第一夜 ベッドの下男 3

 ある日、女は長いことシャワーを浴びていた。ひきこもりでも毎日シャワーは浴びているようだ。もちろん、ベッドの下からは見えないが。


 女は定期的に長風呂をする。きっと女には女にしかわからない手入れがあるのだろう、と『ベッドの下男』は考えていた。


 ようやくシャワーを終えた女は、いつも通りにベッドにもたれかかるように座った。


 いつもならキャラクターもののスウェットに着替えているのだが、今日はなぜか素肌にバスタオルの湯上りスタイルだった。


 こういうとき、人間は風邪を引くものだと知っていた『ベッドの下男』は、女の身を心配した。


 心配! ひとを殺す『怪異』であるはずの自分が心配などと、冗談が過ぎる。


 だが、たしかに『ベッドの下男』は女のからだを気遣っていた。女が風邪を引いて困ることはなにもないのに、なぜか案じてしまうのだ。


「……ねえ」


 たましいの抜けたようなぼうっとした声で女が声をかけてくる。


「君、男なの? 女なの?」


 いきなり聞かれて、『ベッドの下男』は狼狽した。


 『ベッドの下男』というからには、もちろん男である。からだに性別は感じたことがないが、性自認は男だ。女であるという感覚は今まで持ったことがない。


 なので、『ベッドの下男』は答えの代わりに腕を見せた。男らしい筋張った腕である。


 女は、そっか、とだけ言って、しばらく黙り込んでしまった。


 『ベッドの下男』は辛抱強くその沈黙に付き合った。ここに来て以来、女のペースに付き合いっぱなしだ。それでも、イヤな気持ちにはなったことがない。


 やがて、女は空気に色がついた程度の声でつぶやいた。


「……男としてさ、今の状況、どう思う?」


 また突拍子もないことを聞かれた。反応に困る質問だ。人間の男の場合はこういうときにどういう反応をするのだろうか?


「お風呂上がりの半裸の女の子とふたりきり、そういうのって、その、こう……むらむらしたりしないの?」


 ああ、そういうことか。ようやく得心が行った『ベッドの下男』はその『むらむら』について考えた。


 生きとし生けるものが持つ性欲というやつだ。もちろん、『怪異』たる自分には備わっていないはずのもの。繁殖の必要性がないので当然だ。


 今も別段どきどきしたりむらむらしたりはしていない。半裸の女がいる、それだけのことだ。特に襲い掛かりたいだとか、はだかにしたいだとか、そういう気持ちはない。


 長い沈黙を答えと受け取ったのか、女は安堵なのか落胆なのかわからない

ため息をついた。


「……そうだよね」


 口では一旦納得した。


 が、次の瞬間、女は四つん這いになってベッドの下を覗き込んだ。血管が浮き出るほど病的に白い肌とつつましやかな乳房の谷間が見える。バスタオルはすぐ下のボディラインをくっきりと主張していた。


「これでも?」


 なぜかこの女は自分を欲情させたいらしい。毎度毎度、わけがわからない。


 そう言われても、『ベッドの下男』は特に際立った感情を抱くことはなかった。根本的に存在の仕方が違うのだ。人間にニワトリに欲情しろと言っているようなものである。


 ……いや、待てよ。


 ひとつだけ、『ベッドの下男』の中に芽生えた感情があった。


 早く服を着てほしい。


 こんな姿、誰かに見られたくない。そして、風邪を引いてほしくない。


 それは欲情ではなく、こころからの心配だった。


 『ベッドの下男』は腕を伸ばし、いつものキャラクターもののスウェットをつかむと、女に押し付ける。


 女は少しむすくれた顔をして、黙ってスウェットを受け取るとバスタオルを取って着始める。


 やがて、いつも通りの姿になった女は、ぴかぴか光るテレビを眺めながら独り言のようにつぶやいた。


「私、けっこうモテるんだよ?」


 なにを主張したいかはわからないが、自分が欲情しなかったことについてあまり良く思っていないらしい。機嫌を損ねたかもしれないとわかると、『ベッドの下男』のなかに奇妙な焦りが生まれた。


「メイクしてオシャレしたらナンパとかされるし。自分で言うのもアレだけど、けっこう美人でスタイルもいいでしょ?」


 『ベッドの下男』は必死にうなずいた。


 それに満足したのか、女は表情を緩めて、


「……ごめん、悪ふざけし過ぎた」


 困ったような笑顔で言った。


 これらはすべて悪ふざけだったのか?


 いや、そうではない気がした。『怪異』である自分にもわかる、なにかの意図がそこにはあった。


 『ベッドの下男』は腕を目いっぱい伸ばして、女の頭をおそるおそる撫でた。こうやって接触するのは初めてのことなので、どう思われるかはわからない。少しこわかった。


 女はその動作に目を丸くしていたが、やがて相好を崩して、


「……ありがと」


 その手を取ると、手の甲に触れるような口づけを落とした。


 なぜか胸が締め付けられるような感覚があった。かなしい、くるしい、せつない……人間たちの言葉に置き換えようとしてもうまくいかない。


 『ベッドの下男』がその正解を探し求めていると、女はいつも通りじゃがりこを開けてカーペットの上に置き、ゲーム機を操作してコントローラーを渡してきた。


「ゲームしよ! 最近調子いいからさー、絶対上狙えるよ!」


 今までの話はナシ、ということらしい。それくらいは『ベッドの下男』にもわかった。


 うまくそれに乗っかった『ベッドの下男』はコントローラーを受け取ると、景気づけにじゃがりこを三本つまんだ。


「あ、一気に食べるの禁止って言ったじゃん! もう! ほら、対戦相手来たよ!」


 他愛のない日常だ。世界から隔てられたような暗い部屋の中で、ふたりきり。それがいいことなのか悪いことなのかはわからないが、少なくとも『ベッドの下男』は居心地の良さを感じていた。


 深夜二時過ぎ、また朝までゲームだろう。


 付き合おうじゃないか。


 コントローラーを握った『ベッドの下男』は早速ゲーム画面に集中することにした。

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