ママはもういない

 母親が――もういない。 

 こんなにもお母さんっ子なシャロンが、二度と母の顔を見れない。


 その悲壮な境遇を聞いた途端、レオンは尻餅をついた。

 そんな恐ろしいことがこの世にあるなんて、と怯えている。


「その歳で、母親に先立たれているだって……? 馬鹿な。僕だったら後追い自殺してる。なぜ生きていられるんだ……?」


 剣からビーム出して地形さえ変える勇者が、見るも無残な姿だった。


 というより王都に来てからのこいつは、常に無残な気もする。

 こんな息子だったっけ? 村にいた時はもうちょっと正常だったような……。

 ここに来る途中、馬車の中で膝枕してやってから言動が変なんだよな。

 馬を休ませてる間は添い寝もしたし、耳だって掃除してやったんだぞ。

 なんでおかしくなるんだよ。


 久々の外泊だからと、張り切って母親らしいことをこなしたつもりなのだが。

 構い過ぎて、逆にストレスを与えてしまったのかもしれない。

 俺もちょっと気張り過ぎて疲れて、後半はレオンにもたれかかって眠っちゃってたしな。

 

 まあ、これだな。

 最後の、俺にもたれかかられたのがよくなかったと見える。

 重くて負担だったに違いない。他に心当たりないもん。

 こりゃ今晩あたりは、もっと甘やかした方がいいのか。

 それで機嫌直るといいんだけど。


 息子との接し方について思いを巡らせていると、シャロンが言った。


「……どんなにいいお母様でも、死んでしまっては意味がない。そう思いませんこと?」


 消え入りそうな声だった。つけ込むチャンスだと感じた。

 俺は悪い大人だった。



 

 シャロンを立ち上がらせると、するりと腕を組んで服屋まで案内させる。

 相手が妙齢の女の子だったら、さすがに怖じ気ついてこんな真似はできん。

 でもちっちゃい子なら、猫を相手にしてるような感覚だ。


 隣を歩くレオンの、羨ましそうな視線が気になるけど。

 少々こいつの相手をするのが面倒になってきたので、シャロンに声をかけてみる。


「どう? こうしてるとほんとの親子みたいじゃない?」

「……姉妹にしか見えてませんよ、きっと」


 シャロンの頬は、ほんのりと赤らんでいる。

 まんざらではない様子だ。

 いけそうじゃないか?


 実母を失ったかつてのお母さんっ子と、精神干渉の域に達した母性を持て余す俺。

 中々いい組み合わせではないだろうか。

 足を動かしながら、「うちのパーティーに入りなよ、一緒に冒険しようよ」とシャロンに誘いをかけてみる。


 なんなら寝る前に子守唄だって聞かせてあげるぜ。

 いっぱいお世話してあげるよ?


「砂肝の炒め物とかイカ焼きとか作ってあげるよ? うちの子になりなよ」

「なんか、妙に料理のチョイスがおじさん臭くありませんか」

「あ、アップルパイも作るから!」


 いかん加齢臭が漏れた。

 だが気を取り直してママアピールをしているうちに、シャロンはいつしか真顔になり始める。

 今ではぶつぶつと「老けない母親、死なない母親……それがすぐそこに……」と繰り返していた。


 決壊の時は近い。


 その後も俺は勧誘を続けてみたが、中々どうして手強いところがあり、首を縦に振らなかった。

 俺のどこが至らないというんだ? 何が物足りないの? たずねてみれば、


「弱そうですし」


 と返ってくる。ほう。弱そうとな。この俺が。


 わかる。


 エリナの風貌に、強そうな箇所なんて一個もないからな。

 深窓の令嬢とか食器より重いもの持ったことありませんとか、そんな雰囲気を醸し出した容姿なのである。

 農業やってたのに肌真っ白だし。


 そう考えると、術師タイプの実力者って損だよな。見た目で凄さが伝わりにくい。

 魔術師なら相手の魔力を感じ取れるので、ある程度強さがわかるらしいけど。

 あいにくシャロンのクラスは神官だし。

 邪悪な気配は敏感に感知できても、敵意のない人間の魔力など読み取れないのだろう。


「わたくしのお母様は、冒険者でした。中々名の通った魔術師だったのですよ。毒刃のシャーロット。おや、知ってらっしゃる? そうです、あの毒ナイフと火炎魔法が得意だった、シャーロットです。でも、ある日クエストに失敗して、亡骸となって見つかりました。家を出る時、必ず帰ってくるって言ったんですよ。なのに、死んじゃいました。……ですからわたくし、強くて優しくて、死なないお母様が理想なの」


