ママは奉仕して殲滅する(2)

「ママ……エリナママ……。なんか落ちた、奥の方におっきいのが、ぽとって落ちたぁ」

「はいはい」


 すくいきれなかった分は、拾ってあげるのが義務だ。

 俺は再びシャロンの中に潜り込むと、耳たぶをひっぱって穴を広げた。

 視界の確保は重要である。


 なるほど。


 大きな垢の塊が、鼓膜の手前まで入り込んでいるのが確認できた。

 シャロンの言っていた「ざりっ」の正体はこれだろう。

 長い期間をかけて洞窟の壁で育ち、干からびて、俺によって剥がされた老廃物。


 なんとしてもシャロンから出たくないという、執念じみたものを感じさせる。

 数本の耳毛を芯にして大きくなったらしく、糸状に伸びたフォルムをしているのだ。

 触手を伸ばして、しがみついている。そんなイメージが浮かぶ。


 厄介な相手だった。


 粉やブロック型は、比較的取りやすい獲物だ。

 しかし紐状となると、耳かきの匙では掴み辛くなってくる。

 何度キャッチしても、滑り落ちる傾向にあるからだ。


 されどそれは、素人の話。

 この程度の障害、何度乗り越えてきたか。

 レオンなんて一度、耳に虫が入ったこともあったしな。

 動かないというだけでイージーモードだ。


 俺は紐状の垢を壁面に押し付けると、匙でつついて軽く形を整える。

 真ん中をへこませ、V字にするのだ。

 そしてそのへこみを匙に乗せ、するすると引っ張り出すプラン。

 

「あ、う、あ、いっぱい、音が、鳴って」


 そこはまあ、我慢だ。確実な排除の代償だ。

 俺は紐を捕まえるのに成功すると、落とさないようにそろそろと持ち上げた。

 時間をかけて、慎重に外を目指す動き。


「あ、あう、あう、あう、あう、あう、あう」


 シャロンが妙な声を上げているのは、垢が紐型なせいだろう。

 横に長いので、移動する度に垢の両端が耳道を掠めていくのである。

 ただでさえ敏感な部位を、二箇所同時に撫でられている状態になってしまうのだ。


「はあん……っ」


 熱っぽい息を吐いて、シャロンは肩を震わせている。

 不可抗力だ。俺のせいじゃない。

 他ならぬシャロン自身が育て上げた、垢のせいとしか言いようがない。


 けど、見るからにしんどそうだ。

 俺だって人の心くらいある。


「辛そうだね。やめる?」

「……やだ……」

「んー?」

「もっと……もっとして……」


 あんまりいじらしいので、つい、意地悪をしたくなってきた。

 

「聞こえないなー?」


 そう、ハンカチに耳垢を置きながら呟くと、シャロンは真っ赤な顔で叫んだ。


「……わ、わたくしの耳に、その棒を、もっともっと突っ込んでください! 何回も出し入れして、気持ちよくしてください……っ!」


 そうか。


 はまったか。


 本人の許可も降りたことだし、遠慮なく再侵入させて頂く。

 俺は耳かきを差し込むと、こしこしと壁全体を撫で回した。

 螺旋を描く動きで、とにかく一つでも多くの汚れを巻き込むのが狙いだ。


「あーーーーーー!」


 シャロンの口元には、光る雫が見える。

 涎を垂らすほど気持ちよくなってるなら光栄だが、膝を汚されるのはちょっとごめんだな。

 左手の親指で唇を拭いてやりながら、右手は機械的に回転を続ける。


「あーー! あーー! あーっ! あーっ! らめっ、らめらめらめ! 消えちゃう! こんなのっ、消えちゃう! 消えひゃうっ! 駄目ぇっ!」

「何が消えるの?」


 ゴリゴリゴリゴリ、と大量の垢が砕かれ、かき回され、匙の上に集められていく。

 それら黄色い破片を出しては拭き取り、出しては拭き取りを繰り返す。


「シャーロットママが消えちゃう! わたくしの、本当のお母様の思い出が消えちゃう! やだあ! こんなのやらあ! 全部エリナママになる! 頭の中全部、エリナママになってる!」

