第二夜 怪人アンサー 8

「……困ったな」


 頭をかきながらつぶやく。


「君はまだ子供で、さっきの質問は難しすぎた。俺はズルをして君に勝ったようなもんだ」


「ズルではありません。これはそういった駆け引きの余地がないほど単純なルールです」


 あくまで判断を『怪人アンサー』に委ねようとする天才少女は、ここにイカサマがなかったと主張した。


 しかし『怪人アンサー』は首をゆっくりと横に振り、


「いち『怪異』としての尊厳をもって、君のたましいを連れていくことはできない。けど……」


 『怪人アンサー』はブランコから立ち上がり、天才少女の目の前に立つ。


 訝しげに『怪人アンサー』を見上げる天才少女の頭をぽふぽふと撫でて、『怪人アンサー』は仮面の下で切なげに笑った。


「……君が大人になって、質問の答えを聞けたら、そのときは君を連れていくよ」


 それまでは、しばしのお別れだ。


 引き戻される手を名残惜しそうに見送る天才少女に一礼して、『怪人アンサー』はそのまま、すっ、と闇に溶けて消えてしまった。


 天才少女のおかげで、『恋』の正体が分かった。それだけで充分だった。


 だから、あと何年かかっても待とう。


 闇の奥へと去っていく『怪人アンサー』は、振り返らずに天才少女を残して消えた。


 


 そして夏が過ぎ、秋が来て、冬を見送り、また春を迎えて、数年が過ぎた。


 『怪人アンサー』は今日もまた、午前二時の公園でブランコに座る。


 この数年、欠かしたことのない日課だった。こうして明け方までブランコに腰を下ろして、夜明けを待つのだ。


 ニ三度、夜道を歩く人間に遭遇したことがあったが、『怪人アンサー』は質問をしなかった。ただ怯えて逃げていく人間の背を見詰めるばかりだった。


 『怪人アンサー』は待っていた。


 待ってはいたが、期待はしていなかった。


 ただ、『恋』の正体を突き止めた『怪人アンサー』は、こころ穏やかに待つ日々を過ごしていた。


 帰ってこなくてもいい。


 ただ、待っていたかった。


 万が一あの子が帰ってきたときに、『おかえり』と言ってやるために。


 いつか朽ち果てるそのときまで。


 そしてまた夏が過ぎ、秋が来て、冬を見送り、次の春を迎えようとしている。


 きいこ、とブランコを揺らし、あの子のことを思う。そんな時間がたまらなく大切だった。


 午前二時を回り、いつもはこんな時間に他愛のない話をしていたな、と考えていた、そのとき。


 目の前にひとりの少女が現れた。


 まぶしすぎる光を見たときのように、仮面の下で大きく見開かれた瞳に涙の膜が浮かぶ。


 中学二年生くらいだろうか、ツインテールをやめて髪を下ろし、だいぶ背が伸び、顔つきも大人びていたが、すぐにわかった。


 天才少女が帰ってきた。


 待ち焦がれていたあの子が。


 そう、期待していないというのはウソだった。いつだって『怪人アンサー』はどこかでこの展開を期待していたのだ。


 天才少女が自分のもとに再び現れる瞬間を。


「……おかえり」


「ただいま」


 胸中に荒れ狂う歓喜の嵐を悟られぬよう、落ち着いたトーンで挨拶をすると、天才少女もまた、淡々と挨拶を返す。


「アメリカはどうだった? 友達はできた?」


 『怪人アンサー』がそう尋ねると、天才少女はそばかすの浮いた頬でつんと澄ましてそっぽを向き、


「その他にするべき質問があるでしょう」


 すべてお見通し、か。


 さすがは天才。数年前よりも磨きがかかっているようだった。


 天才少女は少しだけ大人になった。思春期を迎え、声もからだつきも時の流れに従って成長した。


 しかし、芯のところでは変わっていない。


 傷つき汚れていくこともあっただろうに、それでも天才少女のガラスのように透き通ったこころには一点の曇りもなかった。


 そのことに心底から安堵すると、『怪人アンサー』は仮面の下で微笑みながら問いかけた。


「……君は、俺に『恋』してる?」


 数年前には答えられなかった質問を、ときを経てもう一度。どんな答えが返ってくるのか、そればかりを夢想していたのだ。


 天才少女は、まるで難題の最適解を見出したかのような笑顔で答えてくれた。


「はい。私はあなたに『恋』をしているようです」


 『怪人アンサー』の目の前まで歩み寄った天才少女は、す、と手を伸ばした。その白く華奢な指先が、『怪人アンサー』の仮面の頬の部分をなでる。


「先日そういった事実が判明したので、飛ぶように舞い戻ってきました。飛行機がなければ太平洋を泳いで横断するところでしたよ」


「あはは、そりゃあ勘弁してくれ」


 頬をなぞる指先を、『怪人アンサー』の白い手袋の手が握りしめる。春先の深夜、少し冷えてはいたが、たしかにその手はあたたかかった。どくん、と脈動が伝わってくる。生きている人間の証だ。


「……待たせてすみませんでした」


 謝る天才少女は、握りしめる手に指を絡め、繋いだ。


 ふたりはとうとう同じ答えにたどり着いたのだ。


 問いかけを投げかける『怪異』である『怪人アンサー』らしい結末だ。


 片手を繋いだまま、『怪人アンサー』は困った風に笑う。


「これじゃあ、たましいは持っていけないな」


 まったく困っていない口調でそう言うと、『怪人アンサー』はつないだ手をぐっと引き、天才少女のからだを胸の中に押し込めた。


 強く、強く抱きしめる。ずっと願っていた思いが叶った。もう二度と離すものか。


「……痛いです」


 腕の中で顔を真っ赤にしていた天才少女が、小さな声で訴えた。


「あ、ああ、ごめん!」


 慌てて腕のちからを緩める『怪人アンサー』。改めて天才少女の顔を間近で見つめて、大人になったな、と思う。


 変わった部分も、変わらない部分も、すべてがいとしかった。


 『恋』とはそういうものなのだ。


「それでは、私からも質問をひとつ」


 抱きしめていた天才少女が、そろそろと『怪人アンサー』の背中に腕を回した。そうやって抱き合いながら、ふたりは恋人としての最初の一歩を踏み出す。


「……キスでもしてみませんか?」

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