ママは揺れを克服する

 おっさんの俺が店内の光景を細かく描写するのは、マナー違反だと思う。

 なのでただ簡潔に、凄かったとだけ述べておく。

 

 シャロンと並んで入店した直後から、俺は言葉を失ってしまった。

 内装に圧倒され、ただただ唖然としていたのだ。

 その間に全てが済まされた。


 巻き尺を持った綺麗なお姉さん達に取り囲まれ、衣服を剥ぎ取られ。

 持ち上げられ。

 引っ張られ。

 ああでもないこうでもないと店員同士で議論が始まったかと思えば、俺にぴったりの下着が上下セットで用意された。


 言われるがまま、似たような品を三着購入。

 まさか毎日同じものを着けるわけにもいかないからな。


 なんとも心臓に悪い時間だった。ろくなもんじゃないね。

 店員さん達には怒られたりしたしな。


『この大きさで胸当てを着けてこなかったとなると、揺れたのでは。擦れもしたでしょ。痛んだでしょ』


 と質問、いや詰問されたので、「そうなったら回復魔法かけてましたし」と正直に答えたら、お説教を食らったのだ。

 なんで買い物しただけで叱られなきゃならないんだよ。


 二度と来ないからな。固く胸に誓う俺である。揺れなくなった胸で。

 都会の胸当てって凄いな、たしかに動きやすくなったかもしれない。

 歩いても上下に弾まない胸部なんか見るの、何年ぶりだろうな。


 どこまで押さえつけてくれるんだこれ? 

 とぴょんぴょん飛び跳ねてみたら、さすがにゆさっとズレる感覚があったけど。

 とはいえ術師なら、戦闘中でもそこまで激しい運動はしないものだ。

 大きな問題はないだろう。


 そうして俺が「揺れない胸なんて久しぶり」とはしゃいでいると、シャロンはそっと自身の平たい胸に手をやり、ため息をつくのであった。


「まだ十三歳でしょ、これからじゃない」


 言いながら肩を叩いてやると、シャロンは伏し目がちに答えた。


「わたくしのお母様は、それはそれは優秀な魔術師でしたが……乳房と呼んでいい膨らみは、見当たりませんでした」

「……シャロンちゃんってお母さん似?」

「瓜二つです」

「あっ……」


 俺は何やら打ちのめされた様子のシャロンを伴って、店外に出る。

 入り口からやや離れたところで、気まずそうな顔のレオンが待っていた。

 もはやこの店の近くに立っているだけで、場違いな感覚に襲われるのだろう。


 同感だ。


 ここは男が来るべきではない。女も入るべきではない。「女の子」だけに許された空間だ。

 居心地が悪いのなんのって。


「エリナさんがあんなに楽しそうな顔をするとは思いませんでした」


 シャロンちゃんは何を言ってるのかな。 


「店員のお姉さんにはデレデレしっぱなしでしたし、計測中は体に触られるだけで、なにやら興奮してらしたし。過激なデザインの下着を手にとっては、爛々と目を輝かせる始末。もうあそこに住み着いたらよろしいのでは」


 俺の回想と違うことを言うんじゃない。

 ……俺は他人からはそう見えてたのか? そこまで浮かれてたか? 

 確かに口元が緩みっぱなしだった自覚はあるけどさ。


 なんだっていいなもう。俺は頑張っただろ。レオンの注文通り、ちゃんと胸当て買って着けたぞ。

 どこに出しても恥ずかしくない、立派な母ちゃんになったはずだ。

 次はお前ら子供達が、俺の要求を聞く番だ。


 俺はシャロンの目を見据えて言う。


「このあたりで一番難度の高いダンジョンって、どこか知ってる? もしかしてまだナジール霊廟?」


 小柄な修道女は、軽く眉をしかめた。

 何を言い出すんだこの女は、と言いたげな顔である。


「その通りですが」

「おっけ。じゃ、今から行こう」


 まるで散歩コースでも決めるような調子で、俺は口にする。実際、こんなものはただの散歩だ。

 俺とレオンにとっては、墓掃除に過ぎない。


「お母さんの記憶が正しければ、要求ステータスは200前後だったはずだよ。今はもうちょっと上がってるかもだけど」


 レオンは伸びをしながら答える。

 