「そんなに気持ちいいの? 大げさだよ。終わればちゃんと思い出せるから」

「あー! 消えたっ! 今消えた! 誕生日パーティーも海水浴もイチゴ狩りも、全部全部エリナママとやったことになってるっ! 上書きされてる! わたくしのお母様がいなくなっちゃう! ほんとのお母様の顔に、上からエリナママの顔がペタペタ貼られてるうっ!」


 シャロンの頭の中、一回こじ開けて見てみたいよな。

 どういう構造してんだろ。


「今頭から消えてるからっ、消えた! もう消えた! 全部ママの顔と取り替えたから! 許して、やら、やら、やらあああああああ!」


 幼い絶叫に、ぞくぞくと征服感が湧いてくる。

 俺は鼓膜に限りなく近いスポット、つつきすぎると咳が出そうになる地点に先端を置いた。


 デリケートで、高度な技術を要する難関部位だ。もっとも、ただの人間にとってはだが。


 ハーフエルフの視力を用いて正確に安全箇所を見抜き、くちくちと匙で汚れを掻き取る。

 バリ、と何かが剥がれる感触があった。

 耳道の壁を覆うように敷かれていた、垢のシートだった。

 黄色く筒状の形をしたそれを、ちまちまと時間をかけて引っ張り出していく。


「あーー! 出てるーーっ! お母様が貼ってくれた壁紙、出てるっ! わらくしのおうち! 思い出のおうち、壊されてる! ほんとのママと暮らしてたお部屋、バリバリ壁紙剥がされてるっ! だめだめ、わたくしの耳の中のお家、解体されてる! 柱だけになってる! このままじゃわたくし、ストリートチルドレンなっちゃう! そのあと拾われて、エリナママの子供になっちゃう! ほんとのほんとにエリナママんちの子供なっちゃう!」


 いいよ、うちの子になっちゃえ。

 言って、俺は垢を滑らせる。


「らめ、らめらめらめらめらめ! それらめ、あっ、あーっ! やらぁ! したくない、お耳で養子縁組なんかしたくないのにっ! ちゃんと法に則って親子になりたいのにっ! んあ! なるっ! なります! ママの家の子になります! なるからっ! ……あっ! はい! わたくしを産んだのは、エリナママです! ママだから、ほんとのママだから、だからもう許して、それ駄目、弱いとこ当たってるから、あ、ああっ、あーーーーっ! あーーーーーー!」


 出た。

 垢のシートが出た。


 もう大方の獲物は取り尽くした。

 主戦は終わったんだから、掃討戦といこうじゃないか。

 

 いよいよ俺は、最後の大物垢にちょっかいを出し始めた。

 垢というより皮に近いそいつは、なんだかシャロンの耳を守っているみたいに見える。

 ここから先は通さないぞ、と平べったい体を伸ばし、俺の介入を防ごうとしているかのようだった。


 でもそれ、無駄だから。


 ぴりり。とカサブタを剥がす時の要領で、作業を始める。

 ひょっとして粘膜の一部なのか? 血が出たりするかな? とも思ったが、杞憂に終わった。


 これは、単なる古い垢だ。

 シャロンの奥でずっと留まっていた、捨てなくてはならない過去。

 卒業すべき幼年期の象徴。

 何年付き合ってきたが知らないが、お前はもうこの穴を出なきゃならないんだ。


「……ふー……ふー……ふー……。ママ……ママ……」

「言ってごらんなさいシャロン。貴方の実母は誰?」

「……エリナママ、です」

「貴方に言葉を教えて、歩けるようになるまで抱っこして、歯が生えそろうまで柔らかーいご飯を作ったのは誰?」

「エリナママ、です」


 ――あれ。確かもっと、別の名前だったような……?