 シャロンはどこか遠い目をして言った。


「ならうちの母さんが君の理想像そのものだね。強いし優しいし、寿命もまだ四百七十年は残ってる」


 レオンの言葉に、シャロンは温度のない声で答える。


「嘘おっしゃいな」

「歴代のどの勇者よりも、魔法方面の能力は上だと思うよ」

「はいはい。わたくしだって、自分の母親をこの世で一番優秀な魔術師だと思ってましたよ。冒険者の子供なら、誰だってそういう風に考える時期があるのでは? わたくしはもう卒業しましたけど。貴方はまだこじらせてるようですね」

「本当に桁違いなんだけどな」

「桁違いなのは貴方のママ愛でしょう」


 シャロンはまるで信じようとしない。

 言葉で言っても無駄だな。こういう時は行動で示すしかないのだ。

 

 実戦で。


 俺が決意を固めるのと、『ランジェリーショップ・スイートプリンセス』とやらの看板が見えてきたのはほぼ同時だった。

 なんだ、このたまげた店名。


「ここですよ」


 ら、らんじぇりーしょっぷとな。

 なんでだ。なんで専門店にしたんだ。


 下着なんて服屋の隅っこに、専用コーナーでも作っとけばいいじゃん!

 もっと恥じらいを持って、コソコソ売れよ!


 どうして白とピンクのファンシーな装飾なんか施した看板掲げてるんだよ。それも堂々と。

 店が放つ甘ったるいオーラのせいか、あたりは人影が全く見当たらない。

 そこがまた妖しさを強調している。

 レオンのやつも小声で「これはちょっと入れないな。僕はこのへんで」とか言って逃げる準備してるし。

 

「王都周辺の流行なんですよ、こういうの。住まいは田舎の方なんでしたね? ならもの珍しいかもしれませんね」


 いやあ。

 住所とか関係なく、おっさんなら誰でも流行には疎いんじゃないかな。

 都会のおっさんだろうと、女の下着のトレンドなんて大して把握してないと思うし。

 把握してたら犯罪者だし。


 すっかりママの精神状態になってリードできていたのに、一気に俺の中の中高年男性が息を吹き返す。


「ゴムって知ってらっしゃいます?」

「……ゴム?」

「ツリーフォークっているでしょう。あの樹人型モンスター」

「それが、どうかしたの」

「近頃は新種が見つかりましたの。粘っこい樹液を出すのが特徴でして。で、その樹液から作られた弾性素材が、ゴム」

「……それとこの空気すら甘い匂いのしそうなお店に、なんの関係性が?」

「ゴムを使った下着が発明されて、普及中でして。パンツ革命とすら言われてますわ。よく伸びるし縮むから、これまでのものより面積が小さくてフィットして頑丈で、しかも可愛いデザインのランジェリーがいっぱい増えてて」

「待って。今の女性用下着ってどうなってるの? どうなっちゃってるの?」


 勘の鈍い俺でも、とてつもなく嫌な予感がするのを感じ取れる。

 これはよほどのことだぞ。

 奇跡みたいなもんなんだぞ。


「どうって……んー」


 シャロンは唇に指を当てて、考え込む仕草を見せる。

 それから左右に首を振って、何かを確認し始めた。

 どうやら人がいないか、確かめているようだ。

 レオンすら遠くに走って逃げたので、今は完全に無人である。それが何だというのか。

 

「大丈夫そうですね」

「何が?」

「見せるのは一瞬だけですよ。いいですね。……ゴムを使った下着っていうのは、こうなってます」


 えい、とシャロンは法衣の裾をたくし上げた。

 白いへそと太ももが、外気に晒される。

 なにやら複雑な形状の下着も露わになる。


 もはや何の布をどう組み合わせたのかすら定かではないが、白いレースをふんだんにあしらったパンツと、太ももまでの丈の白い靴下、そしてそれらを繋げる薄手の帯が見て取れる。


「ぶっ」


 何するんだよこの子。痴女かよ。

 いや、この子からすれば女同士だしなんでもないのか。

 けどさ、敬虔なイメージのある神官さんにこういうことされると、おじさんショックなんだよ。


「今時のはこんな風なんです。わかりました? 最新鋭の機能下着に、固定金具。ガーターベルトっていいます」


 シャロンは裾を下ろすと、得意満面といった表情で語り出す。

 このタイプの下着は動きやすくて快適で、おかげで女性の社会進出が進みそうでどうのこうのと。

 何言ってるかさっぱりわからない。

 俺と腕を組むのは恥ずかしいのに、スカートの中身見せるのは平気な感覚もよくわからない。


「確かに貴方からは、高いママ力を感じます。でも色々足りないですね。強さもそうですが、ぜんっぜん垢抜けてません」


 シャロンは不敵な笑みを浮かべながら言う。


「私をパーティーに入れたいのでしたら、まずは私と同程度にはインナーを着こなして頂きませんと。我が母シャーロットは、それはもうおしゃれな人でした。服の下だって気を抜かなかった淑女です。貴方にそれが、できまして?」

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