「ならいいんじゃない? 肩慣らしにちょうどよさそうだね」

 

 歴代でも屈指の素質を誇る勇者なのだ。この程度のダンジョンなど、準備体操にもならないだろう。

 それは息子の数倍の魔力を保有する俺にとっても、同じことだ。


 エリナの体で一度、全力の魔法をぶっ放してみたかったしな。

 村じゃ出力を調整して、肉を焼いたり井戸を掘るぐらいにしか使い道なかったし。


「シャロンちゃんもおいで。私らがどれくらい強いか見せてあげるか……ら?」


 と。

 その時だった。

 突然、シャロンが俺の袖をぎゅっと掴んできたのだ。

 見れば下唇を噛み、真剣な眼差しをしている。


「おかしなこと考えないでください」

「おかしな?」

「ナジール霊廟は、わたくしのお母様が亡くなったダンジョンです」

「……そっか」


 あのダンジョンは、アンデッドの巣窟とされている。

 シャロンの母親の仇は、不死者なわけだ。

 ならば、この子がクレスト教の神官になったのは。

 厳しい戒律に耐えてまで、最もアンデッドの討伐に長けたクラスを選んだのは――


「短い付き合いですが、知人が死にゆく様を見たくはありません。……神に仕える身として、見過ごすわけには……」

「貴方が仕えてる相手は、本当に神様? 復讐心ではなくて?」


 シャロンは答えない。

 代わりに固く握りしめた拳が、全てを物語っていた。


 今やっと、この可憐な修道女の内面に触れた気がする。それも奥深くにだ。

 

 俺は別に、復讐は何も生まないなんて説教する気はない。

 俺だって自分を追い出したパーティーが壊滅して、アレックスに至ってはくたばったって聞いた時は、胸がすく思いだったよ。

 どうせなら俺の手でやりたかったとさえ感じたね。

 そう感じている時の自分は、好きではなかったが。


 ああもう、胸糞悪いこと思い出しちまったな。

 そうじゃなくて。俺が言いたいのだはな。

 虐げられた人間が一切の反撃を行わなかったら、それはそれで世の中が歪んでいくだろうってことだ。

 強い者と邪悪な者が好き勝手暴れ回る、そんな地獄が出来上がっちまう。


 そもそも刑罰って制度自体が、弱い一般人に代わって国が報復を代行するようなもんだし。

 やり返したきゃ、やりゃあいいさ。

 けどな。これは明確な個人が仇だった時の話だ。


「シャロンはさ。お母さんを殺めたアンデッドがどの個体なのか、特定してるの?」

「……わかりません。でも、あの中のどれか。もしくは全部。なんでもいいです。なんでも。不死者は全員、仇ですから」

「そう……」


 なあ、シャロン。

 お前の敵討ちは、霊廟をうろついてる化物どもを、全て仕留めたら終わるのか?

 それとも世界中の不死者を滅ぼすまで終わらないのか?

 具体的な目標はあるのか?


 修道院に入って。たった十三歳で、恋も結婚も可能性ごと切り捨てて。

 一生腐った死体相手に、法術唱えて回って過ごすつもりか?

 

 今俺の目元が潤んでるのはだな。

 女の体になったせいで涙もろくなったからでも、母性がどうこうでもないぞ。

 たぶん男の体でも同じ状態になったはずだ。

 

 甘い同情と、例え憎まれてでも救い出さねば、という義務感がない混ぜになった感情。

 それが雫となって、目を濡らす。

 ひょっとしたらこの感覚が、父性なのかもしれない。


「ナジールに行こ、シャロン。信じられないかもしれないけど、私とレオンが手を貸せば、あそこは壊滅させられると思う」


 俺は体をかがめて、目線をシャロンの高さに合わせながら提案する。


「もし、あの霊廟の不死者を全部やっつけて、それでもまだ満足できないなら、ずっとこの街で神官さんやってるといいよ。けれど少しでも心境に変化があったら、うちのパーティーにおいで」

「……仮にエリナさんについて行ったとして、何があるんです?」

「もっと貴方に、色々な選択肢を見せてあげられる」


 おっさんは、若者を正しい方向に導く義務がある。

 そうだよな、エリナ。

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