第二夜 怪人アンサー 7

「……やっと出てきてくれましたね」


 『遅い』と文句を言いかねない口調で天才少女が言う。


 『怪人アンサー』は曳かれ牛のようにドナドナと天才少女の隣のブランコに腰を下ろし、深くうつむいた。


 両者何も言わず、ただただいたずらに時間だけが過ぎていく。


 三十分ほど無言で隣り合っていたふたりだったが、とうとう焦れた『怪人アンサー』が口を開いた。


「……本当に行っちゃうんだね」


「はい」


 あくまでも簡潔に述べる天才少女。


「あなたを残して行くのが多少心配ですが」


「俺が行くなって言ったら行かない?」


 『怪人アンサー』らしく質問をすると、少女は眉根を寄せて、


「それでも、行きます。一度決めたことですから」


「そっかぁ……」


 はぁ、と湿ったため息をつく『怪人アンサー』。名残惜しさがにじみ出ていた。それが余計に天才少女の迷いの種になるとわかっていつつも、止められない。


「渡米するってわかってたのに、なんで俺のこと探したの?」


 また質問。今夜は天才少女にとっての難問続きらしく、困り顔でしばし口を閉ざしていた。


「……あのとき、私のことを好きだと言ってくれたからです」


「……それだけ?」


「それだけです」


 もっと何かを聞き出そうとする『怪人アンサー』に、天才少女はつんと澄ました顔をしてそっぽを向いた。こういう時はたいてい何かあるのだ。


「じゃあ、俺があのとき好きだって言ってなかったら探してなかった?」


「過去の『もしも』に拘泥するのは非生産的ではありませんか?」


「だとしても聞きたい」


 強い口調で尋ねると、天才少女はホールドアップのため息をついて、


「……言っていなくても探したでしょうね。あなたは私の中に深く根付きすぎました。あなたという樹が抜けてしまっては、私という大地は深く削れてしまいます」


 珍しく散文的な言い回しをすると、天才少女はヤケクソになったのか、ブランコを立ちこぎしながらまくし立てた。


「あなたの『好き』と私の『好き』。私はたしかにあなたのことが好きです。いわば両思いです。しかし私は恋などしたことがないのでこれが本当に『恋』という状態なのかわかりません。『好き』ノットイコール『恋』だということはわかります。『恋』という言葉には、それだけでは足りない要素が多分に含まれています」


 よくそんなに理性的に分析できるな、と感心した。きっとこれが真の天才というやつなのだろう。いつも感情的な自分とは大違いだ。


 『怪人アンサー』が黙って聞いていると、天才少女はさらに続けた。


「私は『恋』という怪物の正体を知りたくなりました。この思いが本当に恋なのか、否か。生殖行為を前提とした生物学的な本能として付き合いを欲しているだけなのか、もっと別の何かを求めているのか。ええ、求めていますね。私はあなたのことをもっと知りたい。あなたのために何かしたいし、あなたと抱き合って、キスのひとつもしてみたいですから」


 それは『怪人アンサー』が言っていた言葉を真似たのか。同じことを打ち明ける天才少女に、『怪人アンサー』は自分と同じ気持ちでいてくれたという感謝の念でいっぱいになった。


「あなたと出会ってから、私の調子は狂いっぱなしです。これも恋の副作用だとしたら、由々しき事態です。天才であるはずの私が己のペースすら律しきれないのですから。あなたのことは好きです。あなたも、私のことが好きです。相思相愛です。しかし、これが『恋』であるかどうかは別問題です」


 饒舌に語るうちに、ブランコの勢いはだんだんと失速していった。やがては完全に止まり、天才少女はブランコに座る形になった。言葉の奔流も止まり、また沈黙がやって来る。


 今度は静寂が破られるまで、そう時間はかからなかった。


「……最後の質問、いいかな?」


 うつむいていた『怪人アンサー』が、なにか覚悟を決めたような口調で顔を上げ、天才少女と顔を見合わせる。


「どうぞ」


 先をうながす天才少女に、深呼吸のあと一世一代の大舞台に立っているような感覚を抱きながら『怪人アンサー』が問いかけた。


「……君は俺に『恋』してくれてるの?」


 怪物の正体をいっしょに暴こうとしてくれているのか?


 『怪人アンサー』の問いかけに、少し視線をさまよわせたあと、天才少女は苦笑を浮かべて答えた。


「……こればかりは、私にもわかりません。どんな難問よりも難しいです」


 『怪人アンサー』の勝ちだった。とうとうこの天才少女に一泡吹かせてやったのだ。


 しかし、よろこびは湧き上がらなかった。ただ途方もない不安だけが胸に押し寄せた。この『恋』を証明する手立てはなにもないと言われたのだから。


「私は質問に答えられませんでした。ですから、私を殺してたましいを持っていってください……あなたの手が届くうちに」


 遠くへ行きたいという気持ちと、ここへとどまりたいという気持ち。相反するふたつの気持ちに決着をつけるために、天才少女はわざわざ殺してほしいとまで口にした。


 正直に言えば、今すぐにでもたましいを奪い取りたい。奪い取って、自分だけのものにしたい。そうすれば、永遠にいっしょにいられる。


 しかし、そうしてしまうことが天才少女のしあわせにつながるとはとても思えない。


 これは天才少女なりの『逃げ』だ。決断を自分に丸投げしている。天才らしく巧妙に仕組まれた罠だったが、『怪人アンサー』はそれを見逃さなかった。


 ならば、自分はあえて殺さない。殺さず、未来へとその小さな背中を押そう。逃げてもらっては困る、進んでもらわなければ。


 たとえ、その結果この『恋』らしきものがおしまいになってしまったとしても。


 そう思った瞬間、『怪人アンサー』はなんとなく悟ってしまった。


 ああ、こんな風に思うことが『恋』なんだろうな、と。


 なるほど、言語では言い表せないはずだ。その名状しがたい感情をひっくるめて、ひとは『恋』という言葉を作ったのだ。


 気付いても、天才少女と言葉で分かち合うことはできない。これは言語化できない現象なのだから。


 今なら、どんな結末でも受け入れられる。そうやって恋をして、ひとは成長していくのだ。天才少女もまた、この経験でひとつ大人になれるだろう。


 だとしたら、自分がかなしい思いをすることくらいわけもない。きっと天才少女はこれからアメリカでも恋をして、もっと大人になって、きれいになって、そしていつか誰かのものになるのだろう。


 それでもいい。他の男のものになったとしても、それが天才少女のしあわせならよろこんで祝福の拍手喝采をしよう。


 『恋』の正体を漠然とつかんだ『怪人アンサー』は、今、この上なくすがすがしい気持ちだった。


 失恋したというのに、不思議なものだ。

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