第五夜 メリーさん 3

 オッサンの監禁生活は意外にも快適だった。


 本当に、外にアクセスできないこと以外はなにひとつ不自由がない。


 部屋の中にはゲームや本、漫画もテレビもあるし、お菓子は途切れないし、時折かわいい服を着せてくれる。


 食事は毎日決まった時間に、あーん、と食べさせてくれた。


 夜は同じベッドで眠ったが、宣言通りオッサンはなにもしてこなかった。


 ともかく、オッサンは『メリーさん』をべたべたに甘やかした。


 しかしやはりオッサンは病んでいた。


 夜眠っている隙を突いて部屋の外に出ようとすると、『どこ行くの?』と背後に立っていたり、たまに暴れるとまた椅子に拘束したり、『逃げないでね』が口癖だったり。


 『メリーさん』の主力武器であるスマホも圏外だった。完全に外の世界とは隔絶されている。


 オッサンには隙がなかった。


 これには『メリーさん』も困り果てた。


 脱出のチャンスもなく、日々甘やかされ、徐々に『メリーさん』の精神は楽な方に傾いていった。


 このままでもいいのではないか?


 ここにいた方がオッサンも自分もしあわせで丸く収まるのではないか?


 近頃はそう考えてしまう。


 オッサンはやさしいし、『メリーさん』という存在を強く求めている。今までこんなことがなかったため、『メリーさん』の中には戸惑いと同時によろこびがあった。


 忌み嫌われる『怪異』なのに、オッサンはひたすらやさしくしてくれる。たとえそれが病的なものであっても、『メリーさん』にとってはあたたかかった。


 ある日、ふたりでごろごろと漫画を読んでいると、オッサンが話しかけてきた。


「ねえ」


「……なんなの?」


 漫画を中断されて不機嫌そうな『メリーさん』が渋々顔を上げると、オッサンはにこにこしながら、


「僕は思うんだよ。君は、神様が僕に送ってくれた、生きるか死ぬかを選ぶ機会だって」


 急に何を言い出すかと思えば、そんなことか。


 『メリーさん』は漫画を閉じると、呆れたようなため息をついた。


「そんな意地の悪い神様、願い下げなの。生きたければ勝手に生きて、死にたければ勝手に死ねばいいの。それは誰にも文句が言えないことなの」


「ははっ、君は割り切ってるねぇ。それも『怪異』だから?」


「違うの。私の矜持なの」


 『メリーさん』はきっぱりと言い放った。脅かす以外に特に目的のない『怪異』である『メリーさん』は、他のひとを殺す『怪異』とは違って、生きることを肯定していた。生き死にに関わることは他でもない本人が決めるべきだ、そう思っていた。


 別に生を賛美するわけではないが、そこに他人の意志が介在するべきではないと考えているのだ。死にたいと思ったら死ねばいい。それもまた、『メリーさん』の美学だった。


 なので、帰ったら死ぬ、と言っていたオッサンを説得してしまったことは、自分でも驚きだった。だったらさっさと死ね、と突き放してそのまま帰ればよかったのに、『メリーさん』はここに留まり、オッサンを生かすことを選んだ。


 生きることの過酷さも、『メリーさん』は充分に理解していた。それでもなお、オッサンには生きろと言ったのだ。


 それがどうしてなのかは自分でもよくわからなかった。情がわいたのだろうか?  いや、そんな生易しいことで生きろと言ったわけではない。この問題はもっと根が深いような気がした。


「矜持、ねぇ。なんだかカッコイイな、君は」


「なんたって『怪異』だからなの。こんなところでうだうだ死ぬ死ぬ言ってるオッサンとは違うの」


「ははっ、言うねぇ」


「あなたは精神を病んでいるだけなの。人間っていうのは動物だから、生き残って繁殖することが本能なの。けど、あなたの本能には精神的なエラーが生じてしまって、生きることをやめようとしているだけなの。バグってるの」


「僕はバグってるの?」


「そうなの。そのエラーが解消されれば、自然と生きていくことに納得できるようになるの」


「……そんな日が来るのかな?」


「きっと来るの。それまでは……」


 言いかけて、『メリーさん』ははっとした。


 『それまでは私がいっしょにいてあげるの』。そう言おうとしたのだ。


 いくらなんでも、これはおかしい。


 自分はこのオッサンに監禁されている身なのだ。それを『いっしょにいてあげる』? バカげている。


 どうやら、この生活に毒されすぎているらしい。すっかりオッサンの同居人気分になっていた。逃げるという選択肢がかすんで見えていた。


 この生活に慣れてしまってはおしまいだ。『メリーさん』は、『怪異』としての反骨精神を折られかけていた。


 このままではいけない。己を律し、『メリーさん』は志を新たにしてオッサンに命令した。


「わ、私、ドクペ飲みたいの!」


「ドクペかぁ……今冷蔵庫になかったなぁ。けど、仕方ない。そこのコンビニでちょっと買ってくるよ」


 チャンスだった。オッサンは財布と鍵を片手に立ち上がり、部屋を出ていこうとした。


「いつも言ってるけど、ここの部屋の鍵締めていくから、外に出ないでね?」


 うんうん、と物わかりのいいフリをしてうなずくと、オッサンは朗らかな笑顔で、


「じゃあ、ちょっと行ってきます」


「いってらっしゃいなの」


 そう、永遠に。部屋のドアを閉じるオッサンの背中を手を振って見送りつつ、これが最後だとこころに決める。


 やがて扉の向こうが静かになって、『メリーさん』は考えた。


 あのコンビニまで徒歩で往復10分ほど。帰ってくるまで15分くらいだろう。それまでにどこまで逃げられるかだ。


 『メリーさん』は扉に手をかけ、難なく開いた。『メリーさん』の前では錠前などなんの役にも立たない。その事実は伏せてあった手札だった。


 急いでアパートを出て階段を下りる。


 久々のシャバの空気はうまかった。


「……急がなきゃなの……!」


 コンビニとは反対の方向に全速力で走りながら、『メリーさん』は自由の身を満喫していた。


 これでもう、あのオッサンとは関わらずに済む。


 生きようが死のうが知ったことではない。


 自分は自由なのだ。


 夕暮れ時の街を走り抜けながら、『メリーさん』は大きく勝利の笑い声を上げた。道行くひとたちが怪訝そうなまなざしで見てくるが、どうでもいい。


 あばよオッサン、と脱出成功のドヤ顔をしながら、『メリーさん』はひたすら遠くへと走っていった。

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