 シャロンは涎まみれの口を動かして、そんなことを呟いた。

 無意味で無力な独り言だった。


「今すっごい大きな耳垢取れたからねー。これ出てきたら、とっても気持ちいいからねー」

「……エリナママは、本当のママじゃ、ない……?」

「お母さんそういうこと言う子は好きじゃないな。もうお掃除やめちゃおっと。このおっきい垢、元の場所に戻すね」

「ママれすうう! エリナママこそがわらくしの遺伝的なママれす! へその緒で縛られた仲でした! 胎教の内容もちゃんと覚えてるからっ! 産まれる前に教わったエルフ語とってもありがたいですっ! えっとエービーシーディーイーエルフ! あ、あああー! 止めないで! 手、止めないで! は、はい、わたくしは一言もエルフ語なんて喋れません! 今捏造しました! でもママから教わったことにするから! だからやめないで! 耳のお掃除やめないでえっ! エリナママがほんとのママだから! あーーーー!」


 いい子だね、よく言えたね。

 俺はシャロンの頬を左手で一撫ですると、最後の古株垢を取り出した。

 ハンカチに置かれたそれは、風に乗ってどこかへと飛び去って行った。

 二度と会うことはないのだろう。


 視線をシャロンに戻す。

 くてんと脱力し、小さく痙攣する姿を見ていると、強烈な充足感が湧いてくる。

 俺は勝ったのだ。シャロンの耳に。過去に。血の繋がりに。

 

「はえ……? ま、まら何か……?」


 ろれつも回らなくなっているシャロンにこれをするのは気が進まないが、耳掃除には仕上げというものがある。

 俺はシャロンの耳穴に口を近づけると、ふっと息を吹きかけた。

 わずかに残された垢の粉が、空中に舞い上がる。

 同時に、シャロンの体がビクンと跳ねた。


 ついに動かなくなった神官少女に向かって、小声で語りかける。


「あのねシャロン。お母さんとしても言いにくいんだけど」

「…………」

「まだ反対の耳が残ってるから」

「……ぁ……」


 が。

 反対側の耳をいじってるうちに、シャロンはもりもり活力を取り戻し、


「思い……出した! わたくしの本当のお母様はシャーロット!」

 

 と叫ぶに至った。

 だからお前の頭はどういう仕組みになってんだよ。

 左耳で気持ちよくしたら記憶が飛んで、右耳だと記憶が蘇るのか。


 なんでもいいけどな。大変オーバーなリアクションをありがとう。

 いつかまたやってくださいまし、と上目使いでねだってくる様子を見るに、気に入ってはくれたようだな。


 魔族の皆さん方も、それは同じなようだ。

 己の耳を押さえて、恍惚の表情を見せている者が目立つ。


「――どうする、まだやる気ある?」


 亜人の軍団は次々に武器を取り落とし、涙を流している。


「おっぱいが大きくて外見年齢十六~十七歳で、耳掃除の達人なママだと……? なんで俺は戦争なんかしてんだ? 亡命しなきゃ」

「乗るしかねえ、この赤ちゃんウェーブに」

「ママー! ぼくワンコ人間だから、綿棒でお掃除して!」


 次々に白旗を上げ、投降してくる三千の敵兵達。解放される人質。

 なお、あの偉そうにしていた犬耳の大将はといえば、「ぼくワンコ人間だから」と発言した野郎と同一人物である。指揮など放り投げて、腹を見せて寝転がる様はまさに飼い犬。


 これこそが我が奥義。


 愛する我が子にご奉仕し、溢れ出る母性で大軍を包囲して殲滅する、奉仕殲滅陣。

 耳掃除好きが多数在籍という、亜人軍団でなければ通用しないのがネックだが、勝利は勝利だ。


「……ふぅ」


 長く、そして異様に神経を使う戦いであった。

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