の体になったおかげで、私はこうして、最愛の人に看取られながら逝ける」
「駄目だ、死ぬなエリナ。俺はこの体をお前に返さなきゃいけないんだ。エリナ、エリナ! 神よ! 今すぐ俺とエリナを元に戻せ! 死なせるなら俺にしろ! エリナ!」
「泣かないで、サムソン。私はきっと、世界で一番幸福なハーフエルフよ」
俺は未亡人になった。
入れ替わり先の片方が死亡した以上、元の肉体に戻る可能性は永遠に失われた。
エリナの姿で微笑むエリナを、二度と見れなくなった。
俺はしばらく抜け殻のようになって過ごしていた。
家事も野良仕事も、何も手につかなかった。
レオンには酷く心配された。
「大丈夫だよ母さん、僕がついてるから。僕が……」
レオンも母……父親を失った衝撃から脱しきれていないらしく、声は力なく震えていた。
そうだ。傷を負ったのは俺だけじゃない。この子も同じなんだ。
中身が五十代のおっさんの癖に、十五の息子の支えにならないつもりか?
俺はレオンの体を抱き寄せると、「これから二人で頑張ろう」と声をかけた。
レオンは真っ赤になりながら、「母さんそういうの止めた方がいいよ、無防備だよ」と忠告してきた。
生意気言うようになったもんだ。
俺はレオンの励ましもあり、少しずつ農作業を再開していった。
エリナの墓を庭に立てて、花を供えた。やるべきことはたくさんある。
縫い物を覚えた。レオンの服を作りたくて。
料理のレパートリーを増やした。エリナの味を再現したくて。
「父さん、あの外見で異様に料理も裁縫も上手かったよね。正直母さんより上手……なんでもない」
とレオンに言われるのが悔しくて、むきになったりもした。
俺はいい母親をやれてるだろう?
季節は変わり、俺達母子は父親の喪失から立ち直りつつあった。
いつまでも落ち込んじゃいられない。それは死んだエリナも望まないと思うから。
今は夏の盛りだ。
太陽がじりじりと地面を照らし、植物がその全てを受け取ろうと葉を伸ばしている。
俺には草木が育つ原理なんて知ったこちゃないが、こいつらが水と日光を浴びると大きくなるのはわかる。
成長したがってる生き物は何もかもたくましい。時が止まった俺とは大違いだ。
「いいぞ、もっとでかくなれ」
俺は愛用のクワを畑に打ち込みながら、撒いた種に声をかける。
息子と農作物の成長を見守るのが、俺の生きがいだ。
「もっともっとだ」
ザクザクとクワを突き刺し、掘り返した地面に種を押し入れる。
今朝からずっとこの作業を繰り返していた。
そろそろ昼ごはんかな、と手の甲で顔の汗を拭ったところで、向こうの畑からレオンが飛んできた。
「何やってんの母さん!」
「……? 見ての通り、農業だよ」
「じゃなくて! その格好!」
言われて、俺は自分の体に目をやる。
「ただの作業着だと思うけど」
「胸元! はだけてる!」
「あー……これ? しょうがないでしょ暑いんだし」
「そんな大胆に開けてクワを振ったら、見えるんだってば色々!」
レオンは慌てふためいた様子で俺の胸のボタンを留める。なんて堅苦しいやつなんだ。
確かに大人になってから恥をかかないようにと、礼儀作法はきっちり仕込んだけどさ。
少々マナーにうるさくなり過ぎたようだ。
こいつ俺が風呂上がりに裸でうろうろしたりすると、飛び上がるんだよな。
それはもう大慌てで逃げ出すのだ。そんなに母ちゃんの裸が嫌か……。
まあ家族ならそうだよな。
俺も妹の肌なんか、見ても気分悪いだけだったもん。おえっ、気持ち悪。さっさと服着ろよって感じで。
言っとくが妹はそこそこ美人だったんだぜ? それなのに見たくなかったからな。
血縁者ってのはそういうもんだ。
レオンも同じ気分なのかと思うと、少し申し訳なくなった。
「駄目だよ母さん……母さんは普通じゃないんだから、こんな油断してたら駄目だ」
「それどういう意味?」
レオンは何も答えない。黙々と手を動かしている。
「……視線があるでしょ。誰かに見られたらどうするんだよ」
「別にいいじゃないの。この辺は母さんとレオンしかいないんだから。たまに人が来てもお年寄りだし」
「よくない。まず僕がいるのに無防備なのがよくない」
「ええ?」
めんどくさいやつだ。
反抗期ってやつか。最近は何言っても反対意見を出されて悲しいぞ。
彼女いないの? 作ったら? と言えば「やだ。母さんがいればそれでいい」だし。
隣村の地主から再婚しないかって手紙来たんだけど、穏便に断る方法ないかなぁ。と相談すれば「穏便に済ませるわけにはいかない。その男は僕が殺す」だし。
父親を亡くした影響が少しずつ出てきてんのかな。まさか不良になったりしないよな?
一抹の不安を覚える俺である。
俺がそうやって思い詰めていると、レオンの方もなにやら難しい顔になった。
何か打ち明けたいけど迷ってる、みたいな表情。
「あのさ」
あまりに真剣な様子なので、なんとなく俺も身構えてしまう。
なんだなんだ。何がくるんだ。
「母さん、俺……」
「あ、わかった」
「え?」
「またち◯ちんのトラブルでしょ? 今度はお母さんに何を教えて欲しいのかな」
我が家の特殊過ぎる家庭環境のせいで、レオンの体に第二次性徴特有のあれやこれやが起きるたび、俺が教えねばならなかったのだ。母親の俺が。
しょうがないよな、エリナは体がおっさんでも中身女子だったんだし。知識ないもん。
んで俺は中身が男親だし。
俺としては優しく丁寧に男の子の体について解説したつもりだが、レオンときたら「背徳感が……」「頭おかしくなりそう」「なんで母さんなの。なんで。父さんは何やってるの」「僕はもう駄目だ」とどんどん情緒不安定になっていったので、この時ばかりは夫婦入れ替わりを呪ったものだ。
女親の口から性知識は教わりたくないよな、うん。わかるぞ。
「今度はどんな怪現象が起きたの? 言ってみ」
「違う、全然違う。あと仮にそういう悩みがあっても、もう母さんには言わないから」
「えー何でさ」
「この人は……! この人は……!」
頭を抱えて苦しみ出したレオンに、俺は「何でも話していいんだよ?」と声をかけてやる。
慈愛に満ちた、きっと後光が差しているであろう声色でだ。
レオンは「今何でも言った?」と目を光らせる。
俺は「そうだよ」と即答する。
「じゃあ……これでどうだい。……僕は、母さんが好きだよ」
「母さんもだよ! 一緒!」
「だから……っ! そうじゃなくて……この人は……っ! あがあああああ」
昼間っから親子の絆を確認したかっただけなのか?
変なやつだな、とクワを杖にしながら思う。
「もう話は終わり? なら昼ごはんにしない?」
「……そうだ。だいぶ脱線したけど、相談があるんだった」
「まだ何かあるの?」
レオンは虚ろな目で言った。
「僕、新しい勇者に選ばれるかもしれない」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます